Chapter2 「地下道の刺客 米子始動」
Chapter2 「地下道の刺客 米子始動」
米子がビックポコー2号店の305号室の前に立った。ミントから部屋を予約して先に入っているとメールで連絡があったのだ。部屋の中から『権之助坂42』のヒット曲の伴奏とミントに歌声が小さく響いていた。米子がドアを開けるとマイクを持ったミントが気付いて慌て機械を操作して音楽を止めた。
「米子、待ってたよ。飲み物はウーロン茶を頼んでおいたからね」
ミントが笑顔で言った。
ミントはソファーに座り、米子もテーブルを挟んで正面の椅子に座った。
「ミントちゃん久しぶりだね。最後まで歌えばよかったのに」
「だよねー、でもそんな気分じゃないよ。米子、こんな場所に来て大丈夫なの? 裏社会のヤツらに狙われてるんだよ!」
「そうみたいだね。でも今時懸賞金欲しさで人を殺す人なんているのかな?」
「懸賞金は2億だよ、狙ってくるヤツはいっぱいいるはずだよ。木崎さんが組織のセーフハウスを2つ押さえたんだよ。しばらくそこに隠れなよ。カギを預かって来たよ。それと山ちゃんが襲われたんだよ。銃で撃たれて陸橋から落ちて車に轢かれたんだよ。命は取り留めたけど重体でまだ意識が戻ってないんだよ」
「山本さんが襲われたの? どういう事!?」
「米子は山ちゃんに公安のトップ事を調べるように頼んでたよね? その関係だと思うよ」
「そんな・・・・・・」
米子は珍しくショックを受けた。自分の依頼がきっかけでジョージ山本が襲われたかもしれないと考えると心がザワついた。
「米子、全部話してよ。状況が分からないから私達も動きが取れないよ。阿南って何者なの? 山ちゃんをやったのはそいつなの?」
「これ以上みんなを巻き込みたくないよ」
米子が弱い声で言った。
「何言ってるの! 米子1人で抱え込まないでよ! それにもう巻き込まれてるよ! 山ちゃんは死ぬかもしれなかったんだよ! 私や樹里亜ちゃんや瑠美緯ちゃんだって安心できないよ。みんなで情報を共有して結束するしかないんだよ! 樹里亜ちゃんも瑠美緯ちゃんも米子の事を本気で心配してるんだよ。木崎さんだってそうだよ」
「だからこれ以上巻き込みたくないんだよ。私一人でケリをつけるよ」
「いい加減にしてよ!! 米子だけ勝手な事して勝手な事言わないでよ!! みんな仲間なんだよ! 米子の事を心配してるんだよ! 冗談じゃないよ・・・・・・」
ミントが声を震わせて言った。米子はその声には強い意志を感じた。ゼニゲーバ商務長官を撃とうとした時に立ち塞がったミントを思い出した。
「わかった・・・・・・全部話すよ」
米子は力なく言った。みんなを巻き込みたくないと思ったのは本当だったがミントの声と言葉の圧に心を押されたのだ。自分は独りよがりだったのかもしれないと思った。気が付かないうちに仲間を巻き込んでいたのだ。米子は意を決して全てを話す事にした。
米子は家族を惨殺した実行犯を教えてもらう代わりに阿南と神崎に協力した事、カンナの事、赤い連隊の集会を襲撃した事、ゼニゲーバ商務長官の暗殺計画、パトリックに助けられた事、レッドフォックスの狙いと阿南の野望について全てを話した。
「なるほどねー、たいへんだったんだね。でも阿南ってヤツはひどいね。自分の野望のために米子を利用しようとしたんだね。それも公安のトップだなんて聞いて呆れるよ」
「私も軽率だったよ。復讐に憑りつかれて周りが見えなくなってたよ」
「そんなのしょうがないよ。私達は家族がいないだけに家族の事になると冷静でいられないんだよ。いくらIQ160だって心の動きには抗えないんだよ。人間は1人だと弱い存在なんだよ。だから仲間が必要なんだよ」
「私戦うよ。みんなの助けも借りるよ。それが勝つ為に最善の道なんだと思う。山本さんの仇も取りたいよ」
「仇はいつでも取れるよ。これ、セーフハウスの鍵と住所だよ。セーフハウスは2カ所だって。神楽坂と赤羽だよ。オートロックの暗証番号も書いてあるよ。指紋認証と網膜認証は登録済らしい。それとバイクの鍵も預かってきたよ。会社の駐車場に置いてあるからいつでも使って構わないって木崎さんが言ってたよ。『掃除屋さん』も使っていいいって言ってたよ」
ミントがカバンから鍵とメモ用紙を取り出して米子に渡した。
「いろいろ助かるよ。さすがに今回は敵が誰だか分からなから今の部屋に住むの不安だったんだよね」
「それと、こっちの紙に内閣情報統括室の検索システムのログインIDとパスワードが書いてあるよ。木崎さんが使えって言ってたよ。かなり権限が強いアカウントらしいよ」
ミントがポケットからメモ用紙を出しながら言った。
「助かるよ。組織のデータベースは法執行機関や裏社会の情報がいっぱいあるから頼りになるんだよね」
「荷物を運ぶ時は言ってよね。会社の車が使えるよ。米子は懸賞首なんだから気を付けないとだめだよ」
「ありがとう。なんか西部劇のお尋ね者になった気分だよ。『Wanted♪』って感じだね。そんな歌あったよね」
「ふる~、70年代だよ。私達が生まれる30位年前だよ。ピンクレディーだっけ? キャハハ」
「お母さんが懐メロ好きで家事をしながらピンクレディーの歌をたまに歌ってたんだよね」
「とにかく遠慮しないでね。ニコニコ企画のみんなは米子のおかげで厳しい戦いを乗り越えて生き残って来たんだよ。今度はみんなが米子の支えになる番だよ」
「ありがとう。絶対に負けないよ。きっと勝つ事には意味がある。今はそう思えるよ」
米子は大きなリュクを背負い、ショルダーバックを肩に掛けて神楽座を上っていた。服装は白いダウンジャケットとブルーのデニムのパンツだった。肩に届く長さの僅かに茶色味を帯びた髪が風になびいていた。坂を上って毘沙門天の近くの路地に入り、5階建てのマンションの前で立ち止まる。正面玄関のオートロックのボタンにミントから貰った紙に書かれた6桁の暗証番号を入力した。鍵が開く音がしたのでドア押して中に入ると広いエントランスとエレベーターホールがあった。エントランスには管理人室の受付があった。
エレベーターで5階にあがって降りるとエレベーターホールが壁に囲まれ、狭い部屋のようになっていた。ドアを見つけて近寄ると生体認証の装置が2つあった。指紋認証と網膜認証の装置だった。指紋認証装置に指を載せて、壁の小さな黒い窓に右目を近づけるとスライドドアが自動で開いた。かなりセキュリティの厳しいマンションだ。米子はドアを通って廊下を歩いた。503号室の前でポケットから鍵を出すとドアを開けた中に入った。リビングは10畳くらいの広さだった。部屋の真ん中にテーブルが1つと椅子が2脚あり、電灯、エアコン、冷蔵庫、壁掛けの液晶テレビ等、電化製品は一通り揃っていた。奥のベットルームを覗くとシングルベットと小さな事務机と椅子があった。トイレとバスルームは別になっていた。
リビングのサイドボードの上に部屋の設備の使用説明書が置いてあった。米子は説明書を手に取って目を通した。クローゼットを開けて床を見ると取っ手が付いていた。取っ手を持ち上げると床が開き、幅70cmほどの狭い階段が現れた。急な階段をゆっくり降りると4階のリビングに繋がっていた。4階の部屋も5階と同じ間取りになっており、机と椅子はあったが電化製品は置いていなかった。説明書によると緊急避難用の部屋のようだった。セーフハウスは4階と5階の2つの部屋が使用できようになっていた。
米子は503号室のリビングに大きなリュックを置くと大きなショルダーバックを持って部屋を出た。一旦今住んでいる笹塚のマンションに帰るつもりだ。神楽坂を下って飯田橋の駅でJR総武線に乗ると新宿駅で京王線に乗り換えて笹塚で降りた。
改札を出るとガード下の京王クラウン街を通り抜けて笹塚駅前通りに沿うように右に曲がった。米子は歩きながら右手でブレザーの内ポケットから小さな手鏡を出すとバックミラーのように後ろを写した。そのまま交差点を渡り、観音通りの商店街をゆっくりと歩いた。商店街を抜けて笹塚橋を渡り、住宅街を環状七号線に向かって歩き続けた。手鏡を内ポケットに仕舞うと歩きながら『掃除屋』にスマートフォンで電話を掛けた。
『ハッピークリーニング清掃社特別清掃掛係です』
高い声の男性が出た。
『ゴミの回収と処理の予約をしたいのですが』
『お取引先コードをお願いします』
『G1089です』
米子が掃除屋に登録しているニコニコ企画のコードを答えた。
『場所をお願いします』
『笹塚です。渋谷区と世田谷区の区堺になります。ゴミは30分以内に出すことになると思います。5個以下の予定です。近くに来てもらえますか?』
『笹塚でしたら30分で行けると思います。もしゴミが出なかった場合でも出動と待機の料金をいただきます』
『お願いします』
『それでは受付番号をメモしてください。受付番号はPM002になります。ゴミを出したらまた連絡をお願いします』
『わかりました、連絡します』
米子は通話を切ると歩く速度を落とした。住んでいるマンション区画はとっくに通りすぎていた。玉川上水緑道に沿って歩き、環状7号線の手前で玉川上水緑道に入ると『玉川上水緑道環七横断地下道』の入り口が目の前に現れた。入り口は緩やかな階段になっている。地下道は狭く、両手を伸ばせば余裕で両壁に届くほどだ。天井も低く、地下道とういうより塹壕や要塞内の連絡通路のようだった。米子はこの場所に散歩で何回か来た事あった。
米子は地下道で環状7号線をゆっくり歩いて潜っていたが突然走り出した。地下道に足音が反響した。米子は反対側の階段を登り、途中で足を止めて振り返った。ダウンジャケットの内側に手を入れ、ショルダーホルスターに収まったSIG-P229のグリップを軽く掴んだ。チェンバーには弾が装填されている。滅多に人の通らない地下道の中を距離を置いて2人男が何かを追いかけるように小走でこちらに向かってくる。前の男は紺色のスーツ姿だった。米子の脳内の画像が再生された。男は地蔵通り商店街の入り口でスマートフォンを耳にあてて話していた男だった。米子が商店街に入ると男も動き出し、笹塚橋まで手鏡に写っていた。後ろの男は茶色いボアの付いた紺色の作業用ジャンパーを着ていた。肩に大工道具入れのような白くて長い巾着袋を掛けている。米子は素早くショルダーホルスターからSIG-P229抜き出すとハンマーを親指で起こした。スライドの左側に赤い文字で『米』と刻まれている。米子は意を決っすると男達に向かって走り出した。スーツ姿の男が立ち止まり、大きく見開かれ目が米子を認識した。男の右手が腰に伸びた。
『バアーーーン!』
地下道に凄まじい銃声が反響した。米子は走りながら素早くショルダーホルスターから銃を抜くと発砲した。男は右手の指先で上着の裾を捲り上げよとした姿のまま眉間に穴が空き、血が噴き出した。後ろの男が足を止め、焦った表情で米子を見ながら白い巾着袋から慌てて銀色の何かを取り出そうとしていえる。
『バアーーーン!』 『バアーーーン!』
米子は2発発砲した。地下道の壁に跳ね返った轟音が米子の耳を襲った。357SIG弾丸が2発続けて男の顔の真ん中に当たって血と一緒に鼻の軟骨と肉が飛び散って壁にへばり付いた。男は巾着袋から引っ張り出したショットガンのグリップを右手で握ったまま後ろに倒れた。ショットガンはレミントンM870マリーンマグナムのピストルグリップタイプの短いポンプショットガンだった。潮風に強いステンレス製の銀色のボディーと銃身が特徴的で、アメリカ海兵隊や沿岸警備隊に使用され、日本の海上保安庁も装備している。米子は素早く2人の男に駆け寄り、男達の体を探った。スーツの男の腰にはホルスターが装着されていた。米子は男のホルスターから素早く銃を抜き取るとショルダーバックに入れた。銃はグロック17だった。ブリーフケースを開けると中には弾の入ったグロックの弾倉2つと『赤い狐のお面』が入っていた。
米子は作業ジャンパーを着た男が握っていたショットガンを巾着袋に戻すと巾着袋の紐を左肩に掛けた。2人とも折り畳み財布とスマートフォンをポケットに入れていた。米子は2人の財布もショルダーバックに入れると地下道の出口に向かって歩き、再び階段を登って外に出た。
『!』
突然、黒い何かが伸びて来た。米子は咄嗟に体を左に捻って躱した。黒い何かはナイロンのトレーニングウェアを着た男の腕とナイフだった。男とは互いの体の正面が触れ合うような位置関係になった。男の左手が強い力で米子の胸倉を掴んで引き寄せようする。左手で押し退けようと抵抗を試みたが、力では敵わない思った。米子は右手の親指を立てると男の右目に押し込むように突き出した。男の瞑った目に親指が食込み、男の顎が大きく上がった。
『ボグッ!』
米子の左拳が男の喉仏に炸裂した。男がしゃがむように体を曲げた。
『ゴッ!』
米子の鍛え抜かれた右肘が、真上から男の首の後ろ激しく当った。男はその場に崩れ落ち、右手から黒い刃のハンティングナイフが地面に落ちた。男が激しく咳き込んでいる。喉仏が打撃を受けた刺激によって湧き出る唾液が気管に流れ込んだのだ。米子は地面に落ちたハンティングナイフを拾った。刃渡り20cmほどで刃は黒く染められていた。米子は周り確認した。環状七号線にはひっきりなしに車が通っているが、周りに歩行者はいなかった。男は地面で芋虫のように体をクネらせながら激しく咳き込んでいる。男は上下とも黒いナイロンのトレーニングウェア着ていた。放っておけば唾液による呼吸困難で窒息死するかもしれなかった。拳や手刀による喉仏への強い打撃は窒息により相手を死に至らしめる危険がある。米子はその事を十分知っており、訓練所で散々訓練した技だった。米子は男の脇に膝を着いてしゃがみ込むとトレーニングウェアのポケットから財布を抜いてショルダーバックに入れた後、力を込めてハンティングナイフを男の鳩尾に深く突き刺して左右に捻ると臍に向かって刃を動かして切り裂いた。男が襲ってきてから40秒しかたっていなかった。
米子は掃除屋に電話を掛けた。
『ハッピークリーニング清掃社特別清掃係です』
『先ほど電話したニコニコ企画の者ですけど、ごみの回収をお願いします。受付番号はPM002です』
『まいどありがとうございます。確認のため取引先コードをお願いします』
『G1089です』
『内閣情報統括室のニコニコ企画様ですね。場所とゴミの状態をお願いします』
『ごみは3つです。確実に絶命していますのでトドメの必要ありません。状態は良好です。場所は世田谷区の大原です。環状7号線のすぐ近の地下道です。『玉川上水緑道環七横断地下道』です」
『承知しました。回収チームはすぐ近くに待機させていますので3分で現着できると思います。処理方法は焼却にしますか? それともミキサーと薬品にしますか?』
『ミキサーでお願いします』
『承りました。ポイントはお使いになりますか? 御社は25万ポイント貯まってます』
『いえ、使いません』
『では請求書は会社にお送りいたします。またのご利用をお待ちしております』
『宜しくお願いします』
米子は通話を切るとショルダーバックのポケットに手を入れて『コーラグミ』の袋を探したが、無い事に気付いて舌打ちをした。
掃除屋の死体の処理方法は『焼却』と『ミキサーと薬品による溶解』の2種類があった。焼却は高圧高熱炉を使用して完全に灰にすることができるが料金が高かった。掃除屋は政府の外郭団体が運営している特殊法人だった。表に出せない物や書類の処分を専門に行い、その中には死体も含まれていた。使用するのは政府の関連機関に限られていた。
米子はハンティングナイフをショルダーバックに仕舞うと、環状七号線の歩道を京王線に向かって歩き、線路に沿うように歩いて笹塚駅に戻った。フレンテ笹塚の近くにある『アクセル スオール カフェ 笹塚南口店』に入るとアイスカフェモカを注文して席でゆっくりと飲んでクールダウンした。
米子は自宅に帰ると襲ってきた男達の財布の中を調べた。3つの財布には現金とクレジットカードと運転免許証が入っていた。タブレットPCで内閣情報統括のサイトにアクセスする。ミントから貰ったメモに書かれたIDとパスワードは有効だった。検索画面に男達の名前や住所を入力して検索した。
地下道で倒したスーツ姿の男は『安藤貴志』32歳、作業ジャンパーを着た男は『河野純次』28歳。2人とも一カ月前までは警視庁の警備部に所属する警察官だったが今の所属は不明だった。地下道の外で襲ってきたトレーニングウェアの男は犯罪歴のある男だった。名前は『宮間 納』38歳。12年前まで広域暴力団の2次団体に所属し、その後は裏社会で便利屋的な事して生計を立てている。25歳の時に恐喝と傷害で懲役1年の判決を受け、服役している。その後の犯罪歴は無いが、内閣情報統括室独自の情報では暴力団の下請け的な仕事を請け負っていた。請け負う仕事は債権の回収から殺人と幅が広かった。殺し屋としての技術ランクはDランクと低かった。米子の実感でも殺しのプロとしてはレベルが低いと感じた。懸賞金目当ての襲撃の可能性が高いと思った。ただ男が待ち伏せていた事については腑に落ちていなかった。自分の住所、行動、容姿についてどうやって情報を入手したのかが謎であった。もし自分の詳細な情報が出回っているのならもっと手ごわいプロの殺し屋が先に襲撃してきてもおかしくないと思ったのだ。宮間は地下道で殺害した警視庁警備部の男達と連携をとっていたのではないかと推測した。そして警視庁警備部の2人は間違いなく阿南の手下だと思った。阿南との戦は始まっていた。