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2 : 8  作者: 松浦アエト
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第7話 近代史


 フェイズ1の地に降り立つと、そこは混沌と呼ぶに相応しい場所だった。

 意識を掻き乱し、押し戻そうとしてくる砂嵐、ノイズ、暴風、濁流。それらに抗い留まろうとする意志、念、欲、本能。

 対立し共存する二つの自己同一性が、俺であった精神を変貌させていく。


「目をゆっくり開けろ」

「ぐぅ……あ……」


 今にも闇へ溶け込みそうな意識を必死で繋ぎ止める。

 慎重に意識を保ちつつ目を開くと、見慣れた世界がまるで別物のように映っていた。少し離れた前方にいる紗枝さん、それがやたら近い。……いや、違う。近く感じられる、という表現が正しい。

 眼鏡の奥にある長いまつ毛や、手の関節にある皺の一本一本すら数えられるような、そんな圧倒的な景色。そして耳に届く、ここにはない喧噪の鮮明さ。肌を撫でる空気の流れとその匂い。なにもかもが違っていた。


「なんとか辿り着いたか。どんな感じだ?」

「……まだ辛いですけど、感覚が鋭敏というか、そんな……感じです」


 様子をうかがってくる紗枝さんに返答する。


「それがフェイズ1の能力。人間の持つ基本性能の向上だ」

「基本、性能……?」

「そうだ。五感、身体能力等の事だ。只、脳機能において、反射速度や認識力などは含まれるものの、いわゆる知能に関しては向上しない。カーズの技術はその点を最初から除外して遺伝子操作を行なっている。人間はその技術をコピーしたに過ぎないからな」

「そう、ですか」


 紗枝さんの説明に生返事しかできない。


「今にも飛び掛ってきそうだな、くく」

「……ぐぅ……っ」


 身の内にあるエネルギーの胎動が、自意識を蹂躙せんと蠢く。それは苦痛以外の何物でもなかった。

 何かにぶつけて発散したい。この責め苦から開放されたい。歯を食いしばっていないと、そのどす黒い欲望を躊躇なく満たしてしまいそうだ。


「その欲求はお前がフェイズ1を掌握しきれていないことから生じるものだ。神経を研ぎ済ませろ、意識を集中しろ、確固たる理性を持て。そしてその領域を掴み取るんだ。お前はまだ――人間だろう?」


 目の奥が焼けるように熱い。筋肉が意思とは関係なく隆起する。頭に不快な雑音が纏わり着く。

 かろうじて耳に届いた紗枝さんの言葉の意味など今はどうでもいい。そんなことよりも、この衝動、欲求をどうにかしたい。今すぐ、すぐに――!


「宗一君」


 声の方に顔を向けると、少し離れた所に縁が立っていた。

 荒い息と虚ろな目で、傍から見ると狂人と言ってもそれほど間違いではないだろう俺を見ても、縁はまったく動じた様子がない。

 

「私を殴ってください」

「は、はぁ!?」


 何を言っているんだ? という自分のリアクションが虚しく感じられた。

 この衝動から開放される方法は簡単だ。暴力的、破壊的行為によって、それは成されるだろう。だがそれを女の子、ましてや縁に向けるなんてできない、できるはずがない――そう思っているのは確かなのに、今の俺はそんな当たり前の理性すら許容できそうになかった。

 信じられない。縁に殴っていいと言われた瞬間、俺は笑って礼を言いたくなるほど嬉しかったのだ。


「大丈夫です。防御しますから」

「や、やめろ、俺は……っ……殴りたく、なんか……」


 縁のそれは、今の俺にとっては悪魔の甘言だった。


「そのままだと辛いだけですよ? 大丈夫です。私、怪我しませんから」


 一歩、また一歩と近づいてくる縁。

 俺の今の状況が分からない訳でもないだろうに、警戒など微塵も見せない。防御すると言っておきながら、まるで無防備だ。


「……宗一君、戦場では殺さないと死にますよ」

「っ!?」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は縁に向かって一直線に駆けていた。

 走り出した足は異常に軽く感じられ、体を前に進ませる力は、俺の常識を覆す加速を生じさせた。それを見た縁は、場違いにも安堵したような笑みを浮かべる。


 俺のタガを外したのは、そう、「もし戦場に出ることになったら、俺は人を殺せるのだろうか――」という自問に他ならなかった。


 これまで避けていたその自問が、縁の言葉ではっきりと形になった。それはカーズが巣食っている北海道に辿り着くのに、避けて通れないであろう道。

 操られているとはいえ、相手も人間に違いない。それを殺す。今まで平凡に生きてきたこの俺が。

 一つの疑問が抱く。『不条理なき世界』を謳っていた遼平の友人は、一体どんな気持ちで操作された人達を殺していたのだろうか? 操作を拒み、死を選ぶのが正しいのだろうか? ……俺にはわからない。その人も、もういない。


「……」


 縁はなにもせず突っ立っている。その所作から、防御体勢に移行しようなど微塵もうかがえない。

 既に俺は左足の軸足に体重を乗せ、右腕を振りかぶっているにも関わらず、縁は怯えも敵意もない瞳で俺を捉えているだけだ。この体勢から繰り出される拳打は、自分の常識を超えた破壊をもたらすだろうと確信した。

 まずい――。

 襲い来る圧倒的な破壊衝動。その濁流に抗おうと、必死に対岸を目指す。


「ぐ、が、ぁあ、あ……」


 縁を殴る? この衝動のまま?

 確かに訓練が進展していけば、縁との立会いで殴りあったりするのかもしれない。でもそれとこれとは、全くの別物だ。訓練に道理はあっても、破壊に道理はない。

 俺はこんなどす黒い感情に身を委ねるのはゴメンだ。殴る時も殺す時も、自分の意思で殴り、そして殺す。カーズに操作されている人とは違う。

 そう。俺はまだ、人間だ――!


「……宗一君?」


 俺の突き出そうとした拳は役割を成さず、宙で停止していた。

 なんとか止める事ができたようだ。破壊的な衝動もさっきとは違い、随分治まっているように思う。

 縁は意外だったのか、キョトンと俺を見るばかりだった。


「はあ~」


 精神的に疲労困憊になった俺は、堪らずその場に座り込んだ。


「ほう、僅かだがフェイズ1を掌握したみたいだな。だが、もう限界だろう? 切ってもいいぞ」

「え? 切るって、なんですか?」

「意識してフェイズ1の地点から離れるだけでいい。スイッチのオンオフみたいにな」


 え、そんなことができるのか? じゃあ、やばかったら切ればよかったんじゃないの? こんなに無理する必要なくない? 

 頭に疑問符を浮かべていると、そんな俺を見た紗枝さんがくつくつと笑いだす。


「くく、悪いが今日も荒療治だ。通常、破壊衝動に飲み込まれないために、適度にフェイズのオンオフを繰り返して慣れていくものだ。いきなりやったら当然殴りかかりたくなるだろうな、くくく」

「ちょ、この年増眼鏡ひでぇ!」

「誰が年増眼鏡だ! 私はまだ27だぞ!」


 ふぅ、ちょっとスッキリした。しかしひどい。俺はもう少しで縁を殴るとこだったんだぞ。


「そういえば縁。なんで防御しなかったんだ?」

「ん~、してなかった訳じゃないんですけど、本音を言えば宗一君の力が知りたかったんです」

「いや、ちゃんとしろよ! 何その好奇心!? 俺はもう少しで大好きな縁を殴るとこだったんだぞ!?」

「そ、宗一君。それはもういいですから……」


 縁に復讐していると、アリサさんがスキップする勢いの上機嫌で近付いてきた。

 

「宗一君、いま何が見える? 何が見える?」


 うわー、目ぇ輝いてんなー。


「宗一君はいまフェイズ1に居るのね。通常そこからは、遺伝子操作施術でフェイズ2のロックを外すまで何も見えないの。でも宗一君は最初からひとつしかロックがなかったし、絶対あるはずの外せないロックもなかったの」

「確かそう言ってましたね」

「ええ、だから意識してみて。次のフェイズを」


 目を閉じて意識すると、すぐさま次の道程が鮮明に浮かび上がってきた。そしてフェイズ1の時と同様に、その目的地が遠方に見えている。

 しかし、なんだろう? 見つめる先に、肌の粟立つような恐怖を感じる。俺はこれ以上進んでいいんだろうかという迷いが生じた。


「次の目的地が見えました」


 結果を報告すると、アリサさんと紗枝さんが難しい顔になる。

 毎度の事だけど、それやめて欲しい。すっげー不安になる。


「や、やっぱり変ですか?」


 と恐る恐る質問。


「いや、変じゃない」

「へ?」

「恐らくそこはフェイズ2なんだろう。遺伝子操作を施した人間ならそのイメージは普通だ」


 つまり、どういうこと? と、紗枝さんを見上げると、アリサさんにアイコンタクトで問題をパスした。どうやら紗枝さん的には専門外のようだ。 


「道が続いているってことは、まだ進めるってことね。だから今度はフェイズ2に行ってもらわなくちゃいけないわ」


 え、えぇー……。またあの混沌を味わいにいくのか……。

 できれば勘弁してほしいが、紗枝さんに認められる強さを手に入れる為にはこれしかないんだよな。


「宗一君、フェイズ2はフェイズ1の時と比べてどのくらい遠い? 感覚でいいから」

「え? そうですね。……フェイズ1の時より近いです。近く感じます」


 そう答えると、アリサさんはふひひと不気味に笑った。


「近いなんて言ったのは宗一が初めてだ」

「そうなんですか?」

「通常遠ざかるものだ。考えてみろ。どんな技術も最初が一番身に付く。やがて来る壁は進めば進むほど高くなっていくものだ。フェイズの道程の距離は、遺伝的資質により決定するという論文はあるが……近いというのは私は初めて聞いた。それは、良く言えば才能があると言えるのかもしれないが、心配だな。体が付いて来ないかもしれない」


 おぅ、紗枝さんに心配されるとは予想外だ。ちょっと嬉しい。それだけ危険って事なんだろうけど。


「大丈夫だって紗枝ちゃん。初めてづくしの宗一君だし、今更でしょ。それにここには立派な教官が居るし、かわいいお世話係が居るし、奇麗なお医者さんは天使だし。ね、心配ないでしょ。宗一君」

「はぁ……。それ、は……ちょ、っと……」


 後半部分に物申そうと口を開いたのだが、上手く喋れなくなっていることに気付く。自覚した途端に視界が揺れ、目が霞む。今にも暗闇の世界に引き摺り込まれそうだ。

 どうやっても口が動きそうにないので、アリサさんの自称天使発言には心の中で突っ込んでおいた。


「宗一君?」

「宗一、もう切れ。フェイズから離れるイメージだ。放すんじゃないぞ、離れるんだ」


 辿り着いたその地点に、自分の残滓を置く感覚でそこから離れる。その刹那に郷愁のような不思議な感情が湧き上がり、俺は訳が分からず少しだけ笑った。

 フェイズとの接続が切れた瞬間、以前のような強烈な痛みが全身に走る。だが痛がるよりも先に、意識を失う方が早いみたいだった。

 明日は起き上がれないだろうなぁなんて思いながら、重力に抵抗できない上半身が傾いていく。


「……?」

「大丈夫?」


 ふわりと誰かに受け止められる。その直後、額に冷たい手が添えられる感触がした。目だけを動かして確認すると、彼女は胸元に居る俺に柔らかく微笑みかけていた。

 全身に走る激痛も忘れ、俺はその優しげな表情に不覚にも見惚れてしまう。その微笑みはそう、まさに――。

 意識の糸は切れる寸前だが、これだけは言っておこうと思い、俺は最後の力を振り絞った。


「アリサ、さん」

「ん、なあに?」

「さっきの、ツッコミ……なし、で」

「へ?」


 意識を手放す間際に聞こえた言葉は、今の俺にとって最高の子守唄だった。


「お疲れさま」



◇◇◇◇◇◇



「えっ!?」


 近代史の講義中、俺は不意の情報に声を上げてしまう。

 教室中に響き渡ってしまった声に、周囲は一瞬、呆気に取られたような空気になり、遅れてざわめきが駆け巡っていく。

 教室内で唯一人の男に、奇異の視線が集中していた。


「えっと、どうしました? 辰巳君」

「あ……。いえ、すみません。何でもないです」


 戸惑いながら講師が様子を伺ってくる。俺は講義を妨害してしまった事を謝罪しつつ、不規則な動悸を刻む心臓を落ち着かせようとしていた。

 隣に座っている縁が、心配そうにこっちを見ているのが感じ取れたが、今の俺には縁に大丈夫だと返信する余裕もなくなっていた。


『樺太』『北海道』


 近代史の講義はその二つを重点に進められていた。


「では、続けます」


 白波のようなざわめきは、講師の一言で凪のように静まり返った。


「2012年。北海道の札幌市に着陸したカーズは、その着陸地点を拠点として定住。着陸の一時間後、拠点を中心とした半径約100kmの範囲に、粒子すら遮断するフィールドをドーム状に展開。その範囲は第一種危険指定区域と呼ばれています」


 教科書に掲載されている地図は、札幌市を中心とした半径100kmの範囲を黒い円で塗り潰されていた。

 心音がやけに耳に届く。自分の状況すら上手く把握できないような浮遊感に包まれる。


「このフィールドは欧州、米国の英語圏では『Particle interception field』、P.I フィールド、P.I.Fなどで呼称されていて、日本語では粒子遮断領域と訳されます。このフィールドは光や電磁波の進路すら妨げるほど強力な干渉力を持ち、第一種危険指定区域は現代人類の科学力では突破不可能な領域になっています」


 あらゆる粒子を遮断するもの。紗枝さんが言っていた言葉を思い出す。


「この不可侵のフィールドに対し、人類は空爆を繰り返したものの突破に到らず。2016年に国連の全会一致を持って、核兵器の投入が議決されました。攻撃場所は周囲への影響を考慮し、『樺太の最北端』にあるカーズの拠点。通称『C-16』に決定されました」


 樺太の最北端。その場所にも最近、聞き覚えがある。


「しかし、核兵器ですらこのフィールドは突破できなかった。その結果、核兵器の使用に対し、各国で世論の反発が社会問題となります。国連はその状況を受け、唯一アメリカの反対票があったものの、核兵器でのカーズ拠点攻撃を禁止する条例を制定。アメリカは再三に渡って核兵器再投入を主張していましたが、国連での賛同は得られず、2044年に一国独断で戦術核の大量投入を開始します。攻撃拠点は 2016年と同じく『C-16』が選ばれました。アメリカの強攻策の裏づけは、フィールドの耐久性に目をつけた研究結果によるものだと言われています」


 核の大量投入だと? もう自滅覚悟じゃないか。


「核爆弾の集中投下により、粒子遮断フィールドは消滅し、同時に樺太北部は焦土と化した。フィールドは何かのエネルギーにより作られており、そのエネルギーは無限ではないというアメリカの目論見は見事に成功しました」


 成功、なのか? それ……。


「しかし悪夢はそれからだったと言っていいでしょう。拠点破壊と同時に致死性の猛毒、ウイルス、病原体が周囲に撒き散らされ、『C-16』を中心とした、半径500kmという広範囲の生物は例外なく死滅した。以後、今日まで生物の存在は確認されていません」

「!?」


 俺は無意識の内に立ち上がっていた。それを見た周囲がまたざわつきだす。直後――頭の中で聞き覚えのある乾いた音がした。

 視界が白く霞んでいく。神経が冴え渡っていく。耳障りなざわめきが聞こえる。どす黒い何かが頭の中を這い回る。フェイズ2の領域が、すぐそこにある。紗枝さんの言葉が脳内で再生される。


 ――お前、あそこで何をしていた?


 樺太の最北端は生物が存在できない場所? そこに居た俺? 札幌は? 俺の家は? 家族は? 友達は? 半径100㎞の範囲は入れない? なんだよそれ、どうしようもないじゃないか。


「どうしたのあいつ? さっきから目障りね」

「くくっ、頭おかしいんじゃない?」

「男ってほんとにうっとうしいわね、死ねば?」


 それらはいつもなら聞き流せている罵倒だったが、今この時ばかりは勝手が違っていた。

 彼女達に対し、自分でも信じられない総量の怒気――いや、憎悪が湧き上がってくる。


「うるせぇぞ――」


 さっきから耳元でごちゃごちゃと、好き勝手に言いやがって。なによりも以前から、その目が気にくわなかったんだ。やめろ。……男嫌いだと? 操作されてる奴が男だからって、なにも関係ない男までそんな糞みたいな目で見やがって。

 遼平の友達は、何故殺されないといけなかったんだ。会ってみたかったのに、話をしてみたかったのに。お前らのせいで、お前らに、殺された。味方だったのに。良い奴だっただろうに。ふざけやがって。

 お前らがそんな目で俺を見るなら、俺もお前達を――してもいいんじゃないか? だってそうしないと、いずれ俺も良平の友人と同じ末路を辿ってもおかしくない。そう、だから――してやればいいんだ。何も問題はない。

 お前らが彼にしたように、彼を理不尽に殺したように、そう、俺も同じように――! 


「宗一君!」

「がっ!?」


 縁に殴られた衝撃で、俺の体は教室の逆側まで吹っ飛ばされる。その拳打は訓練の時のような手心など一切なく、紛うことなき本気の一撃だった。

 机や椅子、女生徒を巻き込みながらもその勢いは衰えず、俺の体は地面に着くことなく廊下側のドアに叩き付けられた。


「がはっ!」


 背中を強かに打ちつけ、意思とは関係なく肺から空気が排出される。


「な、何してるんですか!?」

「ええ! ちょ、ちょっとどうしたの!?」

「あいたた……」

「だ、大丈夫!?」


 教室内は一気に騒然とした。

 暴力行為に及んだ縁に詰め寄る講師。状況の理解に追いついてない子。巻き込まれて怪我をしたのか、苦痛を訴える子。それを心配する子。

 俺はドアにもたれ掛かって俯いているにも関わらず、教室内の状況を手に取るように把握できていた。


「――」


 誰かが近づいてくる。下げている視界の中に、見覚えのある小さな足が映った。


「宗一君」

「――……」

「もう大丈夫、ですよね?」

「……あ」


 顔を上げると、先程までのどす黒い感情は消え失せていた。あんなに近かったフェイズ2もどこかに霧消している。

 さっきの狂気的な思考はなんだったのか自分でもよく分からなかったが、今は縁の微笑みに癒されている自分に安堵するばかりだった。


 その後、教室の全員に騒動の謝罪をし、ぎこちなくだが講義は再開された。

 それでわかった事は、現在はカーズ拠点への核兵器使用の全面禁止。樺太の最北端から半径500kmは第二種危険区域に指定されている事。それから二十年後、つまり今年になってようやく防護服完全装備でその区域に入れるようになり、各国連合の調査団体が足を踏み入れたが、めぼしい発見は今の所なにもないという調査結果だった。


「やっぱり俺の事は機密なんだなぁ」

「そうです。喋っちゃダメですよ? まぁ信じてくれないでしょうけど」


 講義も終わり、俺と縁は廊下を歩きながら話していた。

 あの後、俺の隣に居るちっちゃな女の子にビクビクしていた女生徒達が不憫に思えたので、講義が終わり次第さっさと教室を立ち去った。


「そりゃそうだろうな。生物が生存できない所から来ましたー、なんて言ってもな」

「それでもです」

 

 ちらりと縁の横顔を覗き見る。さっきのことを気にしてないか心配だったけど、そこにいるのはいつもどおりの井上縁のように見え、俺は胸をなでおろす。それでも一応、礼は言っておこう。


「さっきはありがとな、縁」

「あ、いいえ、ごめんなさい。あんなに強く殴ったりして」

「いや、あんまり痛くなかったし、大丈夫。俺は感謝してるよ」


 話を振ると少し喰い気味に反応した。そしてほっとした様子になる。やはり少しは気にしていたようだ。


「やっぱり、痛くなかったですか……」

「ああ。何故かそんなに痛くは……え、な、なんだその手!?」


 縁が関心するように眺めている右手の甲が、見るのも痛々しいほど赤黒く腫れ上がっていた。


「ちょ、どうしたんだよ! スゲー痛そうじゃん!」

「やっぱり、宗一君は面白いですね。ふふ」

「え、なにが? てかそんなことどうでもいい。医務室いくぞ、縁!」

「はい」


 左手を引っ張って医務室に向かう途中、縁は何故か嬉しそうに笑っていた。


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