第5話 確執と温もり
「じゃあ宗一君。いってきますね」
「ああ、いってらっしゃい縁」
手を振って小走りで去っていく縁に、俺も笑顔を作って手を振る。そこまではなんとか自分を保てていたのだが、その小さい後姿が見えなくなった途端、捨てられた子犬のように心細くなっていった。
ここ最近、午前は講義、午後は訓練の生活リズムがすっかり馴染んできている俺だった。今はその間の昼休憩の時間である。
俺の世話係である縁は、最初の頃はそれこそ起床から就寝まで行動を共にしていたのだが、「縁、そんなに四六時中見張らなくていいぞ。お前も自分の訓練をしろ」などと言う、紗枝さんの無慈悲な一言によって、俺達の愛は引き裂かれたのである(愛ではなく指令)。
そんな感じで、俺は独り学校の中庭のベンチに座り、味気ないパンを胃に放り込んでいる。
「くっく。まるで捨てられた子犬だな」
「……」
いつのまにか紗枝さんが隣に立っていた。そして現れた瞬間、失礼な事を言ってくる。
まぁ確かにバッチリそのとおりなんだけど、「心細いから行かないで!」なんて、流石に年下の女の子に言えなかった。
どうして心細いのかと言うと、虎の檻に兎と言うべきか。今も捕食、観察、恫喝、罵倒、研究せんと、多数の女生徒が俺に熱烈な視線を突き立てている。全て悪い方向で。
「何か用ですか?」
「今日は訓練に出なくていいぞ」
「え、そうなんですか?」
「ああ、しばらく休め。縁にも間を与えたい」
この前はひどい目にあった。あれから三日間ベットの住人になってしまった。
やっと体が動き出したので、今日の午前は講義に出て来れたのだ。療養している間はアリサさんの質問攻めでいまいち休まらなかったけど。
「この前は少し荒療治だったからな。まったく、私が意識を断ってやらなかったらお前は今頃、植物人間だ」
「あんたがやれって言ったんでしょうが!」
なんて理不尽な人間なんだ。くそう、なにか仕返しするネタはないものか。
「見て見て、国枝基地長よー」
「ああ、かっこいい……」
「なんであの男と一緒に居るの?」
「紗枝さんとか馴れ馴れしい。死ね」
周囲のざわめきが、さっきまでより大きくなっていることに気付く。
基地長? そう言えば、縁もそんな風に呼んでいたよな。
「紗枝さん、基地長って?」
「ああ、私のここでの肩書きだ。北日本防衛軍、栗原基地防衛軍部長。基地長と呼称されることが多い」
「へぇ~、本当に偉いんだ。でも将官名とかではないんですね」
「また古い事を言う。そういう形式の軍は三十年程前に解体された」
な、なんと……。それは少しだけショックだ。俺も男なもんで、軍の階級制度に憧れていた所があったんだけどな。
「当時の事で私も詳しくは知らんが、与党の議席の半数以上を女性が占め、女性初の総理大臣が就任した辺りから色々変わってきている。恐らく男性の作った古い社会を、根本から変えたかったのだろう。これは日本に限った話ではないがな」
「へぇ~、勉強になります」
「お前、ちゃんと講義を受けているのか……?」
「き、近代史はまだなんです……」
今一瞬、確実に黒い気炎が猛った。
「まったく……。それに私が基地長だからと言っても、現在の軍は権力分散が基本だから、肩書きは違うが同等の権力を有する人間が他に何人も存在する。簡単に言えば、一番偉い基地長が何人もいるんだ」
「意見が割れたらどうするんですか?」
「民主主義に則り、賛成多数で採決する」
「ふ~ん」
俺の時代とは全然違う。というか軍に関しては全く逆だ。それに民主主義の中に男性の意見が反映されているように聞こえない。なにせ男性の方が圧倒的に人口が少ないんだからな。一見公平ってのが、いかにも外見を固める女性らしい発想だ。
急を要する事柄でもいちいち会議するんだろうか?
疑問はいろいろと湧いてきたが、俺がそんな所に頭を悩ましても仕方がない。今は腹の虫をなんとかしよう。
「あ、そうだ紗枝さん。昼食はもう食べました?」
「うん? いや、まだだが」
「縁の分のパンが余ってるのであげます。一緒に食べましょう。隣どうぞ」
「はぁ? セクハラは段階が細分化されていて、場合によっては実刑をくらうぞ」
「お昼のお誘いがセクハラ!?」
「そういう判例もある」
「既に裁判になっていた!」
「ふふ、まぁいい。もらおうか」
紗枝さんはそう言って、すぐ隣に腰掛ける。その時、大人の女性らしい香水のようないい匂いがしたが、これもセクハラに当たるんだろうかとビクビクした。絶対に触らないよう、紗枝さんとの距離を取った俺を攻める男はいないだろう。
しかし新たな来訪者によって、判決を言い渡されている自分の姿が脳内にイメージされた。
「紗枝ちゃんはっけーん。あ、なんか宗一君もいるー」
いきなり登場したアリサさんが、ごく当たり前のように紗枝さんとは逆側に座ってくる。
つまり俺は、この狭いベンチで女性二人に挟まれて、いつ起訴されてもおかしくない密着状態になってしまっていた。
「な、なんでアリサさんがここに? 学校では見かけたことないんですが」
「紗枝ちゃんに呼ばれたの。この後、司令部で会議があるからね」
「会議? アリサさんが?」
「アリサはさっき言っていたここの基地長の一人だぞ。北日本防衛軍、栗原基地医学部長」
「なぬ!?」
「そうよ~、えらいんだからねー。あっ、私もここでご飯食べよっと」
アリサさんがそう言った直後、今までも大概にやかましかった周囲の喧噪がさらに倍プッシュされた。
ざわめいている女生徒達の大体は「基地長二人とご飯……だと……?」「ライフル銃、持ってきて」「基地長二人ともきれー」「殺す以外見えない」などなど、それに属することを好き勝手に言っているようだったが、俺はこの状況から脱出しないと法廷が待ってるんだぞ! お前らが羨む事などひとつもない!
「おい、詰めてくるなアリサ。狭いだろう」
「だってこっちも狭いんだもーん」
「……」
ぐいぐいと圧力を強めてくるアリサさん。
いや、でもまぁ、もう少しこのままでもいいかな? 接触する柔らかな二の腕。女性二人の甘い匂い。正直、クラクラする……。
「はっ! い、いかんいかん! 今こそ立ち上がれ、俺の両足! うおおおおお!」
「なぁに、どこかいくの? せっかく三人でご飯食べてるのにさー」
「お前、誘っておいて立ち去る気か?」
「……いえ、そんな滅相もない」
執行猶予くらいある、よね?
「と、ところで、紗枝さんはここに何しに来たんですか?」
「だから言っただろう。訓練の事だ」
「え? それなら縁にでも言っといてくれれば。それか携帯……は、俺持ってないや」
わざわざ直接言いにくるほどの用件でもないし、立場的に忙しそうな人なのにな。などと考えていると、アリサさんが不気味に笑っているのに気付いた。
「ムフフ。紗枝ちゃんは宗一君が心配だったのだ」
「ぐふっ!」
「きゃあ!?」
「うわぁ!?」
紗枝さんがパン吹いた。状況を端的かつ的確に説明するならば、まさにそれだった。
「紗枝ちゃん、それはないよ……」
「ああ、ないっすね……」
苦しそうにむせる紗枝さんから距離を取る俺達。
「う、うるさい! アリサが変な事を言うからだろう!? だいたいお前が縁に聞いてまで、ここで待ち合わせしようって言ったんだろうが!」
「む、そういうネタバレはどうかと思うな、紗枝ちゃん。皆のツンデレ期待を裏切る気?」
「皆って誰だ!? それに宗一を心配していたのはアリサだろ!」
「ぅっ……。い、いや違う、違うから! おもに紗枝ちゃんが心配していた! 明らかにそう!」
「はっ、顔赤くして何言ってんだか。なにが『あ、なんか宗一君もいるー』だ? 白々しい。しっかり昼飯も持って」
「いーーやーーーー! もうやめてーーーーー!」
二人はベンチから立ち上がって、ギャーギャーと言い争う。いつもやられ気味な紗枝さんが優勢なのはちょっと意外だった。
しかしこの二人、ホント仲いいな。
◇◇◇◇◇◇
「ヒーマーだーーー」
俺は未だ自室になっている病室のベッドでゴロゴロと転がっていた。
今日は週一回の休校日で、訓練も紗枝さんに止められているのでやることがない。病室には娯楽というものが一切ないし、基地内を一人でうろつくのも女生徒達に狩られそうで怖い。
壊滅的な暇さに教科書でも読もうかなと思った時、
「うおっ!」
病室に備え付けられている電話が鳴った。初めてなのでビックリした。
でも、誰だろう? 頭の中で該当するのは三人しかいない。疑問に感じながら受話器を取る。
「もしもし。こちら管理室ですが、辰巳様にお客様が来ております」
「え?」
聞きなれない声で、とても意外な事を言われた。
客……? あの三人なら勝手に入ってくるだろうし、心当たりが全くない。「病院玄関前に居るという伝言をお伝えします」という管理人さんの事務的な声を聞いて、俺はとりあえずそこへ向かう事にした。
すぐに病院玄関前に到着したのだが、その場には何人か人が居るようだった。
誰に呼び出されたのかも分からない俺は、どうしたものかと途方に暮れそうになったが、探すまでもなくその人物に目が吸い込まれた。
何故なら、そいつはその場で一際目立つ存在だったからだ。
◇◇◇◇◇◇
「よう、初めまして。俺は柳遼平って言うもんだ。今、大丈夫だったか?」
病院玄関前で俺を待っていたのは、西暦2064年で初めて目にする男性だった。
「……? どした?」
俺は唖然呆然として固まった。その男から目を離せない。
「お、おい。大丈夫か?」
「……う」
「う?」
「うおおおおおおおおおおおおおお! 男だあああああああああああああ!!」
「うおおお!?」
俺はそのあまりの衝撃に、たっぷり放心してから咆哮した。
いや、だって男だぜ? 男! この世界に来て初めての! もう二ヶ月近くここにいるのに、一度も目撃すらしたこともないんだぜ? 幻の生物発見レベルじゃね? ありえねぇ。マジ感動した。
いや、これだけは言っておきたいが、決して怪しい方向じゃないんだ、うん。
「な、なんだよ急に!?」
「ああ悪い。あまりの衝撃だったもんで」
柳遼平と名乗った男は、俺の奇行に驚いたようで後ずさって距離を取った。
柳は俺と同じくらいの身長で、年も一つ上の二十歳らしい。頭はすっきりした短髪で、若干うっとうしい長さの俺と違って爽やかな印象だ。
ああでも、別にルックス的に敗北を認めたわけじゃない。決して。
「お前、辰巳宗一だよな。これから暇か?」
名乗る前にフルネームで呼ばれる。まぁこの基地で俺を知らない人はいないだろう。
「時間があるなら遊びに来ないか? 俺達の宿舎に」
「宿舎? 俺達ってことは、まだ男がいるのか?」
「ああ。この基地の男性専用寄宿舎だ。みんなお前に会いたがってる」
「おお! 行ってみたい! あっ、その前にひとついいか?」
「なんだ?」
「握手してもらっていいか?」
「きもっ!」
という訳で、俺は宿舎までの道のりを、柳が病院まで乗ってきていた車で行く事になった。
しかし、同じ基地内なのに車を使って二十分とか、改めてここのでかさを思い知る。基地内人口は余裕で万超えなんだろう。
「着いたぞー」
柳に言われて、宿舎だろう建物を見上げる。まず思ったことは、ボロいだった。
予想はしていたけど、さらにその2ランクくらい上を行かれた気分である。流石に木造なんて事はなかったが、外観だけ見ると肝試しに訪れる若者がいてもおかしくない。男性用寄宿舎は何棟か並んで建っていたが、どれも同じような有様だ。
柳に案内され、ひとつの宿舎に入っていく途中、入り口横の壁面に書かれている文字に目が止まった。
『The world not irrational』
赤のペンキで書かれたその文字は、入り口の高さと同じくらい大きく描かれていた。
イレイショナル? ってなんだったっけ。うーん……。
「辰巳、こっちだ」
「あ、ああ」
俺は考えるのを中断して、柳の後に着いて行った。
◇◇◇◇◇◇
「いやー、ハハハ」
ロビーに入るなり、住人達のあまりの歓迎ぶりに、ちょっとどうしていいかわからない俺がそこに居た。
宿舎の人達の年齢はピンキリで、中学生くらいの子供から老人までと幅広いようだった。建物の外観を見た時は、中も暗く沈んでいるのだろうという先入観を持ったのだが、まったくそんなことはなく宿舎内は住人達の明るい歓談に溢れている。
「ちょっとお前ら、辰巳が困ってるじゃねーか。ほどほどにしろよ」
「いやぁ、軍部に入る男とあっちゃ黙っておれんだろ」
「おう。いろいろ聞きたいしな」
「軍部に男なんていつぶりだっけ?」
柳が庇ってくれているが、勢いは衰えそうにない。
困惑してしまうのは確かだが、俺はその歓迎に嫌な感じはまったく受けていなかった。むしろ久しぶりの男同士の気安いふれあいはとても楽しく、そして落ち着くものだった。
「軍部の男ってそんなにすごいのか?」
「え?」
「……は?」
疑問に思ったことをそのまま口にすると、空気が一変した。
やばい、失敗した。この世界の常識をまだ把握できていないのに、迂闊な事を言ってしまったようだ。
「い、いや……。俺、記憶喪失でさ、ここ最近の記憶しかないんだ」
「マジで?」
「そりゃあ、お気の毒に……」
苦し紛れにそう言うと、かなり本気で心配されて励ましの言葉までかけられる。
嘘をつくと胸が痛んだが、こればかりは仕方ない。まさか過去から来ましたと言うわけにもいかないし。いや実際、違うと思うけれど。
「軍部って言ったら今や女の聖域だからなぁ。凄いというより異常って感じだな」
「そうそう、男なんて下手したら殺されちまうよ。辰巳君も気を付けたほうがいいぞ」
壮年の男性がさらりと恐ろしいことを言う。
冗談でも誇張でもないといった淡々とした様子だが、本当にそんなことがありえるんだろうか。俺にはどうにも信じられない話だ。
「ここにいる男達は雑用、武器の整備、輸送、基地の管理なんかが仕事だからまだ安全だが、戦場に出て殺された奴らはたくさんいる。俺のダチだった奴も、味方の女に殺された。司令部は隠してるみたいだがな」
皆の言葉を代弁するように、柳は語り出した。
「四年前のことになるが、岩手南部で少数の敵勢力との戦闘があった。敵の数からして楽勝と思われた戦闘だったんだが、終わってみれば男の戦死者は全滅の十二人。女の戦死者はなしという結果だった。女の出撃数が、男の三十倍以上だったにも関わらずだ」
「なっ!? そ、それは露骨すぎないか?」
出撃数、約四百人の内、男性は十二人。
戦死者はその十二人のみだなんて、偶然では絶対まかり通らない結果だ。
「戦闘後、司令部は女の死亡者数を五十七人と公表していたが、男の全滅を不信に思った俺達は、その五十七人全員を調べたんだ。結果は一人残らず生存していた。まぁこの基地からは出て行ったがな」
柳は喋りながら悲痛な表情になっていた。友人の死を悼んでいるのだろう。
あまりにも非現実な現実に、俺は自嘲気味の笑いを零してしまった。柳の言ったことが事実ならば、もう笑うしかない。男女間の確執において、俺の甘すぎた認識を。
「記憶喪失ならまぁ驚くよな。ついでと言ってはなんだけど、こういうのもある」
柳がおもむろにロビーにあるテレビの電源を入れた。
ニュースキャスターが法案どうこう喋っているようだが、なんの事だかよく分からない。だがしばらく聞いていると、ある言葉が耳に引っかかった。
「男性保護法案を衆議院に提出?」
「そうだ。今は一夫多妻制なのは覚えてるか?」
首を横に振る。恐らく一般常識の範囲なのだろうが、俺は初耳だった。
「流石に地球外生命体が飛来して男性が減ったのは知ってるよな? 男性人口が二割、その内の半分が六十歳以上の今じゃ一夫多妻も当たり前だろ? これで人口減少を少しでも食い止められると政府は考えた。でもそうは上手くいかなかったのさ」
「効果はなかったのか?」
「軍の人間でなくても男性嫌いは多い。今の時代、女ばかりの環境で育ってきたら、男は卑下や敵性の対象にしかならない事が多い。カーズに操られているとはいえ、町や都市を襲うのは男だからな。それに、女の性欲は男と違って薄いし、独占欲も関係してるだろう。一夫多妻制の効果は薄かった」
「人口減少は止まらなかったと?」
「ああ。男児出生率は年々減少してきて去年は12%。もう一夫多妻制でどうにかなるレベルじゃない。その去年、つまり2063年の日本の人口は6800万人と発表された」
「っ!?」
6800万? 2012年の約半分じゃないか。僅か五十年で……。
男児出生率の低下。カーズの攻撃で壊滅した北日本。そして人間狩り。様々な要因で総人口が減少したと聞いてはいたが、これほどとは思わなかった。
「この男性保護法案は、その人口減少に歯止めを掛ける法案なわけだが……。内容を簡単に説明すると、優秀な遺伝子を持つ男性の一部を隔離して、人工授精の為の精子を収集するってところか」
「……マジで、言ってんのか?」
この時代に来て耳を疑ったのは何度目だろうか。こうやって問い返すのも。
だが今回は柳の返答を聞くまでもなく、法案の概要を説明しているニュースキャスターがそれを解説、証明していた。
「でもこの法案は非人道的すぎて流石に批判が出ている。妥協案として精子提出を義務付ける法案もあるみたいだ」
「いやでも、人工授精にそんなに大量の精子っていらないだろ?」
「その通りだ。だからこれは女性への脅しと考えるのが妥当だろう。次は出産を義務付けるぞ、と」
その後の疑問は全て飲み込んだ。これ以上聞いてしまえば、俺の中の何かが崩れてしまいそうだったからだ。
事実の確認すら恐れた臆病な俺は、この絶望的な世界で目を覚ましたことをただ嘆くしかできなかった。
◇◇◇◇◇◇
あれから柳の汚い部屋に遊びに行ったり、子供達と野球をしたり、おっさん達と将棋をしたりと思う存分遊びまくった挙句、夕飯までご馳走になった。
おっさん達が作った男料理は野菜の形が不揃いだったり、調味料が溶けてなかったりして微妙な出来だったが、それもネタに笑いながら大勢で食卓を囲んだ。今まで病院の味気ない食事を一人で食べていたので、それが俺にとってなによりも嬉しかった。
「……柳」
「なんだ」
柳の車に乗って帰宅の途中、流れていく基地施設の明かりを眺めながら問い掛けた。
「お前、女は嫌いか?」
友人を殺された柳は、嫌いなんて生易しいものじゃなく憎んでさえいるだろう。いやもしかすると、殺してやりたいとさえ思っているかもしれない。
俺のこの質問は、さぞ陳腐に聞こえたに違いない。何を分かりきったことを、と。
「……いや」
「え?」
予想外の否定の返答だった。俺は柳の横顔を見る。
「女、全部を嫌いなんてことはないよ。いい人も確かにいる。ほら、あの国枝基地長とか」
「紗枝さんが?」
ここでその名前を聞くとは思わなかった。
「あの人は四年前の事件の時、唯一人、頭を下げに来た。司令部の一人としてやり切れなかったんだろうな、問題を隠蔽するってのは。司令部は民主主義で採決するからな」
「あの人が頭を下げに来たってのか?」
「俺達が作った墓の前で一時間くらい、罵倒されながらな。一言も喋らず黙祷してたよ」
俺が柳なら、友人を殺され、隠蔽されてそんな風に言えるだろうか?
俺が紗枝さんなら、数の暴力に責任転嫁せず、罵倒されるのを覚悟で頭を下げに行けただろうか?
「……ちっ」
自分に対して忌々しく舌打ちした。それは俺自身のちょっとした不都合によるものだ。
柳に気取られないようにする為、病院に着くまで黙っていたかったのだが、もうひとつどうしても聞きたい事がある俺は慎重に口を開いた。
「宿舎の入り口に書いてあった英語。あれってなんて意味なんだ?」
「ああ、やっぱり気になってたか。『The world not irrational』つまり『不条理なき世界』。俺の友人が書いたんだ」
「それは、四年前に戦死した人なのか?」
「そうだ。あいつは女尊男卑の世を嘆いていた。自分は軍人なのに、カーズよりそっちにご執心の変わった奴だったんだよ。あれはあいつから女性達へのメッセージなんだ。赤にしたのは、女性の目に付きやすいからとか言っていたな。ホントか嘘か知らねーけど」
柳はとても楽しそうに、今は亡き友人の話をする。その様子が、俺にとってさらに不味いものを沸きあがらせてきた。
「そ、それなら、『平等な世界』のほうが良くないか?」
「く、くくっ……。俺と同じ事を言うのな、辰巳は」
「え……?」
「あいつはこう言ってたよ。『史上において男女平等なんてないし、平等であると言うものを探す方が難しい。だからそんなに難しいことは言っていない、人として不条理なき世界を望むくらい』ってな」
そして殺された。歩み寄った女性に。守るべき味方に。これ以上なく理不尽に。
「な、変わった奴だろ?」
「あ、ああ……。会って、みたかったよ」
ちょっとした不都合から大変な事に昇格しそうだったので、俺は慌てて窓の外に顔を向けた。
「ん、何か言ったか、辰巳?」
「……宗一」
「え?」
「宗一でいい」
「そうか。俺も遼平でいいぞ、宗一」
縁の時も照れるものがあったけど、相手が男でも変わらず照れ臭い。
これは次の機会にすべきだったと後悔した俺は、押し寄せてくる感情に観念して白旗を揚げた。
「遼平。また宿舎に遊びに行ってもいいか?」
「ああ、いつでも来い。皆、待ってるぞ」
「……うん。必ず、行くよ」
それに気付いた遼平が、一瞬戸惑うように息を飲んだ後、やれやれといった感じで言った。
「……泣くなよ」
「うるせーな」
久しぶりに触れた男の温もりは、随分、俺を弱くしたようだった。