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2 : 8  作者: 松浦アエト
44/46

第44話 同系色


「面会? ……俺にですか?」


 部屋に尋ねてきた紗枝さんが、なんとも予想外のことを言った。

 俺に面会を希望する人がいるということなのだが、その人は基地内の人間どころか軍人でもないらしく、俺はこの時代に来てからの記憶を反芻する事になった。


 基地外の人との接触はかなり限定的で、思い当たるのは男性街に行った時に会った遼平の親父さんくらいではないだろうか。軍人を除外されるとヒデや佐野さんは該当しないし、あと残っているのはあのテロリストくらいだが、彼はもうこの世にいない。


「来客用の部屋に通してあるから、今から行くぞ。……釘を刺しておくが、いくら相手が有名人だからといってはしゃいだりして失礼なことはしないように」

「有名人?」


 誰? と訊こうとしたが、今から会えばその疑問はすぐ解消されるだろうと思い、問いを飲み込んだ。


「い、いくぞ」


 紗枝さんに続いて部屋を出て行くと、監視の為だろう領家がドアの前で待っていた。しかし、なにやら様子がおかしい。なんというか、そわそわしているというか、落ち着かない感じだ。顔も心なしか赤いし、こんな領家を見るのは初めてだ。


「我慢は体に毒だぞ」

「は? 何を言っている?」

「おしっこだろ。あ、もしかして大のほう?」

「…………」


 領家の目は、この時代に来てトップ3に入るガンづけだった。



◇◇◇◇◇◇



 司令部にある来客用の部屋に入っていくと、意識せずともその人に目を惹かれた。

 窓際に立ち、屋外の演習場を眺めている女性の放つ雰囲気は、一般人のそれとは明らかに隔絶されたものがあった。

 俺の入室に気付いた彼女は、ゆっくりとこちらに振り返る。その仕草ひとつすら息を呑んでしまう。まるで計算し尽くされた芸術品が動いているようだ。


「あなたが辰巳宗一君?」

 

 女性は俺に問い掛けながら、ふわりと柔らかな笑みを浮かべた。この時点になってようやく、彼女が外国人であることに気付く。灰色の瞳。茶を基調とし、少しだけ金色が混じっている頭髪。北国の出身であろう雪肌。日本人とは異なる均整のとれた骨格。


 なによりも……そう、なによりも。彼女はとんでもなく美しい人だった。

 陳腐な言葉になってしまうが、俺はこんな綺麗な人を今まで見た事がない。それは女としてももちろんだが、どことなく中世的な面もあり、単に美しい女性という賛辞では物足りない印象を受ける。本当に同じ人間なのかと疑いたくなる程だ。

 

「あなたが俺に面会を?」


 あまりジロジロ見ていては失礼だと思い、話を切り出す。


「ええ、そうです」

「……失礼ですが、どなたですか?」

「はああぁ!?」


 入り口に待機していた領家と、部屋にいる護衛であろう数人がずっこけた。

 え? 俺なんか変なこと言った? いや、だって本当に知らねーんだけど。……でも、どこかで見たような気がするんだよなぁ。喉まできてるんだけど思い出せない。こういうのすげーもどかしいんだよ。


「ふふ、私もまだまだのようですね。国枝さん」

「申し訳ない。なにぶんこの男は一般的な常識を兼ね備えておらず、知能も未発達な所が多々あるのです。気分を害したのなら謝罪します」

「いえ、構いませんよ」

 

 手を口に当て、くすくすと上品に笑う外国人さん。うわぁ、そんな仕草も美しすぎる。

 空気を呼んでスルーしたが、紗枝さんは俺をぼろくそに言いすぎである。


「はじめまして辰巳君。私はエマ・ソルヘイム。メルリーナの母です。あなたの事はリーナからよく聞いてますよ」

「は、はじめまして。……えと、メルリーナ?」


 え? 誰だ? ……もしかして。


「リーナ……。リナのお母さんですか?」

「ええ、そうよ」


 へえ、リナの母さんか。ということは、メルリーナ・ソルヘイムがリナのフルネームなんだ。そういえば今まで知らなかったな。リナって呼べとしか言われなかったし。エマさんは娘をリーナと呼んでいるようだ。


 リナを思い浮かべてみると、なんとなくエマさんの面影がある。あいつは将来とんでもない美人になるのかもしれない。そう思わずにいられないほど母親の容姿は整いすぎており、俺が今まで見てきた女性の中では群を抜いて美しい。

   

「あらなぁに、ジロジロ見て。もしかして誰か分かったのかしら?」

「え? リナのお母さんでしょ。さっき言ってたじゃないですか」

「駄目だこいつ……」   

 

 誰だ、今ボソッと呟いたのは?


「すみません、誰かはちょっと思い出せないですけど……本当に綺麗な方ですね」

「あら、ありがとう」


 エマさんは言われ慣れた感じで礼を言う。実際そうなんだろう。

 でも、ほんとに誰なんだろう? 周りを見渡してみると紗枝さんと目が合う。「ああん?」と、ちびりそうな目で睨み返されたが、さっきの悪口の復讐とばかりにエマさんをひとしきり褒めた後「ふっ」と殴りたくなるような顔で嘲笑してやる。……予想通り殴られた。

 

「ぷっ……くく……。新鮮な反応で、おもしろいわ」

「はあ……なんだかよく分からないですけど、楽しんでいただけたようで幸いです」

「ふっふ……ふふ……っ……ふふふ……くふっ……」

「あの、おもしろいなら我慢せずに笑ったほうが……」


 顔を伏せて肩をヒクつかせているエマさん。とても苦しそうだ。笑い上戸なんだろうか? 何度も言うが、そんな姿も美しい。


「リナはここには来ないんですか?」


 当たり前のように浮かんだ疑問を口にすると、エマさんは笑うのをピタリと止めて顔を上げる。


「ええ……。国枝さんに呼んでもらったのだけれど、来ないところを見ると私に会いたくないみたいね」


 少し悲しそうな色彩をその美貌に浮かべる。何か込み入った事情がありそうだが、それを推し量る事は出来そうにない。


「辰巳君、少しお願いがあるのだけれど。……リーナを連れてきてくれないかしら。あっ、無理にとは言わないわ、あの子が私に会うのに納得してくれたらでいいから」

「俺が、ですか?」


 母親の呼びかけに応じない娘を、事情も知らない俺が連れてくることが出来るんだろうか?

 いやそれ以前に俺は今、基地を自由に歩く事すら出来ない。


「いいぞ、行って来い」


 ぽん、と俺の肩に手を置いて、そう言う紗枝さん。

 その表情を確認するように見ると「まぁ、たまにはな」と、紗枝さんにしては優しげな雰囲気を出している。


「お前達も、もういいぞ」


 紗枝さんが一緒にいた兵士に言う。どうやら本当に一人で行動させてくれるようだ。……珍しい。


「わかりました。いってきます」

「お願いします」


 俺に向かって優雅に頭を下げるエマさん。

 その姿を見ると、なんだか無性にリナを会わせてやりたい。そんな風に思った。



◇◇◇◇◇◇



「……しまった」


 やる気を出して司令部から飛び出してきたものの、リナがどこにいるのか全く分からない。基本的なことも聞かなかった俺は基本的にアホだったという事に気付く。でも今更、訊きに戻るのはちょっとカッコ悪い。


 今日は通常通りに訓練や講義が行われている日だ。今は昼前なので、リナの年代なら講義を受けているだろうが、問題なのはこの基地の広さだ。講義に使われている施設だけでも、やみくもに回っていれば日が暮れる。ということで、その辺にいる人に訊いてみることにした。


「あの……」

「ひっ」


 まだ高校生くらいの年頃の女の子に話しかけると、小さくだが悲鳴を挙げられた。……ショック。

 いや、もう慣れたけど……地味に傷付いてるんだぞ、俺も。

 彼女は顔面蒼白になり、見てるこっちが可哀相になってくるほど縮こまっている。まぁ客観的に見ると、さっきから視殺されそうな視線を浴びまくってる俺のほうが可哀相なんだけどね。


「ちょっといい? 小学生くらいの子が講義を受けてるのってどこになるのかな?」

「小等部の棟なら、あっちです」


 おお。脅えながらも普通に答えてくれるじゃん。この子を選んでよかった。


「そか。ありがとう」

「い、いえ」


 自分ができる最大限の優しい表情を作り、礼を言って立ち去る。うん、やっぱり普通のやりとりは嬉しいね。

 だが俺の一瞬だけ浮上した気分は、後ろから聞こえてきた「大丈夫?」「今からでも殴りにいこうか?」「妊娠させられてない?」等の、友を気遣う優しい言葉にかき消される事となった。

  

 数分後、茨の道を進み、数々の辛苦に耐えながらも無事リナを発見。タイミングを逃したようで、休み時間が終わって今は講義中になっている。教室の外からちらちらと少女達を伺う俺の姿はどうなんだ。と、まるっきり変質者を自覚しながらも、身を潜めて講義が終わるのを待つ。


 それにしても……。あいつ全然やる気ないな。講義もそっちのけで、ぼーっと窓の外を見てる。まじめに勉強せんと後で後悔するぞー。 


 さらに数十分後、チャイムが鳴り響き、弛緩した喧噪が辺りを包みだす。

 教室の外でリナが出てくるのを待っていたが、リナは自分の席から立ち上がる事もなく、ずっと窓の外を眺めている。いつもは勘弁して欲しいほどやかましいのに、今は誰とも話す事無く静かに佇んでいる。なんか、元気ないな……。

 

「ああああああ!! 男がいるーーー!」

「ほんとだ! 男だ!」

「えーーー! なんでなんでーーー!?」


 うおお。し、しまった……。ぼけっとリナを見ていると、知らぬ間に少女達に囲まれていた。

 やばい。早くリナに接触しないと都条例に引っかかってしまうかもしれん。いや、この時代の都条例とか知らんけど。ここは都でもないけど。


「ちょ、ちょっと通してくれないかな~? お兄さん、用事があるんだ~」


 という俺のおっかなびっくりなお願いは、少女達の狂乱の奇声に掻き消された。違う教室からも津波のように出てきて、周りには数十人ではきかない数が集結しだしている。

 まさに少女ハーレム状態だやっほい! とテンションを強引に持ち上げてみたが、特殊性癖を持たない俺には上級レベルすぎた。


「わるい!」


 にっちもさっちもいかないので、強行突破する事にする。こんな所でフェイズを使うとは思わなかったが仕方ない。なるべく触れないように、少女達の間を縫って駆けていく。何故かって? 触れたら偉い人がでてきそうだから。眼鏡的な。


「リナ!」

「? ……えっ! そ、そーいち?」


 窓の外から目を切ったリナが、ようやく俺に気付く。

 キョトンとしたリナの目の前まで走っていき、


「今いいか!? ってかもう昼休みだからいいよな! よし、じゃあ行くぞ! しっかり捕まってろよ! 安心しろ、お前の分の昼飯も用意してきた! ちんちくりんなんだから一杯食えよ!」


 有無も言わせず要点を叩きつけ、よいしょとその小さな体を小脇に抱える。……かる。


「な、なになになになに!? い、いやああああああ!? なにすんだこの人攫いぃぃぃいいいいい!!」


 で、そのままの勢いで窓から飛び降りた。ちなみにここは五階だ。

 人聞き悪いこと言うなと突っ込もうとしたが、全くそのとおりなのでなにも言えなかった。 

 まぁいつもの元気が戻ったようで安心した。  

 


 …………。



 人気の少ない建物の影にあるベンチに腰を下ろす。静かな所に避難してやっと人心地ついた。

 突然の児童誘拐に、しばらくジタバタ暴れるだけのリナだったが、餌を与えるとすぐさま静かになった。パックの牛乳片手に、もそもそと菓子パンをほうばり、顔全体で幸せと言っている。なんて単純な生き物なんだ。

  

「んぐ、んぐ……ぷはぁ」

「うまかったか?」

「うん!」


 そっかそっか、と頭を軽く叩くと、この世の春のような笑顔に移行した。

 

「どした? ……眠いのか?」

「う、ん……」


 しばらく頭を撫でていると、リナはうつらうつらと船を漕ぎ出した。

 食ったら寝る。まさに欲望のままにを体現している。でもこいつをエマさんの所に連れて行かないといけないし、それよりもまず講義が終わっていない。今寝られるのは困るな、と思ったのもつかの間、勝手に人の膝を枕にして寝息を立て始めやがった。


「すー、すー……すー」

「……」

 

 まずいな。こんなに気持ち良さそうに眠る奴を起こせそうにない。そんなに寝不足だったのか?

 仕方ない、とりあえず紗枝さんに連絡を入れておくか。

 

『ああ、わかった。ソルヘイム氏は今日から三日間滞在する予定になっている。その間なら大丈夫だと伝えてくれと言われている。だが講義をサボるのは許さん。サボった場合はお前の責任として処理するからな』

「う……分かりました」


 なんだ、今すぐという意味じゃなかったのか。まぁ早いほうが望ましかったんだろうけど。

 一番の問題はクリアしたが、流石にサボる許可は出してくれないよな。紗枝さんならそう言うだろうと思ったよ。要するに、俺が怒られればいいんだろ? ……お前、成績とか大丈夫だろうな?

 

「……ん」


 柔らかい茶髪頭に手を置くと、くすぐったそうに身をよじる。

 暦の上では春だが、撫でる風はまだ肌寒い。制服の上着を脱ぎ、見るからに寒そうなスカートから伸びる足に掛けてやると、リナは「でかした」とでも言いそうな生意気な寝顔を浮かべた。

 


◇◇◇◇◇◇



「……ち」


 俺の放った右上段蹴りを、両腕でガードした領家が苦々しく舌打ちを零した。その顔色から、幾分かのダメージが通ったのだと確認する。


 フェイズ4に到達して以来、今まで一方的だった立ち合いに、徐々に変化が起こっている。

 戦闘技術や体術という面では、領家と俺では天と地ほどの差があるだろう。それは訓練や実戦で、長い年月を掛けて練磨するものであり、一朝一夕の努力で追いつけるほど世界は簡単に出来ていない。 

 俺も自分なりにその技術を得ようと、こうして毎日のように領家と立ち合っているが、一月ほどの期間ではまだ歩く事を覚えた赤子も同然だ。比べる事すら失礼に当たるだろう。


 それではこの変化は何か? この短期間で、一方的から劣勢にまで戦況を押し上げたものはなんなのか? それは考えるまでもなく、フェイズ能力に依るものだ。 

 簡単に言うならフェイズ4に至った事で、俺自身の基本性能が飛躍的に向上しているのだ。戦闘技術で遠く及ばない領家に肉薄できているのは、その基本性能で上回っている事を意味している。力は技術を凌駕するのもまた世界の道理だ。

 

「ぐっ!」


 領家の顔面に向けて放った拳は紙一重で回避され、流れるような動きで俺の腹部にカウンターの中段蹴りを叩き込んでくる。もろに喰らってしまった蹴りは、以前なら悶絶するほどの威力だったが、今は歯を食いしばれば耐え切れる程度になっている。耐久力という面においても、向上を実感できる。


 しかし、性能の違いをはっきりと見て取れるほど差がついているというのに、それでも領家には及ばない。本当なら今の蹴りは避けなければならないんだ。俺にはその性能が備わっているものの、あまりに見事なカウンターに対処できなかった。これが経験値の差というものだろう。

 くそっ、相手より優秀な武器を持って尚負けるというのは、とんでもなく悔しい。


「今日は終わりだ。……ほんと、お前の相手をしていると自信がなくなってくる。基本性能なら部隊長クラスにも引けを取らないだろう。フェイズ4になったばかりだというのに、末恐ろしいよ」


 訓練の終了を告げる領家は、俺の分析を正直に告げてくる。俺の事など嫌いだろうに根が真面目なのか、こういう所では嘘の吐けない女だ。


「なんだ、思ったより嬉しくなさそうだな。珍しく褒めてやっているのに」

「領家はなんか嬉しそうだな」

「……なんで私が喜ばないといけないんだ?」

「いや、なんとなく」


 あれかな? 教え子の成長が嬉しいって感じ? 怒りそうだから言わないけど。

 俺も正直に言って嬉しいけど、それ以上に領家の凄さに感心していたのだ。


「ふん。……帰る」 

「ありがとうございました」


 憎たらしい女だが、教えを請う身として最低限の礼節はやっておく。俺は年上の人や目上の人にはできるだけ敬語を使うのだが、こいつとは仲が悪いのでタメ口だ。あんだけ殴られ蹴られして、普通の感性なら敬語とかないだろう。こいつもそれを何も言わないのでそのままだ。


「……おつかれ」

 

 領家はなんとも表現しづらい表情で、演習場から出て行った。……と、思ったら戻ってきた。何か手に抱えているけど、なんだあれ?


「あ、あのな」

「……なに?」


 領家にしてはやたら俺に接近して、ひそひそと小声で話しかけてくる。顔が若干赤らんでいる何故だろう?


「あの、その……これに、その……サインを頼める?」

「はあ? ああ、うん。いいけど」

「お前のじゃないわ!」

「いで!?」


 差し出されたサイン用の色紙に、受け取ったマジックでサインをしようとしたら、即頭部に平手が飛んできた。ってーな、ちょっとしたお茶目じゃないか。


「サインって誰の? それを言わなきゃ分からないだろうが。もしかして紗枝さんか?」

「何を言ってるんだお前は、認知症なのか? いいかよく聞け。聴くもの全てを魅了する神秘の美声を持つ歌姫。その姿はどんな芸術品よりも美しく気高い。地上に舞い降りた天使と比喩されるエマ・ソルヘイム様に決まっているだろう。彼女はな、本来お前が口を聞いて良い方じゃないんだぞ。彼女はそれこそ、物語の中で語り継がれる神話の住人に比するくらい……」

「…………」

「あぁ、いや。……いやその、と、とにかく! 頼んだぞ!」


 領家は顔を真っ赤にして走り去っていく。普段とのあまりの変わりように、呆然とその後姿を見送るしかなかった。


「そーいち、終わった?」


 領家が扉を開けると、そこからリナがひょっこりと顔を出した。


「ああ、リナ。終わったよ」

「あぅ! リ、リナたん?!」


 ……たん?


「っておい辰巳、何をする!」

「……はいはい。領家さんおかえりです」

「ああ!? こら! 私にも撫でさせろ! ちょ、ちょっとこらーー!!」


 バタン。

 なんか危険な香りがしたので、リナを中に入れると同時に扉を閉じて退場させた。

 涙目で脅えているリナの頭を撫でつつ、ちょっと頭のおかしい人だから近付かないようにと警告しておく。これで安心だ。


 昨日、リナは延々と寝続けるので、アリサさんの部屋まで運び、そこで寝かせてやる事にした。こいつの部屋とか知らないし、少女をおぶって基地内をうろつくのに強烈な不安を覚えたので、ナイスな選択だったと思う。で、今日の夕方に、屋内の第二演習場まで来てくれと書き置きをしておいたのだ。


「ね、ね。なにして遊ぶの?」


 超笑顔で見上げてくるリナ。どこまでも能天気な……。

 エマさんの滞在は明日の夜まで。リナにはまだエマさんのことすら話していない。そもそもリナは知っているんだろうか?


「…………リナ、お母さん来てるぞ」

 

 考えた挙句、直球で聞いてみることにした。機微を察しろとか言われても、事情も分からんし。


「……知ってるもん」

 

 途端にぶすっと頬を膨らませて俯いた。うっ、ちょっと直球すぎだったか?


「会わないのか? エマさんはお前に会いたいみたいだぞ」

「ほ、ほんと? お母さんがあたしに?」

「ああ。そう俺に頼んできたけど」

「むぅ……」


 一瞬パァっと顔を綻ばせたリナだったが、続けた俺の言葉にまた沈み込んでしまった。

 う、う~ん。何が失敗だったのかよく分からない。慎重に行くべきか、このまま直接的に行くべきか……。というかなんで俺が、この親子の仲を取り持つような事をしているんだろう。


「よし! 面倒くさいからもう全部俺に話してみろ! 解決できなくても知らんけどな!」


 正直に心情をぶっちゃけてみたら、こんな幼い子供に見下されるような目で見上げられた。「で、でも俺はお前の味方だからな!」と付け足しておくと、なんとか言葉を続ける気になってくれた。


「最近のお母さん……冷たい」

「喧嘩でもしたのか? それとも何か怒られるような事でもしたとかか?」

「な、なにもしてないもん! それにお母さん、怒った時は怖いけど、次の日になればちゃんとやさしいもん! それなのに最近ずっと冷たい!」

「わざわざお前に会いに基地に来てるくらいだし、気のせいなんじゃないのか?」

「ううん! そんなことない! この前電話した時だって……!」 

    

 リナは切羽詰ったように声を張り上げる。

 この親子は単純に嫌いあっているのではなさそうだ。少なくとも、リナはエマさんの事が大好きなんだろう。

 

「なにか思い当たる事はないのか?」

「わかんない……。本当に急に冷たくなったんだもん。お母さん……あたしの事、嫌いになったのかなぁ……ぅ……」


 ということは、起点はエマさんか? あくまでもリナの言い分を信じるとするならば、だけれど。何かがすれ違っているのは間違いない。

 世の中には我が子も捨てる人間が存在しているが、エマさんに限ってそれはないだろう。もし本当にエマさんがリナのことを嫌いなら、わざわざ基地に来るとは思えない。 

 

「そんな訳ないだろ」

「ひくっ……ぅぅ……」


 確信を持ってそう言える。だから泣くな。

 リナの頭を撫でる自分の手がなんとも頼りないものに感じたが、泣き止むまでその手を動かし続けるしかできなかった。



◇◇◇◇◇◇



 その晩。

 エマさんに真意を問うべく、紗枝さんに頼んでアポを取り、来客用の部屋で待ち合わせた。

 リナはここにはいない。会うのが怖いと言ったリナの不安そうな表情は、見ているこっちが辛かった。


「……そうですか」


 エマさんの護衛数人と俺の監視数人、そして紗枝さんが見守る中、エマさんは深い溜息を吐いた。今は会いたくない、と言っていたリナの言葉をそのまま伝えたのだ。だが話はこれで終わりではない。


「リナはエマさんが急に冷たくなったと言っていましたが、何か理由があるんですか? それともリナの思い過ごしですか?」


 俺の問いにエマさんは一拍置き、


「辰巳君はこの基地ではかなり特殊な立ち位置のようね。それは何故かしら?」

「……え?」


 まったく関係のない話を振ってきた。


「い、今はそんなこと関係ないでしょう。リナの話ですよ」

「すごく興味があるの、あなたという存在に。どうして栗原の基地は今更になって男の軍人を受け入れたのか。世間では知られていない情報だけど、マスコミの耳に入ればちょっとしたスクープになるでしょうね」


 困惑した俺よりも先に紗枝さんが口を開く。


「ソルヘイム氏、それは違います。辰巳宗一はこの基地では施設管理の仕事を任されており、軍部とは無関係の人間です。先日にもそう申し上げたはずですが」

「いいえ、国枝さん。私も信頼ある筋からの情報なので、それについての問答は無意味です。それに、それとなく聞いたらリーナが口を滑らせてくれましたから。ま、あの子にとっては滑らせたという意識もないのでしょうけれど。……ふふ」

「……はぁ」


 上品に微笑むエマさんに対し、紗枝さんは痛そうに額を抑える。

 基地内や軍関連の間では常識でも、俺に関する情報は厳しく制限されている。それでなくても軍の情報というのは、外部や一般には出ていかないものだ。


「……分かりました。それほど重要な機密ではないので、それについてはなにも言及はしませんし、メルリーナ・ソルヘイムについても注意だけに留めておきます。ただ無用な混乱を防ぐため、氏の内に留めておいていただきたい」

「もちろんです。マスメディアの無神経さは誰よりも理解しているつもりなので」


 人の口に戸は立てられない。完全に情報の流出を防ぐのは不可能だ。もしこのことが漏れたとしても、一部のマスコミが少し騒ぐくらいで、一時の時事として忘れられていくだろう。それでも余計な混乱は回避したいと思うのは当たり前だ。

 それにエマさんの口ぶりからすれば、俺が軍部にいる核心部分には届いていない。人類で初めてP.Iフィールドを突破した男どころか、カーズ拠点跡で発見されたなどという事も知らないだろう。


「辰巳宗一は試験的な立ち位置で軍部に所属しております」

「それは……? と聞いても、お教えしてはいただけないのでしょうね」

「申し訳ありません」


 上手い……。エマさんに追及される前に、紗枝さんから情報を公開した。小出しにされたそれは真実に近付くような印象を与えた筈だ。しかし、前提として出された試験的な立ち位置という情報がすでに嘘だ。

 というか、今そんな話をしてどうなる? 俺はリナのことを話しに来たんだぞ。


「エマさん、それよりリナの――……これは?」


 話を戻そうと口を開いた俺の前に、二つ折りの紙を差し出してくる。


「私から辰巳君への秘密の手紙。読んでみて。みなさんには見せないようにね」


 秘密の手紙? ことごとく出鼻を挫かれて納得いかないものの、その紙を手に取り開ける。


「………………」


 これは……。


「……そういえば、聞いたことがありました。あなたは歌手だ、それで間違いないですよね?」

「あら。知っていてくれて嬉しいわ」


 エマ・ソルヘイム。

 以前、西園さんが夢中になって褒めていた、画面の向こう側の人物。歌姫と称される芸能人。それがこの人なんだ。

 彼女の娘が基地のマスコットとしてかわいがられるのも自然な事だ。思い返せば鬼ごっこの時、有原は知っていたような口ぶりだったし、領家なんかはもろだ。リナに群がる年上の女性達は当然、彼女の娘というフィルターを通してリナを見ていたんだろう。


「すみません、テレビとか一切見ないので」

「構わないわ。今の時代、歌を歌うしか能の無い一市井の名など知っていても霞にもならないでしょうから」 


 読み終えた紙を四つ折にする。……こんなもの俺に見せてどうしようって言うんだ。

 

「少し教えてもらいたいのですが、あなたは……どのくらいの知名度なんですか?」


 有名人に向かってかなり失礼な発言をしていると思う。だがそれによっては、俺が今持っている紙は爆弾と言って差し支えのないものになってしまう。

 護衛が付いていることからも、なんらかのVIPである事が分かる。只の有名人なんて事は無いはずだ。


「答え辛い質問ね。ふふ、自分の知名度を言え、だなんて。……そうね、今はもう無くなってしまったけれど、2052年に行われた最後のオリンピックの開会式で歌わせていただいた事があるわ。あれは22歳の時だったわね」


 とんでもない事だった。その若年でそれほどの知名度を得ていたという事実。

 フェイズ能力者の出場を禁止して行われていたオリンピックは、カーズ侵攻の激化によりその歴史に幕を下ろした。伝統ある世界的行事の、最後の開会式で歌い手に抜擢されるには、一体どれほどの名誉を積み重ねればそこに至るのか、想像も難しい。

 そして十余年経過した今でも、彼女が世界的に著名な事は疑いようがない。それゆえに、だからこそ、この紙に書かれている事は衝撃的なものになるだろう。


「あなたは今まで、こういう歌を歌ったことがありますか?」

「いいえ。そんなことをすればどうなるか、あなたも分かるでしょう?」


 そのとおりだ。俺が訊いたのは確認のため。

    

「本気……いえ、正気ですか?」

「あらひどい、結構はっきり言うのね。でも嫌いじゃないわよ、そういうの」


 分かっていた。伊達や酔狂でこんな事をする人はこの時代にいない。この紙を読めば、この文字列が何を示しているのか、誰にでもすぐに分かるだろう。

 言葉の構成、繰り返されたフレーズ、そして『作詞、エマ・ソルヘイム』と打たれた見出し。

 彼女が俺に見せたものは、歌の詞なのだ。


 これだけ有名な歌い手の新譜を、誰よりも先に見れたのは幸運と言えるのかもしれない。でもこの内容を見た人は、一体どんな反応をするだろう。どんな顔で最後まで読むだろう。決して手放しでは喜べないはずだ。 


 彼女の創り出した歌詞は、この世の不条理を真正面から糾弾するものだったのだ。


「私と辰巳君の秘密だからね」


 しーっと人差し指を唇に当てる。彼女のファンなら魂を抜かれてしまいそうな微笑みは、俺にはこれ以上なく恐ろしいものに感じられた。テレビで彼女を見た時、怖いと感じた俺の第一印象は間違っていなかった。


 だって彼女の目は、手を振っていたあのテロリストと同じ色をしていたのだから。


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