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2 : 8  作者: 松浦アエト
43/46

第43話 代替の雨


「そういえば、遼平はどうしてる?」


 訓練の休憩中、世間話程度で振った話に、多田さんとリナ以外の三人が固まった。

 遼平とはまだ自由があった頃はそれなりの頻度で会っていたが、閉じ込められてからの一ヶ月は音沙汰なしもいい所である。

 特に詳細な答えを期待した訳ではなかったし、すぐ終わるだろうと思っていた問答だったのに、縁、有原、立川の三人の雰囲気が、目に見えて暗いものになってしまっている。


「え? な、なんだよ? 何かあったのか?」 


 三人の暗く俯いた表情と、どこか気を使うような素振りが嫌な予感を増幅させる。しばらく沈黙が続き、誰もその空気を払おうと口を開かない。


「なんだよ、なんで黙ってんだよ? もしかして……」


 口止めされてたりするのか? そんな想像をしたところで、お子様が無邪気に口を開いた。


「リョーヘイならにゅういんむぐっ」

「ばっ!」


 一番近かった有原がとっさにリナの口を塞いだ。馬鹿リナが口を滑らしたと判断してから妨害するまでの時間は、満点を付けれる程の短さだったが、残念ながら五文字分ほど遅かった。


「……手遅れ?」


 むーむーと唸り声をあげるリナを抑え込みながら、てへっと首を傾げる有原。その場にいる皆がうんうんと同時に首肯。しっかり聞いてしまった俺も、引き攣ったてへ顔の有原に向けて、親指を立てておいた。 


「あーあ。ちくりんは相変わらず足りない子だわ。本当に将来が心配になるレベル」

「むぐ……ぶはっ! しっぽまでちくりん言うな!」    

「しっ……! と、年上にそれはないんじゃないかな~? ちゃんと有原さんっていわなきゃ駄目じゃない、ね、リーナーちゃーん」

「い、痛い! イタイイタイ! 頭! 頭割れるーーー!」


 ヘッドロック痛そう……。ナイスな口滑らしをしてくれたリナをかばう意味でもここは。


「遊んでないで説明してくれよ」

「はあ!?」  

「ご、ごめんなさい」


 じゃれているリナと有原に割って入ると、何故か両方から睨まれてしまった。リナは相当痛かったのか涙目だ。 


「テロ……あったじゃん」

「え? ああ」

 

 暴れるリナを立川に任せた有原が、諦めたように言う。


「あのテロで潜在的にあった不満が行動として日本各地で表面化してるの。例えば、男性だけの新しい団体や組織が立ち上げられたりね。公的な団体に限る情報だけでそれなんだから、いわゆる裏側の動向はこれから激化するだろうと予想されてるわ」


 有原の口から出てくる情報は、まったくの初耳だった。病院から住居を移してからは、俺は世間の情報には全く触れられない状況になっている。

 あのテロ事件は俺の思っていた以上に影響力を持つものだったようだ。男性テログループ初の全国へ向けた声明や行動は、世の男性達が内包していた不満を爆発させる原動力になったのだ。


「それはこの基地も例外じゃなくてね」

「男性寄宿舎……か」

「うん……。ここのところ宿舎の近辺でよく諍いがあるみたい。柳……遼平は、それに巻き込まれて怪我をしたって聞いてるわ」 

「……そうか」 

「そうかって、あんた……随分冷静ね」

 

 俯いている俺の顔を覗き込んでくる有原。そう言われてはっと顔を上げる。


「それにあのテロ事件で不満が表面化したのは男性だけじゃないわ」

「女性もなのか?」

「当たり前でしょ。テロリストの殲滅で少しは溜飲が下がったかもしれないけど、結局人質の半数は死んだんだから。裏でどんなことあったかなんて一般の人は知らないし、知ったとしてもテロがなければあの悲劇は起きなかったと考える人が普通でしょ。それが女性を敵と公言したテログループの犯罪なんだから、男性への不信感が高まるのは当たり前」

「お前もなのか?」

「……さあね」


 代弁形式での語りは俺への配慮を感じ取ったが、元々男嫌いの有原の真意は掴めそうに無かった。

 それにしても、まただ……。また酷く、頭が痛む。

 


◇◇◇◇◇◇



 その日の晩。入院している遼平がどうしても気になった俺は、部屋の見張り役である女性にアリサさんか紗枝さんを呼んで欲しいと頼んだ。

 流石に囚人ではないので大抵の頼み事は受理される。例えば外を出歩きたいと言えば通るだろうが、確実に監視がついてくるので今までは極力避けていた。だが今はそんなことを気にしてる場合じゃない。

 

「……分かったわ。ちょっと待ってて」


 アリサさんに事情を説明すると受け入れてくれる。

 あっさり許可を降りたという事は、縁たちは口止めされてたんじゃなくて、俺に気を使ってくれていたのだろう。

 数分後、鍵を外されたドアが開く。居たのはアリサさんと領家冬、その後ろに二人の兵士が姿勢よく立っている。紗枝さんの姿は見当たらない。


「じゃあ、いきましょうか」

「はい」


 紗枝さんに注意された事で弁えているのか、領家は俺に対して無関心を装っている。

 遼平の身を案じながら、監視三人とアリサさんを引き連れて病院へ向かう足を速めていった。



 ……。



「……はい」

 

 柳遼平と書かれたネームプレートを確認して病室のドアをノックすると、暗い声で返事が返ってくる。

 アリサさんの指示で二名の兵士をドアの前に残し、領家とアリサさんと俺の三人が病室に入っていく。


「宗一か……。久しぶりだな、はは」


 俺の姿を認めた瞬間、亮平の暗い雰囲気は一転した。

 約一ヶ月ぶりなんだ。久しぶりに会えて俺も嬉しい。


「やられたよ」


 遼平がにギブスを嵌めている右腕を持ち上げ、ぶら下がっている左足を少しだけ揺らした。間違いなく骨折しているであろうその怪我以外にも、顔にはっきりと分かる殴られた痕がある。見えない部分にもいくつも痣が出来ているのだろう。

       

「俺もだよ」


 そう言って、俺はぶら下がっている左腕を持ち上げ、上着をめくりあげた。

 

「ふぅん。まぁ、俺の勝ちだな」

「ああ、負けたよ……くく」


 何の勝ち負けだよ。遼平の勝利宣言がおかしくて思わず笑ってしまった。

 少し離れて様子を見ているアリサさんと領家が、怪訝な表情を俺達に向けている。

 

「で、それどうしたんだ? 敵討ちは必要か?」


 ベッドの脇にある椅子に腰掛けながら、冗談ぽく遼平に言う。


「あん? そんなもんいらねーよ。これはちょっとした口論から発展した女のヒステリックな表現だ。いちいちそんなの気にするんじゃねーよ」

「そうかい。でも一般人のお前がフェイズ能力者と喧嘩するとか、頭は大丈夫か? 勝てっこねーだろ」

「うっせーな、俺は仲裁に入ったつもりだったんだよ。まぁそんなもんは、耳元を飛ぶ蚊のごとく打ち落とされたがな……っ……ごほっ!」


 喋っている最中、遼平は顔背けて苦しそうに咳き込んだ。それを確認した俺は椅子から立ち上がり、アリサさんに顔を向ける。


「アリサさん、帰りましょう」

「え、もういいの?」   

「はい。じゃあな遼平、麻雀の貸し忘れるなよ」

「……く、くそ、覚えてやがったか。ちぇ、さっさと帰れ」


 ひらひらと手を振って俺を追い払う動作を見せる。その手にじゃあなと返し、アリサさんと領家の二人を引き連れて病室から出て行く。


「……っぅ……」

「そ、宗一君、大丈夫?」


 退室した瞬間、耐え切れなって壁に身を預けると、心配そうにアリサさんが近寄ってくる。


「大丈夫……です」    

「ぜ、全然大丈夫そうじゃないじゃない。顔、真っ青よ」

「いえ、俺の事より、遼平の部屋に医者を呼んでください。さっきあいつ血を吐いてました」


 内臓を損傷しているのか、咳き込んで口を押さえた遼平の手の平は赤く染まっていた。上手く隠していたようだが、俺の目は見逃してくれなかった。

 折れている右腕と左足、そして体中に付けられた痣。いまだ吐血してしまうほど痛めつけられた体の内部。


 遼平の行動は馬鹿としか言いようが無い。一般人がフェイズ能力者に勝てるわけが無いのだ。どちらに非があったとか、どんな状況だったとかの詳細はよく分からないが、あいつが馬鹿で無謀なのは確定だ。

 すれ違う医者を確認し、頼りない足取りで病院入り口を潜ると、頬に冷たいものを感じた。


「雨、ですね。基地長しばらくお待ちください」


 そう言って、俺達の後ろにいた兵士の一人が病院内に戻っていった。傘を調達してくるんだろう。それほど降っているわけではないが、このまま帰ると到着する頃にはずぶ濡れになりそうだ。


「宗一君、濡れるわよ」


 アリサさんが止めてくるが、俺はそれを無視してふらつく足を前に進ませる。

 

「ね、ねぇ、傘すぐに持ってきてくれるから、それまで待とう、ね?」


 アリサさんが今にも泣きそうな顔で、雨の中歩いていく俺を引き止めてくる。

 何故、彼女がそんな辛そう表情をしているのか、俺にはそれがよく分かる。彼女は今の俺を、これ以上無く不憫に思っているんだろう。


「……ぐ……っ……」


 歯を食いしばっていないと意識を失ってしまいそうな、痛烈な頭痛が走る。

 遼平の病室に入ってからずっとこうだった。いや、厳密に言うと、アリサさんに暗示を掛けられて以来、常に薄い膜が俺の脳に纏わり付いている。その膜から飛び出してしまいそうになると、抑え込むように頭痛が襲ってくるのだ。

 そして、行き着く先は静寂だ。何も感じなくなっている自分が、呆然とそこに立っているだけ。 


「ま、待ってってば……っ」


 ああ、アリサさんが泣きそうだ。端正で整った顔がもったいなく崩れている。彼女のこんな表情は初めて見たかもしれない。

 アリサさんの暗示は多分、俺の感情のぶれを一定の範囲内に抑制し、意思に反して起動するフェイズを未然に防いでいるのだろう。だから俺はもう、友人のあんな姿を見ても純粋な怒りを持つことが出来ず、敵討ちなど浮かんだ直後に消え失せる。そしてこの頭痛が去れば、またあの凪のような精神状態に落ち着くのだろう。

 だから俺は今、雨に濡れたいなんて思ったのかもしれない。


「……」  

 

 進めない……。後ろを見ると、アリサさんが俺の服の裾を握ったまま俯いていた。何故かそれが、謝っていた紗枝さんと重なる。

 強引に振りほどく事も出来ず、夜の雨の中、その場に二人立ち尽くす。


 彼女の能力のせいで、こんなに苦しまなくてはならなくなったことを恨んだりもした。こんな籠の鳥のような生活を強いられることを呪ったなど何度もあった。そんな悲しそうな表情をするなら、今すぐこの呪縛を解いてくれと浮かんだ。

 でも、彼女はそんなことは絶対にしないし、俺も言葉にはしない。

 忌々しくも、それ以上に有り難かった。あのテロ事件の時のように仲間を襲ってしまうくらいなら、あんな風に醜く感情に引っ張られてしまうくらいなら、脳が焼き切れるほうがマシだ。


「……っ……」


 これが紗枝さんなら、素知らぬ顔で苦しんでいる俺を見ているんだろうが、流石のアリサさんでも冷徹になりきれていないようだ。自分の能力で苦しむ人を間近で見ているのは、さぞ辛かっただろう。

 でも、まいったな……。泣かせる気なんかなかったんだけど。


「アリサさん、濡れますよ」


 そう言って肩に手を置くと、彼女の震えが伝わってきた。俯いているので泣いているかどうか分からないが、何故か泣いていないのだろうと確信してしまう。肩に置いた手に、雨の湿り気を感じた。

 

「……え?」


 アリサさんが驚いたように顔を上げた。なんだ、やっぱり泣いてなかったのか。目はちょっと赤いけど。


「…………宗一君」

 

 一度、空を仰いだアリサさんが異変に気付き、状況を把握するため周囲を何度も見渡した。

 誰だって不思議に思う。通常ならこんな事は絶対に起こりえず、常識を否定した空間がここには存在しているんだから。


「あなた……いつの間に……?」


 今この時点、この場所に限り、空から落ちてくる小雨程度の雨は、俺とアリサさんの体には到達していない。無言で俺達の後をついてきていた領家も、アリサさんに劣らない驚きを顔全体に浮かべている。恐らく第三者には、雨が意思を持って避けているように見えているだろう。


 アリサさんが再び俺の顔を捉えた時には、あれほど強烈だった頭痛も綺麗さっぱりなくなっていた。既に俺は、遼平の怪我に何を感じる事もなく、眠れない就寝間際のように心地良くも不快な意識の凪の中にいる。

 その無感動で無関心な心のまま、アリサさんの肩に置いてある手に少しだけ力を込めた。

    

「これでもう、傘はいりませんよね」


 代わりに降ってくれる雨に感謝しながら、俺は現象を操作し、拒絶した。



◇◇◇◇◇◇



 選ばれた者の領域とされるフェイズ4。

 遺伝的適格者の少なさもさることながら、辿り着くまでには相応の時間と血の滲むような鍛錬を求められる。フェイズ1を開錠してから、つまり遺伝子操作を行ってから、人によって大きく差異が生じるが、平均到達速度は約十年だ。


 栗原の基地に所属している軍人は、その全員がフェイズ3以上の適格者。数十人に一人の才能を持つ彼女たちは、すでにそれだけで選ばれた人間であると言えるだろう。しかしその中でもやはりフェイズ4は別格なのだ。そんな集められた宝石達の中でも、フェイズ4に辿り着ける者はごく僅かに限られるのだから。

 

 当然の疑問を感じる。

 何故、俺はこんなにも速く、進化を遂げられるのか?


 約一年足らずでのフェイズ4到達。これはアリサさんいわく、史上初の快挙らしい。今まであった最短記録を、悠々二年も更新してしまったのだ。これには流石の紗枝さんも驚いたようで、お前本当に人間なのか? と、大真面目な顔で聞いてきた。……失礼な。

 縁は……心配気な表情で俺を見ていたな。有原と立川あたりは悔しがると思っていたものの、呆気に取られるのに忙しそうだった。

 でも俺が受けた印象は、皆が感じている驚きとは少し違っている。

 

「……む……ぅ……」 


 訓練も終わり、深夜に近い時間帯。

 与えられた新しい自室で、目の前に揺らめく火に意識を集中させる。机の上に置いてあるジッポライターに灯っている火は、灯りをつけていない部屋を頼りなく照らしている。

 ジッポの火は蓋を閉じなければ、おいそれと消えたりしないのが好都合だ。なんの都合が良いのかと言うと、純粋に自分の力を試すのにもってこいなのだ。

 

 ゆっくりと慎重に、揺らめく火に人差し指を近づけていく。すると、指と火が触れ合った瞬間、今まで消える理由のなかった火は、音もなく静かに消えていった。


「ふぅー」  

    

 集中を解いて大きく息を放出。ぐでーっと仰向けに寝転がると、ずしりとした疲労感が襲ってきた。

 ちょっと休もう。訓練でも散々やったし、これ以上やると心身が持たないかもしれない。


「こら!」

「う、うわああああああああああああ!?」

「き、きゃああああああああああ!?」


 その場にいる二人は、劇画風の顔で叫び声をあげた。


「……って! な、なななんでアリサさんが驚いてんだよ! お、驚いたのはここ、こっちやっちゅうに! やっちゅうに!」

 

 いかん。あまりの驚きに語尾がおかしくなってしまった。落ち着け心臓。

 てかいつのまに入ってきたんだよ? 誰もいないと思ってた真っ暗な部屋で、いきなり怒鳴られたら誰でもびびるだろ。  


「も、もう。……おどかさないでよ」


 胸に手をあてて勝手な事を言うアリサさん。只でさえ白い肌の顔がさらに蒼白気味。

 だからそれ俺の台詞……。

 

「ったく、前触れもなく入ってこないでくださいよ。あなたは忍びの出身ですか? 伊賀ですか? 甲賀ですか?」

「えー。私、ちゃんとノックしたよ?」


 むぅ。集中してて気付かなかったのかな。


「それより宗一君、駄目じゃない。訓練以外でフェイズをそんなに酷使しちゃあ」

「う……」

 

 アリサさんのダメ出しは、紗枝さんに言いつけられた事と同じだ。

 ただでさえ信じられない速度でフェイズを踏破しているんだ。これ以上の駆け足は体や精神を壊してしまう恐れがある。そう注意を受けばかりだ。


「何か……焦ってるの?」


 アリサさんはベッドに腰掛けて、床に座っている俺を見下ろしながら言う。

 ここ最近。というか、基地に戻ってきてからの俺は訓練漬けだ。休日と指定された日まで、縁達に手伝ってもらうくらい熱心になっている。 


「いえ、焦ってる訳じゃありません。ただ……」

「ただ?」

「強くなるのが楽しくて」 


 嘘ではないが、本音でもない。こうして肉体的に強くなる事を目的として、それだけに没頭するのが楽なんだ。ごちゃごちゃ考えなくて済むからな。


「うん……。宗一君、フェイズ4の能力の説明は聞いた?」

「はい、一応」


 アリサさんはそれ以上追求してこず、話を切り替えた。

 俺が手に入れたフェイズ4の能力。約一年で辿り着いたという事になっているが、俺の主観では、本当はもっと以前に到達可能だった領域だ。具体的には、山形の基地で自己干渉能力を手に入れた時になる。


 現フェイズを掌握してから次フェイズに移行する。その約束を紗枝さんとしていたから、俺はそれを守る為に適切な時期まで待ったのだ。じっくりと(それでも異常なスピードなのだろうが)フェイズ3を練磨したおかげか、次フェイズ移行時に襲ってくる破壊衝動はまったく無かった。


 俺のフェイズ4の能力は、既に在る現象に介入する現象操作にあたる。ジッポの火を消したり、雨の落ちる方向を変えたりしたのがそうだ。

 この能力は総じて現象拒絶と呼ばれ、燃えるという火の役割を禁じる事を可能にする。雨の落下方向を捻じ曲げるのは、拒絶の応用で現象歪曲と呼ばれることもあるらしい。どちらも元々在る現象に介入し、操作しているのだ。

 

 少し想像すれば、核爆弾をも無効としてしまいそうな無双のような能力だが、これがまったくそうではない。例えば火を消した時、その熱量と同じだけのエネルギーをこちらも消費しなければ、現象拒絶が成立しないのだ。雨の落下方向を歪めるのも然りで、やはりそれ相応のエネルギーが必要とされる。

 100のエネルギーを1で打ち消すなどと、そんな世界に背くような摂理など、この世の中にはどこにも無いのだ。ということで、この能力を使うと俺はバテバテになってしまう。

 

「うん、分かってるのならよろしい。頭悪い宗一君にしては上出来ね」


 受けた説明をそのまま復唱すると、アリサさんが満足気に頷く。


「それにしても……。今日もこっぴどくやられたみたいね」


 じーっと俺の体を舐め回すように見てくる。怪我のことを言っているんだろうが、これでも今日はマシな方だ。

 訓練後にやってくる多田さんの干渉治癒は本当にすごいのだ。回復力の促進という補助にあたる行為らしいのだが、彼女が怪我の部分に触れて数十分もすると嘘のように患部が回復しているのだ。


「領家は厳しいだろうけど、良い先生になると思うわよ。実力もこの基地では上位だしね」

「ああ、あの男殺し隊副隊長ですか。あいつは女を捨ててますよね。髪とか寝癖があったり、欠片も化粧してないし。……まぁ化粧はいいとしても、この前なんか目ヤニ付いてたし」

「そ、そんな風に言わないの。あれでも結構かわいい所があるのよ。実はかわいい物好きでぬいぐるみを集めてたり、年下の子の面倒見はいいし。……本当は優しい子なのよ」

「倒れてる俺を無言で蹴りまくってきましたけど」

「じゃあおやすみ!」

「ちょ、あきらめんなよ!?」


 フォローしきれないと思ったのか、アリサさんはダッシュで出て行った。

 あいつが優しい? まぁ女から見ればそうなるのかもな。その一割でもいいから男に回して欲しいもんだ。 



◇◇◇◇◇◇


 

 昨日の晩、アリサさんは結局何をしに来たのかというと、ある用件を伝えにくる為だったらしい。「宗一君のせいで話が脱線して忘れちゃってたじゃない、てへっ」だってさ。不覚にもイラッと来てしまった。

 ということでその翌日、俺は久しぶりにアリサさんの部屋に訪ねてきたのだが、とうやら部屋を間違ってしまったようである。


「宗一君。精子出して」

「だにお!?」


 何を!?(訳)

 目の前の金髪さんが娼婦のようなことをのたまうのだ。いつから俺は遊郭に来てしまったのか。よし、言い値で買おう。

 いや、俺の幻聴という線も捨て切れない。というかそう考えるのが自然だ。アリサさんはそんな下品なネタで笑いを取りにくる人じゃない。部屋に帰ったら念入りに耳掃除をしようと思う。


「ほら、はやく精子出して」

「耳かきはどこだ!?」


 この人は風俗デビューを目論んでいるんだろうか。ビルが建つぞ。


「な、な、な、なにを言ってるんすか!? アリサさんがそんなこと言っちゃダメですよ!」 

「もう、騒がしいわね。研究に必要なのよ。……何勘違いしてんの?」

「あ、あー」


 なんだ、そうだったのか。すごい納得した。

 そうかそうか、じゃあすぐに済ますとしよう。研究には協力しないとな。


「…………」


 え……? セイ、シヲダス? せいしを、だす? 精子を……出す……だとぅ!?

 えっと……その任務完遂の為には、ある行為を行なわないといけない訳で。それは男性特有の性処理でありまして、あまり直接的な表現は伏字にしないといけない訳で。このくらいならと思い、マスターベーションあたりの表現で留めておこうと愚考したのでありますが、どうですか?


「ほら、パパッとやっちゃって」

「いや、その。……ここでですか?」

「ええそうよ。あ、そうそう、これ使ってね。はい」


 小さめの紙コップを手渡される。アリサさんが普通すぎたので思わず受け取ってしまった。

 いやいやいや、無理無理! アリサさんに見られるとか死ねる! 母さんに見られた時より死ねる!(経験談) 


「どうしたの? なんか顔色悪いけど」

「なんでそんな普通なんすか!? で、できるわけないでしょうが!」

「え、なんで? もしかして出してきたばかりだからもう出ないとか? 大丈夫大丈夫、完全に枯れるのは病気か老衰が主だから、常に幾らかのストックはあるものよ。若いんだから連続でも大丈夫」


 ははっ、なんか一周して楽しくなってきたダス。


「は、恥ずかしいから出来ないんですよ! ……あ、もしかして、やり方とか知らずに言ってます?」

「知識としては知ってるよ。――――を――――したら快楽を得て――――が出るんでしょ?」

「分類が変わるから本当にやめて!」


 この人は知識だけなので、それが男性にとって恥ずかしい行為だという考えが無いようだ。でも目の前でやられると、女性も絶対恥ずかしいと思うんだが。


「一度見てみたかったのよねー」


 ダメだ。せめて一人でやって提出という方向に持っていかないと。……って、それでも充分きついだろ。


「宗一君、これは必要な事なのよ。あなたの遺伝子を後世に残す価値ありと判断……していいものかはまだ分からないけれど、貴重である事は間違いないわ。だから精子を採取して保存しておくの。分かる?」

「言ってることは分かりますけど……。じゃあ一人でやって持ってきます。それでいいでしょう」

「えー、見せてくれないの?」

「そこはあんたのわがままでしょうが!?」

  

 学者なんて大嫌いだ。滅んでしまえ。


「そういえば宗一君」

「……なんすか?」

「今までどうしてたの? 精子は定期的に処理しないとダメなんじゃないの?」

「ああ、それはトイレに入って想像とかで……ってしまった自爆したああああああ!」


 ここにはいわゆる『おかず』が皆無。女性ばっかりなので当然の状況なのである。となれば、想像がメイン。遼平にこの時代ではお宝にも等しいエロ本を借りた事もあるが(あいつもやはり男だ)、置き場所に困るので……って、俺は何を独白しているんだ?


「想像って何を? いえ、ここはむしろ誰をと訊いてみましょう」

「質問のハードルたっけぇ!?」

「うん、わかったわ。じゃあちょっと待っててね」

「?」

 

 アリサさんは携帯電話を取り出し、どこかに連絡を取っている。

 嫌な予感しかしなかったが、言われたとおり待つことにした。


 

 ……。 



「これで大丈夫でしょ。はい、どうぞ」

「なにが大丈夫なのかを小一時間ほど議論したい!」


 アリサさんの部屋に招集された、紗枝さん、縁、有原、立川。

 一番納得できなかったのはリナまで居る事。俺はそんな幼女まで守備範囲だと思われてるのか……。


「私の下馬評では、縁が七割を占めてるんじゃないかと予想してる」

「がふぅっ」


 単勝オッズ1倍台、ガチガチの本命だった。間違っているのは割り数だけだ。(もっと高い)

 はっは、勝負師じゃねぇなぁアリサさん。早く殺せよ。

 

「おいアリサ、何の用件だ? 私は忙しいんだぞ」

「なに言ってんの紗枝ちゃん。宗一君の研究は最優先事項でしょ」

「む……。だったら早く用件を言え」

「宗一君の精子を採取するの」

「ふぐ!? ごほっ! ぐほっ!」

 

 紗枝さんの気管に何かがインサート。有原、漫画のようなずっこけ。立川は紗枝さんの背中をなでなで。縁は何故かワクワク顔。リナは頭の上に?。そんな五者五様の光景だった。


「せいしってなぁに?」

「はいはい。お子様は退場ね」

「な、なによーー! あたしも混ぜてよーーー!」


 リナを部屋の外に追い出そうとしたが、駄々っ子の反撃を喰らい断念。

 その間、アリサさんが今回の研究内容を皆に説明していた。


「は、話は分かったが、何故私達が必要なんだ?」


 懸命に自分を立て直そうとしている紗枝さん。顔が引きつっている。


「宗一君は誰かを想像しながらマスターベーションするらしいの。だったら本人がいたほうがやりやすいと思って。あっ、もしかして人違ったかな、宗一君」

「俺はか弱い女性でも殴れてしまう新俺を発見してしまいそうです」


 アリサさんは研究の事となるとネジがぶっ飛ぶんだろうか? 今までもそんな傾向はあったけども。

 いや、待てよ……。そもそもこの時代の女性を俺の観点で見てはいけない。彼女達の態度から察するに、恥ずかしい事だと認知していないと思われる。この空間で俺的にまともな反応は、紗枝さんと有原だけだ。


「……よし」


 ふっふ。そうと分かればこちらにも勝算あり、だ。

 俺はゆらりと椅子から立ち上がる。


「ちょ、ちょちょちょっと宗一!」

「や、やめろ!」


 俺の開始の合図にテンパったのは予想通りの有原と紗枝さん。二人とも瞬時に顔を背けてバックステップ。だがターゲットはこの二人以外だ。どんなに恥ずかしい事か思い知らせてやる。


「では、いきます」


 大げさにベルトに手をかける。カチャカチャと金具の鳴る音がした。

 すると、それまで興味津々だった縁とアリサさんの顔色がみるみる変わっていく。てか縁は何もわかってなかったな。


「あの……宗一君、な、何してるんですか?」

「え、えっとー……宗一君、やっぱり提出でも構わないわよ? と、というかぜひそうしましょう。うん、それがいいわ!」

「いえ。もう腹は決まりました。ここでやります」


 ズボンのボタンを外し、チャックを徐々に下ろしていく。


「ま、待って! 私が悪かったわ! 宗一君の反応がいちいち馬鹿っぽくておもしかったんだもん。だ、だからね、その、いつものおちゃめでかわいいアリサちゃんの冗談だから許して、ね。……てへっ」

 

 イラッ。


「ぎゃあああああああああああああああ!? へ、へんたいぃぃいいいいいい!」

「い、いやああああああああああああああああああ! おまわりさあああああああん!」


 狂喜(?)乱舞するアリサさんと縁。バタバタと俺から遠ざかっていく。

 ククク……。これがお望みの姿なんだろう? もっとよく見なくていいのか? そんな風に目を瞑ってちゃ見えないじゃないか。


「やめっ! やめろ!」 


 医学書やらペンやらが飛んでくるが、今の俺にそんなもの効かない。……い、いたいいたい。

 散々辱めてくれた報復だ。もっとギリギリまで脅してやる。本気ではやらないけど。てかやれない。俺はそこまで自分を捨てれない。

 だがこの勝負、どうやら俺の勝ちのようだな! ふっ、ふはは……ふあーーはっははははははは!


「宗一さん。はやくはやく」

「トイレいきたいの?」

「……」


 立川とリナが俺の下半身を覗き込み、続きをいまかいまかと待っていた。こけしの目が異様に輝いている。

 失念していた……。ここには俺の常識を超える感性を持つアホが二人程いるんだった。

 すでにチャックは全開。後はパンツをずり下げて、愚息を取り出す所まで来ている。それを興味深々に覗き込む少女達。いろんな意味でギリギリだった。


「……おぐ!?」


 魂を売るべきか葛藤している最中、息子が激痛の悲鳴を上げる。

 辞書並に分厚い本が、ドサッと足元に転がった。

 

「ナイス、コントロール……がはぁ……」


 目を瞑っていても命中させる縁パネェ……。

 後日、俺は紙コップを持って泣く泣くトイレで…………いや、もう何も語るまい。

 

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