第41話 郷愁
ホテルから出発した五台の黒塗りの車が、俺の乗っている車にピッタリと張り付いて併走している。護衛なのだろうか? この真昼間から、恐ろしいほど厳重に警護されているのが分かる。
車内には俺、アリサさん、紗枝さん、西園さん。そして明らかに軍人然とした運転手。確かに、これだけの要人が揃えば警護も厳しくなるだろう。西園さんはよく分からないけど、本命は多分、俺なんだろうな。
首都である東京が過疎化している不思議な光景を眺めながら、隣に座るミカリンの電波を受信拒否して一時間、目的地に到着。
海がすぐ傍にある建物は、白を基調とした外壁から何かの研究所かと思ったが、すぐその考えが訂正される。なんというか、メチャクチャでかいのだ。流石に栗原の基地とまでは言わないが、基地内にあるどの施設よりも大きい。明らかに通常の建物の範囲を超えている。パッと見だが、東京ドームとか競技場の広大な敷地面積に十分匹敵するだろう。
「では、これより実験を始めまーす」
緊迫感のない間の抜けた声に、ズルッとこけそうになる紗枝さんとアリサさん。
もう俺は西園さんの言動には驚かない。たった一週間くらいだが、俺は彼女を完璧に把握したと言ってもいいと思う。このくらいで冷静さを欠いてはやっていけない。
「でもまだ準備できてないのよねー」
「どっちなんだよ!?」
いかん。突っ込んでしまった。
全然対応できてないぞ俺。冷静に、冷静に……。
「というわけで、三人には実験の説明をする為にこの部屋に集まってもらいました」
馬鹿でかい施設に入ると中はドーム式の競技場そのものだった。恐らく、以前は国競的な競技場かなにかだったんだろう。しかし、中の様相は本来の役割から程遠い。
グラウンドやトラックは全て灰色のセメントで上塗りされていて、とてもスポーツ競技をする場所にはなっていない。観客席であっただろう場所も、全ての椅子が撤去されており、もの寂しい雰囲気になっている。
それを横目にして、俺たちはすぐ脇にある一室に通された。特に何もないその部屋で、なぜか西園さんが主導権を取り出したのだ。俺は得意気になにか喋っている西園さんをスルーして、かねてよりの疑問を問うことにする。
「ちょっといいですか?」
「なにー?」
「いえ、ミカリンには言ってません」
「ぶー」
あんたと話すと脱線するからイヤなんだよ。アリサさんと紗枝さんに訊くんだから邪魔スンナ。
「この人、何者ですか?」
「え? ……宗一君、あんなに一緒に居て知らないの?」
「……」
ほんとだー……。
「彼女は今、日本で最も権威ある物理学者、ノーベル物理学賞も受賞した事がある西園博士」
「え……? え? ぅえぇぇぇええええええ!!?」
「ちょ、ちょっとちょっと……それ、驚きすぎじゃない?」
少し傷付いたような、素の表情で突っ込んでくるミカリン。
いや、驚くだろう。行動と言動からアホ成分をひくと、何も残らないだろうこの女が物理学の権威?
ありえねぇ……。いや、むしろありえるのか? 天才ってやつは変態と同義と聞くし。
そうか。小さい頃から勉強ばっかりやってたから、こんなに残念に育ってしまったんだな。……可哀想に。頭を撫でてやろう、よしよし。……うわっ、髪ゴワゴワだな。
「アリサさん、殴って良い? この失礼な男」
「お好きに」
「ごぶっ」
ぼ、ボディ……。なかなか腰が入ってる。一瞬息が止まったわ。
「――の娘だ」
「……は?」
「だから、西園博士の娘だ」
え、娘……? そういえば、紗枝さんの説明の途中で驚きまくったので、最後まで聞いてない。
なんだ……。日本で最も権威のある物理学者、ノーベル物理学賞を受賞した人。……の、娘。そっかそっか、納得した。だって若すぎるもんな。
「何よ? そのスッキリしたーって感じの顔は?」
「いやー、ははは。だってスッキリすると気持ち良いじゃん」
「くっ……何こいつ……。いきなりタメ口になったし。む、むかつく……」
「よく考えたら年もそんなに離れてなさそうだし、キャラ的に敬語はおかしいかなと」
「くぅぅぅ……。ほ、ほんとにむかつく男ねぇぇええええ」
ギリギリと歯軋りして悔しがっている。ちょっと楽しくなってきた。
「ん? でも、ちょっと待てよ。何で物理学者……の娘が、国際遺伝子研究センターに? この人、人質になってたんですよね? 関係ないような」
「関係はある、というかいて当たり前だ。母が物理学者というだけであって、娘の美香はそこの職員であり、この研究チームを主導している一人だからだ。テロがあった日は実験の会議もあって、西園母も研究所に呼ばれていた」
「よくこの実験の情報がテロリストに漏れませんでしたね」
「会議が始まる前だったのが幸いしたな。それに、まとめていた情報やデータは研究センターには持ち込まず直接ここに送る手筈だった。まぁ、何の実験かはもう漏れてしまったがな」
そうだ……。アリサさんがテロリストの前で言ってしまったんだ。……俺のせいで。
「なによ?」
こいつは親子揃って運悪くテロに遭遇したって訳か。
可哀想に……。もう一度頭を撫でてやろう。……あ、避けられた。
「え~ん、アリサさ~ん。タツミーが虐める~」
「そ、そう……」
困惑気味のアリサさんの胸に顔を埋める。くそっ……別に羨ましくなんかないぞ。というかあんたアリサさんと同年代だろう。多分。
傍観していた紗枝さんが業を煮やしたようで、西園さんを鬼の形相で見下ろして言う。
「……遊んでないで、早く説明しろ」
まさに脅したという表現が的確だ。関係ない俺まで姿勢を正してしまった。本気で泣き出しそうなミカリンがひとしきり震えた後、やっと本題がスタートした。
「では、実験の概要を説明します。えっと、今回はカーズの絶対防護壁となっている粒子遮断フィールド、またはP.Iフィールドの発生実験です」
「ええ!?」
「はいそこ、口チャック」
説明が終わるまで黙っているつもりだったが、これには驚きを隠せなかった。紗枝さんとアリサさんは事前に知っていたのか、特に驚いた様子はない。
「この実験で得たい情報は、フェールドの耐久性やエネルギー消費量などなど、いろいろありますが、一番の要となるのは認証システムです」
「認証……ってなんだ?」
「まったく、黙ってられないのかしらタツミーは。いい? カーズは誰も手の届かないフィールドの中にいるよね? カーズはそれでいいかもしれないけど、人類を直接攻撃してくる赤目はフィールドから出てこないといけないよね?」
「赤目は出たり入ったりできるんですか?」
「それはそうよ。偵察衛星からもその現場が確認されてて、真っ黒の壁から生み出されるように赤目はP.Iフィールドを通過してきているわ。そしてそれは入っていく時も同じ。でも私達人類が近付けもしないということは、なんらかの認証システムで赤目以外を弾いてるということね。どうやってそれを判別しているのか、それを解明できればフィールドの中に入る事も可能って理屈」
それができればこの圧倒的劣勢に晒されている戦況も、防衛しか選択肢のない戦術も大違いになってくるだろう。その方法を確立できさえできれば、こちらから打って出ることも可能なのだ。
でもそんなことができるなら今まで苦労していないだろう。
「私と母が推測したP.Iフィールドの認証システムは、ずばりバイオメトリックス認証」
「バイオって、つまり生体認証ってこと? もしかして、指紋とか声紋とかのあれ?」
「その通り。でも、P.Iフィールドの認証システムはそんなに甘くできていない。母の推測によればおそらく、遺伝子そのものを認証の対象としている。塩基配列レベルで0.1%の誤差すら許容しないでしょう。人類には真似できないテクノロジーね」
そ、そんなの、分かったところでどうしようもないじゃないか。
少し考えただけで、赤目の遺伝子を完全にコピーしたクローンを作りだし、フィールドを突破するという案は出てくるが、その赤目の遺伝子の解明に至っていない現在では机上の空論だ。
「だから、辰巳宗一君。ここからあなたの出番なの」
「え……?」
「あなたは、あのフィールドを突破できるはずよ」
声も出なかった。西園さんの口から出てきた言葉は、しばらく思考する事を許してくれないほど衝撃的だった。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。それを言っているのはあんたの母さんなんだろ? その人は……?」
そうだ。さっきから彼女は母の代弁者として喋っている。物理学の権威である西園博士がそれを言うなら信頼性があるが、何故その娘なんだ? だいたい西園博士は何故この場にいないんだ?
「……ん? あ、ちょっとタンマ」
不意に電話の着信音が空気を切り裂いた。携帯をポケットから取り出し、話し始める西園さん。
「……ごめん、タツミー。今日はこれでお開きね」
「は?」
「ごめんなさい。紗枝さん、アリサさん」
「……行って来い」
「はい」
電話を終えて急に終了宣言をしたかと思えば、どこかに小走りで行ってしまった。
二人は何か分かっていたようだが、俺にはさっぱり状況が分からない。
「あの人どこに行ったんですか? それよりもあいつの母さん、……西園博士は何故ここにいないんですか?」
「美香は病院に行ったわ。西園博士の所へね」
アリサさんが西園さんの出て行った扉を眺めながらそう答えてくれる。
「病院? 何か患っているんですか?」
「ふぅ……。察しが悪いわねぇ、宗一君は。彼女はテロ事件の人質だったのよ?」
「それは知ってますが」
「娘のほうじゃなく、母親の事よ」
あ、そうか。さっきそう言っていたな。親子で人質として拘束されていたんだ。
娘は人質交換で無事救出されて、母親は今……病院?
「宗一、覚えてるか? 条件が整い次第、突入すると言っていたことを」
覚えている。テロリストの立て篭もる研究所への突入条件のことだ。
「占拠された国際遺伝子研究センターへの突入条件は、西園博士……つまり美香の母親の救出後。そして全てはそのための人質交換だった」
テロリストが言っていた要人とは、日本の物理学の権威である西園博士の事。そして、他の人質を犠牲にしてまで、その人を救出しなければならなかった。何故なら西園博士は、この実験を主導していた人だからだ。
「だが、日本人なら誰もが知っている西園博士を、テロリストが解放する人質に選ぶ訳が無い」
「じゃあ、残った人質の中にいたんですか?」
「そうだ」
爆破され、真っ黒に焼け焦げた、あの部屋に……?
「テロリストが西園博士を解放しないのは分かっていた。だがそれが奴らの盲点を突く結果となった」
「盲点……?」
「奴らは彼女だけを要人だと勘違いし、人質として一番価値があると判断した。ノーベル物理学賞受賞者、日本で最も権威のある博士。そう考えるのも無理はない。だが、政府が最も護りたかった物は、この実験成立の鍵。それだけだ」
「その鍵は……まさか」
「そうだ。西園博士本人、もしくは母の研究を引き継いでいる娘の西園美香だ」
俺の知らなかった物語に、世界が反転したような気分になった。
西園美香は人質交換に選ばれた。だがその母親は残され、親子は対称的な結末を迎えたのだ。
母の研究を引き継いでいる娘が助かれば、この実験は成立する。そして実験の成否は、劣勢である対カーズ戦の希望となりうるかもしれないのだ。だが、そんなことをあの場でテロリストに説いたとしても、聞き入れられる事はなかっただろう。アリサさんの言葉に耳を貸さなかった事で、それは証明されている。
「西園博士の……容態は?」
俺は愚かにも口にした。答えの分かっている問いを。
「今日まで、よくもったほうだな」
女性を憎悪し、悲しい選択をしたテロリスト達。なにをおいても実験成功を優先し、主導した政府。
一体何が間違って、同じ方向を向いている仲間を、志を共にする同胞を、犠牲を覚悟してまで殺しあわないといけなかったのか。
全ての原因は、唯一つの歪みのはずなのに。
◇◇◇◇◇◇
あれからすぐホテルに戻り、俺はベッドで仰向けになって天井を眺めていた。
実験は後日、用意が整ってから行われる事になった。紗枝さんが言っていた運び込んだというのは、P.I フィールド生成の為の実験機材の事であり、西園さんはこれからあの馬鹿でかい実験場に缶詰になるとの事だ。
こうやって寝転がったまま、もう何時間になるのか。昼過ぎに戻ってきた筈なのに、気付けば太陽は室内を赤く染め始めている。
「…………」
体中に名状しがたい膜が覆っている気分だ。
俺が今まで見てきたこの時代には、もう修復不可能とも言える溝が出来ている。つまるとこ、あのテロリスト達も、世の女性達の代表である政府も変わらない。互いに憎しみぶつかりあう事で、自我を守っているんだ。どうしようもない現実から目を背ける為に。
自分達はどちらを向けばいいのか。そんな子供でも知っていることを痛いほど理解した上で。
「……ん?」
ノック音に、何時間ぶりかにベッドから体を起こす。
誰だろう? 鍵はしてないし、勝手に入ってくる人ばかりの筈だけど。はいはい、今開けますよ。
「……西園さん、どうしてここに? あの実験場に篭るんじゃなかったんですか?」
「こら、ミカリンでしょ。いやぁ、説明が中途半端になっちゃってたから、実験場に行く前にタツミーに個別に説明しようと思ってやってきたのだ。入って良い?」
「え、ええ……。どうぞ」
「お邪魔しまーす」
元気だ。異様なほどに。
西園博士はどうなったんですか? その質問をすんでで飲み込む。
「ではまず、どうやって私達がP.Iフィールドを生成するか、なんだけど。これはあなたが発見された時に入っていたカプセル状の地球外物質を使います」
「は、はあ!?」
「……本当に何も知らないのね、自分のこと。はい、写真」
懐から出してきた一枚の写真を受け取る。
写真には半透明の試験管のようなものが映っている。大人一人が余裕を持って入れるような大きさだ。
「写真に写ってるのは空だけど、以前このカプセルの中に入っていた液体の成分は、アミノ酸を始めとする人間の成長に必要な栄養素。そして適切な浸透圧と水素イオン濃度。その他、未解明の成分もあるけど、植物を培養するクノープ液に酷似しているわ。私たちが医療で使うものとは少し違うようだけど、これはカーズ式の人間培養液ってとこね」
「もしかして……この中に俺が?」
西園さんの説明をなんとか聞き逃さずも、写真から目が離せない。まるでホルマリン漬けの死体が入っている試験管のようだ。半透明のそれがガラスなのかなんなのかも分からない。
そしてなによりも異様に感じるのは、その周りにある物質だ。土とも石とも鉄とも呼べないような無機物が、試験管のようなカプセルの下部から半分くらいを覆うように囲っている。その物質は俺の腰くらいの高さで、なんらかの規則性を感じさせる並びになっている。明らかに自然物ではない造型であり、人間的な認識で言うのなら幾何学模様を連想させる。
「樺太の『C-16』をアメリカが核攻撃したのは流石に知ってるわよね?」
「え、ええ。たしか二十年くらい前のことですよね」
「そう。アメリカの攻撃後、拠点から半径500kmは汚染され、立ち入る事が出来ない第二種危険指定区域になった。そしてそれから二十年、汚染が拡散した事で西暦2064年、つまり去年にその区域の探索が可能になったの。そして拠点の中心部分であなたを発見した当時の状況では、その周りに小型のP.Iフィールドが展開していた」
「……!」
次々と俺の知らなかった事実が明らかになる。頭をついていかせるのがやっとだ。
今まで紗枝さんやアリサさんが話してくれなかった機密をぽんぽん喋っているけど、大丈夫なんだろうか? ここまできたら隠す意味もないということなのか。
「発見した当時にはもうエネルギーが尽きていたんでしょうね、少しの干渉で消滅したらしいわ。恐らく、拠点を爆破されて二十年間、小型のP.Iフィールドはあなたを守っていたんでしょうね」
そう、なんだろう……。空気を一息吸うだけで即死すると言われている汚染地域のど真ん中で、人間が生きていていい理由など無いのだ。
「あなたが目が覚めたのはいつだったか覚えてる?」
「え、っと。たしか西暦2064年の4月15日です」
「うん、正解。あなたが発見されたのは西暦2064年の3月10日。その間は栗原基地の研究所で、あなたを収容していたの」
なるほど、だから紗枝さんやアリサさんと知り合いなのか。
「ここまでで推測できる事その一。あなたは二十年前の時点では、カーズにとって特別な存在だった」
それは、そうだろう。数多いる男性の中で、俺だけが個別で守られていたのだ。これが特別でないならなんだって言うんだ。
「その二。あなたの遺伝子配列が赤目に近いのは、あなた自身が赤目だから。もしくはそれに近い存在だから。操作されていないのは、操作を施す前段階でアメリカの攻撃を受けたから」
否定できない。俺の目が赤くない、つまり肉体改造されていないのも、その予測がピタリと嵌る。
「その三。あなたはタイムスリップしたのではなく、五十年もの間保存されていた」
やはり、それが真相なのか……? それ程のテクノロジーを持っている地球外生命体なら、その技術を予想するのは自然な事だ。でも、何故だろう? 心では納得しながら、どこか腑に落ちないものがある。
「でも三つ目は……むぅ……。まぁ、今は置いておきましょう」
え……? 俺と同じように、西園さんも腑に落ちていない様子を見せる。だが聞き返す間もなく、話は進んでいった。
「結論として、あなたはP.Iフィールドを通過できる」
その通りだ。少なくとも、俺が守られていた小型のP.Iフィールドを通過できないと予測するほうが不自然になる。だから実験で確証を得たいのだろうが……。
「そのP.Iフィールドを人間が発生させることができるんですか?」
「……ええ。お母さんが、その技術を確立させたわ。今はまだ実証はしてなくて理論だけになるけど、たしかに成功してる。その写真に写ってる装置で発生させるのよ」
試験管のようなカプセルの周りにある筒状のものがフィールド発生装置なのか。
流用は当たり前だ。そうでもしないと人類には不可能な技術なんだろう。
「でも、まだ研究は途中なの。タツミーがP.Iフィールドを突破できたと仮定しても、それだけじゃ不十分。それを解析して活かせるようにしないといけない。その方法の確立が私の仕事」
これか。紗枝さんはこの実験を成立する鍵が西園美香であると言っていたが、厳密にはその先。母の研究を引き継いだというのはこういう事だったんだ。そしてそれが第二の西園博士である彼女でないと不可能なものなんだろう。
物理学者の西園母がフィールド生成の理論を構築し、娘が遺伝子解析の側面でフォローする。親子二人で一つの目的に向かい、研究チームを引っ張っていたんだろう。
「はい! これで説明は終わり! だから実験に協力してよね、タツミー!」
「あ、ああ、はい。分かりました」
終了の合図のように、パンと手をひとつ叩いて空気を切り替える西園さん。と、同時にベッドに寝転がり、ルンルン気分で手に取ったリモコンでテレビをつける。
「あ、あのー」
「んー、なぁに? あ、エマよ、見て見てタツミー! マジ天使! マジ女神! きゃーーー!」
「じ、実験場に行かないんですか?」
「こうやって被験者と接するのも実験のうちよー。って、そんなことより見て見て、ほらあ」
そんなことって……。
「ちょ、うるせぇ! ボリュームあげすぎだろ!」
テレビの向こう側の人物に興奮した西園さんが、音量+ボタンをベタ押し。スピーカーから流れてくる歌は、部屋中どころか隣室にも余裕で聞こえるだろう音量になっている。多分、外にいる監視の人達も何事かと思っているだろう。
あまりにうるさすぎて、流れてくる綺麗な歌声が雑音と化してしまい、台無しになっていた。
「おい! リモコンよこせ……――!」
取り上げようと伸ばした手が固まってしまう。
しばらく放心した後、俺はベッドに寝転がる西園さんに背を向け、
「飯、食ってきます。ここのホテルのバイキング結構うまいんですよ。ミカリンも気が向いたら後できてください」
と言い残し、部屋の出口に足を向ける。
本当なら食事は監視の人が部屋まで運んでくれるので、わざわざ行く必要は無い。監視されながら食事なんかしたくないので、好きにしろと言われていたものの、食べに行くのはこれが初めてだ。うまいかどうかなんて分からない。
「……ん」
西園さんは枕に顔を押し付けつつ、出て行く俺に見えるように親指を立てていた。
「ちょっと宗一、何事?」
お、有原だ。部屋を出た瞬間、見慣れた二つの顔が飛び込んでくる。今日の監視は有原と立川だったようだ。
いきなりの大騒音に驚いただろうな。全然顔を見ないと思っていたけど、こんな近くにいたんだな。
「AV鑑賞中にヘッドホンの端子が抜けてしまったんですね。フィニッシュ後ですか? 前ですか?」
うん。
「あぁ~~、痛い、痛いですぅ。……えへへ」
こけし頭をガッと掴み、こめかみをグーででグリグリしてやる。痛がるも不気味に笑う立川。
いやほんと、こえーんですけど……。
「タイミング良かったな、飯食いに行こうぜ。って言わなくてもどうせ着いてくるんだろうけど」
「それはいいけど、テレビくらい消してきなさいよ」
「あー、気にするな。あのテレビ、消せないんだ。いいから行こうぜ」
不思議顔の二人の背中を押して歩いていく。
その間、文句を言う有原の声を掻き消すくらい大きな歌声が、ホテルの廊下に響いていた。
◇◇◇◇◇◇
『Particle interception field』
略称、P.Iフィールド。日本語訳、粒子遮断領域。
西暦2012年に飛来した、地球外生命体カーズの絶対防護壁。
直接的な赤目の攻撃力はもちろんの事だが、一番の脅威はその防御力だろう。
人類は種の繁栄を築く為に繁殖せねばならない。子を産み、育てるしかその方法は無いのだ。しかし人間を操作し尖兵とするカーズを相手にしては、繁殖する事で人類側から兵士を献上しているのと同義になっている。その悪循環を叩く為にはカーズ本体、つまり根元を排除するしかないが、不可侵の領域が人類側にそれを許さない。
二十年前のアメリカの核攻撃による人類初の拠点破壊は、後に数々の痛手を負うことになったが、快挙と呼んで差し支えないものだ。その瞬間だけは人類の誰もが歓喜し、希望を胸に抱いたことだろう。しかし、至った偉業の内実を知ると、誰もが違う印象を受ける。
熾烈を極めた人類初のカーズ拠点殲滅戦は、当時アメリカが保有する核兵器の三割と、航空戦力の六割を消費した。これはたった一つの拠点を潰す為には破格の被害であり、他国であるアメリカには許容できない損失であることは疑いようが無い。これにはアメリカが自国の国土にはないカーズ拠点を制圧する事で、国際的に優位に立とうとした思惑等が背景にあるが、今はおいておこう。
アメリカが攻撃した樺太拠点は『C-16』。そして北海道にあるカーズ拠点は『C-14』。
Cはカーズのスペルの頭文字を示すものだが、後の数字にも意味があり、その基準の元で序列を打たれている。
アメリカが航空戦力の大半をつぎ込んで壊滅させるに至った『C-16』は、地球上にある24ヶ所のカーズ拠点の中で『16番目の規模』と言う意味なのだ。つまり、拠点の大きさという意味で、これより上がまだ15個あるという事実を示している。
それ以来、カーズ拠点への攻撃は、史実には書き足されなくなった。当然それには、後の大規模汚染を考慮された苦渋の選択だったが、もっとも根源的な理由はこうだ。
『相手の16番目の戦力に、こちらの1番の戦力が、相打ちも同然の結果だった』
まさに、絶望だっただろう。
当時の人達は、一体どのようにその事態を捉え、受け入れたのか。想像するだけで胸が軋む。カーズ拠点壊滅という初の快挙と同時に、人類は唯一人の例外も無く敗北を悟った。
文字通りその瞬間だけの、歓喜と希望だったのだ。
「電力の供給量、冷却装置、磁場発生位置、重力偏差、理論値よりオールクリア」
競技場の広さを持つ実験場全体にアナウンスが流れる。そのただっ広い広場の真ん中にぽつんと置かれている、写真で見たP.Iフィールド発生装置に、いくつもの配線が繋がっているのが見える。
高さ1m弱、上から見た筒の直径は80cmくらいだろうか。真ん中にあった試験管のような人間を入れる箱がないだけで、それ以外は写真と変わりない。地球外物質としか分かっていないその幾何学模様状の物質。人間が入る事ができるくらいのアーティスティックな筒状のそれは、公園にある遊び心満載の遊具のようにも思える。
その物質にエネルギーを供給する事で、P.Iフィールドを発生させようという試み。その技術確立のほとんどは、西園博士が構築したものらしい。
発生エネルギーには関東圏を一時停電させなければ賄えないほどの電力が要求された。そしてその膨大な電力量でのフィールド維持時間は、理論値で5秒弱という試算になっている。
俺の立っている正面。距離にして300m程先に、人類初のP.Iフィールドが展開される。その短い時間でどれだけフィールドに近づけるか、それをこの実験で検証するのだ。
補足として説明された事だが、この距離を保っているのには意味がある。本来ならば、この距離でも普通の人間がこの位置に立っていると、フィールドの放つ圧力に吹っ飛ばされてしまうらしい。フィールドの壁面に触れる人間がいると仮定するならば、その人は原子レベルで圧縮、もしくは拡散してしまうだろうとの事だ。
つまり、俺が立っている位置で、人間はギリギリ生命を確保していられる。それがたった直径80cm、高さ1m弱の筒状の装置が発生させる、P.Iフィールドへの試算評価だった。
「A count is started」
P.Iフィールドの全容は今をもって不明の領域が大半を占めるが、光をも曲げる程の干渉力はこの宇宙に幾つもなく、科学者達の着目は大規模質量と、未解明の暗黒物質の二点に集まっている。そしてその二つに共通するものは、どちらも圧倒的な超重力を持つという事だ。
すぐに連想されるのはブラックホール。宇宙に数知れぬほど点在しているその天体は、太陽の数十倍という超質量の恒星の成れの果てだ。超新星爆発により圧縮された星の中心部が、通常では考えられないほどの質量と密度で、全てを飲み込む重力を生み出しているとされている。そしてその崩壊した重力は、光が外に逃げる事すら許さない。物理法則の全てが当てはまらない事象の地平線として、宇宙を漂っている暗黒の虎穴。
「―― Nine, Eight, Seven, Six……」
しかしP.Iフィールドは周囲の物質を飲み込まず、かといって必要以上に遠ざける訳でもない。それほどの超重力を発生させながら、只そこに存在する壁のように聳え立っている。
いかなる道理と理屈と摂理と法則でそれがそこに存在しうるのか、人間の概念では計り知れようはずも無い。それはまさに神域の技術であり、計り知れないテクノロジーであり、事象を超越した埒外の領域に違いない。
これが最大の脅威でなくてなんと言うのか。
「Five, Four, Three」
強化ガラス越しで動向を見守る紗枝さん、アリサさん、西園さん。そして世界中から集まった多数の科学者や、国の中枢に位置するだろう要人達。その誰もが息を呑み、事の成り行きに注視している。中には手を組み、神に祈りを捧げている人も見える。
これから彼らの目の前で起こることは人類には未知の領域であり、これだけ近くでフィールドを目にするのは間違いなく初めての事だろう。赤目でない常人であるならば、フィールドの際にも辿り着けないのだ。彼らの目は何も逃してなるものかと、状況を脳裏に焼き付けている。
「Two, One――」
だから気付かないだろう。……気付けない。
誰もが息を呑む傍ら、希望という名の重りを巻きつけられた人間が、場違いな自問をするのみだった事を。
「――Expansion」
何故俺は今、こんなにも懐かしさを感じているのか――。