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2 : 8  作者: 松浦アエト
38/46

第38話 理解と不理解


 護衛の皆に見送られながら、交渉の為に用意されていた一室に通される。


「頼んだぞ」

「はっ」


 その部屋の前に門番のように陣取っていた二人の女性に、牧野副長官は何かを指示していた。

 横目でチラリとそのやりとりを見た後、俺とアリサさん、そして牧野副長官と共に、通信機が設置されている部屋に入っていく。


「……紗枝さんは?」

「現場で指揮を取ってるわよ」


 対策本部に来て以来、姿を見ていない紗枝さん。この緊迫した状況で気になるのは、どうしたって知り合いの事。


「大丈夫よ。もしテロリストが攻撃してきても、紗枝ちゃんがやられるなんてありえないから」

「ふっ。天地が引っくり返ってもありえないな」


 意外にも牧野副長官が食いついてきた。全幅の信頼というか、理不尽なまでの戦闘力への敬意というか、牧野副長官の含み笑いの意味を考えると、安心と共に恐ろしく感じてしまう。


「このマイクに向かって喋れ。テロリストとの通信は私達にも聞こえるようにスピーカーから流す。防音は完璧なので気にする必要はない」

「防音って……この部屋がですか?」

「いや、外の二人だ。この部屋全体を音波遮断を行使するよう言ってある。テロリストとの会話を聞いているのは私達だけだ」 

     

 抜かりは無いと言わんばかりに、牧野副長官は少し得意気に言う。さっきの電波に続き、今度は音波への介入。フェイズ4の現象操作に当たる能力だ。

 音を伝達する空気の振動により鼓膜を揺らし、脳で認識する。その一連のプロセスを、現象操作で介入し不成立と成す。

 その証拠に部屋の扉を閉めた瞬間、外の喧噪の一切はなくなっていた。遠く聞こえ辛くなったのではない。室内以外では、俺の耳で捕らえる音情報は皆無。聴力をいくら強化したところで、無いものを聞き取る事は出来ない。完璧な防音だ。 


「始めるぞ。準備はいいか?」

「……」


 アリサさんを確認するように見る。本当に俺は、俺の思ったとおり喋って良いんだろうか?

 部屋自体を完璧に防音するという事は、それだけ機密レベルが高い筈なのに。

 

「好きになさい」

「……わかりました」


 マイクの位置に合わせる為、正面にある椅子に腰を下ろす。

 俺に何ができるか分からないが、やれるだけの事はやろう。


「それでは、通信を開始する」


 牧野副長官が通信機のスイッチを押すと同時に、スピーカーから雑音が流れてくる。しばらくの間を置き、やがて聞き覚えのある男の太い声が部屋中に響き渡った。


『こんばんは。辰巳宗一君』

「……こんばんは」


 ごく一般的な礼節から、交渉は始まった。

 テロリストは何の為に俺を指名した? そして何を要求してくる?


『君と話をしてみたかった』

「……何故、ですか?」


 慎重に言葉を選んでいく。その所為か、途切れ途切れの不自然な返答になってしまう。


『単なる興味だよ。もっとリラックスしてほしいな』


 無茶を言う……。俺の不用意な一言で、人質が殺されてしまうかもしれないんだ。緊張するなというほうが無理だ。


『そうだな……。辰巳君は、恋人なんかいるのかい?』

「は……?」


 場にそぐわなすぎる質問に、頭が瞬間的に白く染まった。テロリストの意図が全く分からない。

 確認するようにアリサさんと牧野副長官を見ると、二人とも八の字の眉が構築されている。彼女らも理解不能のようだ。

 

「恋人はいませんが……。好きな子はいます」

『そうか。その子はどんな子なんだ?』

「えっ、と……。普段は癒し系なんですが、頑固で融通がきかない面も持っていて……」

『ほう。それで?』

「ええと、なんて言ったら良いか……そうそう、強くて可愛い、つよかわいいというのが一番的確ですね。そんな珍しいジャンルで、俺の心をがっちりホールドスリーカウントしてます」

『ははっ、そうかそうか。辰巳君の嗜好はギャップ萌えという事か』

「いやー、自分でも最近気付きましたよー」


 はっ……! 俺は何を調子に乗ってペラペラと。今、会話している相手はテロリストだぞ?

 アリサさんが頭を抱えているのが横目で見えたが無視しよう。無視したい。


『辰巳君は酒なんか飲めるのかい?』

「この前、二十歳になったばかりなので少しだけですが」  

『そうか。今度、機会があればどうかな?』

「はぁ。……ぜひ」


 テロリストはその後も世間話程度の話しか振ってこず、その会話の必要性が見い出すことはできなかった。と、そんなやりとりを始めて二十分が経過。いつまでも進展しない会話に痺れを切らしたのは俺の方だった。 


「訊いてもいいですか?」

『ああ。構わないよ』

「何故、俺と話をしたかったんですか?」


 無意味な歓談にも意味があったのか、幾分和らいだ緊張感が俺の口を少しだけ軽くした。


『君は自分の知名度と価値をもう少し理解するべきだな』

「知名度と価値……ですか」

『そうだ。カーズ拠点跡から発見された唯一の人間。それが君だろう』

「っ!?」

 

 何故、知っている? その情報は軍や政府のトップレベルしか知らない筈だ。確認するようにアリサさんを見るが、その姿に動揺は見られない。まるで知っていて当然と言わんばかりだ。 


『どうして知っているのか不思議かい?』

「……はい」

『まぁ教えてあげもいいが、少し考えればすぐに分かることだろう』

「あなたは……いえ、あなた達は何者なんですか?」

『そうだ。君は中々頭が切れるね。ではもう一度名乗ろうか。我々は男性統一戦線だ』


 頭の中で仮説が浮かぶ。そしてその言葉の意味を考えると、答えをすぐに出す事が出来た。

 統一戦線とはつまり、異なる複数の組織や団体が連携して成るもの。そこに軍や政府関係者が混じっていても何も不思議ではない。テロの為に組織が存在するのではなく、テロは活動の一部に過ぎない可能性が高い。


『それに、ここの研究所にも君のデータが数多く残されているよ』


 国際遺伝子研究センターに俺の情報が?


『君は本当に興味深い存在だ。政府は君から新たな情報を手に入れようと躍起になっているみたいだが、成果はいまいちのようだね』

「……そうらしいです」

『もし君から対地球外生命体の有益な情報が得られるのなら、それはとても喜ばしい事だ』

「自分もそう思います」


 そうだ。その通りだと思う。テロリストといえど、カーズがこの世界の歪みの原因だと分かっている。


『私からも質問だ。君はこの世界を、どう見ている?』

「どう、見て……?」

『君の見たまま、感じたままでいい。話してはくれないだろうか』

「……わかりました」


 相手がテロリストであるにも関わらず、導かれるように心情を吐露してしまう。この時代に来てからの辛い出来事。その一部始終を、その時感じた思いと共に懇々と話した。

 機密に引っ掛かりそうな事を喋り出しても、アリサさんや牧野副長官から止められはしなかった。恐らく研究所にある情報に、その全てが記されているからなんだろう。もう彼はその情報を手に入れている。止める理由がないのだ。

 

 俺だけが一方的に喋り続ける中で気付く。今、俺の口から零れているのは、単なる愚痴なんだ。男が虐げられるこの理不尽な世界への愚痴。それを聞いて貰いたい人、話したい人は、やっぱり男なんだ。遼平にはあまり言わなかったのは、あいつにはこれ以上、女性を嫌って欲しくなかったからだ。

 この世界で一番この愚痴を零した相手といえば、やっぱり遼平の親父さんだろう。今はあの時のような、全てを優しく包み込んでくれるような安心感がある。


 この時代で心を許している女性達でも、俺との溝はどうしても埋まらない。虐げられた思いを共有してくれるのは、立場を同じくする人でないと埋まらない。

 だからこんなにも彼に話したい。俺の思いをぶつけたい。そして、受け止めて欲しいと思った。 

 

『……そうか。辛かったな』

「あ、すみません。……長々と」

 

 ハッと我に返り時計を見ると、この部屋に入ってから一時間以上が経過していた。

 

『辰巳君は私の想像以上の人物だったよ』

「どういう意味ですか?」

『良い意味だよ……。ふふっ』

「?」


 褒められたような気がするが、よくわからない。


『君は研究対象として日本政府の管轄に置かれている。繰り言になるが、君からこの人類劣勢の状況を打破する情報が出てくればこれほどの希望もない』

「そう、ですね。その通りです」

『だが、君の存在にはもうひとつの可能性が秘められていると私は思う。そしてそれは、君の希望に沿うものだと確信している』

 

 もうひとつ……? 以前、蒼井司令が俺に言い放った言葉を思い出す。   

 ――あなたの研究は地球外生命体に対抗する為のものであり、社会問題については無関係であり無力です。


 彼女はそう断言していた。しかし彼は、可能性はひとつではないと言う。俺に研究対象以外の価値を見出しているのだろうか。


「それは、なんですか?」

『……』


 ここで言うのは不都合なのか、自身で見つけないと意味が無いのか、彼がその答えを口にすることは無かった。

 もしかしたら俺にも出来るのかもしれない、そう思っただけで血の巡りが早くなった。心臓が徐々に鼓動を打つ速度を加速させていく。


「俺にも……出来るでしょうか?」

『ああ、出来るよ』

「基地からも満足に出してもらえない、こんな俺でも?」

『君にしか出来ない事がある』

「俺は、それを見つける事ができるでしょうか?」

『君ならきっと見つけるよ』


 それは口にすることすら躊躇われる妄想であり、世界に対抗すると言っても過言ではない暴挙であり、どこまでも子供っぽく恥ずかしい夢物語に違いなかった。


「俺は、自分の意志で闘えますか?」

『ああ。君なら、出来る』


 テロリストは語尾を強調し、力強く断言する。只の妄想でしか成立しない可能性を言い切ってしまう。顔も知らない彼の言葉は、本当にそう思わせる何かがあった。

 この時代で初めての経験だった。俺自身をこうも認めてくれる言葉をかけられたのは。

 

『……と、辰巳君。すまないがここまでだ、こちらも予定があってね』

「あ、はい」

『牧野副長官。聞いているんだろう?』

「……ああ。聞いている」


 真横に立っていた牧野副長官が前かがみになり、マイクに向かって返答する。

 彼女が対策本部長であるという情報を把握しているのも、このテロ組織が単なる暴徒ではないことを示している。背景に見え隠れするのは、やはり政府や軍といった巨大組織か。


「さっさと要求を言え」

『ほう。流石は国防省の切れ者と言われるだけあって、こちらの狙いはお見通しか。しかし、短気な振る舞いは自らの品格を貶める事になるぞ? それともそれも計算の内かな?』

「口上はいい。要求は何だ?」 

 

 俺に向けた優しげな口調は形を潜め、挑発的な態度を取るテロリスト。

 要求は全国放送で提示した三つではないのか? 牧野副長官は何を言っている?


『では単刀直入に言おう。要求は二つだ。フェイズ遺伝子操作の施術法、もしくはそれに関する知識を持つ国際認定医師。そして、生誕後遺伝子調査の個人情報だ』


 え……? 全国放送で言っていた内容と全然違うぞ。


「やはりあの要求は建前か」

『そういう事だ。これで政府の面目も立つだろう? そう仕向けてやったからな……くくっ』

 

 唖然とした。あの全国放送で大嘘を吐いたのか。

 そうだ。現実的にあの無茶苦茶な要求が通るとはとても思えない。政府に逃げ道用意して、本当の要求を裏で叶える。……策士。いや、狡猾という表現が的確か。

 

『しかし一杯食わされたな。まさかこの研究所がダミーだとは、政府もやってくれる』

「お互い様だ」

『だが、まだこちらに分があるようだ。人質に何かの要人でもいるのかな?』

「……無辜の国民に、要も不要もない」

『く、くく……。男は国民でないようで残念だ、くくく』


 研究所がダミー? 要人? 駄目だ……。何が起きているのか分からない。

 次々と俺の理解を超えたキーワードが出て来る。


『丸一日やろう。期限は明日の午前零時だ。それまでは、受諾の通信以外は一切受け付けない』

「……わかった」

『辰巳君』

「は、はい」


 急に呼びかけられ、ビクッと震える体で反応してしまう。


『理想を実現させるには何が必要だと思う?』

「なん、ですか?」

『……力だ』

 

 テロリストはそれだけを言い残し、通信は切断された。



◇◇◇◇◇◇



 翌日。午後十一時過ぎ。


 テロリストの設定した刻限まで後一時間を切っている。状況は何も変わっていない。いや、具体的な対策案も浮かばないまま、時間だけを消費している現状を考えると、状況は刻一刻ごとに悪くなっている。

 政府は一貫してテロの要求は飲まないという意思表示をメディアで公表しているが、それは表向きの要求の事なんだろう。あの裏で突きつけられた要求がどうなっているのか俺には分からない。

 重苦しい空気が支配した対策本部で待機していると、現場から紗枝さんが姿を見せる。

 

「紗枝さん……」

 

 いつもと変わらない紗枝さんの堂々とした姿に、隣にいる有原が安堵したような溜息を零す。今の状況に焦れているのは現場にいる人間だけではない。対策本部の人達も同じ心境だろう。

 紗枝さんは俺達に一瞥もせず素通りし、牧野副長官と何かを話し出す。その会話の内容は全く聞き取れない。よく見れば昨日、通信室に入った時の二人が傍らに立っていた。


「アリサ、それと宗一。来い」

「え? はい」 

 

 再び通信室に入れと促される。アリサさん、紗枝さん、そして牧野副長官と共に室内に入っていく。トップ層のその一連の動きに、対策本部内にざわめきと緊張が走った。

 遂に動き出すんだ。この息苦しく膠着した時間が。   


「作戦は決まったが、まずは状況をまとめよう」


 外部からの音が完全に遮断された室内で、紗枝さんが牧野副長官の頷きを見て語り出す。 


「テロリストは人質を盾に要求を出してきた。全国放送で提示された三つの要求は表向き。本命は……簡単に言えば、フェイズ能力者確保の為の二つの要求だ」


 フェイズ遺伝子操作の施術法。国際認定医師。生誕後遺伝子調査の個人情報。

 キーワードから簡単に推測できる目的。テロリスト達はフェイズ能力者を得て、統一戦線の戦力を増強するのが狙いだ。


「国際遺伝子研究センターを標的にしたのは、言うまでも無くその情報があると推測したからだろう。だが実際は、それらの最重要機密は別の機関が管理している。つまりこの研究所は、予想される外敵から情報を護る為のダミーの役割も担っている」


 ダミーとは、そういう意味だったのか。遼平のような一般人も知っている施設だが、厳重に配備されている警備はその信頼性を高める。俺の情報が研究所にある事からも、重要な情報や研究を扱う拠点であることは確かだ。最重要機密だけが、その中から排除されているということか。

 テロリストの情報網でも、その深部までは届いていなかった。ならば政府関係者が組織に居たとしても、中枢までその影響力は及んでいないということになる。


「紗枝さん、いいですか?」

「なんだ?」

「俺の遺伝子操作をしたのは、誰ですか?」


 そうだ。遺伝子操作施術をしないとフェイズ能力は使えない。その施術法が最重要機密なのは分かる。生誕後に調査される個人情報もだ。

 誰でも簡単に遺伝子操作ができるなんてあってはならない。フェイズは銃火器をも軽く超越する戦闘兵器なんだから。


「施術を受ける前はどうしていたか、覚えているか?」

「麻酔で眠らされて……起きたら三日経ってました」

「何故眠らされていたか、というのが答えになる」

「知ってはいけない三日ということですか」

「まぁそういう事だ。だがそれは一般の軍人の話だ。お前の場合は少し違う」


 紗枝さんがそう言って、左前方に目線を移動させる。そこにいるのは、アリサさん。


「俺の遺伝子操作をしたのはアリサさんなんですか?」

「そうよ。不思議?」

「いえ。そうじゃないかと思っていましたけど、そんなに凄い事とは思わなかったというか……」


 そんな重要機密を知っているという事に驚きだった。

 彼女はフェイズ能力者を生み出せる。その気になれば軍隊を作る事も可能だということ。逆に考えると、遺伝子操作の知識ぐらい持っていないと、俺の研究担当にはなれないのかもしれない。


「私が国際認定医師になったのは一年くらい前の話ね。あ、認定医師っていうのはWGO《国際遺伝子機関》が認めた遺伝子操作施術を行使できる人ってことなの。ただしその権利は全て、所属する国の政府にあるんだけどね」 


 恐らくアリサさんには、基地の長とは別の肩書きがあるんだろう。それは政府内部に深く関わっている、紗枝さんや蒼井司令とはまた違った立場。 


「話を戻すが、テロリストが要求しているフェイズ遺伝子操作施術法。そして国際認定医師。これはどちらも同義であり、許すわけにはいけない。そしてもう一つの要求、個人の遺伝子情報も変わらない」

「生まれてすぐに調査されるやつですか?」

「そうだ。もしこの情報が流出してしまえば、人身売買や拉致が行なわれる未来が容易に想像できる」


 直截な表現に顔が歪んでしまったが、紗枝さんの言う通りだ。

 数少ないフェイズ5の素質を持っている子供は貴重な原石。力や金を欲する輩が、それに手を出さないなんてありえない。そして何よりも恐れているのは、統一戦線や反体制組織の戦力が、未来に渡って確保できてしまう事。

 

「じゃあどうするんですか?」


 要求は飲めない。人質は依然テロリストの手の内。タイムリミットは一時間を切っている。状況は手詰まりとしか言いようがない。


「私から説明しよう」


 牧野副長官がひとつ咳払いをして話し出す。


「推測するに、テロリスト達の戦闘能力は高くない。最高でフェイズ3、恐らくは一般人のほうが多いだろう。フェイズ能力者は元軍人だから調べるのは容易い。容疑者のリストから見てもそれは明らかだ。つまり、隙さえ突くことができたら制圧は一瞬。問題は、その隙をどうやって作るかだが……」

「……方法は?」

「まず辰巳宗一にテロリストと通信してもらい気を逸らす。内容はなんでもいい。時間を稼ぐんだ」

「どのくらいの時間ですか?」

「一時間……いや、それ以上だ。刻限までにこちらの準備が間に合わないかもしれない。準備が出来次第、私との交渉に移る」

「わかりました」


 背筋を伸ばしてしっかりと頷く。与えられた役割は、緊張と共にやる気を向上させる。

 

「そしてアリサ・レイストロームを筆頭に、認定医師団を編成。人質と交換する。ただしアリサ・レイストローム以外は一般人だ。そしてその中に、テロリストに能力者だと気づかれないよう軍人を何人か潜ませる」

「えっ!?」


 それってアリサさんが代わりに人質になるって事じゃないか。大体そのフェイクが通じるのなら、わざわざ本物の認定医師を出す必要性が無い。


「奴らが認定医師を判別する方法は無い。それも厳重に管理されている機密だからだ。だが北日本防衛軍栗原基地医学部長のアリサ・レイストロームが認定医師団として派遣されてきたなら、信ずるに足る材料の筈だ」


 嘘を実と言い張る為には、こちらもリスクを負わなければならない。もし嘘だとしても、新たな人質の価値として充分だと判断するだろう。

 この人質交換は、恐らくテロリストに受け入れられる。でも……。


「そんな心配そうな顔しないの。一緒に行く兵士達が私を護ってくれるよう牧野副長官が指示してくれてるから」  

 

 まだ何も言ってないのに、補足説明を入れてくるアリサさん。俺はそんなに不安そうな顔をしてたんだろうか?


「条件を満たしたらアリサ・レイストロームがこちらにサインを送る。その後に即突入。現場の指揮は国枝に任せる」

「はっ」


 え……? 何か急に端折ったぞ? 条件とは何だ? それが大事なんじゃないのか?


「政府からの指令だ。テロリストの処遇はD」

「……了解しました」

 

 瞬間、息を呑んだ。牧野副長官が何を言ったのかすぐに理解できなかった。

 政府からの指令? 処遇? D? ……D。

 ……パターンD。


「ちょ、ちょっと待って下さい!」


 音を遮断された外部にも届きそうなほど俺の声が大きく響く。   

 ちょっと待てよ。なんでいきなり最悪を想定した作戦なんだ? あのマニュアルに記載されてあった内容では、まだパターンAかBくらいの筈だろ? 人質はまだ全員無事だし、時間的猶予も少しはある。


「宗一。……もう手遅れだ」

「何がですか?」

 

 何が手遅れだって言うんだよ? 手遅れになるほどの事を、テロリストはしたって言うのか? 

「テロリストは警備の人間を皆殺しにでもしたんですか?」

「いや、警備の人間に死者はでなかった。爆破に乗じて建物内部を制圧し、人質を盾に警備の人間を即座に引かせたからな。その際の攻防で死亡したのはテロリストだけだ。フェイズ能力者ではない人間ばかりだがな」


 あの入り口付近にあった血痕は、全てテロリスト達のものだったのか。

 

「じゃあ一体、何が手遅れだって言うんですか」


 人質を盾に取り、立て篭もるテロ行為は許されるものでない事は分かる。だが何故だ? それは皆殺しを対に置く天秤に釣り合う罪なのか? 


「奴らは全国放送で自らを敵だと名乗った。それだけで充分なんだ」

「敵……? いや違う、彼らは自分達の主張をしただけでしょう」

「あの言葉の全てが敵対するという意味だ。お前がどう受け止めようとも、それが世論の反応だ」

「世論……だって?」

「国民の大多数はそう思っている」

「そんな、馬鹿な」

 

 ここまでの流れを見て、テロ組織を皆殺しにすることに世論は賛同するというのか?

 俺の時代なら銃撃戦となった場合、全員射殺するのもやむなしだろう。そうしないとこちらの命が危ないんだ。しかし牧野副長官がさっき言っていたように、フェイズでの戦闘能力に開きがあると分かっている状況だ。部屋に閉じこもって抵抗する子供を殺すようなものと変わらない。

 

「捕縛じゃなく、皆殺しですか?」

「そうだ」

「誰一人、司法に裁かれることはないんですか?」

「奴らが今から降伏したとしても、リーダー以外は今日ここで処理される」


 世界が真っ白に染まるような強烈な眩暈と同時に、頭の奥で乾いた音がした。

 世論。そのワードが出た瞬間、今までの不自然な流れが透けて見えた。全国放送をあっさりと許したのは、世論誘導の為であり、政府に大義名分を持たせるものに他ならない。つまりここまでの全ては、テロリストを皆殺しにすることを含めて、政府の掌の上の出来事なのだ。


「気持ちは分かる……とは言わない。お前は男で、私は女だからな。それでも少しは察する事が出来る。だが、あきらめろ。奴らが人質を盾に取り、脅迫するという非道な行為をしている事実に代わりはない。それと勘違いするな。今回こちら側に死者がでなかったのは偶然だ」 


 紗枝さんが俺の肩をポンと叩き、部屋から出て行く。今から彼らを、皆殺しにする為に。

 

「始めるぞ。アリサ・レイストロームも交渉に参加してもらう」

「……ええ」


 牧野副長官が開始の合図をする。アリサさんが不安そうな顔で俺を見ているのが視界に入る。

 何を、始めるんだ? そうだ、彼らの気を逸らすんだ。でも、何の為に?

 彼らを、彼を――殺す為に?


『……受諾の通信以外は受け付けないと言った筈だが』

「ああ、すまない。辰巳宗一がどうしても話したいというのでな、少し付き合ってもらえないだろうか?」

『要求は?』

「それについては後に説明する。刻限までは幾分の猶予があるだろう?」

『……了承した』


 人質救出がこの状況で最も正しい選択だと今でも思っている。しかし世論の大多数の望む結末は、俺には到底受け入れられそうに無い。

 どうして人質の無事を願えるのに、男性の不遇を悲しめないのか。どうして救出活動に従事する兵士を賞賛できるのに、テロリストの行動を敵対だと受け取るのか。それが俺には理解できないのだ。


『やあ辰巳君、一日振りだな。……すまないな、辰巳君にもいらぬ心労を掛けている事だろう』


 テロリストがマイク越しに気さくに話しかけてくる。

 彼らは自分達の主張を掲げる為に、邪魔な物は排除し、殺してきたのだろう。それが秩序ある人間社会の中で、許されない行為であるのは明々白々。常識。自明の理。


「宗一君……?」


 どう考えても彼らは間違っている。それは分かっている。ああ、分かってるよ、アリサさん。今は人質救出が最優先だって言うんだろ? その通りだ。俺もそう思う。

 でも、分かっているのに、分からないんだ。どうして俺の中の誰かが、こうも叫び続けるのかが。


 ――――。


「逃げて、下さい」


 気付けば俺は、マイクに向かってそう口を動かしていた。


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