第37話 声明
東京都。
日本の首都として栄えていた都市は、この時代の波に大きく揺れ動いてた。
地球外生命体カーズの侵略により、壊滅的打撃を受けた北日本。種の生存を賭けた戦争は、人類側が劣勢である事がこの世界の常識となっている。それは当然のごとく大多数の国民に不安感を与え、西へ西へとその居住地域を移していった。
近年にも首都移転を計画しており、京都府に都市機能を徐々に移している。
しかし多岐に渡る分野で、中枢機能を抱えている東京を放棄するのは、かなりの労力と時間を必要とされ、思うように移転計画が進んでいないのが現状だ。
東京一極集中。それはこの時代の日本にとって、マイナス要素を多く孕むものになっていた。
「まだテロリストからの具体的な要求等は一切無い」
出発から三時間後、国際遺伝子研究センターに到着。
乱れもなく整列した兵士達に、現場の状況を説明する紗枝さん。
政府の要求により派遣されてきた俺達、北日本防衛軍よりも先にビルを取り囲んでいた兵士達は、緊迫した面持ちで状況に対応していた。確認できるそのほとんどは女性。
「……」
現場到着後のミーティングもそっちのけで、俺は状況を自分の目で確認する。
五階建てのビルは照明により照らされ、ネズミ一匹通れないよう辺りを封鎖されている。ビル内に通じている入り口は爆破されており、大量の瓦礫が邪魔になって中に入る事はできそうにない。そして、この煌々と照らされた照明により、夜の闇に紛れない血痕が、鮮明に俺の視界に飛び込んでくる。
テロリスト達の襲撃で、一体どれ程の死傷者が出てしまったのか。
「――というのが現時点での作戦だ。状況は通信機のオープンチャンネルで逐一伝達する。では、各兵士は所定の位置へ」
「はっ!」
意識をミーティングに戻すと、もう兵士達は各方面へ散っていく所だった。残ったのは俺の護衛役である縁、有原、立川、高瀬さん。そしてアリサさんと他5人の兵士達。
「お前……全然聞いてなかっただろ」
「うっ、すみません」
ジト目というか、殺さんばかりの目で睨まれた。
「ふん、まぁ別にいい。お前は本部でお茶でも飲んでろ。邪魔だ」
「ちょ! なんすかそれ!」
「お前に出来ることは、なにもない」
あんまりにもあんまりな言い草だ。俺なりに色々考えてここに来たってのに、邪魔者扱いだ。
「連れて行け」
「はい」
「え? ちょっと! マジで!?」
「ああ、もう。暴れるな」
「大人しくしていたら後で良い子良い子してあげます」
有原と立川に両腕をガシッと組まれ、強制的に引き摺られていく。
紗枝さんのお茶でも飲んでろという発言は、比喩でもなんでもなく本気らしい。俺は何の為にここに来たんだよ……。
◇◇◇◇◇◇
現場から数百mも離れてない位置にあるビルに、対策本部が設置されていた。元は企業ブースなどがあった複合施設の一部を流用しているようだ。通信機や監視モニター等の機材が設置されており、ここで国際遺伝子研究センターの一望を把握できる。その一角に俺達の待機場所を設けてくれていた。
用意されていた椅子にしょんぼりと座り、紗枝さんに言われたとおり、本当にお茶を啜っている俺。
「まだ動きはなし、か」
もうすぐ日付が変わる時間帯を指す時計は、進むのがやたら遅く感じられた。
テロリスト達は未だ沈黙を続けている。こちらからの呼びかけに反応は一切無い。その沈黙期間が、現場の緊張を嫌でも高めている。
「それにしても……」
「何?」
「どうしました? 宗一さん」
「お前ら、うっとうしい」
いやほんと。護衛の皆さん、俺にへばりつきすぎである。
縁、有原、立川、高瀬さんとその他五名。俺を護衛していると言うよりも、軟禁していると言ったほうが的確だ。トイレすら一人で行けそうに無い。
「仕方ないじゃない。国枝基地長に命令されてるんだから」
「……なんて?」
「『お前達が死んでもいいから宗一を護れ』って」
「ぶはっ」
お茶吹いた。なんて歯に衣を着せないんだ。
有原。やれやれ顔でさらっと言ってるが、それでいいのかお前?
幼少より男嫌いの有原は、テロリスト達にどういった感情を持っているんだろう? 赤目ではない男性の非人道的なテロ行為は、もしかすると赤目以上に憎悪する対象になってしまうかもしれない。
「そういう事ですから我慢してください。護るというなら軟禁するのが一番です」
「お前が言うとまた違った意味に聞こえるな」
なんか嬉しそうな立川。俺の隣にチンと座り、ニコニコと場にそぐわない表情。
そういえばこいつは極度の人見知りだったな。周りの護衛や本部の人を避けるように、俺、有原、縁の近くに寄り添って離れない。あんまり良くない事だとは思うが、上から目線で注意する気にはなれない。
それにしても、防衛戦の時のアリサさんの放任さ。男性街に行った時の蒼井司令の周到さ。そして今回、紗枝さんの隠しもしない直截さ。護衛の命令一つとっても、なんと個人の性格の出ることか。
「なぁ、縁」
「……」
顔を寄せて小声で呼ぶ。……が、反応が無い。
「……縁?」
「うるさいです」
「え、ええ!?」
ふん、といった感じで俺から顔をそらす縁。俺は吐血しながら倒れ込みそうになった。
何に対して怒ってるのかわからんけど、縁に冷たくされると死にたくなる。
「な、なぁ。縁はどうしたんだ?」
その状況を感心したように見ていた有原に、顔を寄せて小声で説明を求めた。
「へぇ~、宗一やるじゃん。あんな縁ちゃんはかなりレアよ。というか初めて見たかも」
「いや、そんな事は訊いてない。縁は何で怒ってんだ?」
「そっかそっか。あの縁ちゃんがね~」
「いや、だから」
「うんうん。……くふふ」
「……」
どうやら答える気はないらしい。いたずら心丸出しの顔になっている。
直情的な有原ごときに、手玉に取られるわけにはいかない。俺は縁に対する疑問よりも、そちらの屈辱感解消を選ぶ事にした。
「ひひひ……ふごっ!?」
ポニーテールを引っ張ると、有原は見事な豚鼻と共に天を仰ぎ見た。
「な、なにすんのよ! 痛いわね!」
「しっぽがむかついただけだ、気にするな」
「死ねばいいわ!」
「いでぇ!?」
ほらな? ものの0.1秒で俺の勝ちだ。ちょっと頭が痛いけど、決して泣いてなどいない。
「宗一さん。私はかわいいですか?」
「……ふぁ?」
いきなり何を言い出すんだこのこけしは。脈絡無さ過ぎてアホみたいな声が出てしまった。まぁ立川が前触れもなく意味不明なのはいつもどおりだ。多分、相手しろという意なのだろう。
「まあ私の可愛さはまた今度、原稿用紙二十枚以内で提出してもらうとして、あ、足りなかったら言ってくださいね。それで話を戻しますが、縁さんが怒っているのは嫉妬とは少し違いますね」
「……じゃあ、なんなんだ?」
原稿用紙のくだりは必死でスルーした。
「きっと縁さんは、宗一さんにどう接して良いか戸惑っているんですよ」
「そう、なのかな……」
「どちらにせよ、縁さんがあんなに理不尽になるなんて中々ないですから喜んで良いですよ」
喜んで良いのかそれ? 確かにいつも花丸ニコニコ、周囲に癒しを与える縁が、あんなに刺々しいのはレアだ。でも俺としては、いつもの縁が一番好きなんだけどな。
「……ん?」
気付けば周りから注目を浴びていた。護衛の人はもちろん、待機している兵士、対策本部のオペレーターや職員など、その大半の女性達の視線が集まっている。
うるさくしてしまったかと思ったが少し違うようである。彼女らは驚いたような、哀しむような、そんな印象を受ける表情で俺達を見ていた。
「ふふ。お前達、本当に仲が良いな」
「あ、高瀬さん」
高瀬さん登場。と言っても、さっきから隣にいたけど。
「すみません、うるさくしてしまって。不謹慎でした」
「いや、構わないよ。暗く沈んでいても状況が好転する訳でもないからね。ただし、緊張感は持っておきな」
「はい。……あの、さっき皆がこっちを見てましたが、何かあるんですか?」
「ああ、お前達が珍しかったんだろう。こんな状況で、こんなに仲良く話す男女を見るのはな」
「え、何か不自然でしたか?」
そう返すと、高瀬さんも少しだけ憂いを帯びた表情になり、声のトーンが少し落ちた。
「今回のテロリスト、詳細はまだ不明だが、以前からある男性で構成されたテロ組織に間違い無いだろう。彼らのテロ活動の目的は、これまで一貫して男性の自由を主張するものだった。今この状況は、局地的だが男女の勢力争いと言ってもいいだろう。そんな中で、辰巳はどういう立ち位置にいると思う?」
「……女性側、ですね」
「例え軍人でも、男性ならこちら側に立つのはそりゃあ嫌がるもんさ。辰巳はこうは思わないのかい? 『彼らと共に闘いたい。自分は男なんだから』って」
このテロ鎮圧の任務は、全ての男性にとって裏切り行為に等しいのだろうか。
「だからここの者達は、なんというか……哀しくなったんだと思う。仲の良いお前達を見ていると」
哀しいと表現されたのは、様々な感情が混在した結果なのだろう。彼女達は、仲の良い男女を目の当たりにし、心の奥底で羨み、蔑み、懐かしみ、嫉妬したのだ。
そしてなによりも、この場で唯一の男に同情した。男でありながら男に敵対するその姿を、まるで悲劇の役者であるかのように。
「テロリストから通信が入りました! 現在2月11日の午前0:00」
「っ!」
オペレーターの声に、沈殿していた思考が浮上させられる。
辺りの緊張感が瞬間的に跳ね上がり、その場にいる全員が耳に全神経を集中させた。
「テロリストは声明を全国放送で流すよう要求しています」
「……人質の安否確認が先だと伝えろ」
対策本部長が、苦虫を噛んだような表情でオペレーターに指示する。
この人は政府から派遣されてきた、この現場の責任者らしい。
「……駄目です。要求に従わない場合、五分以内に一人殺すと……」
「馬鹿が……」
無慈悲な返答に、対策本部長が舌打ちをして吐き捨てる。しかしその表情は憎しみだけではなく、一瞬だけ悲哀に似た色も浮かべる。
「各メディアに通達しろ」
「し、しかし」
「構わん。この状況を想定していた政府の承認は既に得ている。準備はできているな?」
「……はい。数分も掛かりません」
予め準備していたように、オペレーターは通信を開始する。
これは、まずくないか? 交渉して時間的猶予を確保するなんて、既にそんな悠長なレベルではない。一分後には目まぐるしく状況が変わってしまう。今までの沈黙を払拭するように、テロリスト達は動き出している。
「繋がりました! 全国ネットで放送されます!」
これでテロリスト達は本当にいいのか? 自分達が敵であると、全国に知らしめる事になるぞ。それに人質の命が懸かっているとはいえ、全国放送なんて、そんな簡単に許して良いものなのか? この要求を見据えていたとしても、準備がよすぎないか?
『全国の……いや、全世界の諸君、初めまして。まずは今回このような場を借りて、演説を出来る機会を作ってくれた同胞達に、我々は感謝と哀悼を惜しまない』
テロリストの声明が始まった。
本部に設置されている、複数の備え付けられたテレビを見ると、どこのテレビ局も音声だけだった。聞こえてくる声は、男の太い生声だ。機械等で処理されていない。
『我々はこの時代を憂いて立ち上がった、世の男性全ての代行者。男性統一戦線である』
男性統一戦線。それがこのテロ組織の名前か。
しかし、代行者とは……。自分達の行動を、全ての男性が支持しているとでも思っているのか。
『現在、我々は国際遺伝子研究センターを占拠し、人質四十七名を拘束している。だが、我々の目的は殺戮ではない。こちらの要求を受け入れてくれるのなら、人質を無傷で解放すると約束しよう』
思った以上に無差別な組織ではないのか? いや、テロリストの言葉を真正直に信じてはいけない。要求を通した後、人質を解放する保障なんかどこにもない。
『これから提示する二つの指示は速やかに遂行して頂きたい。一つ、干渉による電波遮断を今すぐ解除する事。一つ、フェイズによるこちら側への探知、探索及び、すべての行動を禁止する』
誰かの舌打ちが聞こえてきた。これは……まさか。
「相手に能力者がいるわね……」
隣にいる有原が、今の状況を表現したような表情で言う。
そう。テロリスト集団はこちらの能力使用を察知できる。それは即ち、フェイズ能力者だからに他ならない。
干渉を使えば遠距離からでも、建物内部の様子を探る事が出来る。そして拘束、捕縛する事さえ可能だ。しかしテロリストの口ぶりでは、それを打破する事さえ出来るように聞こえてくる。妨害があったとしても、最低でも人質を殺す猶予くらいはあると考えて良い。
それにしても、干渉で電波遮断なんかしていたのか。恐らくフェイズ4の現象操作能力なんだろう。
情報を外部に漏らしたくないんだろうが、この全国放送が成立しては、もはや意味を成さないんじゃないのか?
「……」
沈黙する現場責任者。少しの逡巡の後、オペレーターに指示を飛ばした。
『……ご協力、感謝する』
テロリストの望みは叶ったようだ。その瞬間、フェイズ能力者がいるという予測は事実となる。やはり、確実に察知している。
『さて、ここから本題だが、その前に……』
……? なんだ? 何を言おうとしている?
『少しの間、私の世間話を静聴して頂きたい』
世間話……だと?
周囲が戸惑うようにざわめく。それを静まるのを待つかのように、少しだけ時間を置き、テロリストは語りだした。
『つい先日、部下の家に招かれ、生まれたばかりの赤子を見に行った時の事だ。興奮気味に我が子の可愛さを捲くし立てる部下は、まさに幸せの絶頂だったのだろう。私も彼の大人気なく喜ぶ様子に癒され、祝福の気持ちで一杯だった。あぁ、家族の営みというのは、なんて尊いものなのだろうとね』
『だが、私はひとつ違和感を感じた。隣にいる筈のもう一人の家族が居ないのだ。つい先日この子を生んだ筈の人が、一番この子に愛情を注ぐべき筈の人が、どこにも見当たらない。私はその疑問を問わず、赤子の顔を覗き込み、過剰に明るく振る舞う部下を見て、ようやく得心する事となった。……そして、また愚考してしまうのだ。いつもの就寝間際のように』
『皆さんは今、この世界をどう思っているのだろう? どう見ているのだろう? 私はいつも、それを考えている。世界観というものは常に曖昧であり、主観であり、個の価値観である。私が見て黒いものを、彼の人は白と言う事もあるだろう。それ自体はなんら不自然ではない。人間が多種多様に渡る価値観を持っているからだ』
『だが、どうだろう? この世界は生まれ落ちたその瞬間から、下位存在として認識されてしまう不条理が存在する。目も満足に見えない赤子に、果ては胎児にすらも容赦なく、その世界を強要している』
『赤外線で見た我が子に肩を落とす。法律で罰せられてまで中絶を決心する。政府から援助金が出ると歓喜する。不安に押し潰され育児を放棄する。ストレスの捌け口のように虐待の対象とする。後ろ指を差される恐怖から性別を偽り、我が子を監禁する。……そんな容赦のない世界を、だ』
まずい……。
『私はその赤子の未来に、何と願えば良いのだろう? 侮辱に負けない精神力だろうか? 暴力に耐えうる頑丈な体なのだろうか? 一見して分からない中世的な顔立ちなのだろうか? 決して世界を恨まない、聖人のような心なのだろうか?』
やめろ……。
『何故この世界は、彼の幸福を願えないのだろうか?』
やめてくれ……。
『私はこんな世界を白と言い、受け入れなければならないのだろうか?』
「……っ」
『答えは――――否だ!!』
その瞬間、怒号にも似た歓声が巻き起こる。
全てテロリスト達の声だ。恐らくマイクが拾ったのだろう。
「――ッ」
心臓が一際大きく鳴り響く。血の巡りが加速する。熱く速く、猛るように全身を駆け巡る。
俺は今、何故拳を堅く握り締めている? 非道なテロリストの言葉に何を感じている?
細胞の一つ一つが意志を持っているように躍動する。ここから動き出せと、哀しい程に叫ぶ。
――何故お前は、こちら側に立っている?
『我々男性統一戦線は、日本政府に対し三つ要求する。一つ、これから名前を挙げる囚人の解放。一つ、日本が管理する軍の隠蔽情報の開示。一つ、人口比に基づいた選挙法の法案成立と衆議院解散』
一瞬、息をするのも忘れた。テロリストの要求は、ハッキリ言って無茶苦茶だ。スケールが大きすぎる。まるで敗戦国に理不尽な要求を突き付ける、戦後の外交のようだ。
テロリストは囚人数十名の名前を、淡々と読み上げていく。何かの要人なのだろうか? その九割は男性名だった。
『……以上だ。期限は三日。色よい報告を待っている』
テロリストの声明が終わった。
対応に追われる本部がにわかに騒がしくなる。
「宗一君」
「え……?」
真横からの声に顔を向けると、アリサさんが俺を見上げていた。
「ぐっ! な、なに……を……」
アリサさんの方に顔向けると同時に、額に手を添えられていた。
そこから流れ込んでくる精神への屈服は、防御体勢を取っていなかった無防備な俺に、否応もなく白旗を上げる事を強要してくる。不意打ちで避ける事も、干渉での抵抗もできなかった。
崩れていく体を誰かに支えられ、地面との衝突を免れる。誰か分からないけど、ありがとう。
「宗一さん!?」
「レイストローム基地長! 何するんですか!?」
「え、え、え? な、なに?」
俺と同じく状況を把握していない護衛の皆も、軽くパニックになっている。
薄れていく意識の中で、俺は説明を求めるように視線をアリサさんに投げる。
「しばらく寝て頭を冷やしなさい」
「この……っ……似非天使……が……」
くそっ……意識が……。まだ憎まれ口を言い足りんが、もう、ダメだ……。
「覚え、てろよ……」
「あらー。まだ喋れるの? ちょっと手加減しすぎたかな」
このやろう……。目が覚めたら絶対、仕返ししてやる。
喰らって分かったが、フェイズ5の干渉力は桁違いだ。もし俺の干渉が間に合っていたとしても、ビニール傘で台風を防ごうとするくらい無意味な抵抗だ。手加減しなかったら、精神丸ごと消滅させる事も可能なんじゃないのか?
「ゆか……り」
「だ、大丈夫ですか? 宗一君」
「……おや、すみ」
とりあえず、心配顔の縁にはそう言っておいた。
◇◇◇◇◇◇
……。
…………。
………………。
これは……夢だ。
極稀に、自分は夢を見ていると気付く時がある。明晰夢、というやつだ。
あまりにも現実離れしている時とか、そういう類の夢はすぐ分かるもんだ。でも今回の夢は、現実とそう掛け離れている訳でもなかった。ここで言う現実とは、この世界で日常的に繰り返されている出来事だ。
夢は何の脈絡もなく、次々と場面展開していく。俺はその夢の中で精神体のように浮遊し、悲惨な末路を辿る男達をただ傍観していた。
いくら叫んでも届かない。何度手を伸ばしても、目の前に広がる理不尽な光景を止める事が出来ない。
夢は、俺に何の力も与えてくれなかった。
俺がこの夢と繋がっているのは、男達との感情だけだった。
あいつが喜べば、俺も嬉しい。あいつが悲しければ、俺も泣きたくなる。
感情の共有は互いを侵食し、やがて溶け合い、混ざる。
今、何人目だったか?
男達一人一人の物語は、残念ながらここで一度終わりを向かえそうだ。
もうすぐ俺は目覚めてしまう。
浮上していく意識。それと共に剥がれ落ちていく感情。
目が覚めれば、綺麗さっぱりと忘れているだろう。夢なんてそういう刹那的なものだ。
今こんなに強く思っているのに、感じているのに。夢から醒めるといつもの俺になっているんだろう。
強く激しい、気が狂いそうな程の激情。
集積された感情は、何人目からか全く同じ物になっていた。
ただ憎い、と――。
…………。
「……」
「おはよう」
静かに目を開けると、俺を覗き込むアリサさんの柔らかな微笑みが視界に広がった。
慎重に意識を覚醒させるが、手から何かが零れ落ちていくような、そんな喪失感が俺を支配した。
「皆は……?」
「外にいるわよ」
六畳ほどの仮眠室に、俺は寝かされていたようだ。今ここにはアリサさんと俺の二人きり。時計に目を向けると深夜と言っていい時間帯。俺が意識を失ってから、既に丸一日が経過している。
アリサさんの目論見どおりなのか、あれだけ強烈だった衝動はすっかり消え失せていた。でもその為に気絶させるなんて、結構過激な行動を取る人だ。認識を改めるべきなのかもしれない。
「……わ、悪かったわね」
ジト目でアリサさんを見上げると、拗ねたようにそっぽを向かれた。
「解説。全然悪びれてないという」
「だ、だって、あのままだとテロリスト達に突っ込んで行きそうだったんだもん」
「だから気絶させたんだもん?」
「そ、そうだもん」
「仕方なかったんだもん?」
「そう、だもん……」
「だもん?」
「……だもん」
やぺぇ。だもんの応酬にはまりそう。なんか言いたくなるこの感じ、わかるかなー?
徐々に顔を沈ませて、指先を弄り出したアリサさん。なんか可哀想になってきた。俺を思ってのことなんで、実はそんなに腹も立っていない。復讐、終わり。
「状況は、どうなりました?」
ベッドから体を起こし、アリサさんに尋ねる。
うん。特に体に支障は無い。寝起きとは思えない程、頭も軽い。
「ふぅ……。宗一君、不本意にもあなたに一仕事してもらうわよ」
「俺にできることがあるんですか?」
「ええ。何せテロリスト様、直々のご指名だからね」
「えっ!?」
「まったく……。この状況を見越して政府は要請したのかしら……」
ぶつぶつと不満げに文句を並べているアリサさん。
テロリストが俺を名指しするなんて、自分の事ながら現実感が無い。
「失礼する」
ノック音の後、入室してきたのは対策本部長だった。彼女は部屋を少し見渡した後、鋭い視線を俺とアリサさんに向けてくる。
「アリサ・レイストローム、説明は終わっているのか?」
「いいえ、これからです。牧野副長官」
アリサさんが椅子に座っていながらも、背筋をピンと伸ばして返答する。
この一言二言の会話だけで、この牧野という人は、一つの基地の長より上の立場の人なのだと分かる。
「……お前が、辰巳宗一か」
「はい」
「私は日本国防省副長官の牧野だ」
こ、国防省副長官!? つまり日本の軍を管理している組織のナンバー2という事になる。北日本防衛軍はその下に位置する組織であり、アリサさんより地位が高いのも当然だ。
西暦2065年のこの時代では、地球外生命体の襲来を受けた時期に防衛省が解体され、アメリカのような国防省が日本の防衛を担っている。兵器の使用にも手間取ってしまう昔の省庁の生ぬるい対応では、この戦争が日常化した時代では生き残っていけず、自然、憲法も大幅に改定されている。
組織でこの人より上というのは、もう長官か大臣ぐらいしかいない。
「説明はしなくていい」
「えっ? それは流石に……」
「テロリストは辰巳宗一と話をしたいとだけ言っている。交渉術の訓練も受けていない坊やが、狡猾なテロリスト達の裏をかけるとは到底思えない。だから素のまま喋れば良い。不確定要素が多い分、情報は与えないほうがいい」
「……」
アリサさんが顎に手を当てて考え込む。牧野副長官の言っている事は正論だが、アリサさんは不安気にチラチラと俺を見る。
「……やります。やらせて下さい」
「ちょ、ちょっと宗一君」
「元々その為に俺はここに来たんでしょ?」
「あ、あれは表向きの話で……」
テロリストが何の意図で俺を指名したのかは分からない。そこにこの事件の核はなく、単にテロリスト達の気まぐれなのかもしれないが、ご指名と言うなら応えよう。……いや、違う。俺は応えたいと強く思っている。
「今から十分後にテロリストと通信する。それまでにちゃんと目を覚ましておけ」
「分かりました」
何よりも俺は、誰かに必要とされることが単純に嬉しかったのだ。