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2 : 8  作者: 松浦アエト
35/46

第35話 免罪


「あぁあぁぁぁ~。やっべぇ~」


 心臓が不規則なリズムを刻む。

 この苦しくも幸福な感情に身を委ねながら、ベッドの上で枕を抱えてゴロゴロ。


「す、す、す……いやああああああ!!」


 この感情を言葉で表現しようとしたが、頭を抱えて悶絶。……俺きもすぎる。


「な、なにか奇声が聞こえたわ」

「この部屋は……」

「晴香。確認してきて」

「な、なんで私?」


 ドアの外から何か聞こえるがどうでもいい。多分、看護士さんなんだろう。ここ病院だしね。


「はぁー、はぁー。こ、これは……本物だぜ……」


 考えればそうなる要素はいくらでもあった。きっかけなんて物はハッキリ言ってない。小さな物が積み重なった結果だ。ドラマ的な出会いがあったとは言えないし、決定的な転換点もこれだと言える物が思い当たらない。しかし一度なってしまえば、水が低きに流れるがごとく当たり前の現象のように思える。言葉にする事で自覚したんだろうか?


 え……? なに言ってんのかって? 引っ張るなって? ああ、俺も男だ。認めよう、この感情を。そして宣言しよう。……誰に? もちろん自分自身に。


 そう。俺は、井上縁に……。


 恋をした。 

 


◇◇◇◇◇◇



 今日もいつものごとく、縁を護衛に講義を受けている。

 講師が黒板にカツカツとチョークを走らせる音だけが教室内に響く。内容はフェイズにおける個人の特色や系統の講義……だったと思う。


「はぁ……」


 自分の恋心を認めたからってどうなるもんでもない。講義もそっちのけで、縁の横顔をチラチラ盗み見て溜息。

 肩まであるロングストレートの黒髪は、手を差し入れてみたくなる程ふわふわで、横から見る頬は突付いてやりたくなる程プニプ二で、薄桜色の小さなくちびるは吸い込まれそうな程おいしそうで……。

 かわいい……。やばいくらいかわいい。そして俺きもい。

 何故だ? 以前はこんな事思わなかったはずだ。いや、むしろ以前の俺に問いたい。何故このかわいさに気付かなかったのだと。そして今の自分にこの言葉を捧げたいと思う。恋は盲目。

 

「……宗一君?」


 しかし、認めたからには選択肢が待っている。行動するかしないか。

 単純な二択だが、恋する人にとっては究極の選択だ。俺にはあまりそういった経験がないのでどうしたらいいのか分からない。いや、経験のあるなしはこの際関係ないな。突き詰めると結局は二択なんだ。


「宗一君」


 でも行動ったらあれだろ? こ、こ、こここ告白! そして、お、お、おぅ、お付き合い!

 マジかよ……。なんてエベレスト的な山なんだ……。超えられるのか、俺は? 尊敬するぜ。世に数多いる告白者達よ。俺は君達の勇姿を称えよう!


「宗一君てば」


 でも断わられたらどうしよう……。その後が気まず過ぎるだろ。男女の普通の関係ではないし、そうなる可能性が激高な気がする。

 

「ふぐっ」


 頭頂部に衝撃を受けて顔が下がる。


「へ?」


 顔を上げると、縁がチョップの形にした手で俺を睨んでいた。

 視線を合わせると、少しだけ怒った表情がいつもの花のような微笑みにゆっくりと変化していく。諭した子供が分かってくれたかのような、満足そうに微笑んで俺に言う。 


「ちゃんと講義を聞かないとダメですよ」


 それはもうやばすぎたのである。



◇◇◇◇◇◇



 講義と訓練が終わり、自室で一人反省会。

 訓練に身が入っていないと縁に怒られてしまった。でも、そんな怒った縁もかわいい……いやいや、何言ってんだ俺は? 訓練はちゃんとしろや。


 ここは誰かに相談してみようか? そんな提案を脳内の宗一Cが出してきた。

 うーん……悪くない案だが、ひとつ問題がある。一体、誰に? 恋愛経験豊富な人なんて俺の知り合いに見当たらない。下馬評的に言えばこうだ。


 紗枝さん  ▲ (よく分からない。期待を込めて抑えだが、一蹴される恐れあり)

 アリサさん × (あの照れっぷりではまず未経験だろうし、相談した段階で赤面しそう)

 有原    × (恋愛小説の知識のみっぽいので、下手したら電波な事を言いだしそう)

 立川    ? (こいつだけは分からない。相談してはいけないと脳で警鐘が鳴る)

 リナ    × (小学生に恋愛相談? ありえん)

 遼平    ○ (男の意見として貴重な存在だし話しやすい。対抗だ)

 ヒデ    △ (電話してまでってのはねぇ……。しかもハゲだし)

 佐野さん  ? (良いんじゃないかと思うが、電話が終わる気がしない(経験談))


「本命(◎)がいねぇ……」 


 並べてみて絶望した。ここで俺が◎を打つなら自分である。

 

「う……」


 知り合いを思い浮かべていくと、蒼井司令なんてとんでもない人が出てきた。俺と蒼井司令では知り合いの範疇かも怪しい。

 ありえない。ありえないが……。凄い適格者のように思えてきた。……まぁ、保留にしておこう。


「おお! あの人がいた!」


 意外な人が浮かんできた。

 適任かどうかは不明だが、病院内だから近いのがいい。さっそく行くとしよう。


「きゃっ」


 勢いよくドアを開けると、看護士さんが驚いた様子でドアの前から飛びのいていた。

 

「あっ、ごめん」

「……っ」


 反射的に謝ると、看護士さんはペコリと頭を下げてそそくさと立ち去っていった。

 なんだろう……? 少し挙動不審だったような?

 ま、いっか。



◇◇◇◇◇◇



「へぇ~。青春だねー」


 やってきたのは、防衛線で医療部隊の副隊長をしていた多田さんの病室。入室許可が出て以来、ちょくちょく顔を出している。高瀬さんも思い浮かべたが、どこにいるかわからないので却下。 

 多田さんの左腕はまだ動かせないが、培養した腕がしっかりと付いている。機能させるのはまだまだだが、見た目は完治していると言っても良いだろう。


「あはははは、おもしろ~い。辰巳君、かーわいーー」

「ぐっ……。笑い事じゃないんですけど……」


 以前と同じような笑顔を俺に見せくれる多田さん。照れながらも、しばらくこの空気に浸っていたかった。


「でも、ごめんね~。私じゃアドバイスしようもないよ」

「そすか……」

「というか、私のアドバイスなんて意味ないんじゃない?」

「え? どういう……」

「辰巳君は、ここに背中を押してもらいにきただけでしょ?」

「あ……」


 その通りだった。前か後ろかは結局自分で決める事。相談を持ちかける段階で、もうそれは決まっているんじゃないか?


「がんばれ、男の子」


 多田さんが動かせる右手で、俺の頬をムニッと突付いてくる。

 敵わないな、この人には。マイペースながらもしっかりと俺の背中を押してくれる。


「……どうしたの?」


 礼を言い、退室の挨拶をして席を立つが、ドアに手を掛けたまま足が止まった。

 硬直した俺に向かって、多田さんは不思議そうに首をかしげ、右目だけで俺を見ている。


「……多田さん」

「なに?」


 振り向いて確認できるのは優しげな微笑み。失いたくないと思わせるこの表情が、俺の無遠慮な質問でどう変わってしまうのか。この質問が出来るほど、俺は強くなれたんだろうか。


「男は、嫌いですか?」

「……うん」


 貼り付けられた飾りの微笑み。それは俺の問いに少しの歪みも見せなかった。   


「そう、ですか……」


 少しの落胆が胸中に降りる。でも、感謝したい。彼女が取り繕えるだけの強さ持っていた事を。

 その滅私は負の連鎖を断ち切る剣。真実と相反する多田さんの表情は、一際眩しく俺の目に映る。


 誰にも否定することは許されない。

 その偽りの微笑みは、決して卑怯なものではないのだから。

    


◇◇◇◇◇◇


 

 翌日。今日は休日指定日。

 俺は何をする訳でもなく、うんうん唸りながら病院内をうろうろしていた。


「あの子、大丈夫かしら? もう五周目よ」

「違うよ晴香。これで六周目」

「そんなに気になるなら訊いて来たら?」

「い、嫌よ! あなたが行きなさいよ!」


 看護士さん達から奇怪な視線を浴びていたような気もするが、まぁ気のせいだろう。今の俺に彼女達のジレンマなんて知る由もない。 


「う~ん」


 心は決まった。多田さんは俺の期待通りの対応をしてくれた。でも、まだ足りていない。それは告白の勇気や覚悟ではなく、俺自身の問題。

 果たして俺は、縁と付き合ってもいいんだろうか? それはもちろんうまくいった時の話だが。 


 世界的研究対象。軍部で唯一の男。この時代の男女の関係性。生死がすぐそこにある軍人。

 更科さんを拒絶した時、俺はそんなもの関係ないと決めた。それは今でも変わらない。でも、今は更科さんが放った拒絶の言葉の意味が分かる。それは想いを伝える立場になればより明確に、痛いほどに。


 好きだから仕方ない。なんて、子供じみた正当性を振りかざすには問題が多く、そして重い。好きだからこそ、俺はこの気持ちを押し殺す努力をしたほうがいいのかもしれない。

 俺や縁が普通の男女なら、そんな事では悩まなかっただろう。でも現実は違う。告白する事で縁の重荷になる可能性すらあるのだ。それを迷いもなく無視できるのなら、俺は恋している自分が好きという事になってしまう。


「……ゴク」


 気付けば目の前に司令部。

 あぁ……。俺は余程、縁の事が好きなんだろう。蒼井司令に相談なんて馬鹿げた事を実行しようとしている。

 

「あ」


 踏み出す勇気がでず、司令部の建物前をうろうろしていると、蒼井司令が車椅子に乗って出てきた。

 これはチャンスとばかりに声をかけつつ、後ろに回りこみ車椅子の取っ手を握る。


「蒼井司令、どこかいくんですか? 自分が押しますよ」

「……誰かと思えば。……辰巳宗一ですか」


 相変わらずすごい落ち着きぶりだ。急に現れた俺に全く動揺しない。

 只の散歩休憩らしく、特に目的もなく基地内を同行することになった。今日は休日指定の日なのに蒼井司令は仕事なんだろうか? ……お疲れ様です。


「……」 

 

 き、気まずい……。会話が発生しない。こんな空気で切り出せるわけがない。

 勝手に緊張している俺に比べて、車椅子を押されて風に髪を靡かせている蒼井司令は、気持ち良さそうに目を閉じている。しばらくすると、蒼井司令の肩が震えているのが見えた。


「ふ、ふふふ……。なんの用ですか?」

「ちょ! 分かって黙ってましたね!」

「ふふふ。……面白い子」


 完全に手玉に取られている俺。でも、蒼井司令の笑顔は悪くない。おかげで緊迫感がすっかり吹き飛んだ。


「息子の事を思い出しました」 

「……だし……た?」


 表現からもう不穏なものしか感じ取れない。しかし好奇心に負けて、俺は話の続きを問う。


「戦死しました。四年前。いえ、もう五年ですか」

「五年前って、それは……」


 そのフレーズに一つの可能性が浮かぶ。


「男性だけが死んだっていう事件……ですか?」


 ヒデの兄である相沢正含む、味方の女性に男性が殺された事件。この人の息子も……?

 司令部で揉み消したんじゃなかったか? 息子を殺されても? 司令であるこの人が?

 民主主義で採決される司令部。蒼井司令の感情が、数の力に屈したということなのだろうか。


「いいえ。そんな事はなかったですよ」


 蒼井司令が穏やかな表情でサラリと言う。その言葉に愕然とした。

 この人は揉み消す事をよしとした。息子が殺されようとも、それが基地の為になるのなら。

 公表したところで、負の連鎖を築いてしまうだけ。ならば隠蔽する。罪の意識を背負って。悲しみを背負って。憎しみに駆られず、狂気に駆られず、自分を押し殺して他を生かす決断をした。


「ところで、用件はなんですか?」


 頭の中が定まらない。車椅子を持つ手が震えて、問い掛けに答える事が出来ない。

 蒼井司令の歩んできた道。家族より優先する使命。それは強さと賞賛するべきなのか、非人間的だと批難するべきなのか。


「大丈夫。言ってみなさい」

「……あ」

  

 後ろ向きから手を伸ばして来て、俺の手に手を重ねてくる。

 少しずつ落ち着いてくる鼓動。母親のような暖かい手と徐々に同じリズムを刻みだし、その拍動がシンクロする。その手を意識下に置きながら、俺はぽつぽつと心情を吐露する。


「――ということです」

「ふふっ、何かと思えば」


 笑われた。なんでみんな笑うかなー。こっちは照れ臭いんだぞ。

 俺の悩みを聞いている蒼井司令は何故か楽しそうだ。

 

「あなた次第です」

「やっぱり、そうですか」


 当たり障りのない回答だった。しかし、いや、やはりと言うべきか。蒼井司令はここからが一味違った。


「あなたを取り巻く環境。それを考えると安易な行動には走れませんね」

「そうですよね。うんうん、そうなんです」

「その環境を乗り越えてまでその思いを成就させたいのなら、ひとつアドバイスをしましょう」

「は、はい。お願いします」

「彼女にその想いが届いたと同時に、あなたは別離を覚悟なさい」

「え!?」


 そんなバカな話があるか。付き合った瞬間、別れを覚悟するだと? 

 

「人間というものは、こうなったらこうすると頭で思い描いていても、意に反して感情に振り回されてしまうものです。それが残酷な現実であれば尚更です。もしあなたに不測の事態が起きた時、感情を押し殺して彼女を遠ざける事ができますか?」 

「……分かりません」

「私は過去に一度だけ失敗しました。ある会議で賛成にも反対にも手を挙げられなかった。只、呆然とその状況を見ていたのです。結果的には良かったのですが、逆の結果になれば今の比ではなく悔やんでいたでしょう。私は何故あの時、自分の感情を優先してしまったのだろうと」


 蒼井司令が言っているのは五年前の事件の話なのだろう。その当時に、自分を殺しきれなかった事を告白しているんだ。

 息子を殺されては当たり前の感情だが、この人はそれを今も尚、悔いている。


「こんな話を息子としてみたかったわね。……ふふ」


 いや、それは恥ずかしいだろう。母ちゃんに恋愛相談なんて。


「男性街はどうでしたか?」

「……」


 しばらく世間話をしていると、そんな質問が飛んで来た。どう? と問われても、言葉で言い表すのは難しい。

 人が住んでいるとは思えない劣悪な環境。女に向けられた心中深く根付いている憎悪。俺を殺そうと現れた刺客。望んで手に入れた卑劣な能力。思い浮かぶのは、辛い現実ばかり。


「……そうですか」


 まだ何も言ってないのに、俺の表情を一瞥した蒼井司令は得心したように言う。


「こちらへ」

「?」


 手招きされ、蒼井司令の前に移動する。

 促されるまましゃがみ込み、車椅子に座っている蒼井司令を少しだけ見上げる体勢になる。


「頭を、撫でさせて下さい」

「……いいですけど」


 俺を息子と重ねているのか、照れ臭いお願いをしてくる。

 風が少し強めの今日。髪の乱れを直すかのように、何度も何度も手で髪を梳いてくる。くすぐったいような恥ずかしいような、奇妙な安堵感が俺の心を支配した。


「こんなに……心が振れたのは久しぶりです」


 蒼井司令が独り言のように言う。その声は風の音で頼りなく揺れる小さな呟きだった。


「素敵な時間をありがとう、辰巳宗一。あなたの想いと覚悟は無駄ではありません」

「はい」  


 感謝するのはこちらのほうなのに、俺が礼を言われる。礼を返す言葉を告げたかったが、俺の口は動こうとしない。今はその行為が無粋な物に感じられた。この頭に優しく添えられた手に身を任せる、それが一番の礼のような気がしたのだ。

  

 僅か数分間の母子のような振る舞い。それはこの時間だけの偽りに相違ない。

 顔をあげて立ち上がるとこの現実逃避は終わってしまう。またあの荒んだ世界が俺の前に広がってくるんだ。だからそれまでは、この懐かしさに浸りながら祈ろうと思う。


 本当の息子と、本当の母へ――安らかな眠りを。



◇◇◇◇◇◇



 病院へ帰宅。

 もう相談する必要はなくなった。後はどこでどう行動を起こすかじっくり考えよう。


「へへ……」


 なんか、照れた。蒼井司令の頭撫でを思い返すと照れる。……うん、てれてれだ。

 あんなに誰かに甘えた態度を取ったのはいつ以来だっただろう。蒼井司令に相談してよかった。

 思い出しながら、へらへらと笑って病院玄関を潜っていく。


「うわぁ……」

「また一段と……」

「晴香、今こそ看護士としての使命を果たすのよ」

「だ、だから! なんで私なのよ!」

「えー、だって昨日からすごい気にしてるじゃん」

「そ、それは……」


 ん……? ナースステーションが騒がしい。仲良さそうで微笑ましいな。あそこに男も混じっていればなぁ、なんて淡い期待を抱いてしまう。

 

「な、なにか?」


 あらぬ妄想をしながらナースステーションを眺めていると、用があると勘違いされたようで、看護士さんが意を決したように声を掛けてくる。

 ここの看護士さんなら、俺があの病室に定住している事を知っている。あまり口外しないよう紗枝さんに言いつけられているらしいが、もう結構ばれていると思う。彼女達は病人じゃない俺に話しかけることはまずしない。それは男である事も関係しているんだろう。

 ちなみに俺がいつまでも病院に留まっているのは、やはりアリサさんの存在が大きいらしい。


「……ぅ……え、えと……」


 おっと。無言で突っ立っていると看護士さんが困っている。脅えているような態度取られると傷付くな。

 声を掛けてきた彼女の後ろから「頑張れ晴香」「あなたは何故看護士になったの?」「男の患者は助けないとでも言うつもり?」「好きって言えばいいと思うよ」「思い出すの。純粋に人を助けたいと思ったあの頃を」などと、数人の看護士さん達が囁いている。

 一体、なんのことだ? 言葉の深さだけは伝わってくるが……。


「ふ……ぅぅ……ぅぇぇえぇ~~~ん!」

「何故だ!?」


 いきなり泣き出す彼女。しかも号泣レベルだった。

 訳が分からんすぎる!


「……ぅぅ……ひっく……ご、ごめんなざいお母さん。……私、男の人やっぱり苦手だよ……。恥ずかしいよ、こんな私が人助けしたいなんて……ぅ、ぅぇぇえええぇぇん!」


 なにやら彼女のアイデンティティが崩壊したらしい。

 さっきまではやし立てていた看護士さん達が、突然泣き出した彼女を見てギョッとした表情でホップし、気まずげな表情にステップし、何か良い案を思いついた顔でジャンプし、最後は怒り顔で着地した。


「ちょっと! 何泣かしてんのよ!」

「そうよそうよ!」

「えええええええええ!?」


 なんもしてねぇ! というか、泣かしたのあんた達じゃないのか? 絶対俺ではないと断言する!

 まず状況を客観的に精査して原因を究明するんだ。ほら、ちゃんと見てみろよ。誰が泣かしたのかなんて明らかだろ? 俺の目前でボロボロ涙を零している彼女。泣きながらも震えた声で俺に謝っている。この構図を見たら誰が泣かしたと思うんだろうね? ほら、ロビーのみんな全員が俺を見てるよ。

 ……うん、俺かもしれん。


「いや、なんでだよ!?」


 状況に流されそうな自分にセルフツッコミを入れる。

 その後も、一向に泣き止まない彼女。周りから「なんとかしろ」オーラを一身に受ける。……なんで、俺? なんとかしようにも原因が分からない。いや、分かってても彼女を一切知らない俺にどうしろと?

 仕方ない……。泣き止ませる万国共通の必殺技を使うしかないか。


「……よ、よしよし~」


 ナース帽が邪魔だったが、子供をあやすように頭を優しく撫でる。恐らく俺より年上の彼女には失礼な技の気がするが、俺にはこれしか思いつかなかった。


「ふぐ……ひっく」


 おおっ。少し落ち着きを取り戻してきた。  

 直後、彼女はハッとした表情になり、俺に頭を撫でられているのに気付いて高速で後ずさりする。……傷付いた。俺が。


「……っ……ご、ごめんなさい」


 醜態を晒してしまったといった感じで顔を真っ赤にする。もう涙は渇いているようだ。

 周囲から「ふぅ」という安堵の溜息が聞こえてきた。俺グッジョブ。誰も言ってくれそうにないので自分で言う。

 やっぱり泣いている時はスキンシップが有効だな。大人でも泣きたい時は子供と変わらない。誰かと触れ合っていたくなるもんだ。

 そういえば、俺もさっき蒼井指令にやられてすげー安心した、し……な……。


 ――頭を、撫でさせてください。

 

「……あ、ぁぁああ」 

 

 いいですけど、じゃねーよ! この鈍感ヤロー!

 くぁぁああああ、俺の恥ずかしさがマッハ!


「そ、それでですね」

「え? あ、はい」


 彼女は涙を拭って、俺を見上げてくる。

 なんだろう? 瞳が萌えている。間違えた。燃えている。


「ぐ、具合は……その、いかがですか?」

「……は?」 


 何が……? 何の……?


「よくやった晴香ぁ!」

「頑張ったね!」

「これであなたは一人前のナースよ!」


 俺を置いてきぼりにして、看護士さん達が大盛り上がり。その中心で、さっきまで泣いていた彼女が花のような笑顔を浮かべていた。


 訳が分からん……。



◇◇◇◇◇◇



 告白決行日。


「あ、いた」


 ついにこの時が来てしまった。病院の屋上に呼び出しておいた縁が時間きっちりで現れる。いや、さっきまで一緒にいたんだけどね。

 訓練後なのでもうすぐ日が沈む時間帯。一応シチュエーションを考えたつもりだ。


「はろー」

「こんばんは、宗一さん」

「って! なんでお前らなんだよ!?」


 ずっこけた。

 ドキドキしながら振り向くと、縁と思っていた人物は有原と立川だった。

 

「宗一、何か悩み事があるんだって?」

「ぜひ聞かせてください。それをネタに宗一さんをからかえそうですし」

「……お前は最近、心の声を隠そうともしないな」


 どこで聞いたのか。犯人は多田さんか? 女子というのは本当に噂話が好きだな。

 今、縁に来られると告白の機会を逃してしまいそうだ。早くこいつらを追い返さなければ。


「また今度な。今は一人にさせてくれ」

「やだ」 

「やです」


 少しぶすっとした表情になって即、否定された。自分には頼ってくれないとか思ったんだろうか。意地でも聞いてやるという意志が伝わってくる。……ここは正直に話して退散してもらうのが吉か?


「わかったよ。その代わり、言ったらすぐに帰れよ?」

「何あせってんの? まぁいいけど」

「やった。宗一さんがそんなに言いにくそうって事は、すごくおもしろい悩みなんですね?」


 立川の質問を無視して説明してやる。……かなり恥ずかしい。


「……」


 説明が終わると二人とも固まった。ポカンとした表情だ。口に何か突っ込んでやりたい。しかしこれは、どういったリアクションなんだ?


「!?」


 屋内へ続く扉のノブが回った音がした。その場に居た三人が肩を振るわせる。

 一瞬だけ扉のほうを見やり、すぐに二人が居た場所に目を戻すともうその姿はかき消えていた。はえー……。


「あ、宗一君。何か用ですか?」


 入ってきたのは予定通りの人物である縁だった。首を傾げて頭の上に?マークが付いている。さっきまで一緒に訓練していたのに、何故わざわざ呼び出す必要があったのか不思議なんだろう。

  

「ああ、縁、その」


 有原と立川のせいで心の準備を邪魔されてしまった。しかしあいつら何処に行ったんだ? ……まぁいいや。

 

「……え……と」


 くっ……いかん。うるせーよ心臓。ちょっと動くな。……あ、嘘です。

 あんなに固めてた意志がもうコンニャクってきた。俺、情けねー。……落ち着け。いきなり本題に入る事はない。何か世間話でもして、いつもの雰囲気にしてみよう。


「そういえばさ、縁の……その」

「はい?」

「……胸はCと推測するが、このおっぱい星人の目は正常かい?」


 ぎぃゃやああああああああ!? 何言ってんだ俺はああああああ!!

 いつもこんな会話してねーだろーが! 何で急に勇者になってんだよ! いや、そりゃ前々から聞いてみたかったけど、何でどや顔でこの場面なんだよ! テンパッてるからってどんな暴走してんだよ!


「え、えと……はい。……正常です」


 うおおおおお!! きたあああああああ!! やっぱりね!

 

「じゃねーよ!! 死ね俺! 最低でも二三回は死ね!!」

「だ、大丈夫ですか?」


 頭を掻き毟っていると、笑いを噛み殺してるような声が聞こえた。その方向に目をやると、給水塔の裏に有原と立川が身を潜めるようしていた。……あんな所に。

 視線が合うと、二人は握り拳を胸の前で作って、声を出さずに口を動かした。



 ――がんばれ。



「……はは」


 自然と笑いが零れた。あの二人にあんな行動は似合わない。そのギャップがおかしかった。


「縁」

「はい」


 落ち着いた。悩み事を聞いてくれると言ったあの二人の言葉に嘘はなかった。なんでまだいるかは分からないが、まぁいいだろう。恥ずかしさもどこかに飛んでいる。後はこの気持ちを伝えるだけだ。


「今から言う事は冗談でもなんでもないんだ。だから縁もそのつもりで聞いてくれ」

「は、はい。分かりました」


 俺の真剣な表情に、縁が少したじろぐ。縁のそんな姿はめずらしい。

 視界に入った有原と立川も緊迫した表情になっている。なんでお前らがと思ったが、知り合いの告白を目の前で見てたらそうなるか。


「今まで縁は、何もわからない俺の傍に居てくれて、助けてくれて、すごく感謝してる。一緒にいるのが楽しいし安らぐ。俺が勝手に思ってるだけかもしれないけど、俺達すごく良い関係だったと思うんだ」

     

 それは友人や仲間と呼べる関係。その変化を望んでしまった俺。

 男女ならその境界線は常に曖昧だが、俺のこの望みは友情に対する裏切り行為なのかもしれない。

 

「でも最近、違うって気付いたんだ」


 そう。自分の中で認めてしまった物はもう変わらない。表層ではなく、内面で自分に嘘をつくのは至難の業。


「俺は縁が、その……」

「は、はい」

「……」


 残り二文字が紡げずに、俺の口は固まった。緊張や恐怖という感情も無いではないが、それが原因というわけではない。

 俺の言葉を妨害するかのように、更科さんの泣き顔が脳裏に割り込んできたのだ。どうぞふってくださいと、辛そうに作り笑いを浮かべていたあの泣き顔が。

 それに思い至ると途端に自覚したのだ。自分が今、何をしているのかを。


 誰かの想いを拒絶し、誰かに想いを届かそうとする。こんなありふれた男女のやり取りでさえ、影で泣いている人が必ず存在する。そんな想像にすら至らず、俺は今までどれほど無遠慮に幸福を掴んできたのだろうか。掴もうとしてきたのだろうか。


 そう。どんなに奇麗事を並べ立てても、罪悪感に苛まれようとも、この恋心を誰もが本物だと認めてくれたとしても――俺が更科さんの気持ちを踏み躙ったことに変わりは無く、それに対する免罪符など何処にもありはしないのだ。


「俺は、縁が好きだ!」


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