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2 : 8  作者: 松浦アエト
30/46

第30話 自殺

 約二十年の人生で、死というものをこれほど意識した事はなかった。

 生物である以上逃れられない戒め。生まれた瞬間から刻印されている死への恐怖。それは生あるものに対する罰なのか、それとも救いなのか。


 時間にして秒針の一刻み。その一瞬は濃密で、漫然と過ごしている日常をいくら積み重ねたところで及ばない。生死の狭間のこの短い時間で、俺が得る物、失う物は多大であることは間違いない。


 ――死にたくない。


 俺が思ったことはそれだけ。生物として当たり前の感情だが、異質なのはその総量だった。この一秒という短い時間に、俺は生涯の中で最大の欲求に駆られた。

 

 時間が圧縮したように、スローモーションで迫ってくる目の赤くない男。

 目が赤くない。それに対する疑問は、まだ安全圏に位置していた時の悠長なものだった。今は唯一つの欲求が、俺の全てを支配していた。


 ――生きたい。


 それを達成する為なら、俺は非人道的な行為も辞さない。辞さないだろう。この衝動の暴風は、良心に付随する全ての理性的思考を吹き飛ばしてしまうと確信する。

 俺は……いや、人はとどのつまり、利己的な存在なんだろう。自分の為に、他人を傷付ける。良心とは人が作り上げた逃避場所なのかもしれない。

 相手を傷つけないと生きていけないのがこの世界である限り、本当の意味での良心は人には生涯、持ち得ないのかもしれない。


 男性街の住人達に、俺は何も言えなかった。出来なかった。

 彼らはおよそ人間扱いしてくれない人生を歩んで来たんだろう。可哀想だ。ああ、そう思う。思わずにはいられない。あんな状況でしか生きられない事も。


 でも、許せなかった。

 彼らの恐怖や畏怖に様変わりする表情。吐き気をもよおすほど不快な罵倒。石と共に投げられた純粋な殺意。

 それら全ては間違っている。それら全てに間違っていると叫ぶのが俺の望み。そう、思っていた。


 でも、違った。


 俺が叫びたかったのは誰の為でもなく、道徳的な正しさでもなく、高潔な信念によるものでもなかった。俺という一人の人間が、そんな負の連鎖を見たくないからというそれだけの理由にすぎなかったのだ。

 あの場で一番、独善的な思考を持っていたのは、他の誰でもない俺だったんだ。

 俺が本当に言いたかった事、望んだ事は、つまるところこれなんだ。

 

 ――俺の為に、死んでくれ。


 そう。俺が生きる為に、お前が死ねばいい。俺が笑う為に、お前が泣けばいい。

 生命を奪う事も、心を踏み躙る事も、本質的には変わらない。全ては自分のエゴを通す行為に他ならない。


 赤目を殺した時、何故それを認めなかったのか。俺はいつまで目を逸らし続けるのか。

 日本という裕福な国で生まれ、病に侵された難民や、紛争で四肢を失った人を見た事があった。一般的な家庭で育ち、貧困に苦しんでいる人やホームレスを横目で見ていた。自分が大学に合格して喜んでいた時、隣で泣いている奴がいた。

 他人の不幸が自分の幸福に繋がっている事を、俺はとっくに知っていた筈だ。  

 

「すまない」


 接近してくる男が謝罪の言葉を紡いだ。いや、実際には喋っていない。でもハッキリとそう感じ取れた。

 彼の表情は申し訳なさで染まっていた。それは赤目では無いという証明。彼には感情が存在する。

 どんな事情かはわからないが、彼は俺を殺さないといけない理由があるんだろう。俺を殺す事で、彼は自分の何かを守ろうとしているんだ。


 不思議と憎しみや恨みの類は、心中に到来しなかった。この圧縮された時間内で、俺は彼と数百を超える会話を成立させた気がした。

 復讐や狂気に駆られた殺意なら、俺はこの瞬間に何も得る事はなかっただろう。だが、その悲しみに染まった男の表情と行動は、俺の欲してやまない答えの全てを表現している。

 その会話で得た自分自身の本当の答えと同時に、それに対する覚悟を少しだけ手に入れる。

 

 ――俺が生きる為に、お前が死ねばいい。


 そしてその手段である答えを出す。殺し合いの状況では単純明快なものだ。

 でも、男性街の住人に対する手段は一体、何が良かったんだろう。男性を嫌悪する女性達には何が有効なんだろう。今その具体案を出す事はできないが、本質的な答えは決まっている。



 ――踏み躙れば良い。相手の望みや願いを。


 

「くっ!」


 男の何かを掴み取ろうとしている手の形。その手の斜め上段からの振り下ろしを、動く上半身だけを逸らせて回避する。目の前の空間が抉り取られたのが分かる。獰猛な肉食動物の捕食動作に似ているが、威力はそれとは桁違いだ。


「……ぐ……は」


 完璧に回避した筈なのに、鋭い痛みが胸元に走る。触れてすらいない軍服の上着と、胸部から下腹部までの皮膚が斜めに削ぎ取られている。

 頭が疑問に支配されそうだったが、今はそんな場合ではない。抵抗しないと殺される。


 フェイズを全て開放して耐久力でも、彼の攻撃には対応しきれない。よくわからないが、この攻撃は外部干渉の類だ。干渉をぶつける防御をしないと効果は薄いだろう。しかしスピードやパワーもある事から、安易に干渉だけに集中するわけにはいかない。


「宗一君っ!」

 

 すぐそこにいる縁が悲痛な叫びを上げる。今すぐ飛んで助けにきそうだ。しかし、その距離は今この状況では絶望的ものだった。この辺り一体を覆う干渉による強制停止は、すぐに突破できるものではない。


 男がニ撃目を繰り出してくる。その軌道は心臓。抉り取る為の猛禽類の爪を模した手。

 命を奪うには、脳と心臓の破壊が最も適している。その迷いのない急所への攻撃は、確実に俺を殺そうとしている決意の現れだ。


「くっ、ぁあああ!!」


 獰猛な爪を模した掌打に向かって、最大限強化した右拳を叩きつける。右手に集中させたもののほとんどは強化能力。干渉に抵抗する力は極僅かだ。

 手が吹っ飛ばなければそれでいい。いや、吹っ飛んだところで何だって言うんだ。


「が!?」

「ぐぅ!」


 痛烈な痛みが右手を走る。まだ手首から先が存在しているのかも分からない。それは彼にも同じ事が言える。強化と干渉がぶつかれば、互いの弱点でもある事から双方ただでは済まない。

 

 通常の状態では大騒ぎするような重傷を負っていても、意識はそちらに向かない。激痛を噛み殺すという行為にのみ集中する。そうしないと一息の間に殺されてしまうだろう。 

 拳が潰れようとも、胸が抉れようとも、四肢のひとつが吹き飛んでも、生への欲求はこの男を殺せと叫ぶ。 

 そう。これが本当の殺し合いなんだ。

    

「っ!?」


 男の次の行動により、俺の死は確定した。彼は瞬時に俺の背後に回ったのだ。下半身を動かせない状態では防御も糞もない、振り返ることすらできない。

 卑怯、なんて言うつもりは無い。正々堂々の勝負ではないんだ。彼の中で何よりも優先されるのは辰巳宗一の殺害。その為なら動けない相手のさらに背後を狙う、非人道的な行為も厭わない。


「……すげぇ」


 心境とは裏腹に、達観した言葉が口から零れる。諦めにも取られるその言葉の裏で、この状況打破の為の思考を高速回転させる。無駄と知りつつも、それでも諦められない。これが無念というものなのか。


 ――――。


 極限の状態が、人を高みに押し上げる。それは進化と同じ事。生きる為に適応する。

 まだ未成熟なフェイズ3が疼き出すのを感じる。生への渇望が、進化を促進させる原動力となる。


「ぐ……あ、あ、が……っ……う……ご、けええええええ!!」


 動け! 動け! 動け! 動かないと死ぬぞ!?

 死にたくない! 死にたくないだろ!? 俺はまだ、こんな所では!


 まだ……? こんな所……? 


 死を望む時。死を願う場所。満足する死。そんなものあるのか?

 いつでも人間は、意地汚く最後の瞬間まで生きようと願う存在ではないのか。少なくとも俺はそうだ。この時代で自分の存在価値を疑っている俺でさえ、今を生きる為にこの男を殺したくて仕方が無い。

 

「くぅぅぅ……ぁああああ!!」


 俺の足は意志に反応した。干渉の呪縛に対抗するに足る力を発揮した。だがそれは、足の指先が少し反応しただけといったもので、状況に少しの変わりもない。

 男の手が俺の命を削り取るまでコンマ何秒。時間が圧倒的に足りない。

  

 上半身を屈ませて回避する? いや、足の切断を狙っていたらどうする。

 体を捻らせて攻撃? ダメだ。充分な威力がでないし、カウンターで殺されるだろう。

 干渉で全力防御? ……どこを?

 死ぬ? ……死?


 いくら考えても、頭に浮かんでくるのは死の一文字。でも俺の脳は認めたがらない。その確定している未来を。


「……ぐ!?」


 発砲音と共に、背後から苦しげな声が届く。辺りを見渡すと、ヒデが拳銃を構えているのが見える。

 

「くっ、ダメか! 全員、間接であいつを攻撃しろ!」


 そうか。上半身は動く。なら間接攻撃は届くんだ。

 しかし状況は全く好転していなかった。ヒデの焦りの意味を、その直後に思い知る事になる。それは男の覚悟に起因していた。彼は強化された銃弾の攻撃で相応のダメージを喰らったにも関わらず、即座に体勢を立て直して俺を殺す一撃を放ってくる。

 彼はここから生きて帰ろうなどとは露ほども思っていない。近くにいたヒデの反応が間に合っただけで、これから放たれる間接攻撃は間に合わない。

 彼は先程の赤目と同じく、穴だらけで死ぬ事になる。でも問題ないんだろう。そこには俺の死体も転がっているんだから――。


「……な、なに!?」

「え?」


 ギュッと目を閉じた暗闇の中、男の戸惑う声が耳に届く。一息の間も置かず放たれると思っていた攻撃が来ない。

 何故だ? この機会を逃す程、彼は甘くない筈だ。

   

「あ……ぐ、あ、がああああああああああああ!!」


 断末魔のような絶叫と共に、背後から異臭と熱気が漂ってくる。その意味を、首を捻らせた視界の端で捉える。


「……ぅ」


 思わず口と鼻を手で覆った。彼は体全体が……焼け焦げている? その表現が正しいのか自信が持てない。そこにあったのは、もう人と判別ができない黒い肉の塊。立ち昇る気化した血液。


 視界の延長線上に、佐野さんが右腕を俺の背後の方向に突き出しているのが見える。その右腕部分に纏っていた服と黒皮の手袋は無く、肩から指先までむき出しの状態になっていた。

 それを見てなんとなく分かった。佐野さんが何故、左手で握手を求めてきたのか。 


「ふぅ……。なんとか間に合ったね」


 傍で女性の声がした。縁ではない。でもどこかで聞き覚えのある声だ。

 それに、いつのまにか干渉の呪縛が消失している。


「高瀬、さん?」

   

 目を向けた先には、防衛戦の時にお世話になった高瀬さんが立っていた。


「宗一君! 大丈夫ですか!?」


 縁が青ざめた顔で飛んでくる。といってもすぐそこだが。


「ハハ……。生きてるよ、俺」


 渇いた言葉が口から零れると同時に座り込んでしまう。

 様々な疑問は後回しにして、とりあえず明日に繋がった命に感謝した。



◇◇◇◇◇◇



「そうちゃん。お疲れさん」

「あ、ども」


 あれから。前線の部隊が無事に赤目を撃退し、山形の基地に戻ってきた。

 今は俺達の歓迎をしようという佐野さんの提案で、少し豪華な夕飯がバイキング形式で目の前に並んでいる。周りにいる兵士は男性部隊の人たちばかりだ。


「あの人は……」

「……ああ」


 全てを言わずに察してくれたのか、佐野さんは少し暗い表情で話してくれる。

 俺の命を狙ったあの男は、ここに所属する正式な軍の兵士だったらしい。味方である人物の思わぬ行動に、周りの兵士達も混乱して反応が遅れてしまった。


「何故、俺を?」

「あいつは……」

 

 俺の当然の疑問に、佐野さんの言葉が止まる。


「君は狙われる心当たりはないのかい?」

「……あります」

 

 今の俺は不安定な存在だ。研究対象として、外交カードとして、いろんな思惑が交錯している。刺客がいたとしてもなにも不思議ではない。ハッキリと断定はできないが、彼は俺を疎ましく思う組織や派閥の構成員なんだろう。


 赤目を始末した直後に攻撃を仕掛けてきたのは、辰巳宗一は赤目との戦闘により死亡としたかった為だろうか。いや、もしかすると俺の暗殺を指示した人物は、失敗してもかまわなかったのかもしれない。本気ならば少数の時、例えば男性街から仙台基地に向かっている間に狙えばいいし、他にもっと効率的なやり方もあったはずだ。敵対する勢力があるというポーズの可能性が高い。


 だがそんな水面下の衝突は、ハッキリ言ってどうでもいい。俺がなによりも気になったのは、彼の悲しげな表情だ。彼の決意と覚悟は本物だった。しかしそれでも尚、感情は抑えきれずに表面化していた。

 

「気になるかい?」

「はい」


 大体の想像は付く。彼は弱みを盾に動かされた。俺を殺さなければ、彼の大事な何かが傷付けられていた。それは他者に対するものなんだろう。恋人か家族かはわからないが、それだけは確信した。何故なら、彼は自分が生きて帰る想定を全くしていなかったからだ。

   

「そう……ですか」


 佐野さんは直接的な理由かは分からないがという前置きをしてから、彼の詳細を話してくれた。

 ああ、やっぱりな……。俺がこの時代に迷い込んでしまったせいで、彼の未来を断ってしまった。その選択をさせてしまった。佐野さんに部下を殺させてしまった。

 

 彼には俺を殺す理由があった。それはとても悲しい理由で、非情な命令によるものだった。

 自分に当て嵌めて想像してみると、その選択は正当なものなのかもしれないと、そんな愚かな同情心まで湧いてくる。その選択を仮想で迫られた俺の脳裏にすら、家族の顔が浮かんでいた。 しかし、その理由を知っていたとしても、俺は自分が生きる為に彼を踏み躙っていただろう。


「それでいいんじゃないかな」

「え……?」

「まぁ食え食え。話はそれからだ! いや、今日はいいものが見れたよ。はっはは」


 佐野さんが箸でモリモリ俺の皿に料理を放り込んでくる。

 その手は俺の予想通り左手だった。器用に使いこなしているものの、利き腕とは違った少し不自然な動きだ。


「佐野さんは、フェイズ5なんでしょう?」

 

 思ったことをそのまま伝えると、ピタリとその手が止まる。


「ふ~ん。正解だよ」


 佐野さんは箸を置いて俺に視線を投げてくる。

 彼が一瞬にして焼死体に変容した事もそうだが、なによりも佐野さんの立場がそう思わせた。男でありながら基地のトップレベルに君臨している。それは希少なフェイズ5の能力者であると連想させるに容易い。


「知りたいかい、フェイズ5の事」

「……能力だけで、お願いします」


 少し、怖い……。現在、人類が到達できる最高地点フェイズ5。進化の頂。

 俺が見た佐野さんのむき出しの右腕は、人間のそれとは思えないものだった。肌の色は炭化した墨のように黒く、皮膚は剥がれ落ちそうに水分を含んでいない。その状態は神経が通っていることすら不自然に感じてしまう。 


「フェイズ5の能力は『創造』。つまりは現象具現化だ」

「現象を、創造……?」


 俺の知っているフェイズ5の能力は、アリサさんのスバ抜けた精神干渉だけだ。

 現象具現化。その意味を考えると、アリサさんの能力は精神を具現化しているという意味になる。

 北日本防衛軍に所属しているフェイズ5は、佐野さん、アリサさん、紗枝さんの三人だけらしい。

 

「佐野さんは発火能力者ということですか?」

「いや、少し違う。正確には温度操作だね」


 温度? つまり温度に干渉して上下させるのか。

 温度と一口に言ってもいろんな物がある。気温、水温、室温、体温……。


「僕があいつに攻撃した方法は体温の急上昇。間接で攻撃できたのは、空間に干渉能力を使って捕捉したからだ。あまり距離はでないけどね」

「空間に……干渉?」


 すげぇ……。普通、地面なんかを通して干渉するのが精一杯なのに。

 俺は彼の初撃を完璧に避けた。にもかかわらず、服と胸の一部を削ぎ取られたのは、空間に干渉することで射程が伸びていたと考えるのが妥当だ。フェイズ4の能力により、攻撃範囲を付与したのだろう。


「あのお嬢さんも使っていたよ」

「……縁が?」

「あの時そうちゃんに一番近かったのはあの子だからね。僕の攻撃が間に合ったのも、あの子の妨害と君の護衛の人の停止能力のおかげさ」


 俺はまた縁、高瀬コンビに救われたのか。いや、佐野さんとヒデにもだな。 

 

「僕のフェイズ4の能力は火や氷の働きを活性化、あるいは沈静化させる現象操作だったんだよ」

「フェイズ5はその媒体が必要にならないんですね」

「その通り。自分で具現化させる所にフェイズ5の特質がある。それに、単純な威力がフェイズ4のそれとは桁違いになってくる」


 あの男を攻撃するのに、火をつけてからでの攻撃は遅すぎる。温度上昇でフェイズ能力者を即死させるには、一体どれ程の高温が必要になるのか、ちょっと想像がつかない。

 

「上下どこまでの温度が可能ですか?」

「自分が体感したことのある限界までってのがネックなんだよ。上はダイヤモンドの融点を越えてたかな。下はあまり得意じゃないんだよね」

「ダイヤモンド!?」


 ダイヤモンドって事は炭素だよな? 炭素の融点って約3500℃じゃなかったか? それを体感した事がある? それはその右腕に? とは聞けなかった。


「佐野さん。今日はありがとうございました」


 いろいろ話は聞けたし、助けてもらったし、この短期間にすごいお世話になった。


「ヒデー」


 おもむろに佐野さんがヒデを呼び寄せる。


「そうちゃん、携帯番号交換しよう。ほらヒデも」

「え? ……いいですけど」

 

 男同士なのにノリが合コンのようになってきた。でも嬉しい気持ちもあり、二人と番号とメールアドレスを交換する。


「おっと」


 無機質な着信音が響く。さっそく佐野さんからメールだ。


『メールしてね♪ これからもよろしくぅ(^o^)/』


「うざっ!」

 

 つい本音が口から飛び出してしまった。

 佐野さんが「ひどいなぁ」なんて少しヘコミ気味になる。ヒデはそれを見ながら笑いを噛み殺していた。俺もそれに吊られるように吹き出してしまい、少しだけ心が晴れるような気持ちになった。


「彼女らにも礼を言っておきなよ」

「あ、そうですね」


 佐野さんの指差した方向に、縁と高瀬さん含め、女性が十人程集まっているテーブルがある。

 あの干渉の呪縛を解けたのは高瀬さん以下、女性達の協力があっての事だという。佐野さんの攻撃が間に合ったのもそのおかげだ。

 干渉での強制停止は組織的に行なわれたものであり、複数人で遠距離から仕掛けたものだというのが逆探知で判明した。その人達は誰一人捕らえる事はできず、指示を出した人物どころかその痕跡さえ見つけることができなかった。

 結局あの事件は、彼一人の狂った犯行という事で収束した。しかしそのままの意味で捉える者は、地位が高いほど少数になるだろう。


「やあ、辰巳。無事でよかったね」


 礼を言う為、近くに寄って行くと高瀬さんが気さくに声を掛けてくる。その隣で、縁が先程より三割増の仏頂面をしているが、機嫌取りは後回しにしておこう。


「高瀬さん……と、皆さん。ありがとうございました」


 彼女らは蒼井司令の命令で、影ながら俺の護衛をしていたらしい。

 全く気付かなかった。あの人はやはり抜け目ない人だ。


「無事とは言い難いですけどね」


 縁がぼそっと嫌みを言い放つ。細めた目の行き先は、俺の怪我に向けられている。

 右手骨折と胸部の裂傷。特に右手がひどく、手の甲の皮膚は吹き飛び、骨が剥き出しになっていた。基地に戻り人工の皮膚の移植を受けたので外見的には元通りに近いが、完治にはまだ時間がかかる。でも本当の殺し合いでこれだけの被害なら少ないほうだろう。

 

「井上が怒るのも当然だ。無理して第一警戒ラインまで行って案の定あれだ。超えるようなら確実に止めに入ってたんだからね」

「う……。すんませんっす」


 高瀬さんまで不機嫌になりつつある。これはまずい。


「くくく……。宗一は井上に頭が上がらないのな」


 ヒデが馴れ馴れしく肩に手をかけてくる。


「……うるせーよ。そこにあるワカメのお吸物でも食ってろ。そしてハゲを治せ」

「ワ、ワカメなんて食い飽きてんだよ!」

「すまん。言い過ぎた。俺が悪かった。勘弁してくれ」


 ダメだと思っていてもハゲをネタにしたくなる。その後、本当に悪かったと思ってしまう懲りない俺がいた。  


 そこでふと気付く。高瀬さんは堂々としたものだが、その他の女性はすこぶる居心地が悪そうだった。

 まぁ無理もない。今は男のほうが多いんだからな。栗原の基地とは全く逆の状況になっている。ここの基地の男性達も、あまり歓迎ムードではない。


「ヒデ、ここの基地は男性部隊はあるけど、基本的には女性が多いんだろ? なのになんだか……空気が悪くないか?」

「女に慣れてるって意味か? たしかに最低限協力する事はあるから、ここの基地は男女間の壁は薄いと思うが、それも栗原の基地と比べたらの話だ。苦手意識は互いに持ってる。今、空気が悪いのは、こいつらが過敏すぎるからだ」

「お、おいおい」

 

 気を遣って小声で言ったのに、ヒデは女性達の目の前でハッキリと断言する。たしかにこうも嫌悪感丸出しでは、周りの男性にも嫌な空気が伝染していってしまう。彼女らにとっても、この非日常な状況は受け入れづらいのだろう。


「……ちっ」 


 まただ。いつも互いの気持ちを汲み取ってしまう。どちらにも非がないように思える。そう結論付けて、状況打破の思考を止めてしまっている。

 どっちが正しいとか間違っているとか関係ない。だってそうだろ? 俺がこんなの嫌なんだから。お前らの気持ちなんか知ったことかと一蹴すればいい。自己中心的な考え方に違いないが、それはお前らも同じだ。俺を嫌な気分にさせてるんだからな。それになんでそんなしかめっ面で飯食わなきゃなんないんだよ。


「第一回! 栗原基地、山形基地合同、ねるとんパーティーを開催します! イェア!」


 はい、空気凍りついた。

 佐野さんすら半開きの口で俺を見ている。飯こぼれてるよ。


「はいはい。じゃあ、参加者はここに座ってねー」


 女性達が陣取っているテーブルの真横に、まだ呆然としている佐野さんとヒデを座らせる。流石に喋った事もない男性は巻き込めなかったが、何事かと遠巻きにこちらを注目している。


「え……と。……よし、できた。じゃあ引いて引いて」


 人数分の箸を用意して、ひとつだけ目印をつける。合コンなんかでよくやる簡単なゲームだ。


「皆さん引きましたね? では印が着いてる箸を引いた人に、この中で好みのタイプを発表してもらいましょう。ちなみに拒否はできません」

「僕? って、そうちゃん、なにこれ?」

「お、佐野さんが引き当てましたか。……え? 佐野さんは高瀬さんが好み? ほうほう、なるほど」

「な!?」


 え……? なに赤面してんの? もしかして俺のムチャ振りが確信突いた?


「高瀬さんとは良い人を選びましたね。俺もオススメしますよー。あっ、この機会に番号交換とかどうですか? おっと、ところで高瀬さんは独身ですか? 恋人はいませんか?」

「えっ? あ、ああ……」

「きーたーーー! ぶげ!?」

「うるせーよ!」


 俺の超ハイテンションがうざかったのか、ヒデにゲンコツを貰う。わかるぞその気持ち。今の俺、超うざい。超とか言っちゃう程うざい。


「しょうがないね、辰巳は」


 高瀬さんが俺の手の中にある箸を引いてくれる。そして俺に目配せをひとつ。

 さすが隊長職を経験した事のある人だ。俺の意図に気付いて自らが動き出してくれる。心強い協力者を得た。思惑通り、周りの女性達も高瀬さんに引き摺られるようにゲームに参加してくれている。


「次はそこの髪の長い彼女ですね。この三人なら誰が一番タイプですか? あ、別に周りの男性でもいいですよ?」


 途端に周りがザワついた。まさか自分達も対象にされるとは思わなかったんだろう。

 うん、わかるぞ。この子、結構かわいいもんな。これは指名されると嬉しい。


「えと……その……」

「うんうん」

「えと」

「うん」

「……その」

「……うん」


 …………。


 うわー……、きっつー。無言が一番キツイ。

 そこはいないとかでもいいんだよ? そしたらそれがネタになるじゃん。

 

「う、う~ん」


 けど一応、彼女は真剣に考えてくれている。でも待ってたら夜が明けそうなので放置しておくか。

 周りの男性諸君。精一杯のイケメン顔の継続、頑張ってくれ。


「じゃあ次、行ってみよー」


 その後も引き気味な両陣営に挟まれながらも、ハイテンションねるとんパーティーを進行していく。

 佐野さんが少し挙動不審になっていて、それをおもしろがった男性達の距離が少し近くなる。ヒデはこういう話題に弱いのか、当たりを引いても顔をタコにするだけでいないの一点張り。

 付き合ってくれた高瀬さんも終始苦笑い。周囲を男性で固められた女性達の表情は戸惑い一色。でも、それはさっきの歪んだ顔よりは何倍もマシだった。少なくとも俺はそう思った。


「あれ……? 該当者なし?」


 周りの箸を見ても印が着いていない。ということは……俺の手に一本残されている箸が当たりだ。

 

「そうちゃんはそこのお嬢さんだろ?」

「間違いないね」


 佐野さんと高瀬さんが反撃とばかりに、縁を指差しつつ俺に振ってくる。

 さっきから一言も喋ってない縁。未だ不機嫌顔は健在だ。意外と根に持つタイプなんだろうか。機嫌取りも兼ねて肯定してもいいんだが……なんだかそれは嫌だな。


「え、えっと……」


 困ったぞ。ここで主催者の俺がいないと言ったら興醒めだ。事情を察してくれている高瀬さんは佐野さんとバッティングするし、ここにいない人を言うのもないだろう。他の女性は名前も知らないし、適当に言うのも躊躇われる。彼女達は栗原の基地に一緒に帰るからな。


「なんだよ宗一。人に聞きまくっといて自分はそれかよ」

「そうちゃんもウブだねー。……くく」


 ヒデと佐野さんが逆襲の徒になる。ここは誰か言わないと盛り下がる。盛り上がってもないけど。 

 ここはやはり縁で逃げるか? でも、なんか嫌だな……。


「……う」


 両手でコップを持って、コクコクお茶を飲んでいる縁と視線がぶつかる。

 何だそのかわいらしい仕草は? 狙ってるのか? 私を指名しろと? ……いや、違うな。全然違う。

 縁の上目使いは、一言で言うと怖いだった。その迫力ある目力で、縁は多分こう言っている。


(宗一君の自爆ですよ。ちょっと考えたらこうなる事はわかるでしょ。なんでそんなにバカなんですか? もうしょうがないから私にしなさい。本気にしませんから) 


「おおお……」 


 テレパシーを受信した。一言一句、間違えてない自信がある。

 縁の言うとおりにするのが無難だと思うがやはり気が進まない。……あれ? なんでだ?


「そうちゃーん。はーやーくー」

「井上なんだろ? マジな話で」

「間違いないね」

「く……ぅう……」


 周りの冷やかしの声が一体化してきた。高瀬さんがさっきから同じ言葉しか使ってない。ボキャ貧なんだろうか?

 脳内の宗一達が縁で逃げろと促してくる。しかし、よくわからない抵抗勢力がそれを押し戻す。


「俺の……タイプ、は」


 縁にしとけ! いや、ダメだ! なんで? 知るかそんなこと。だったらどうするんだよ? 俺の正直な気持ちをぶつければそれでいいんじゃないか? ほんとか? それでいいのか? ……よし、わかった。覚悟は決まった。じゃあ行くぞ! あの子に届け! 俺のリビドー!


「お、お、お前だああああああああああ!!」

「…………は?」

    

 俺の人差し指の延長線上にあるのは、紛れも無くヒデのハゲ頭だった。

 男を指差すと言う俺の奇行に、その場は瞬間的に凍りつく。


「……く、くっくっく。あ、あはははははははは!」

「そうちゃん……くく、それは最大級の自爆だよ。くははは、あっははははっははははは」

「ぐぬぅ……」


 高瀬さんと佐野さん爆笑。俺の心の葛藤が見透かされたようですごい恥ずかしい。でも引かないぞ。勝負は先にイモひいたほうの負けだ。

 

「俺はそのハゲ頭に恋してやまないんだ! 頼む! なでなでさせてくれ! レロレロでもいいぞ!」

「き、きめぇ!?」


 かなり本気で逃げていくヒデ。それを追いかける俺の背後から縁の溜息、高瀬さんと佐野さんの笑い声。それと、少しだけ。ほんの少しだけだが、その場に居る人達全員の笑い声が俺の耳に届いた。



◇◇◇◇◇◇



「……それは?」


 深夜。ヒデに頼んでこの基地の墓に案内してもらった。

 着いた先には大きな石碑がひとつ。只それだけ。名前も刻まれていない。しかしそのひとつだけの墓には、たくさんの供え物や遺品等が所狭しと並べられている。


「指輪」


 ヒデの質問に答える。俺が持っているのは熱で変形した指輪だ。もう指輪ではなく何かの黒ずんだ金属としか判別できず、ヒデが判らないのも無理はない。確信を持って答えられたのは、俺が彼の指から外したからだ。

 

「憎んでないのか?」

「……ああ」


 自分を殺そうとした相手の遺品を、わざわざ持ち帰り墓に供える。自分でもバカみたいな行動だと思う。

 佐野さんから彼の事を聞いて、この指輪を持ち帰ったのは正解だと思った。でもここに供えるのは間違っているのかもしれない。俺が持って来てはいけなかったのかもしれない。そんな疑念がいつまでも消えない。

 彼は俺を殺す事で、幸せになれた筈なのだから。


「ほらよ」

「……これは?」


 ヒデが懐から一冊のノートを取り出し、俺に渡してくる。


「兄貴の日記だ」


 相沢正の日記? 五年前に味方の女性に殺された、あのメッセージを書いた人。


「なんで俺に? 大事な物じゃないか」

「……さぁな。気まぐれだ」

「気まぐれにしては重過ぎるだろう」

「いいから受け取れ。俺は監禁されてた時に覚えるくらい読んだからもういらない。じゃあな……ふわ」

「お、おい……」

  

 用事は済んだとばかりに、ヒデは不自然なあくびをしながら去って行く。

 あいつは兄貴を殺した女性を恨んでいるはずだ。でもそれは、縁や他の女性達への憎しみに繋がっていない。本心は分からないが、少なくとも直接的な嫌悪感は出していない。

 男性街で縁を見逃してくれた事も、さっき女性達にズバリと空気の悪さを指摘した事もそうだ。短い期間だが、俺が見てきた相沢秀典はいつだってフラットだった。


 読んでみたい。俺は知らず知らずの内に、会った事もない人物に傾倒している。その人の生前の日記が目の前にあるんだ。読みたくないわけが無い。

 だが、今はやめておこう。何せここでやるべきことが三つもあるんだ。


「サンキュなーーー!」

 

 一つ目は、ヒデに声が届く範囲で礼を言いたかった。照れ隠しの早歩きが笑いを誘う。

 今日で外出期間も終了だ。明日には栗原の基地に帰らなければならない。だからヒデへの礼は今しか言えない。電話で言うのは流石に締まらないしな。


「しょっ……と。ここでいいかな」


 しゃがみこみ、真っ黒な指輪を花束の隣にそっと置き、目を閉じる。

 二つ目は、彼の墓にこの指輪を供えて、鎮魂を願うこと。


「……」


 彼が俺を殺そうとした時に呟いた謝罪。あれは彼の弱さそのものだ。

 今から殺す相手に謝ってどうなると言うんだ。あれは自分を許したいが為の謝罪。その弱さは、男性街で叫んでいた俺にそっくりだ。


 だが俺と彼には決定的に違う点がある。

 彼は俺を踏み躙る事を躊躇わず、その為に死を厭わなかった。俺は男性街で叫ぶことすらできなかった上に、彼との戦闘で自分が生きようと必死だった。

 言葉だけ並べてみると、常識人は俺だと誰もが言うだろう。でも、ダメなんだ。もうそれだけで、俺は満足する事が出来ないんだ。


「間違ってる……! 間違ってる! 間違ってる!! こんな時代! 世界! 男も、女も!」


 瞬く光が鮮明に見える夜空に向かって叫ぶ。


「……違う。そうじゃない!」


 全世界へ届かせたい。俺の咆哮、産声を。   


「俺だ……俺が認めない! 認めたくない! 認めて、たまるか!」

 

 だからこう叫べ。独善的な行為を成す最初のピース。


「俺の為に……死ね!!」


 それを信念と呼ぶ人もいるだろう。だが、そんな言葉で飾るのはお断りだ。信念という言葉の表面だけを見て憧れていた。かっこいいなんて思っていた。でも、よく考えろ。

 他人を押し退けて自分の意志を貫く行為のどこが素晴らしい。他人を不幸にして自分が幸福になる行為のどこに信という文字が符号するのか。 

 

「奇麗事はもう、うんざりなんだよ!!」


 出て行け! 俺の中にある偽の良心。飾りの信念。メッキの覚悟。紛い物の道徳。前時代の遺物。

 お前らは邪魔だ。お前らが居ると叫べない。殺せない。踏み躙れない。


「ぐ……あっ……ぁぁぁぁああああああああ!!」   


 フェイズ3の干渉能力を全開にして、今やらなければならない三つ目を果たす。

 俺が干渉するべきなのは、武器でも物質でも他者でもない。弱い自分自身だ。そしてそれこそが、俺のフェイズ3の能力であると確信した。


「く……ぅうう……。出て……行け……。出て行け! 出て……行けぇええええええ!!」


 激烈な頭痛と同時に、自分のこれ以上ない不甲斐無さを痛感する。

 自己への干渉。自己暗示と言い換えてもいいかもしれない。それはスポーツ選手がドーピングする不正行為となんら変わらない。麻薬に逃避する人となんの相違もない。その行為は現実の辛さに自殺する人そのものだ。


 でも俺はたった今叫んだばかり。捨てたばかり。

 間違っているとか、正しいとか、そんな善悪論は何の役にも立たない屑であると。


 俺にとって無価値な判断を下す脳へ。揺れ動く弱い心へ。非情になりきれない精神へ。


「死ね! 死ね! 死ね! ……死ねぇぇえええええええええ!!」


 最後の三つ目。それは――。


 自分を――殺す事。


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