第3話 目的と決心
「はい。今日はこれで終わりねー」
「はぁ……。あの、アリサさん」
西暦2012年に意識を失い、西暦2064年に目覚めてから十五日目。
何の変哲もない大学生活を送っていた俺の日常は、捕獲された未確認生物のような検査の日々に変容していた。
「どしたの、宗一君」
「一体いつまで検査するんすか? もうあなたは俺の体の全てを知ってますよ」
「やだー。エッチねぇ宗一君は」
俺の主治医である、アリサ・レイストロームさんが「めっ」としてくる。
アリサさんはフィンランド人で二十四歳。長くストレートな金髪は流麗と言うしかない。北欧の人は雪のように肌が白く、絹のようにきめ細かいとはよく言ったもので、その例に漏れず、アリサさんは全身でその定型句を体現していた。透き通るような碧眼に、ブルーに塗られた俺が映っている。
「なにか聞きたそうね」
「いや、いつも訊いてるじゃないすか。検査いつまでなのか」
「それ以外によ。あるでしょ?」
この人とはほぼ毎日顔を合わせているが、こんな風に話を振られるのは始めてだ。まるで聞けと言わんばかりである。
「カーズはねぇ、遺伝子工学のスペシャリストなの」
訊いてもないのに話し始めやがった!
「い、いや、アリサさん。国枝さんに口止めされてるんじゃないんですか?」
「紗枝ちゃんがもういいって。だから私が説明してあげる。ねっ」
ウインクって……。紗枝ちゃんって……。まぁいい、聞けるならなんでもいい。この前、国枝さんには話を切り上げられて消化不良だしな。
「カーズってなんですか?」
「あれ、それも聞いてないの? カーズは地球外生命体の呼称よ。英語で『cause』。もたらす、引き起こす、原因、 もと、 種、なんかの意味があるわ。ウイルスを生成、散布し、未曾有のバイオハザードを引き起こしたからこう呼ばれるようになったの」
「ほう」
「まぁ、どこまで聞いてるかわからないから一からいくわよ」
なんでこの人ウキウキしてるんだろ。ペットに話しかけるような人なんだろうか。
「ある日のこと、カーズが地球に来ました。そしてウイルスを蒔きました。すると男が生まれません」
「待て待て待て! あんたは国枝さんの懇切丁寧な説明をちょっとは見習えや!」
「えぇ~、でも紗枝ちゃんのわかりづらいでしょ」
「う、否定はしませんが……なんで日本昔話風なのかと」
ゴメン紗枝ちゃん。とか俺が言うと悲惨な未来が待ってそうだ。
「ま、まぁいいです。俺はそこから知りません。もう少し丁寧にお願いします」
「そう? じゃあカーズは地球に拠点を作り定住。着陸地点に近い人間を捕らえた後、遺伝子操作を施して自分達の手駒にした」
「っ!」
心臓が不規則に跳ねた。すぐに自分の家族や友人がそうなった可能性に到達したが、すぐさま考えることを止める。
アリサさんはチラリと俺を一瞥した後、さらに説明を続けた。
「その遺伝子操作を施された人間は、常人より遥かに強靭な身体能力を得る事になった。カーズはその手駒を使い、人間達を捕らえ、さらに手駒を増やす。それは主に男性が狙われた。基礎スペックや遺伝子から男性のほうが優秀だと考えたんでしょう」
なんだその悪循環は? いくら強くなっても人間である以上、銃火器や兵器には敵わないだろう。自衛隊とか軍は何をしていたんだ?
「軍はどうしたのって顔してるけど、今は割愛するね。歴史の教科書でも読んで」
おい。
「それに、遺伝子操作をされた人間は銃火器くらいでは勝てないわよ」
「ええ!? どういうこと!?」
「まぁどれだけ強いかも割愛。こういうのは見るのが一番早いしねー」
「この人説明する気ねぇ!」
今ぼそっと面倒だもんって言った!
「まぁまぁ。話を戻すけど、その遺伝子操作を施された人間を解析して、こちらも彼らのように自身を強化して対抗することになったの。でもまだまだ遺伝子工学技術は段違いでカーズが優秀。こっちは盗むだけだし当たり前だよね」
「それじゃあ、いつまでもたってもオリジナルに追いつけないじゃないすか」
「でも今の所それしかないの。だからここ栗原の防衛基地で、北から来る敵を抑えているの」
「ってことはここの人達は皆、遺伝子操作とやらをしてるんですか?」
「皆じゃないけど、そうよ」
と言う事は、銃火器に勝てるであろう女生徒達に囲まれていた俺って死に掛けてたんじゃ? いやそれ以前に、縁もそんなに強いのか? あの癒し系が銃弾跳ね返すとか見たくねぇ……。でも国枝さんは普通にやりそうだな、うん。
「ここで男性を見かけてないんですけど、いないんですか?」
ここに来て既に十五日にもなるが、俺以外の男を一度も見ていないのだ。
「ああ、それはねぇ……」
アリサさんが何かに辟易したような様子になり、椅子をギシリと鳴らして俺から顔を背ける。
「いることはいるんだけど、雑用とか運転手とか、それに整備とか」
「あれ? さっき男のほうが優秀とか言ってませんでした?」
当然の疑問をぶつけると、アリサさんは真剣味を帯びた目で俺を正面に捉える。
「よく考えてね、宗一君。世界人口の男性比率は二割となっているけれど、その内の半分を六十歳以上が占めているの。長い戦争の経て、軍に所属する人間は必然的に女性に偏っていく。そしてカーズは近年、男性のみを操作して攻撃してくるの。つまり戦場では常に、敵の男性に味方の女性が殺されている。残された女性はそれをどう捉えるでしょうね?」
俺は何も答えられず、閉口した。そんな問い掛けるように言われても、俺にこの時代の人たちの気持ちなんか想像もつかない。しかしなんとなくだが、アリサさんが何を言いたいのかが分かった。
この時代の女性、少なくとも軍に所属する女性は、男性という種を憎んでいるのだと。
「『カーズに操作されているから』という免罪符は、長い戦いの中、憎しみでほとんど塗り潰されてしまったわ。ひどい話になると戦場のドサクサで味方の男性を狩る人までいたの。だから男性は極力前線には出ないというのが暗黙の了解になっているの」
「ぐぁ……」
眩暈がした。聞いているだけで胸糞が悪い。女性不信になりそうだ。
女性側の気持ちも全否定はできないような気もするが、俺がその気持ちを察するのは難しすぎる。学校で浴びた鬼のような視線の正体はこれだったのだ。
「あっ、でも縁は?」
「あの子は特別、男性に対する嫌悪感が無いの。宗一君のかんし……ううん、世話係には適任ね」
縁はやっぱ癒しだよ。いつまでもそのままでいてくれ。
というか、そんなオブラートに包んでくれなくても、監視されてるのは分かってますよ。
「アリサさんは……」
「なに?」
「……いえ、なにも」
続く言葉を飲み込んだ。可愛らしく首を傾げ、「なにそれ~」と言って俺に笑いかけるアリサさんを見て少し安堵した。全員が全員、同じように男性を憎む女性ばかりではないんだ。
「カーズはウイルスで男性を減らしてるんですよね? でも手駒は男性主体なのに矛盾してませんか?」
「クローンを生成してるみたいね。死体のDNA一致がいくつもあるわ」
なるほど。その技術があるから男性が減っても問題はない。いやむしろ、人類側の厄介な男性を先に減らし、自分達だけが利用できるというアドバンテージになる。
ここまで聞く限り、カーズ側では全て男性中心で回っており、女性は相手にされていない感じだ。命をかけている軍の女性から見れば、これほど腹の立つことはないだろう。一般人より軍の女性のほうが、男性への憎しみが直接的な分、強烈なのかもしれない。
「質問は終わり?」
「そうですね。今のところは、はい」
一気に聞いても整理するのが大変だ。本当はまだまだあるが、今日はこのくらいにしておこう。
「それでね、宗一君に一つ提案なんだけど」
アリサさんが目をキラキラ輝かせながら、ずずいと前に乗り出してくる。どうやらここからが彼女的に本題のようだけど、正直いやな予感しかしない。その予感は概ね正解であった。
「宗一君、遺伝子操作、やってみない?」
言葉も相まって、俺にはその姿がマッドサイエンティストにしか見えなかった。
◇◇◇◇◇◇
「風が気持ちいいな」
「そうですね。でも少し寒いです」
今日の検査を終えた俺は、いつものように様子を見に来た縁を連れて、病院の屋上に来ていた。
顔を上げると、そこに広がる西暦2064年の夜空は、俺が住んでいた西暦2012年の夜空よりも澄んでいて、星が鮮明に見える気がした。
相変わらず検査の毎日だが、最近は俺の拘束は緩く手錠もされなくなり、こうやって病院施設内なら出歩いてもいい事になっている。まあ縁は絶対ついてくるんだけど。
西暦2012年の四月四日の北海道で意識が途切れ、目覚めると西暦2064年の四月十五日の宮城に居た。それから約一ヶ月後。現在は西暦2064年、五月十一日。
広大な基地内で、このタイムスリップのような現象を否定する材料はもうなくなっていた。俺の知り得る全ての判断材料は西暦2064年を示している。しかし、俺は未だひとつの可能性にしがみ付いていた。
そう、俺はまだこの基地の外を見ていない。
背後から聞こえてくる音に振り返ると、屋内へ続く扉が開いていくの見える。
出てきたのは国枝さんとアリサさん。二人は俺の姿を認めると、見つけたといった表情を浮かべて近づいてくる。
「ここに居たのか」
「宗一君、こんばんは。遺伝子いじくろう?」
「国枝さん、何か用ですか? アリサさんは安定して怖くてなによりです」
アリサさんが失礼ねーなどとぼやく。
「それで、どうするんだ?」
国枝さんがクイッと眼鏡を上げながら確認してくる。相変わらず鋭い目付きだが、最初に会ったときの見下すような色はそこにはない。まぁそれでも普通に怖いんですけど。
「どうするって、遺伝子操作の事ですか?」
「そうだ。日本ではまだ本人の同意なしの遺伝子操作は法律で禁じられている」
「日本では?」
「男性に限り、本人の同意がいらない国もある。まぁ世界的な流れでそのうち日本もなるだろうがな」
「……俺は今、日本人扱いなんですか?」
「む」
国枝さんの言葉がつまる。
俺は今、日本人を証明する国籍も戸籍もない。探せばあるかもだけど、戸籍上の俺は老人だ。まず偽造認定される。もし国枝さんの言うように、同意もなしに人の遺伝子を弄れるなんて横暴がまかり通るのならば、日本人と証明する手立てのない俺の遺伝子操作などいくらでも勝手にできるはずだ。
それでもあえて尋ねてくるのは、俺の意思を尊重してくれての事だろう。まぁこの人はそんな事言わんだろうけども。
「お前は発見場所が奇異だったので、世界的な研究対象になっている」
流石に国枝さんのその言葉には絶句した。拘束され続けているのは、当然なんらかの理由が存在しているのだろうと予想していたものの、話のスケールが桁違いだった。
世界的とか、もう笑うしかない。
「俺はどこにいたんですか?」
「樺太の最北端。一般に第二種危険指定区域と呼ばれており、生物が存在することの出来ない区域だ」
「何で俺はそんな所に?」
「それが分からないからお前は今、拘束され研究されている」
はぁ、と気のない返事すると、国枝さんが呆れたように溜息を吐いた。
だって全然、現実感がないんですよ。
「でもね、今のところ研究では何もわからないの。ひとつの事を除けば、あなたは普通の人間と変わらないわ」
「うおっ」
俯いて考え込んでいると、下からアリサさんの整った顔がにゅっと出てくる。喋りたいのかこの人は。
「それでね、宗一君のアミノ酸配列と塩基配列の遺伝子コードが何かおかしいの」
「すみません日本語でお願いします」
「だからぁ、宗一君の遺伝子が普通の人と違うの。なんかロックも違うの」
そう言ってアリサさんは詰め寄ってくるけど、さっきから連発されてる専門用語すら分からない俺にどうしろと?
話が進まないのに業を煮やしたのか、国枝さんがやれやれといった感じで入ってくる。
「ロックとは一般的に軍人が戦う力を得る為、遺伝子操作で外す鍵とも呼ばれるものだ。それを段階的に外すことで人間は驚異的な力を得る事になるが……お前の場合、その鍵が最初のひとつしかない」
「よく分からないですけど、普通はいくつあるんですか?」
「本人の遺伝子の資質によるが、最低二つ、最高で六つだ」
選手交代した途端、アリサさんは不満そうに頬を膨らます。何故か分からないが、縁はすぐ隣でニコニコした表情で安定している。
正直、説明を聞いてもあまり意味がわからない。俺が普通の人間ではないという事はなんとなく分かったが、具体的にどう違うのか、これからどうすればいいのかが見えてこない。
一つだけ分かるのは、この二人が俺の遺伝子操作を薦めて来ているという点だ。つまり、軍人になれということなのだろうか?
確認するように自分の体を見下ろす。つい最近やらされた身体検査での結果は、身長178㎝、体重62㎏という細目の体つき。体力測定でも、ほとんどに渡って男性平均値を若干下回ったり、若干上回ったりする数値を叩き出した。容姿はと言えば、目に少し掛かるくらいの直毛で、五歳まで女の子に間違えられていたような顔付きだ。そんな俺が……軍人?
「その鍵を外すと、俺はどうなるんですか?」
「どうなるかを研究する為、訓練学校に行ってもらい、身体能力を見ることになる」
常人を超えた身体能力を手に入れるという事なんだろう。銃火器にも勝るという超能力じみた力に興味がない訳ではないが、それよりも……。
「それをすると、この基地から出してもらえますか?」
「……」
国枝さんの目が細く鋭いものになる。それも当然だろう。俺自身かなり無茶な要求をしているのは自覚している。
ここまでの話を鵜呑みにするならば、俺は世界的な研究対象を解放しろと、その責任者に向かって取引を持ちかけているのだ。
「北海道か?」
「……はい」
そう。ここを出てから、行く場所はすでに決まっている。
俺の生まれた町、俺の家、学校、近くの公園、商店街、駅。その見慣れすぎた全てをこの目で確かめるまで、俺はこの世界を受け入れきれない。その為になら、体を少し弄るくらい許容できる。
「……わかった」
「え、ええ~。そんなこと言っていいの、紗枝ちゃん」
この人はとても優しい人なのかもしれない。俺の意思を尊重する為に全ての責任を負おうとしてくれている。顔は怖いけど、それも照れ隠しと思えば可愛く見えてくるな。
「ふふっ。俺、国枝さんのそういうところ好きかも」
「ああ?」
「ヒィッ」
鬼のようだった。
「その約束はしてやる。ただし」
「……ただし?」
なんだろう。国枝さんの不敵な笑みに不吉なものしか感じない。
「私が認める強さを手に入れるのが条件だ」
「あ~あ」
「そ、それは……」
国枝さんが出した条件に、アリサさんは「ご愁傷様」、縁は「そんなムチャな」、みたいなリアクションになる。
俺はそれを見るのを避けるように、西暦2064年の夜空を見上げた。
――北海道は遠そうだな。