第29話 可能性
「つまんない。もう帰って良いわよ」
「なんじゃそりゃ! いくら温厚な宗一君でも流石に怒るわよ!」
いかん。目の前の女性のあまりに理不尽な発言で、ついおねぇ言葉になってしまった。
「……なんだよ。ったく」
本当に用済みとばかりに部屋を追い出される。
拉致されてから丸一日。俺はこの時代に来た時のような検査漬けにされた。
栗原の研究所が発表している、俺の研究結果や遺伝子のサンプルが虚偽ではないかという疑惑があるらしく、その真偽の確認がしたかったというのが理由らしい。結果は真という事で俺は用済み。
日本国内でこれじゃあ、外国から見たら疑惑の念は相当なんだろう。
背景にあるものは権力争いだろうか? 純粋な好奇心? それとも研究サンプルの異常性?
「ちょい待ち」
「……なにか?」
明らかに年上で、この基地の上層部であろうさっきの女性が呼び止めてくる。
理不尽な扱いを受けて気分が悪い。男性街での事も引っ張っている俺を、これ以上刺激しないで欲しい。
「あなたの遺伝子。確かにおかしいわね」
「……知ってます」
「ふ~ん。じゃあ赤目に近いって事は?」
「……は?」
なんだよ……。次から次へと。
何処に行っても俺は振り回される。何処に行っても俺は何もできない。
「人間と赤目の遺伝子はほぼ100%に近いくらい酷似しているけど、完全に一致はしない。でもあんたのは……」
「……うるせぇよ」
「え……」
俺の口から吐き出された醜い言葉に彼女は放心してしまう。何が俺の逆鱗に触れたのかさえ分からないだろう。これは完全に俺の八つ当たりだ。心の中が申し訳なさで一杯になる。
「な、なに? 急に怖い顔して。せっかく教えてあげてるのに」
「それ以上喋らないで下さい。じゃないと……」
「……なに?」
――――。
「……なんでもないです。すみませんでした」
「あ、ちょっと!」
少しだけ頭を下げて、彼女に背を向けて走り去る。
これ以上、何も見たくない。何も聞きたくない。受け入れ難い現実。自分の矮小さ。この荒廃した時代。なにもかも全てを。
「くそっ!!」
廊下にある石柱に、額を思い切り打ち付ける。
何を考えているんだ俺は。そんな考えは、自分自身とお世話になった人達への冒涜だ。進むなんて贅沢な事は考えるな。俺はそんなに強くない。今は、踏みとどまれ。
「……いつつ」
少し落ち着きを取り戻し、額を擦りながら廊下を歩く。
「辰巳。悪かったな」
「宗一君。おつかれさま」
相沢が壁に背を預けて立っていた。その隣に縁も居る。
「相沢。どういうことだよ一体」
二人は俺の検査が終わるのを待っていたようだ。とりあえずこうなった経緯を聞かせてもらいたい。
「ん? その人は?」
相沢の隣に並んで立っている一人の男性。ナイスミドルと言った感じで渋い人だ。長身と広い肩幅で軍服がバッチリ似合っている。蓄えたヒゲと、短髪が少し伸びた頭で迫力があり、サングラスをかければヤの人のできあがりだ。
「キミが辰巳宗一君か。いや~、悪かったね。僕が会議中にキミの事を大声で叫んでしまってね。そしたら基地長達の目の色が変わっちゃって、今すぐ捕らえて来いなんて命令出すんだもん。驚いたよー、はっはは」
「驚いたのはこっち……。いや、もういいです……」
一言目でヤの人とは逆の属性であると判断した。
言葉とは裏腹に、全く罪の意識を感じさせない態度だ。その軽いノリに怒りが萎えてしまう。
相沢はこの人に俺達の訪問を伝えたが、それを公然と暴露してしまったらしい。基地のトップレベルなら俺の事を知っているようだが、相沢や捕らえに来た女性達はさっぱり意味不明だったろう。
「初めまして。僕は山形基地男性部隊統括司令、佐野義孝だ。歳は……う~ん、二十五くらいにしておこうか」
「一回りもサバ読みますか……」
相沢がすかさず突っ込みを入れる。
「よろしくね。……おっと、こっちでいいかな?」
「? はい」
佐野さんは差し出した右手を引っ込めて、左手で握手を求めてくる。その手を握りながら引っ込めた右手を見てみると、黒皮の手袋を嵌めているのが見える。怪我でもしているんだろうか?
「で、辰巳君。キミは晴れて自由の身だが、これからどうするんだい? 基地見学とかかい?」
「え、と、そうですね、男性の部隊を見てみたいです」
「そりゃタイミングが悪い」
「へ?」
「今朝から非常警戒態勢で出払ってるんだよ」
「……」
相沢をジト目で睨むと思い切り目を逸らされた。白々しく口笛を……吹けていない。なにこの無駄足感。
「警戒ってなにをですか?」
「決まってるじゃないか。赤目だよ。偵察衛星で数体の赤目が第一警戒ライン付近まで南下しているのを確認したんだ」
「警戒ライン?」
「おや、知らない? じゃあ説明しよう」
警戒ラインのレベルは三段階。北から来る赤目に対してどこまでの侵入を許すかの線引き。
第一から順に、南へと第二、第三の警戒ラインがあり、第一を超えた段階でこれを撃退しなければならない。第二ラインを超えられると最前線である栗原の基地を超え、最後の第三のラインを超えられると一般市民が居住しているエリアまでの進入を許してしまう。
「相手の規模にもよるけど、こういうのは山形基地の仕事になる事が多いのさ。そういう訳で、今は男性の部隊がそんなに基地に残ってないんだよ」
「残党やはぐれの撃退って事ですか。それを男性の部隊が……」
「そうだね。雑用だけど重要なんだ。疎かにすると一般市民が虐殺されるからね。はっは」
俺には笑い飛ばせないブラックな内容だ。しかし陽気な人だな。
「じゃあ行こうか」
「え? ちょ、ちょっと」
佐野さんが話は終わりとばかりに背を向けて歩き出す。
「行くってどこにですか?」
「ん? 話、聞いてたかい? 雑用だよ。ほら、相沢も行くぞ。あっ、そこのちっちゃいお嬢さんも」
「えええええ!?」
それって端的に言うと、赤目と戦いに行くって事じゃないか。
佐野さんのマイペースぶりに相沢すら困惑気味だ。縁は予想通りちっちゃいに反応してむっとしていた。
「さ、佐野基地長。辰巳と井上を連れていくのはまずくないですか?」
「男性の部隊を見たいんだろう? だったら戦場で見るのが一番いいよ。な、そうちゃん」
「……えっと」
この人の中で俺のあだ名が決まったようだ。勝手に。
隣にいる縁をちらっと見ると、絶対ダメと不機嫌全開の顔で表現している。俺が行きたいと言っても許してくれなさそうだ。
「ダメです。行きません」
縁は佐野さんを見上げながら、否定の意志を見せる。
「おや、何故だい? キミ達は軍人なんだろう? 軍人は戦場が職場の筈だ」
「管轄外です」
「ほう。ではお嬢さんは、管轄外なら目の前で殺されそうな人も助けないと?」
「……その通りです」
「はっはは。おもしろいお嬢さんだね。そこは嘘でも否定するもんだが。いやー、ははは」
「……何がおかしいんですか?」
こ、こえぇ……。縁さんマジこえぇ。縁の叩きつけるような威圧を、佐野さんは柳のように飄々といなしている。
何故か俺と相沢の距離が近くなっていた。ちょっとキモイが気持ちは同じだ。
「お嬢さんは隣に立っているのが『辰巳宗一』以外でも同じ事を言うのかい?」
「……!」
縁が肩を震わせて硬直する。肯定も否定も躊躇する問いだ。
この人は俺が只の軍人ではないことを知っている。知っていて尚、その質問を縁に向けている。
「あなたは、保守派の方ですか?」
縁は自分への問いには答えず、佐野さんの本心に直球を投げる。
保守派とはこの場合、今後の外交の摩擦や水面下の揉め事が予想される、俺という存在を疎ましく思っている人達を指すんだろう。研究成果の出ない存在を、期待感だけで不当な価値をつける。株や為替のマネーゲームに近い物がある。
問題が起こるならいないほうがいい。その事が本来の価値よりも優先される。俺の外出に反対せず、消極的な沈黙を選んだ人達。
「ふ~ん、お嬢さんは知っているのか。質問を返すようで悪いが、お嬢さんはどうなんだい?」
「私は……派閥とか関係なく指令に従い、辰巳宗一への危険を排除します」
おお……。俺、縁に恋してもいいかな?
「ほほう。つまりキミ達はできていると?」
「違います」
秒単位で失恋しました……。肩をポンと叩いてくるハゲがうざい。
「僕はどちらかと言えば辰巳宗一君に期待しているほうだよ。いや、期待していたい、かな」
「じゃあ何故、危険を承知で残党狩りなんか……?」
「僕が見てみたい。じゃ、ダメかな?」
「なにをですか?」
「一言で言うなら、人間の可能性」
話が大きく飛躍した。この人は俺に何を期待しているんだ。
佐野さんは縁から俺に向き直る。
「君には……オホン……。ヒデ、ちょっと先に行っててくれ」
「へ? わ、わかりました」
相沢が追い払われる。機密保持を忘れない基地の長。今までも結構スレスレだったけど。
「君はカーズ拠点の中心地点から見つかった。これが何を意味しているか分かるかい?」
「意味? ……病原菌やウイルスに強いって事ですか?」
破壊された樺太の拠点から撒き散らされた致死性の病原菌、ウイルス、猛毒。核兵器の放射能。
そこで生きていたという理由なら、それが一番に思い当たる。
「いや、その点に関しての謎はもう解明されている」
「そ、そうなんですか!?」
「これは僕より君の管理者に聞くと良いだろう。まぁその前に、実際に見ることになるかもしれないね。その時の君の価値はさぞ鰻上りだろうよ」
アリサさんか紗枝さんに聞けという事だろうが、今までもあまりそういった話はしてくれない。聞いてもはぐらかされるし、意図的に隠されているのだろう。
それを見ることになれば、俺の価値が上がる? その言葉の意味が分からない。
「君にとって最も注目すべき点は二つ。一つは、人類未踏のエリアであるフィールド内に生きて存在していた点。もう一つはカーズが君の体に施した遺伝子操作が赤目と異なる点」
「え……。な、なんですか? それ」
「おや? これも知らない?」
何か重大な事実を告げられた気がする。
しかし、可能性としてその二つは充分に考えられる。
「君の発見場所に関して、科学者の仮説はいろんなものがある。そしてその中でどれも共通しているのは、君の遺伝子はカーズによってなんらかの操作を施されたという点。それについて異論は出ていない。そうとしか考えられないからだ」
「人類には不可能な技術だからですか?」
「そうだ。もしこの仮説が正しいのなら、赤目になるのが普通。でも君は正常だ。何故だと思う?」
「何故って……。見当も付きません」
「ここからは僕個人の仮説になるが、君はカーズにとっても研究に値する人類のサンプルだったのさ」
「……少し強引な仮説ですね」
俺が過去の人間であるという点については全く考慮されていない仮説だ。
真偽が何にしろ、仮説から進展する取っ掛かりが無い。
「まぁそうなんだけど、君が普通の人間でないのは事実。聞いてるよ、フェイズが特殊な話」
「……ただ暴走しやすいだけです。それに佐野さんの仮説が正しいのなら、俺は通常のフェイズ能力者を超越していないとおかしくないですか? 戦闘能力は大差ないと思いますが」
「そうだね。見た感じ、君の戦闘能力は僕の十分の一以下だろう。ま、今の時点ではね」
佐野さんはなんの躊躇もなくサラリと言う。そこに見下した風や未熟者に対する優越はなく、只の事実を述べている。そんな表情だった。
「戦闘能力はフェイズの一側面にすぎない。そう僕は思うんだけどね。カーズが君に求めたものは、戦闘能力だったのかな……?」
「……え?」
「いや、すまない。僕の妄言だ。話を戻そう」
佐野さんはさらに続ける。
「僕は見てみたいんだ。辰巳君の能力や資質。特殊な遺伝子の君がこれからどこに向かうのか? 何を成すのか? その進化で得る物はなにか? 失う物はなにか? 終着点はどこなのか? そしてそれは人類の可能性と同義である。……そう思わないかい?」
「……自分がそんな大層なものとは思えません」
「僕が勝手に期待してるだけだから気にしないでね。はっは」
肩をバンバンと叩いてくる。少し暗い表情を見せてしまった。
佐野さんの話は壮大過ぎる。まるで俺が人類の道標のような言い草だ。
「じゃあ行こう。ヒデが待ってる」
「ダメです」
「ガク」
神速で入った縁のツッコミに、佐野さんが古典的にずっこける。
うまく持って行ったと思ったんだろうな。
「なんでじゃー! 僕は見たいんじゃー!!」
「うおぉ!?」
癇癪を起こす佐野さんにびびる俺。ナイスミドルにはちょっと歳が足りないが、その強面で地団駄とか止めて欲しい。
その後、佐野さんは縁の説得に全力を尽くしていたが、縁は頑として譲らない。俺のことなのに蚊帳の外なのは気のせいだと自分を騙しつつ、その様子を静観。
縁の「戦場じゃなくても訓練で見ればいいじゃないですか」という言葉に少し同意しかけた佐野さんが劣勢だったが、「戦場じゃないと意味が無い! ヤダ!」と駄々っ子ぶりを炸裂させ、振り出しに戻る。
相沢が待ちくだびれて戻って来た所で、小一時間が経っていた。
「宗一はどうしたいんだ?」
「冷静な人ってステキ……」
やっと本質を見抜ける人が現れた。ハゲ頭に後光が差している。
いつの間にやら宗一呼ばわりだから、俺もヒデと呼ぼう。
「行ってみたい……うひぃ!?」
視殺できそうな眼力を込めた縁に睨まれる。同時に裏切り者扱いの辛辣な言葉を頂く。
やばい……。縁さんマジ怒ってる。
「じゃあ、こうしよう」
佐野さんが妥協案を提示する。俺と縁は第一警戒ラインは超えず後方で待機。その時に佐野さんが待機するポジションで一緒に居る事。要するに護衛をしてくれるらしい。
その案で縁は渋々承諾したが、半分以上は佐野さんの駄々っ子に押し切られた感じだった。
「ふぅ……」
何とか丸く収まり一安心といった所だったが、この時の俺は気付いてなかった。
その後、一言も口を聞いてくれない不機嫌縁が誕生する事を。
◇◇◇◇◇◇
山形の基地を出て北へ。途中まで車で、第二警戒ラインを超えた辺りから走る事になった。
第二警戒ラインの監視所で合流し、男性部隊は総勢54名に増えた。他にも各所に点在している監視所には男性部隊の隊員が詰めているらしい。戦闘時、遊撃部隊として行動する彼らは監視と警戒も主な仕事のようだ。
佐野さんの合図で、俺と縁を加えた総勢56名が隊列を組んで走り出す。なるべく佐野さんの近くを走れと薦められ、隊列の前方に俺と縁は配置された。
「戦場か……」
その道中、あの防衛戦を思い起こし、体が少し震えた。
「おいおい。何、緊張してんだよ」
隣を走っているヒデが気さくな感じで話しかけてくる。
前には佐野さん、その後ろに部隊が続くという隊列だ。縁も真横にいるが相変わらず喋ってくれない。
縁と俺はゲスト出撃という訳の分からない紹介をされて部隊に入れてもらった。唯一人の女性である縁に奇怪な目を向ける人もいるが、佐野さんの紹介なら仕方ないといった感じだ。
「大丈夫だって。赤目は今のところ三体。この人数なら楽勝だ」
「なんで分かるんだ?」
「通信機持ってないのか? ……いや、持ってたじゃねーか。昨日、電話してただろ?」
電話が通信機? 意味が分からない。ただの携帯電話じゃないの?
「え、縁、どういうこと?」
「……」
やっべぇ……。容赦の無い無視だ。自然さを装う事もしない無視だ。
「しゃあねぇなぁ。ちょっと貸してみ」
携帯電話を渡すと、ヒデがなにやらポチポチと操作している。
設定が終わったらしく、戻された薄っぺらい携帯電話を言われるまま胸ポケットに仕舞い、軍服の胸ポケット内側にあるワイヤーと携帯電話とを繋いだ。
「じゃあ干渉してみな。少しだけで良いから」
「干渉……?」
ヒデの言うとおり、ワイヤーを通して胸元にある携帯電話に少しだけ干渉する。
『赤目は依然、第一警戒ラインに接近中。前通信から座標のずれを修正。現在位置は旧秋田県湯沢市から南西10㎞地点。数は三体と変わらず』
「うおぁ!?」
びっくりした。いきなり頭の中で声がした。
干渉したことで体の一部のように直接音声を捉えた。自分の心音を聞き取っているような感じだ。
通信音は外からではまったく聞こえない。これなら戦場で電話が鳴って敵に気付かれるなんてドジは踏まない。それにオペレーターの声だけではなく、簡易地図と現在位置まで脳に投影されて把握できる。
干渉で携帯電話からの情報を直接、読み取れるのか。見たり聞いたりする手間が省けるな。
「そのまま誰かに電話したりもできるけど、微妙な操作なんで練習が必要だ」
「へ~~、すげー便利だな。あまり干渉に力を割かなくてもいいしさ。な、縁」
「……」
く……ダメか。いつまでも拗ねやがって、このミニサイズが。
よし、このまま縁に電話しよう。そしてガツンと言ってやるんだ。男の尊厳を見せてやる。
『わがまま言ってゴメンナサイ』
『はあ?』
あれ? なんか有原の声がする。俺、縁に掛けたよな? 操作ミスしたんだろうか。やっぱりこちらから動かすような干渉は難しいのか。
『悪い有原、間違えた』
『……』
『今、干渉使って電話掛ける練習しててさ』
『えっ!? あ、あんた何言ってんの?』
『へ?』
なんか雲行きが怪しい。……何故だ? 普通の会話のはずだ。
『有原、どうしたんだ? 何かおかしいか?』
『いや、あの。そ、そんなこと急に言われても……。私、そういうの初めてだしさ……』
『な、何の話だよ一体……?』
『え? 私とは体だけの関係が良いって言う事!? あんた、さいっっっていね!』
『ちょ、ちょっと待てや!? 何勝手に盛り上がってんだよ!』
『うぅ……。ば、ばかーーーーーー!!(プッ、ツー、ツー)』
そこで通話は終わった。俺も終わった気がした。
「どうしたんだ宗一。顔に死相が浮かんでるぞ」
「な、なにがなんだか分からない……」
ヒデに事のあらましを説明すると、呆れた顔で解説してくれた。
干渉で聞く事は簡単だが、話すとなると格段に難易度が上がるらしい。それも当然で、自分の脳内のイメージを声帯という媒体を使わず相手に伝えるのだ。アリサさんまでとは言わないが、相当干渉が得意でないと無理だという事だ。以前紗枝さんで失敗している事をすっかり忘れていた。
「ちゃんと口で喋らないからそうなるんだよ。まぁ何が伝わったかは話の流れで推測しろ」
「推測より忘却したい……」
縁に続いて有原まで怒らせてしまった。そういえば紗枝さんとの電話もまずかったかな……?
やばい。基地に帰りたくない。
「そうちゃん、そろそろ第一警戒ラインだ」
「あ、はい」
佐野さんが隣に併走してきて予定通りここで待機するよう指示される。
「まだ赤目との距離は大分あるから戦闘の様子を見るのは難しいが我慢してくれ」
「遠視じゃ見えませんか?」
「ヒント。地球の形は?」
「……丸いです」
いくら遠くが見えても球状の裏側は見えない。遮蔽物もある。小学生でも知っている事だ。すごいバカ発言をしてしまった。
「では予定通り、ここを後方待機ポイントとする。座標は通信機に登録済み。待機する兵士はフェイズを切らないよう注意」
「はっ」
縁と俺。佐野さんとヒデ。その他兵士の12名が足を止める。他40人程の兵士は赤目討伐の為、通信機から送られてくる指定のポイントに向かっていく。
俺達は打ち漏らしに対応する為の後方待機らしいが、少し拍子抜けした。
「そうちゃん。連れて来た僕が言うのもなんだけど、仕方ない事だよ」
「じゃあ何故ここに?」
「戦場の空気に触れるだけで良い経験になる。今は五感が研ぎ澄まされているだろう?」
確かに。自分が死ぬかもしれないという緊迫感は感覚を鋭敏にさせる。今この瞬間にも、進化の道を歩んでいるのかもしれない。俺の立場を考えれば、こうやってまともに戦場に出る事すら難しい。本当の意味で、俺はみんなとは戦えないんだろうな。
俺のそんな考えを表情から見抜いたのか、佐野さんがこう言った。
「君の本当の戦いはここにはないんじゃないかな?」
「……え?」
――――。
「がぁ!? ぐ、ぐああああああああああああ!!」
「!?」
後方から絶叫が木霊した。冬の空気を切り裂いた悲鳴は、前方に位置取っている俺達の体を震えさせる。
後ろを振り向いた瞬間、日の光で鮮明に映し出される赤黒く染まった地表が視界に広がった。その血溜りに倒れている一人の兵士。彼が立てない理由は人体の構造に起因していた。――彼の両足が存在していない。
赤目……? でも、まだ距離があった筈。それに一見それらしき奴が見当たらない。
「散開っ!」
隣にいる佐野さんがその号令を叫ぶ。
「宗一君!」
「ぐ!?」
縁に服を引っ張られ、ものすごい勢いで周囲の人間との距離が開く。
周囲を見ると、隊員達は攻撃への対応に充分な距離を開け、円を描くように規則正しい隊形を構築していた。
「……はぁ、はぁ」
激しく動いた訳でもないのに、息切れと動悸が止まらない。
居る……。確実に居る。この中に、俺を殺そうとする人間……いや、生物が。しかし見つける事ができない。周囲を見渡しても、同じ軍服を着た男性ばかり。
「全員そのままの距離を保ちつつ、隣の者の目を確認しろ。フェイズは切るなよ」
佐野さんが緊迫した面持ちで行動を促す。
やはりこの中に赤目が居るのか? もしそうなら、外見的には人間とまったく同じだ。右隣にはヒデが居るだけ。左隣の男性の目も問題ない。
縁は俺の腕を掴んでいて尋常ではない圧意を放っている。発散している直接肌を刺す空気から、普段の井上縁を想像する事はできない。
「そいつだ!」
一人の兵士の指差した方向に、一斉に注目が集まる。
その方向に居るのは皆と同じ軍服を着ている小柄な男性。それを見て俺は戦慄した。
「目を、閉じてる……?」
赤目が紛れ込んでいたという事よりも、その知能に驚嘆した。
ただの殺人機械ではない。どうやったら合理的に人を殺せるかを考えている。
軍服は以前の戦闘での死体から剥ぎ取り、ばれないよう薄く開けた目で疾走中の部隊に紛れ込んだ。部隊に合流されると偵察衛星では発見する事ができない。道中の厳重な監視を潜り抜けるのも至難の業だったろう。そこまで計算しないとこの状況は成り立たない。奴はこのチャンスを待っていたんだ。……人を殺す為に。
今も尚、目を閉じて赤目である事を否定しようとしている。
これではむやみに攻撃を加えるのが躊躇われる。まず目をしっかり確認しないと、同士討ちになってしまう可能性がある。なんて狡猾な思考をしているんだ。
「殺せ」
「なっ!?」
佐野さんの命令で、辺りの兵士が一斉に攻撃を加える。
間接攻撃系の能力者が、干渉した銃やボウガンや投げ槍などで、赤目であろう男性を串刺しにする。
「……う」
人間と変わりのない体躯がボロ雑巾のようにされ、倒れ伏した赤目の周りに血が広がっていった。
目を確認する事も無く殺すのが規律なのか、佐野さんの命令に甘さや躊躇など一切なかった。
『佐野隊長。オープンチャンネルで状況を報告して下さい』
『人間型の赤目が紛れ込んでいただけでもう片付いた。被害は一名で重傷だ。こちらに医療部隊の派遣を頼む』
『了解。引き続き待機してください。前線の兵士は赤目三体と十分後に接触の予定』
通信機から事後報告の会話が聞こえてくる。淡々としたそのやり取りと、苦しみながら地面に伏せっている兵士との温度差が悲壮感を誘った。
穴だらで絶命している男性の目が赤く染まっていた事に胸を撫で下ろす。
人間型の赤目のなにより恐ろしいのは、奴は死しても疑心暗鬼をこちらに残していくことだ。今も尚、兵士達が他者の目を確認する行動を取っている。乱戦になれば同士打ちが頻発してもなんらおかしくはない。
「……なっ!?」
佐野さんとオペレーターの通信が終わった瞬間、足の裏全体から違和感が走る。
「な、なにが……?」
動けない。ビクともしない。足全体をセメントの中に入れたような感触だ。干渉による攻撃なのか?
でもさっきの赤目は死んでいる。目を確認した時に不自然だったのはあいつだけの筈だ。
「そ、宗一君。抵抗、してくだ、さい……」
縁が苦悶の表情で俺に手を伸ばしてくる。
赤目が死んでから警戒心を解いた為、俺と縁には少しだけ距離が出来てしまっていた。後から考えれば、それを狙っていたとハッキリ分かるタイミングだったのだ。
「ヒデ! 逆探知しろ! 他の者は干渉を全開! 少しでも相殺しろ!」
「く……」
佐野さんが厳しい表情で命令を飛ばす。干渉の発生源を探すという事か。
ヒデと縁は少しだけ動く事ができるようだが、俺はいくら抵抗しても下半身が反応しない。地表を媒体にしているので、逃れる方法は範囲外に出るしかない。跳躍で一瞬、自由を取り戻したとしても、それで範囲外まで離脱しなければならない。今の俺では地面から足を離す事も出来ない。
これだけ広範囲で大勢の人間の動きを止めるなんて、恐ろしい干渉力だ。もしかして、敵は一人ではないのか? そもそも敵って誰だ? 赤目? それとも違う何か?
「!?」
俺は自分の目を疑った。誰もが硬直する中、軽々しく一人の男が走り出したのである。そしてその男は、一直線に俺に向かってくる。
「え……」
男は俺に明確な殺意を向けながら、悲痛に歪んだ顔を浮かべていた。何が彼にその表情をさせているのか分からないが、殺意だけは間違えようもなくそこにある。お前を殺す、と――。
俺は、単純に恐怖した。
防衛戦の時とは違い今は正気を保っている。つまり俺は、初めてまともな感性で殺し合いを要求されているのだ。平和に過ごしていたあの頃とは違う。殺さなければ殺されるのだ。
「なんで……?」
しかし、殺し合いの恐怖に勝る疑問が脳を満たした。
接近してくる男と交差した視線。ハッキリと確認できるそれが不自然すぎたのだ。
その男の目は、赤くなかった。