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2 : 8  作者: 松浦アエト
27/46

第27話 安息の地


「どうかしたのか? 宗一」

「……いや」

  

 男性街へ向けて車で南下中。目に飛び込んでくる景色は、俺の中の日本という国を塗り替えていく。

 基地を出てから民家だと思われる建物を発見するまで、かなりの時間を要した。それまでは剥き出しの地表と荒廃した建物やその残骸。

 しばらくすると近代的なビルや民家などが見えてきたが、今度は人を発見できない。老朽化して管理されていない建物群に、生活の火が灯っていない事が容易に伺える。

 北に行けば行くほど赤目の襲来を受けるのなら、北日本が過疎化していくのは当然の流れなんだろう。


 2012年から50年以上経過していても、町並みに劇的な変化は見られない。流れる景色は俺が勝手に想像していた、近未来都市の陳腐なイメージを否定する物だった。戦争の日常化で発展するべきところが俺の時代と異なっている。今は限られた物資や金を、生活の潤いに回せるほど余裕がある時代ではないんだろう。

  

「……ん」


 バックミラー越しに映る縁が、後部座席から心配そうに俺を見ていた。

 日本のありえない惨状に憂鬱になったが、心配をかけないようにおもしろ顔を作ってごまかす。  


「はぁ……」


 不評だった。


「ところで遼平。男性街って女は入れないのか?」

「ん~……。入れない事はないけど、嫌な思いするからやめといたほうがいい」


 そこに集まる理由は人それぞれだが、根底にあるものは女性社会からの脱却で共通している。となれば、女性に恨みを持つ人も少なからずいる。理不尽な迫害を受ける可能性もあるらしい。


「そうなんですか~」


 遼平の説明を受けても、縁は欠片も嫌悪感を表さない。

 

「えと……井上さんだっけか。ちゃんと聞いてた?」

「はい。聞いてましたよ」 

「いきなり石投げられたり、身に覚えの無い罵倒されたり、ひどくなると襲われたりするんだぜ? ……基地内での宗一が、井上さんになるって言ったら分かりやすいか」

「私は大丈夫です。それより宗一君が心配です」


 その後の遼平の度重なる理不尽な話でも、縁の調子は変わらない。その表情には自分への杞憂は含まれておらず、あるのは俺への気遣いだけだった。


「ははは」


 縁にこれ以上言っても無駄と悟った遼平が、笑いながらハンドルを叩いている。


「なんだよ気持ち悪い。どこに笑うポイントがあったんだよ」

「宗一と井上さんは似てると思ってな」

「そ、そうか?」


 そんなこと言われたのは初めてだ。


「種類は同じだが、ランクは全然違うけどな」

「はぁ?」

 

 よく分からない結論を出して、一人勝手に笑っている遼平。後部座席の縁も得心したようで、バックミラー越しに得意顔が映し出されている。


「ふふ~ん」

「ちょ、なんだよ縁。そのエッヘン顔は。二人だけで通じてんじゃねぇよ」

「やっぱりなー。……くく」


 俺だけ置いてきぼりだったが二人は問題なく話せているし、楽しそうでなによりだ。

 その後も車内は和やかなムードで、廃墟の街中を走っていく。 



◇◇◇◇◇◇



 栃木県宇都宮市の市街地から、さらに三十分以上かけて目的の男性街に到着。もう日もすっかり落ちている。


 薄暗い中確認できる男性街の町並みは、アパートやマンションなどの集合住宅が多く散見された。そしてそのいずれも老朽化が進んでおり、灯りがなければ人が住んでいるとは思えない程だ。舗装されていない細い脇道がいくつもあり、白線や信号の基本的なインフラすら整っていない。その建物群を縫うようにして畑がいくつもあり、なにか栽培されているのが見える。

 

 道路脇や路地に座り込んでいる老人の姿を何人も確認できる。

 誰かを待っているのか、ホームレスなのか、もしかしてもう死んでいるのか。恐らく悪い想像の全てが当て嵌まるだろうと思えた。へたりこんでいる彼らから生気が感じられない。

 男性街の区画は広大だが、全ての人が屋根の下で暮らす事ができるとは限らないのだろうか。


 人間が集まると自然とヒエラルキーが構築される。最初から富を持ち得ない男性街の住人は、その底辺ともなるとホームレスすら生ぬるいのかもしれない。

 生きているだけで運がいい。そんな状況を許容してまで、女性支配の社会から逃れたかったんだろうか? もしそうなら、彼らにとってこの世は地獄と呼ぶにふさわしい。


「……くそ」


 カラスが群がっている死体を見てしまい、視界が歪んでくる。


「あまり見るなよ」

「……いや」


 遼平の注意を無視して目に焼き付ける。

 俺はこれを見に来たんだ。ここで目を逸らしてどうする。これがこの時代の現実。

 自分の目的を再確認した瞬間、何故か蒼井司令の顔が浮かんできた。


「よし、着いたぞ」

 

 遼平の到着の合図で車から降り、荷物を抱えて四階建てのアパートらしき建物に入っていく。

 

「お~い。帰ったぞー」


 扉をノックしている遼平から視線を外し、縁に目を向ける。

 ここで女だと露見したら危険だ。さっきの光景はそう思わせるに充分すぎる。

 縁にアイコンタクトを送る。打ち合わせ通りやってくれよ。


「遼平か。おかえり」


 中から華奢な体付きの中年男性が出てくる。遼平の親父さんだ。

 親父さんは俺達に目を向け、やわらかな笑みを浮かべて歓迎ムード。やさしそうな人だ。


「遼平の父だ。連絡はもらってるよ。ゆっくりしていってくれ」

「辰巳宗一です。で、こっちが弟の浩二です」


 縁は深めに被った帽子からペコリと頭を下げる。

 縁の設定は三つ。俺の弟である事。喋れない事。頭部に大きな傷がある事(室内でも帽子を被る為)。

 浩二という偽名は、俺がパッと思いついた名前だ。特に深い意味はない。


「今日はもう遅いからご飯にしよう。部屋は後で用意するから」

「お世話になります。親父さん」


 親父さんの気遣いに、二人で頭を下げる。


「おや。もっと遠慮のない子だと聞いていたが、礼儀正しい子じゃないか。お前も見習えよ、遼平」

「けっ、こいつ猫被ってんだよ」

「ちっとも成長してないな、遼平。場合によっては猫を被れないほうが不義理だぞ。お前はなんでもかんでも……」

「ああ、もう! うるせーな! 飯!!」

「ふふ……。じゃああがりなさい」  

 

 親父さんは久しぶりの親子の再会に嬉しそうだ。照れ気味の遼平を、俺と縁はニヤニヤと見ていた。


「いただきます」


 六畳一間の部屋に通されて、夕食をご馳走になった。

 メニューは白米と魚の缶詰。それから親父さん手作りの味噌汁。質素なものだったが、その味は俺に郷愁を感じさせた。


 昔、母さんがいない時、父さんが料理を失敗するのを怖がってよくこういうメニューになった。少し申し訳無さそうな遼平の親父さんの表情が、その時の父さんとそっくりだ。そんな子供の頃のエピソードが浮かび、少しだけ胸が焦げる。

 でもあの時と意味あいが違うのは明らかだ。この食卓は親父さんの経済状況を如実に示している。

 決して多くはないが、親父さんは受け取らないと予想した滞在費を、事前に遼平に渡しておいた。帰る時に部屋に置いていくらしい。


「ごちそうさまでした」


 いつも以上の感謝を込めて手を合わせる。

 茶碗に付いた米粒一つすら残さず食べきった。

    


◇◇◇◇◇◇



 井上縁(18)という女の子について考えてみようと思う。(誕生日は9月18日だったらしい)

 彼女は外見的にはどこにでもいる女の子と言って良いと思う。すれ違えば思わず振り返るほどの美貌の持ち主ではない。振り返るとすれば、散歩中の子犬を見る感じだろう。

 150くらいの低い背丈。細身の体躯。胸はB~Cの間くらい(俺の目算)。肩にかかるくらいのふわっとしたストレートの髪が、丸顔を強調させている。目はパッチリと大きく、顔のパーツは鼻ひとつとっても愛らしい。

 美人ではなくかわいい。子犬かわいい。ゆかりんかわいい。


 しかし防衛戦の時、そんな愛らしい外見から想像も付かない強さが垣間見えた。基本的には優しいが、たまに拗ねたりもする。そんな所は本当に年相応の女の子だ。

 俺にとっての井上縁は、この時代の心の依り代であると言っていい。母親のように、姉のように、妹のように、親友のように、恋愛対象のように。とまぁ、そんな広域的な話は置いといて、俺から見る縁は非の打ち所の無い理想の女の子だ。

 この際、縁の為なら死ねると言っちゃおう。死ねる俺でありたいなんて思わす程の女の子なのだ。


「どうしました? 宗一君」


 神妙な顔つきで唸っている俺に、縁が不思議そうに訊いてくる。

 そんな彼女に、同じ問いを返さずにはいられない。


「なんとも……思わないのか?」

「なにがですか?」

「えと、この状況に……」

「?」


 オブラートに包んで言ってみたが、縁の不思議顔は一片の解消も見せない。

 この状況で冷静でいられるのは、家族か、同姓か、歳が大きく離れているかのいずれかだ。


「わ、分かれよ! 布団ふたつ並べて寝るんだぞ! この四畳ほどの部屋で! 男女ふたりで!」


 耐え切れなくなって状況を分かりやすく解説した。

 親父さんがアパートの隣の部屋を二人で使えるよう手配してくれたまでは良かったんだけど、これはまずい。余分な部屋もないし、兄弟と思われてるから当然と言えば当然だけど。


「……それがなにか?」

「うぐあぁぁぁぁ……」   


 全然分かってくれない。時代的にギャップがあるのか、そんな考えに辿り着かないようだ。

 俺の時代でこの状況は、恋人かそれに近い存在でないと許容できないレベルだ。例えるとクリスマス=恋人の祭りみたいなもんだ。この時代は男が少ないからそもそもそんな発想にならない。


 もう直接的表現を用いるしかないのか? いや、まて……。それでも平然とされていたら、俺は多大なショックを受けるぞ。

 いいのか? 「あんたなんか意識しないわよ。きも」とか縁に言われても。


「いやだあああぁぁぁぁ!」

「え、えと……なにかおかしいですか? 私」


 俺の頭を振り乱す当惑ぶりに、縁もおかしいと気付き始めたようだ。


「……ゆかりん」

「は、はい」 


 縁の両肩に手を置いて、真剣に目を見据える。俺は真実を見に行こうと思う。


「俺達ここで寝るんだよな?」

「そ、そうですね」

「部屋が狭いから布団をピッタリ並べてだよな」

「そうですが。なにか?」

「ということは、俺がその気になったら縁を襲えるよな?」

「……宗一君に殴られるんですか?」


 ……手強い。てかそんなボケもういらねぇ。

 ままよ!


「俺が強引に縁を抱きしめたり! キスしたり! エロい事するって意味だ!」

「……」


 それを聞いた縁は口を半開きにして放心した。その時間、カップラーメンができあがる程。

 意味をやっと理解してくれたのか、顔を筆頭に全身がかつてないほどの赤みを帯びていく。


「あ、あ、あぅ、ぁぁ、あ」


 口をパクパクさせながら、小刻みに震え出した。


「――――! ――! ――――――!」


 今度は宇宙語を発しだした。いや、これは宇宙からの電波を受信しているんだな。なるほど、これが立川の言っていた宇宙背景放射か。

 電波の受信を終えた縁はしばらく俯いた後、真っ赤な顔のまま俺を見上げてこう言った。


「だ、だだだ大丈夫です。そ、宗一君はそんなこと、しませんから。し、ししし信用してますしし?」

「全然信用されてねぇ!」


 でも男として意識されていてほっとした。

 そもそも縁に本気を出されたら触る事すらできないしな。


「じゃあ、寝ようか」

「は、はいぃ。……あぅ」


 俺の落ち着きと引き換えに、縁が無駄に緊張してしまった。言うんじゃなかったかも。


「……」


 布団に入り、暗闇に目が慣れだした頃、まだ落ち着かない様子の縁に声を掛ける。


「……縁」

「ふぁい!!」

「うわ! び、びっくりした……。声でけぇよ」

「ぅ、ご、ごめんなさい。男性と同衾するのって……初めてですから」

「それ意味違うと思うぞ……」


 なにかリラックスできる話でもできたらいいんだけど。……よし。最近仕入れた立川の宇宙雑学を披露しよう。聞きかじりでにわか丸出しだけど。


「へー」


 不評だった。女の子って浪漫を分かってくれない。やっぱり立川が変なようだ。

 少し真面目な話に転換しよう。  

 

「縁は……なんで男が平気なんだ?」


 俺と出会った時。防衛戦の時。遼平と会った時。そしてここ男性街に来た時。全てにおいて縁は嫌悪感を示さない。あの紗枝さんすら抑えきれない憎悪。後方のアリサさんではなく前線で殺し合っている縁なのに、俺の時代の女性よりも性別の壁というものを感じない。


「私は……自分の感じたまま行動しているだけです」

「感じたまま?」

「えっと、そうですね……。話した事もない女性を宗一君はどう思いますか? 好きですか? 嫌いですか?」

「え? ん~、外見とか噂話とかの要素を除けば、判断材料がないな」


 縁は調子が出てきたようで、暗闇でこっちを向いて俺と目を合わせてくる。

 言ってる事はすごく普通だ。話さないと分からないって事だろ? 言われなくても分かる。


「分かってないです。宗一君は」

「え?」

「宗一君はこの時代の女性と、宗一君の時代の女性を同じには見ていないでしょう」

「!」


 不意に真理を突かれ、心臓が不規則に跳ねる。

 そう、縁の言っている事は普通だ。だがその普通は現実では機能しない。それは俺にも当て嵌まる。

 俺は先日のリナの会合から去る時、こう考えていた。『この時代の女性なら仕方ない』。その先入観で彼女らを切って捨てていた。話も満足にしていないというのに。


「縁は、すごいな……」 

「普通ですよ。……へへ」


 それが凄いんじゃないか。なるほど、たしかにランクが違う。

 人間の前に立ちふさがるのは、いつだって先入観という虚像。それが社会問題の根幹なんだ。

 自分の中の虚像にも勝ててない俺が、性別差の確執を危惧するなんて傲慢としか言い様がない。


「私はなるべく、自分で見聞きして感じた事しか信じないようにしています。でもそれは独善的であり、客観性を欠いてしまいます。私は宗一君の素直さはすごくいいと思いますよ。どっちが正しいかなんて事はどうでもいいことかもしれません」

「……」


 年下の女の子の話に聞き入ってしまう。どんな密度の人生を送ったらこんな風になるんだろう。ともすれば子供を諭すような、上から目線の話に聞こえてしまいそうだが、全然嫌じゃない。年下でも、女の子でも、彼女を見てきた積み重ねが、この話を心地良い旋律に昇華している。

 

「縁……。俺の過去話なんだけど、聞いてくれるか?」

「はい。聞いてみたいです」


 なんでこんな話題を振ったのか、自分にもよくわからない。でも縁に聞いてもらいたい。そんな感情が湧いてくる。同じ空間で就寝する今の状況が、一役買っているのは間違いない。


「そうだな。まずは」

「はい」


 縁の興味を引いたようでワクワク顔だ。記憶の底を漁りながら、ポツポツと語りだす。

 俺の家庭は西暦2012年の日本では平均的だった事。両親と兄貴が一人の家族構成。柴犬のコジローを飼っていた事。不況の影響で両親は共働きだった事。俺が大学に行く為に、高校を出て働いている兄貴が援助してくれた事。家族で温泉旅行に行った事。小学校からの腐れ縁の友達が数人いた事。別々の大学に行っても、休みには集まって遊んでいた事。喫茶店でバイトしていた事。


「それか、ら……」 


 いつのまにか、声が震えていた。これだけ詳細に、感情を乗せて誰かに話すのは初めてだった。これまで俺は意図的に避けてきた。口に出すと崩れてしまいそうで。立ち止まってしまいそうで。……怖かった。


「俺、は……」


 もう、会えない。

 父さんとも、母さんとも、兄貴とも、あいつらとも、コジローとも。

 金輪際会えない。確信どころではない。確定している。僅かな可能性もない。

 カーズの拠点にされた北海道で生き残る術はない。生きているとするならば、赤目となってだろうか。それを俺は殺し、これからも殺すと決めた。

 奇跡的に出会ったなら、俺は殺さないといけないかもしれない。それが友人だろうと、親兄弟だろうと。その目が……赤いのなら。


「宗一君」

「……な、なに?」


 呼びかけられ、思考の底から引っ張り上げられる。

 すっかり闇に慣れた目で、縁が隣の布団からこちらを見ているのを捉えた。

 縁は俺に願うような表情を向けている。俺の目から、何も零れ落ちないように。


「最後まで、話してください」

 

 中断は許さない。逃避は許さない。そして、晴らす事も許さない。そんな風に聞こえた。


「……分かった」


 井上縁という女の子は、俺の理想像そのものだった。



◇◇◇◇◇◇



「……二人してなんて顔してるんだよ」


 朝。遼平が俺と縁を見るなり突っ込んでくる。

 昨夜、最後まで話すのにキリのいい所が見つからず、気付けばチュンチュンと聞こえる鳥のさえずり。二人とも徹夜で見事なくまを作ってしまったのだ。でも過去エピソードの最後ってどこよ? 


「なんで寝不足なんだよ…………はっ!」


 遼平が睡眠不足の理由にあたりを付けたようだが、何か不穏な空気だ。

 祝福顔を向けながら、俺の肩をひとつポンと叩いてくる。


「宗一は記憶がないから教えてやろう。避妊はしてはいけないのが今の常識だ。ちゃんと中で、ぐばぁ!」

「それ以上しゃべんな!」


 突っ込みで殴ったの初めてだぜ。不覚にも紗枝さんの気持ちがわかってしまった。

 縁の目はかろうじて開いているものの、夢の中で聞こえていない。ふぅ、あぶなかった。


「親父さんは?」

「親父なら仕事だよ。それよりちゃんと寝て来い」


 大晦日に仕事か。大変だな、親父さん。

 縁も眠そうだし、遼平の言うとおり寝たほうが良さそうだ。


「縁、もう少し寝てよう」

「はぁぃ……」


 今度は緊張なんて欠片もない。

 男女間の機微を軽く凌駕した睡魔の完全勝利だった。



◇◇◇◇◇◇



 たっぷり眠って昼過ぎに起床。外出初めから怠惰な幕開けになってしまった。

 昼食を食べた後、今は縁と二人で散歩中だ。遼平は家の大掃除の準備をするようで、後で俺達も手伝う事になっている。


「どこに行くんですか?」


 小声で話しかけてくる縁。帽子をしっかりと深めに被って、髪をその中にイン。

  

「目的はないよ。ただ見て回るだけ」


 ここにはそれだけの価値があった。ただこうして歩いているだけで、この場所の異質な部分がはっきりと見えてくる。

 本当に男しかいない。そして見る限りだが、老人が七割程を占めている。

 すれ違う人達に活気が感じられない。目に映る光に未来というものが感じられない。それでもどこか安堵感が伝わってくる。自分達の居場所はここであると信じて疑っていない。

 

 古びた集合住宅が多く建ち並ぶ町並みは、廃墟の集合体のようだった。死体からのものだろうか。路地裏を通り抜けると異臭が鼻を突く。時折、通りすがる俺達に顔を上げる人がいるが、すぐに興味を無くしてそっぽを向く。


「あれは、工場?」

「そうですね。恐らく政府の就労支援所でしょう」


 遠目からでも確認できる大きな工場。

 政府からの援助は生活保護の支援金だけだと思っていたが、ちゃんとした仕事場も作っているようだ。


「聞いた話だと就労や生活保護などの支援金も年齢制限があるようですね。確か五十歳までとか」

「それを、超えたら?」

「……多分」


 打ち捨てられるのか? そこのカラスが群がっている死体のように。

 逃げてきた先でもこの扱い。所々にある畑は出荷するものじゃなく、自給自足の為なんだ。

 五十という年齢制限はリアルすぎて寒気がする。男として優遇されるのは、若い生殖機能だけであると言っているも同然だ。年老いた男なんかゴミでしかないってのか。

 

「男性街の外は、ここよりもひどいのか?」

「……私は実際に見た事がないのでなんとも言えません。柳君のお父さんに聞いてみるほうがいいでしょう」


 さすがの縁も気分が悪そうだ。そう感じてくれる女性がいるだけで少し心が軽くなる。

 外が嫌だからここに逃げてきたんだろうが、ここよりひどくなる外の世界は俺の想像が追いつかない。 


「行こう……」

 

 気が重くなる散歩を続行する。

 しばらくして路地裏に入ると、座り込んでいる老人を子供が見下ろしている状況に遭遇した。


「あげる」


 子供が手に持っていたお菓子を、少し惜しそうに老人に差し出している。

  

「……ありがとう。でもいいんだよ。それは坊主のなんだから、坊主が食べるんだ」


 痩せ細った老人が、満面の笑顔を向けて子供に礼を言う。

 お菓子は受け取らず、幸せそうに顔を綻ばせて子供の頭を撫でている。


「あ、坊主」


 子供はお菓子を老人の前に置いて走り去って行った。問答無用の押し付けだ。 

 しばし呆然としていた老人が、座ったまま子供の後姿に深々と頭を下げる。立ち上がった老人は何とも弱々しい足取りで、今にも倒れそうだった。


「あ、あぶない」

 

 傍観していた俺は、転びそうになった老人の体を反射的に支える。


「大丈夫ですか? どこかに行くなら手を貸しますよ」

「ああ……大丈夫だよ、水を貰いに行くだけだから。でももう少しだけ休もうかね」


 そう言って、老人は再びその場に腰を下ろす。


「……どうした?」 


 立ち去らない俺に向かって、不思議そうに話しかけてくる。

 俺がここで老人に手を貸したからといって、それ以上の事はなにもできない。さっきの子供のような打算のない優しさではなく、俺のは同情を含んだ自己満足に相違ない。

 これ以上見ているのが辛くなった自分本位の優しさ。捨てられたペットに、戯れに餌をあげるがごとき行為。結局は見捨てるという未来は変わらないというのに。


 老人はよろめきながら立ち上がり、俺の頭を先の子供と同じようにポンポンと叩く。その手に対してなにもできない。反応すると感情が溢れてしまいそうだった。 


「ありがとう」


 そう言って微笑む老人。 

 こんな同情が、こんな場所が、安息の地だと言うつもりなのか。老人の表情は、思い残す事がなにもない死に際のように曇りがない。


 力なく去って行く老人の後姿を、見えなくなるまで眺めていた。すぐそこに横たわる死体が、あの老人の遠くない未来の姿だと確信していても、俺にはそうする事しか出来ない。

 

「……宗一君」


 縁が心配そうに手を握ってくる。伝わってくる体温は、心まで包んでくれるように暖かい。

 俺はなんて恵まれているんだろう。でもいつまでも甘えていられない。


「大丈夫。行こう」


 縁にそんな顔をして欲しくない。この重苦しい空気を払拭しなければ。

 俺は大丈夫。……大丈夫だ。


「……あの」

「なに?」


 とぼけた返答をする。縁の手はしっかりと俺に握られていて離す事が出来ない。

 そのまま恋人握りに移行。これでいつもの縁になる筈だ。


「くくく。縁の手はすべすべだな~。たまには落ち込んでみるのもいいな。役得役得」 

「む。……それはよかったですね」

「な、なにぃ!?」


 ここは縁がテンパッて、強引に手を離そうとするプチコントが展開される場面だろ。 

 心配要らないというアピールの筈だったのに、これでは俺が甘えたい男というレッテルを貼られてしまう。


「く、この。……離せ!」

「も~、宗一君てほんと甘えたですねー。しょうがないんだから~よしよし」

「手が頭に届きにくいからって空気を撫でるな! あきらめるな! いいから離せー!」

 

 やばい。絶対わざとだ。いつもと立場が逆転してしまった。この子ちょっと慣れてきてやがる。このままでは俺が唯一、縁に勝っている面が逆転されてしまう。

 でもまぁ、いつもの雰囲気に戻ったから別にいいか。


「ん?」


 俺が違和感を感じたと同時に、縁が握っている手を引っ張って警戒を促してきた。前から歩いてくる男から、只ならぬ気配が伝わってくる。

 

「能力者か……?」


 互いにフェイズを使わずとも察知できる。向こうも気付いているだろう。感覚的なものだが、違う生物を違うと認識できるように自然と分かってしまうのだ。

 日本での遺伝子操作は軍人のみなので、彼もそうなんだろう。しかし、非合法な組織がないとも言い切れない。警戒はしておいたほうがいいな。


「……」


 心配は杞憂に終わったようで、男は俺と縁の横を通り抜けていった。

 すれ違い様に少し視線が交差したが、特になにもない。


「ふぅ……まぁいきなり襲ってきたりしないだろ」

「……」

「……縁?」


 縁が何も喋らない。まだ警戒を解いていないようだ。

 俺の呼び掛けに、縁は声を出さず「やってしまった」という表情を見せている。え? なにを? 


「……おい」


 振り返るとさっきの男が立っていた。呼びかけているのは明らかに俺達だ。

 男の視線は、帽子で顔を隠すよう俯いている縁に向けられている。

  

「そいつ、女だな。なんでここにいる?」

「げ……」


 縁がさらに「あちゃー」といった感じで額を押さえる。

 俺はバカか……。自分でイエスと言ってるじゃねぇか……。


「それに、お前ら軍人だな」

「だったらなんだよ」


 もう開き直った俺は憮然と言い返す。

 なんかイラつく男だな。年は俺より少し上といった感じだが、その偉そうな態度がムカつく。俺より高い身長だからって調子のんなよ、この坊主頭が。 


「別に……」

「だったら話しかけんな。このハゲが」

「ハ、ハゲ……。うっ」


 ジャブ程度だったのに大ダメージだった。涙ぐむなよ気持ち悪い。


「これはおしゃれボウズだ! 決してこの若さで寂しくなってきた頭をごまかす為じゃないぞ!」

「シラネーよ! そんな詳細聞いてねーし、聞きたくもねーよ! 悪かったなおい!」

「なんで二人とも涙ぐんでるんですか?」


 縁がもう隠しても無駄とばかりに発声する。

 ムカつく野郎だが、無性に謝らないといけない気にさせられた。その若さでマジハゲで、フェイクに尽力するなんて可哀想過ぎる。自分に当て嵌めて想像したら目頭が熱くなってきた。


「ふん……」


 興味を無くしたのか、縁の事に追求せず立ち去っていった。

 もしかしたら結構良い奴なのかもしれない。次会ったらちゃんと謝るか。


「なんでバレたんだろ?」

「……宗一君は果てしないバカですね。名前を呼ぶからですよ。私が黙ってたのに台無しです」

「あ」



◇◇◇◇◇◇ 



 しばらく散歩した後、大掃除を手伝う為に帰宅した。

 遼平が俺達を見つけた途端、嬉しそうな顔を浮かべる。両手には掃除用具だ。


「おう、おかえり。掃除、手伝ってくれるんだよな? 助かるよ」

「世話になってるんだからこれくらいしないとな」


 年末の大掃除か。こんな所でも日本の風習は残ってるんだな。


「で、どこをやるんだ?」

「このアパート全部」

「……どこだって?」

「だから、屋根から壁面から部屋の中まで全部」

「……」


 その言葉に呆然としている俺と縁の手には、すでに掃除用具が装備されていた。

 こいつは俺達を業者かなにかと思ってるんだろうか。


「いやー、軍人なら楽勝かと思ってな。今年は徹底的にやれるぜ」

「やれるぜ、じゃねーよ!」

「後で援軍も来るから大丈夫だって」


 ほらほらと遼平が背中を押してくる。掃除の鉄則で上からやることになった。

 たしかに屋根の上とか、壁際の拭きにくい所とか、フェイズ1程度でやりやすくなるだろうけど、一軒家じゃなく集合住宅は骨が折れる。壊さないよう注意するのも神経を使いそうだ。フェイズ1でも窓を拭いてるだけで割ってしまうだろう。


「ったく、少しは遠慮しろっての」

「まぁまぁ、お世話になってますし。掃除も訓練です」

「まぁ……な」


 片手で壁の小さな出っ張りを掴み、足を掛けて全体重を支える。それから壁を丁寧に拭いていく。ロッククライマーになった気分だが、これが意外と難しい。体重を支える手と足だけに力を集中して、拭く手には繊細さを必要とされる微妙な力加減だ。確かに訓練になる。


「あ」

「あ」


 縁と俺の距離が離れていく。速度は地球の引力に聞いてくれ。

 とまぁ、気を抜いたらこうして落ちてしまう。何回目だっけ? 痛くないからいいけど。

   

「え?」


 地面と衝突寸前、着地体勢が無駄になり、誰かに抱えられる。

 お姫様抱っこで救出され、俺が女なら惚れてしまうというベタな展開になるだろう。

 男で残念だったな、助けてくれた人よ。でも一応、礼を言っておこう。


「って、さっきのハゲかよ! きめぇ!!」

「いでぇ!」


 お姫様抱っこの体勢で見上げると、さっきのハゲがいた。

 あまりの気持ち悪さに、謝る事を忘れて思い切りハゲ頭をはたく。

 スパーンと心地いい音が辺りに響いていった。


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