第23話 フェイズ鬼ごっこ 前編
「ぬ、ぬぬ……。ふぬ……ぉぉおぉ」
西暦2064年、12月3日。
やっと司令部の自粛命令が解け、訓練に復帰した。
俺は今何をしているかと言うと、10cm四方の箱に手を当てて唸っている。
「ぐはぁ! はぁ、はぁ……。ピ、ピンポン玉!」
「スーパーボールです」
「ガク」
屋内の演習場には、付き添ってくれている縁だけ。
立川は歩けるようになったがまだ療養中。有原はその付き添いと自分の訓練。紗枝さんとアリサさんは俺の知らないところで忙しそうだ。
「難しいなぁ~」
「なったばかりなんで仕方ないですよ」
今はフェイズ3の干渉を使って、箱の中の物を外から触っただけで当てるという訓練。
干渉に関してのポイントは、媒体をどれだけ把握する事ができるかがカギとなる。強化するにしても、壊すにしても、そこから始まるのでタイムラグが発生する。でも戦場ではもたもたできないので、その時間をどれだけ短縮できるかが大事だとか。
訓練前、縁は「私は中の物だけ壊せますよ」と、なぜ語尾にエッヘンを付けないか不思議なほどの得意顔で語っていた。
「宗一君のフェイズ2の計測結果ですが」
「お、出たの? どうだった?」
訓練復帰前にいろいろやった。というかやらされた。
1km(短距離らしい)走から始まり。鉄の重りを体中に付けて垂直飛び。でかい砲丸(鉄塊)投げ。どのレベルの衝撃から痛いかの耐久力測定。動体視力や反射神経のテスト。遠視の距離測定。聴覚のテスト。目を瞑って相手との距離を測るテスト。警察犬のようなテスト。……とまぁ他にも一杯あるが、この辺にしておこう。
「……気持ち悪いです」
「縁にキモいとか言われると死にたくなるな……」
手に持っている紙を見下ろしながら、縁は怪訝な表情で唸っている。
「宗一君には得意分野がありません」
「え? なんかガッカリが俺の心を支配しているぞ」
「でも、苦手分野もありません」
「おお! なんか嬉しいぞ!」
縁の話では、得意分野とそれに関連した能力にはS判定が付くが、苦手分野は必ず存在するらしい。
それが俺の測定結果にはあまり現れてないということで、縁はかわいい眉をひそめている。
「そんなにおかしいのか? 何かで例えてくれ」
「短距離走者が長距離走者になれないみたいなものです」
「すげー分かりやすい……」
紗枝さんといい、みんな例え上手だな。でも有原とアリサさん辺りはダメそうだ。
「あえて言うなら、身体能力全般が得意ですね……異常なまでに。これなら強化型であるフェイズ4の赤目を貫いたのも頷けます」
「そうなのか?」
「まぁ、領域の一点集中とかいう自殺行為をすれば……ですけどね。ですけどね! でーすーけーどーねっ!!」
「あ、あの……怖いです。縁さん」
自分で説明しながらどんどん機嫌が悪くなっていく縁。
その件に関してはもう死ぬほど怒られた。紗枝さんだけでなく、アリサさんや有原。果ては立川にまで怒られた。一点集中ということは防御力はガタ落ちになり、ほとんど生身でミサイルの弾幕に突っ込んで行ったようなものだ。
「ホント何考えてるんですか? 脳みそ入ってますか? 勝ったとか思ってたら大間違いですよ? 赤目に左腕あったら秒殺ですよ? 無くても勝つ可能性なんてないんですよ? 高瀬さんいなかったら確死ですよ? バカすぎます。稀代のバカです。死んでもバカを維持できそうです。男ってホントどうなってるんですか? 特に頭とか。いえ間違えました。脳みそとか。ねぇ、どうしたら治りますか? その空前絶後的なバカっぷりは」
「ぐはあぁ……」
もし心が血を流せるなら、俺は今吐血の海に沈んでいる事だろう。
俺にとって縁の毒は、ボツリヌス菌クラスの致死性を発揮する。滅多に聞かないので効果抜群だった。
療養中は言いたいのを我慢してくれていたんだろう。次から次へと思い出したようにプンプンする。
「はぁ、はぁ、はぁ……。わ、わかりましたか?」
「ふぁ、ふぁい!」
たっぷり毒を吐かれること30分。俺の心の水分と引き換えに、なんとか落ち着いてくれたようだ。
「じゃあ、もういいです。話を戻します」
「……何の話だっけ?」
「やっぱりどうにかしましょう。その脳みそ」
「ああ! い、いや、えと……俺の測定結果の話ね! うんうん。しかし、縁は怒ってもかわいいな~」
「……」
最後は意味不明に褒めてみたが、まったく効果がなく睨まれて終わった。それほどご立腹らしい。
気を取り直した縁は、測定結果を見ながらやっぱり難しい顔になる。そして、少し不安げな色も窺える。
「宗一君。フェイズ4は見えてるんですよね?」
「ああ。ちょっと遠いけどな」
フェイズ3の時のようにすぐそこにはなく、少しだが距離があった。
でもフェイズ1や2の時よりは確実に近いと感じ取れる。
「どうぞ」
縁が屋内にある武器置き場から小さめの片手剣を取り出し、俺に渡してくる。
訳が分からないままそれを受け取ると、縁は俺を見上げながら言う。
「立ち合いましょう」
そう言った縁は、期待と不安がない交ぜになっているような複雑な表情だった。その意味は俺には読み取れそうにない。
「え? 俺と縁が? この剣で?」
「いえ。剣は宗一君だけです。干渉して使ってください。練習です」
「でも、剣はさすがに危ないだろ」
「大丈夫です。今の宗一君の干渉レベルなら、剣より手刀の切れ味が遥かに上です。当たっても怪我はしません。私の能力を知ってもらおうと思って」
「そ、そうか」
口で説明してくれればと思ったが、百聞は一見にしかずと言った所なんだろう。
「……よし、いくぞ。縁」
剣くらいで、いや、相手を傷つけるのを怖がってるくらいでは、俺の求める強さは手に入らない。
大体、俺と縁の実力差は、剣くらいでは到底埋める事が出来ない。今までの訓練でそれを肌で感じていた。手を抜かれているのが丸分かりだったが、それでも俺は縁に一撃も入れる事ができていない。
「……ふー」
相手を傷つける覚悟を決め、目を閉じる。意識を集中し、剣の構造を把握し、干渉する。
物質を分離しろ――。人間を切断しろ――。
お前の存在は、全てを斬殺する者――。
今の俺に出来る干渉を終え、細身の刃をゆっくりと鞘から解放する。
刀身が擦れ合う音ともに抜刀された刃は、それ自身が狂気とも言える殺意を内包していた。作り出された目的そのままに、斬殺の意志を示している。
目で見なくとも、肌で感じ取れる。
力も速さもいらない。そっと添えるだけで良い。緩慢になぞるだけで良い。
それだけで、鉄は豆腐のように切れる。それだけで、人の未来を断つ事ができる。
「どうぞ」
目を開けると、距離を取り終えた縁が開始の合図をする。
どうやら完全に受身のようだが、そこまで舐められるとさすがに悔しい物がある。
剣への干渉は三割程に留め、当てる事を優先する。もう自分の体の一部であるフェイズ2の領域を使い、スピードに重点を置き強化する。
「当てるぞ、縁。……怪我すんなよ」
「大丈夫です。当たりませんから」
「こ、このやろ……。いくぞ!!」
自分の言葉を合図に駆け出し、縁と10m程の距離を秒未満でゼロにする。
両手で構えていた剣を、突進したスピードを載せて、縁の額に向け突き出す。
瞬発力を強化して繰り出された刺突の剣速は、常人になら痛みを感じる暇もなく死を与えるだろう。その殺傷力を迷いなく縁に向けるという暴挙を犯す。
でも、これでいい。いや、こんな物では足りない。こんなスピードで、縁には届かない。
「く……」
予想通り回避されていた。そして完全に見切られている。縁は横に避けず縦に避けていた。
剣での突きを、最小限のステップとスウェーバックで避けるという、高難度な回避を縁は選択していた。それに加え、刃先と額との距離はミリ単位の正確さを見せている。その僅かな空間は縁が意図的に作った物であり、俺との力量差を如実に物語っている。決して惜しいなどという感情は湧いてこなかった。
だが突き出した刃先には微かな手応えがあった。恐らく縁の前髪なんだろう。しかし今の俺の干渉では、この鋭利な刃でも縁の前髪を切る事すら出来ていなかった。
いや、もしかすると縁は髪すらも避けて、その後にわざと髪で剣を触ったのかもしれない。もしそうなら、恐るべき空間把握能力だ。
「このっ!」
瞬き程の時間の一攻防で、既に敗北感で満たされた俺は、声を出して自分を奮い立たせる。
剣の干渉もそっちのけで、当てる事に全ての領域を使う。多分、このまま当たっても折れるのは剣になりそうな気がするが、この敗北感を払拭するにはまず当てないと始まらない。
自分が出来る様々な斬撃を繰り返す……が、当たらない。当たる気がしない。
縁は紗枝さんのように、目の前から消え失せるなんて馬鹿げた身体能力を持っているわけではない。まだまだ及ばないものの、基本性能は俺と大差ないと思うんだが……かすりもしねぇ。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「もう終わりですか?」
「こ、この癒し系がぁ! 後でおんぶしてやるからな!!」
「や、やめてください……」
当ててやる! 当ててやるぞおおおお!! 当てて、当て…………当たんねぇえええええ!!
怯んだ縁に飛び掛ったが、やっぱり俺の剣は空気しか切らない。しかも縁は一定ではない俺の斬撃を、全て紙一重で避けている。その様は格式高い演舞のように優雅であり、針穴を通すかのように精密であり、只ならぬ完成度を俺に見せつけていた。
その攻防の最中、俺は少しの違和感を感じ取る。
縁は見て避けていると言うより、知っているかのような避け方をする。俺の斬撃の始動から、避ける動作までの時間がゼロに近いと言っていいほど反応が鋭い。
初動を見て剣の軌道を読むのは当たり前だが、それを認識して計算し、避ける動作に移すまでは必ず時間のロスが発生する。でも、縁にはそれがまったくない。
「?」
縁は剣を避けざまに、俺の体を手の平で何箇所もポンポンと触ってくる。避けてから触るまでの動作に無駄が一切ない。あらかじめ決められていたかのような流れ作業だ。
でも特にダメージは感じられない。余裕ですよという意思表示なんだろうか? ……後で絶対お姫様抱っこしてやる。いや、違う。当ててやる、だ。
「あ!」
気付けば俺の剣は縁に白刃取りされていた。左手の中指と人差し指でしっかりと挟んでいる。
それを力任せに引き抜こうとした瞬間、剣を握っている手に違和感が走る。
「ふぎゃ!!」
伝わってきた違和感に強烈な痺れを感じ、俺は剣を離して後ろに倒れこんでしまう。
「ダメですよ、宗一君。干渉しないと当たっても切れませんよ? あっ、当たっても切れないですけど。あっ、大体当たりませんし」
「……」
仰向けで見る天井は何故か歪んでいるように見える。ちゃんと設計しとけよと責任転嫁した。
俺を見下ろしてる縁は、宗一君まだ弱いですからーという属性の言葉を次々と呟いている。
俺はかつて年下の女の子に、こんなに舐められた事があっただろうか……。
「……え?」
体を起こして縁の方を見ると、白刃取りして中空に停止していた剣が崩れ落ちていた。
破壊したというより、崩壊したといった感じで、床に欠片が散らばっている。
「分かりましたか? 私の能力」
「え? ……う~ん」
なんだろう? 俺には砕かれている剣より、あの避け方が気になったんだが……。
そうか……わかったぞ!
「ズバリ! 予知能力!」
「全然違います……」
「えー……」
「じゃあ、少し解説しますね。これはフェイズ4の付与という力です」
「ふよ?」
「付与です。わかりますか?」
「解説をお願いします、縁先生」
ということで、縁先生の解説を受けることになった。
フェイズ4は一言で言えば『付与』。意味としては与える、加える、性能をもたせるというのが一般的。
そしてフェイズ4の能力は大別して二種類。『現象付加』と『現象操作』
現象付加は様々な現象に対し、付加価値をつける事が出来る。
例えばなにかに石を投げて当てる時に、追尾という機能を付加することができる。しかし、ぶつけた石を手元に戻すなどという付加の仕方はできない。当てるという目的があるから追尾と言う能力を付加できる訳で、媒体の目的にそぐわない能力は付加できないと言う事になる。
赤目にミサイルの類が打ち落とされるのはフェイズ2の能力でも可能だが、この能力者が混じっていると迎撃力がさらに高まるらしい。
「私の回避能力の高さはこれを使用しているからです」
「回避に使えるのか?」
「はい。フェイズは知能が向上しないので、考えてから避けては遅すぎます。認識力の向上などで常人よりは速いですが、それでも充分ではありません。避けると言う動作に反射を付加しているので、私が避け方を考えなくても勝手に回避します」
「それは、便利そうで……」
そして現象操作。これは少し付加とは違った特色を持つ。
付加の場合は目的を媒体にしていたが、操作は既に存在している現象を操作する。ひとつの目的に特化した付加とは違い、操作はいろんな応用が効く。
これは医療によく用いられるらしく、臓器に干渉して正常な機能をこちら側から操作、誘導することができる。フェイズ4から外科治療が可能になるのはこの能力によるものが大きいらしい。当然、現象付加も医療では使われている。
防衛戦の護衛隊長だった高瀬さんは、この能力を使って他者の活動に干渉して操作し、停止させた。
「ええ!? じゃあ俺が助けられてるじゃんか!」
「まぁ、聞いた話だとそうなりますね。多分、赤目の右手に触られた瞬間、宗一君死んでましたよ?」
「ちょ、ちょっとお礼言ってくる!」
「ああ! まだ話が終わってないですから!」
「む」
縁先生は授業のエスケープは許可してくれず、服を引っ張って座らされる。
また今度、礼を言おう。
「それと、強化や干渉は得手不得手があるものの全てを使えますが、付与は出来る事と出来ない事がハッキリします。私は回避に関連するものにしか使えません」
「能力特化って感じだな」
「そうです。私は回避に関連する能力が得意分野だったので、この能力になりました。フェイズ4になる事でさらに得意分野は向上します。国枝基地長のスピードもです」
「え? あ、あれは5の能力じゃないのか?」
「いえ、違います。フェイズ5になった事でさらにスピードは特化していますが、宗一君と戦ってた時のスピードならフェイズ4でも可能でしょう」
「マジかよ!? てか見てたんなら早く出て来いよ!」
「あ、しまった」
「しまったじゃねぇ!」
くそう。なにタイミング計って出て来てんだよ。バッチリだったよ。ちくしょうめ。
でも紗枝さん、あのスピードで手抜きなのか。しかもフェイズ5の能力を使っていないとか……。なんなのあのデビル。
「さっき剣が砕けたのは? それと俺、痺れたんだけど」
「ああ、それは単なる干渉です。剣を通して宗一君に攻撃しました。剣に干渉してないからああいう事になるんですよ?」
「ぐっ……。そ、それと、なんで俺の体に触ったの?」
「それも現象付加のひとつで、回避からのカウンターです。回避して触るってだけですが、私が触った所は干渉で破壊されます。本気を出していたら、宗一君は今ごろ肉片だったんですよ?」
「……抱きしめていいか?」
「ダ、ダメです」
縁の得意顔に腹が立ったので、復讐を提案してみたが却下された。
「もう少し具体的に言うと、こうです」
攻撃の初動を目視 → 距離、軌道、速度、等を計算して考える時間を省略 → 回避行動
「さらに攻撃までを各フェイズの役割で分類すると」
視認(強化) → 反射(付加) → 回避(強化) → 接触(付加) → 攻撃(干渉)
「といった感じで、動体視力、敏捷性、運動神経が伴わないと成立しません。回避に対して現象付加を使っているので、接触に関しては攻撃性のものは付加できません。回避からの流れだから付加できるのであって、本当にただ触るだけです。その後に干渉で攻撃って感じです」
「フェイズ2~4まで全部使ってるじゃん……」
「避け方が分かってても、亀さんにピストルは避けれないです」
「亀さんじゃない縁先生はピストルを避けれるの?」
「私じゃなくても宗一君にもできますよ。引き金を弾く動作を見てれば簡単です。あっ、やってみますか? 当たっても大丈夫ですし」
「いえ、遠慮しておきます……って言ってる傍から武器庫行くのやめてえええええ!」
行く時はワクワク顔だったのに、つまんないですと拗ねて戻ってくる縁教官。
俺の時代の銃はそんな認識ではなかったので勘弁願いたい。
つまり縁の能力は、すさまじい回避能力とそれによるカウンター。干渉による破壊ってことか。この能力の肝である干渉によるタイムラグも、縁ならかなりゼロに近づけているんだろう。今の俺が抵抗するにしても、その時間差で完全に防御できないし、できても力負けしそうだ。
フェイズ2で回避に必要な能力の強化。フェイズ3の干渉による人体や物質の破壊。その二つを、フェイズ4の現象付加で最大限活かした攻防一体の体術。……こわカワイイと言うしかない。
武器はなにか使うんだろか? 生半可な物は足手まといになりそうだが。
「最後に、フェイズ4になると減退もしくは消失する能力が必ずあります」
「え? 苦手分野の事か?」
「そうです。苦手な分野の能力は性能がさらに落ちるか、使用不可になります。私の場合、力の強化があまりできません。フェイズ1よりは上ですが、宗一君には完全に負けるでしょう」
「そうか……」
フェイズが進化である事から考えると、そうなるのか。目的に特化した代償というべきか。
回避するのに力はいらない。干渉するのに力はいらない。まさに自然の摂理といった感じだ。
力が弱いとなると、縁は捕まるとピンチになるのか。でも、捕まえれる気がしねぇ……。
「宗一君の身体能力は優秀なので、そんなに落ち込まなくてもいいですよ。フェイズ4を使わずに避け切るつもりでしたが、一撃目を見てその認識を改めましたから」
「けっ。慰めなんかいらねぇよ。ぺっ」
「や、やさぐれないで下さい。ホントなのに……」
どちらにしろ、縁と張り合うのはまだまだ遠いって事だ。フェイズが上だろうと関係ない。戦場でそんな言い訳通じないぜ。それに俺は、縁のエッヘン顔が好きなんだ。
「宗一」
「え? 紗枝さん」
いつのまにか演習場の入り口に、紗枝さんが立っていた。
手にはさっき縁が見ていた、計測結果の紙を持っている。
「次の休校日。空けておけよ」
それだけ言って、紗枝さんは去っていった。相変わらずの無愛想だ。
「ぇ……」
それってもしかしてあの約束だよな? うわ、ついに来たよこれ。ホントに来たよ。妄想かと思ってたのに本当だったよ。いやでも……。そういう事はやっぱちゃんと付き合ってからじゃないとダメだよな。
え? そういう事ってどういう事だよ? ちょっと静まれよ。俺の思考回路。
「宗一君……。なんかキモいです……」
「ぅぐ! ぁぁぁあぁぁぁあぁ……」
誰に言われても、縁にだけは言われないようにしようと心に誓った。
◇◇◇◇◇◇
休校日。時刻は午前9時。目の前には野外の演習場。
十二月上旬の冬めいた空気は清々しい。寒くなりつつも、まだ秋の余韻を残した過ごしやすい気候。
空も満点の快晴だ。俺は曇りが一番好きだけど、冬の柔らかな日差しも悪くない。こういう日を趣味に費やせたら、最高の休日になる事間違いなしだ。
「え~、という事で。これから鬼ごっこを始める」
「……」
野外の演習場に集められた三十人程の女性達。と、一人の男(俺)。
休みの日に鬼ごっことか、この歳になるとさすがに恥ずかしいけど、たまにはこういうのもいいかもね。紗枝さんは俺の息抜きにこの遊びを提案してくれたんだろう。不器用だけど優しいんだよな、この人は。
「鬼は辰巳宗一。範囲は基地内全て。制限時間は日没まで。殺さない事。以上」
「ちょっとおおおおおおおおお!!」
以上、じゃねぇよ! この眼鏡が!!
なんで子供の遊びがそんなビッグでバイオレンスなスケールになってんだよ!
「ん? ああ。少し説明が足りなかったか。辰巳宗一の骨折くらいならオッケーだ」
「俺の体の所有権を持っている!?」
「違ったか?」
「ぐっ……いや、確かに約束はしましたが。あれは夜伽の相手という意味じゃ、ぐぶぅ!」
違ったのか……。って普通に考えたら当たり前だ。俺アホすぎるだろ。思春期真っ只中かよ。
でもちょっとホッとした。やっぱり紗枝さんはこうでなくちゃね。しかし、訳分からん鬼ごっこには抵抗する。鼻血ぐらいじゃ俺は引かないぜ。
「なんで休みの日に鬼ごっこなんすか!? もしかしてこの基地の流行なんすか!? あいにく俺は流行り物とか嫌いなんですよね! マイナー思考な俺カッコイイ! ていうかみんなもしたくないって絶対! ね! ね!?」
「…………」
おおう……。なんとなく周囲の女性に同意を求めてみたが、これは……期待されてるぞ。
いつもの嫌悪感丸出しな目ではなく、頼られてる目だ。ここでこんな視線を浴びた事があっただろうかいやない。
いくら基地長の頼みと言っても、さすがに休みを潰されるのは嫌なんだろうな。しかも男の為に。
うお! 今ボソッと「頑張って」とか聞こえた。……やべぇ、すっげー嬉しい。
やっぱり仲良く出来るんだよ。人と人だもんな。これは俺の中で大きな一歩になるかもしれない。
もしかして紗枝さんは、この為に悪役を買って出てくれたんじゃ……? 本当は鬼ごっこする気なんてないんだ。やっぱり優しいな、紗枝さんは。
「で、詳細なルールだが」
「全然ちげええええええええ!!」
都合のいい妄想はあっさり打ち砕かれた。頭を抱えると上から舌打ちと溜息の嵐が耳に届いてきた。
その後、抵抗してみたが、まぁ無理だった、ははっ。「役立たず」とか聞こえてきたが幻聴だと思う思いたい。
紗枝さんは食い下がる俺を無視し、鬼ごっこのルールを説明しだす。
1. 鬼(俺)を捕まえて、今、俺が立っている円を書いた場所につれてきたら女性陣の勝ち。
日没まで逃げ切れば俺の勝ち。 鬼をみんなで捕まえる普通の鬼ごっこの逆バージョン。
2. フェイズの使用は許可。というか必須。
30人の内10人がフェイズ3の能力者(有原含む)。残りの20人はフェイズ2。
3. 俺に触れてから100m以上距離を取られた人は失格退場。全員失格の場合、俺の勝ち。
4. わかりやすいように全員学校の制服着用。
女性は軍服の正装のようなシックな黒のジャケット。下は短めのスカートにスパッツ。
俺はそのジャケットにスラックスの長ズボン。汚れそうだが、休校日ということでこうなった。
5. 攻撃は可。だが相手に重傷を与えてはいけない。
「俺の骨折は!?」
「一週間くらいで治るから大丈夫だ」
「そりゃあんたは痛くないでしょうけどね!」
「お前も相手の力量を肌で感じ取れ。そうしないとお前が相手を殺す事になるぞ」
「ぬっ……」
「それに、誰かさんが勝手に戦場に来なければ、こんな事しなくてもよかったんだがな」
「ぐぬぅ……」
反論できなさ過ぎた。
要するにこれは、戦場における実戦的な訓練って訳か。
「手を抜いたらお前の休みは今後全てこれになるからな。それと全員、基地施設をあまり壊さないように。追いかけるのは今から一分後。では始め」
「ちょ、そんなサラッと!? ……く……うぅ……ち、ちくしょおおおおおおお!! 覚えてろよ! この三十路前のお肌曲がり角が、ぐばはぁ!!」
走りながら100m以上離れて吐いた暴言が、1秒未満で迎撃された。なんつースピードだよ……。
それを見た女性達が、少し面倒そうだった雰囲気を一変させ、戻っていく紗枝さんに震えながら敬礼をしていた。彼女らも真剣にやらないだろう、なんて俺の淡い期待は一瞬にして崩れ去った。
「先に言っておくが、ミスして殺しましたとか言っても殺すからな。後、手を抜くのも許さん」
「はいぃ!!」
後ろから紗枝さんの脅し(注意事項)と、女性達の震えた返答が聞こえてくる。
休みの日に手伝ってもらっといてそりゃないだろう……。あの理不尽に対する怒りは、やっぱり俺に向かうんだろうなぁ。
でも、訓練なら頑張ろう。強くなるって決めたもんな。
とりあえず、走って逃げれば良いんだな?
……。
――――十分後。
「……ぇー」
もう終わっていた。俺はしっかり捕まって、もといた円の中に入れられていた。
俺なりに頑張って逃げたものの、訳が分からないうちに終わってしまった。
そんな俺に、紗枝さんは呆れた顔を向けながら言う。
「もう一度だ」
「……はぃ」
…………。
――――三十分後。
「…………クスン」
「クスン、じゃないわ! このアホ!」
「いでぇ!」
座っていじけていたら紗枝さんの鉄拳を脳天に頂く。
なんだかあっさり過ぎてさすがに傷付いた。
「お前……やる気あるのか?」
「あ、ありますよ!」
一度目はともかく、二度目は本気で逃げたんだ。というか、この30対1が間違えてないか? 今更だけど。
逃げても回り込まれるし、隠れてもすぐ見つかるし。一瞬で囲まれて終わりだ。
「どうせ闇雲に走って逃げてるだけだろう」
「え? それ以外に何が?」
「あのなぁ……。これはフェイズでの鬼ごっこだ。何故回り込まれるか。隠れても見つかるか。それを考えろ。そして対処するんだ」
「でも、赤目からは隠れても無駄なんでしょ? フェイズを使えば鬼ごっこもそれと同じじゃないすか」
「赤目の赤外線センサーのような機能は、フェイズ4の現象付加でないと使えない。ここには一人もいない。それに、この鬼ごっこの目的は発見されない事じゃない。対処の仕方を学ぶものだ。戦場では相手の能力なんぞ分からんのが普通だ」
「はあ……そすか……」
「ったく。……ひとつアドバイスだ。どこにどれだけ領域を割り振るかをよく考えろ。戦場で最も重要なセンスだ。そして相手の能力を感じ取り、看破しろ」
「どこに、どれだけ……」
なんとなくだが、紗枝さんの言わんとしてる事が分かってきた……ような気がする。多分。
「もしお前が勝ったら、あのお願い聞いてやっても良いぞ」
「え! マジですか!?」
「ただし、次がラストチャンスだ」
「っしゃあ! 絶対逃げてやる!」
「それと、捕まえた者は辰巳宗一がなんでも言う事を聞いてくれるそうだ」
「ええ!? ……ひぃ!」
俺は見逃さなかった。一瞬だが、女性達の邪悪に釣りあがった口元を。
飴とムチを使い分ける紗枝さんがステキすぎて泣けてくる。
「リスクなしでリターンなんぞ許さん。はい、始め」
「くそがああああああ! ボンテージを制服に採用しろや! この女王様がああああぶげらぁ!!」
女性達の俺を見る目は、嫌悪対象から蛮勇の猛者になっていた。
「へ、へへへ……」
「な、なんだ……? 気持ちの悪い」
殴られたのに笑いながら立ち上がる俺の不気味な様子に、傍にいる紗枝さんが少し怯む。
つい飴とムチに釣られて暴走したが、殴られてスッキリした。そりゃ、笑いたくもなる。
この鬼ごっこは、俺が勝手に戦場に行った罰の筈なのに、罰どころか俺の為の訓練になっている。そしてその褒美が研究対象の外出許可なんて、通常なら容認できない破格の条件。まぁ、ムチもしっかりあるけども。
俺のわがままに対する罰が俺の為で、その褒美が俺のわがままなんて……。
甘い、甘すぎるぜ。あんた絶対、子煩悩になるよ。
「えっと、紗枝さん」
「……早く行け」
「ちぇー」
紗枝さんが背中を向けて戻っていく。もう表情を窺う事が出来ない。俺が最後に確認できたのは、いつもどおりの不機嫌そうな顔だった。
もう少しでレアな表情が見れると思ったのになぁ。
「よし」
その場で何度か屈伸して気合を入れ直す。
戻っていく紗枝さんの後姿。やれやれ顔の有原。怒っていた縁。わがままを聞いてくれたアリサさん。まだ歩くのが辛そうな立川。少し面倒そうにだが、手伝ってくれている女性達。
そんなのを見ていると、褒美なんてどうでもよくなってきた。
今、考えるのは逃げ切る事。
それだけでいい。
「行くぞ!」
絶対! 逃げ切ってやる!