第16話 北日本防衛戦 開戦
「はい、注目」
出撃時にはもうすっかり日が暮れていた。
暗幕に覆われて薄暗かった車内に明かりが灯り、アリサさんの号令が響く。
ざわめきひとつなかった車内。その三十余りの人間が、一斉に声の方向に注目した。
「では今回の作戦の概要を私、アリサ・レイストローム医療部隊隊長が説明します」
アリサさんは用意されていた簡易のホワイトボードの前に立って、はきはきと発声する。
「現在、赤目は……」
「……?」
いきなり説明が止まった。アリサさんの視線は完全に俺を捉えている。
「赤目ってのは、カーズに操作されている人間の事ね。いろんな形態を持つ彼らだけど、共通点は目が赤い事、通称『赤目』。みんな授業で習いましたねー」
俺以外の女性達はポカーンだった。何でそんな常識的な説明が入るの? みたいな。
でもその冗談(?)のおかげで少しだけ笑いが起きた。アリサさんの人柄なのか、緊迫し過ぎていた空気の緩和剤になったようだ。
その不必要な説明は間違いなく、一人の男性にのみ向けられているんだろう。……少し、居た堪れない。
「……話を戻します。現在、旅団規模の赤目は時速50㎞で旧青森県北部を南下中。第一防衛線は旧岩手県盛岡市を中心とした東西約30㎞。そこが最良衝突地点となってます。衝突予測時刻は今から四時間後のおよそ23:00」
ホワイトボードにある日本地図に、盛岡から東西に線が引かれる。
「そして第一防衛線から後方40km地点に第ニ、さらにその後方40km地点に第三の防衛線を展開。その間に遊撃隊を配置。第一防衛線での打ち漏らしを防ぎます」
地図に防衛線二本が引かれ、その三本の線の間に複数の丸が書かれる。
第一に比べ、第二、第三のほうが線が長く、ほぼ陸地を横断している。
「私達の配置場所は第三防衛線の後ろ、旧岩手県一関市」
丸を入れられたそこは、栗原の基地から約30km北という短い距離だった。
「現在、赤目の旅団中心部に向けて、地対地ミサイルで爆撃中。着弾率は二割弱の低水準をキープ。強化された武器で撃墜されています。迎撃力の高さにより空爆を断念」
フェイズ3の干渉により強化し、投擲した石はミサイルすら撃墜する。そのミサイルに命中させるコントロール、力、視力。全てフェイズ2で強化可能だ。これでは遠距離攻撃が主体である近代兵器の出番は無いに等しい。
「ではここまでで何か質問はありますか? ……じゃあ辰巳宗一君」
「え?」
いきなり振ってくるアリサさん。ノリが完全に学校だった。
でも訊きたい事は山ほどある。それを察してくれたんだろう。周りは置いてきぼりだが遠慮なく質問する。
「第三防衛線が抜かれるとどうなるんですか?」
「基地に一直線ね。今、基地にはフェイズの低い人ばかりだから、攻め込まれるとまず壊滅でしょう。余力として残している部隊もいるけど望みは薄いわね。偵察衛星で常に監視しているから、大規模な数で後方を突かれた事は今までに一度もないわ。だから防衛線に全力を費やせるの」
愕然とした。基地に余力なんかひとつもない。
しかし後方を突かれないメリットは大きい。その分、前に集中できる。
「では、栗原基地の後ろは?」
「山形で別基地の防衛線が張られてるわ。でもその間に住んでる住民は虐殺されるわね。避難命令が出ていてもうほとんどいないと思うけど」
「自分達の部隊、つまり医療部隊と護衛部隊の総数は?」
「医療部隊255名、護衛部隊42名。第三防衛線が抜かれたら即撤退」
「護衛が少ない理由は?」
「絶対に後ろは突かれないから……と言いたいけど油断は禁物。はぐれの赤目も存在する。でも遭遇は稀だからその分、前線に兵力を割いてるの」
「出撃前の注射の意味は?」
「……着けば分かるわ」
「旅団規模と言いましたが具体的な数は?」
「衛星から見ると約2500ね。こちらの兵数は約8200。……つまり」
「つまり?」
「やや優勢ね」
「!?」
この兵力差でやや優勢……?
確かにカーズの遺伝子工学は人類より遥かに優秀で、資質においても操られている男性が優秀だと言っていた。しかし、これは差がつきすぎている。
ということはつまり、同数もしくは師団、軍団規模が来たら確実に負け戦になるってことじゃないか。
「ちなみに今回の防衛戦の規模は大きいほうです。過去、師団規模以上の攻勢はカーズ飛来後、五年以内のみ。それ以降は一度もありません」
完全に俺用の解説に胸を撫で下ろしかけたが、すぐさま別の印象を受けた。それはつまり、カーズにとって現在の人類は脅威になりえていない事を指している。
ある一定区域の侵略が終わればもう用済み。たまに牽制するくらいでいいだろう。人間などいつでも潰せる虫と変わらない。そう言われているも同然だ。
「ではここでひとつ忠告です。これは到着後のブリーフィングでも通達しますが」
アリサさんは一呼吸置いて、全員を視界に捉えるように辺りを見渡す。
「辰巳宗一に危害を加えた者は、その場で軍から除隊してもらいます」
その言葉に、車内全体に動揺が走った。そして視線が一斉に集まってくる。
「ち、ちょっとあんた何者なのよ!?」
「さすが宗一さんですねー」
右隣に座っている有原がたまらず聞いてくる。
そのさらに右隣に座っている立川は、何故か感心していた。
「は、はは……何者なんでしょうねー」
乾いた笑いしか出てこない。自分が一番、聞きたかった。
だがアリサさんの言葉は遼平の友人を想起させた。戦場で味方に殺される。男だからというそれだけの理由で。そう考えればアリサさんの忠告も言い過ぎではないと考えられるが……視線が痛すぎる。
「私達、医療部隊は到着後にテントの設営と医療機器の準備。護衛部隊は監視として各ポイントに配置。監視能力の低い者は医療部隊の手伝いをお願いします、辰巳宗一君」
「……はい」
個人に振りまくりである。その度に視線の強度が増大中。
一応フェイズ2だから監視はできると思うんだけど、そんなの許さんといったアリサさんの目だ。
「詳しくは到着後のブリーフィングで通達します。ああ、後は、今回の医療部隊副隊長に、フェイズ4-S、多田香奈枝」
俺のすぐ左隣に座っていた女性が、静かに立ち上がり一礼をする。
医療部隊の人は護衛部隊の人とは違い、軍服ではなく看護士のような格好だった。しかし下はスカートではなく、動きやすさを優先させた長ズボン。服だけ見れば男の看護士のような感じだ。
「護衛部隊隊長にフェイズ4-B、高瀬由梨」
今度はアリサさんの近くの女性が立ち上がり一礼。
「……座って下さい。後はフェイズの高い者に各作業の指揮を取ってもらいます」
彼女達の服の襟元には小さなバッジが着いている。当然、俺が着ている軍服にもある。階級章の役割を果たしているそのバッジは、その人のフェイズを表している。
フェイズ3の人は三つの星マーク。フェイズ4の人は横線が一本。フェイズ5であるアリサさんの白衣には横線二本のバッジが着いている。俺はフェイズ2なので二つの星マーク。そしてそのすぐ横に、フェイズの制覇度であるS~Cのアルファベットが刻まれている。
西暦2012年の軍のような階級とは違い、本人のフェイズの高低。つまり単純にその分野における優劣で指揮系統を構築している。
人間自体が武器となる西暦2064年の戦争において、フェイズの低い者が権力を有するのは、兵士達の不信感を誘う結果になってしまうのだろう。
「では簡単ですがこれで終了します。……辰巳宗一君」
「は、はい」
そ、そろそろやめてくれないかな?
「私の視界から消えないように」
「……はい」
そう言ったアリサさんの表情は、心配で堪らないといった感じだ。……すごく、申し訳ない。
「到着まで休息を取って下さい。あまり張り詰めないようリラックスを心掛けてね」
アリサさん必殺のウインク炸裂。この人はこんな時でも変わらない。そのおかげか先程までとは違い、少しだけ弛緩した空気が訪れた。しかし、皆一様に不安を拭いきれない表情を見せている。
後方の自分達はまだしも、前線に行った仲間達の事を思うとそれも当然だ。俺自身、紗枝さんと縁の影が一時も頭から離れない。
「ねぇねぇ」
「え?」
肩が触れ合うくらい近くに座っていた左隣の女性が、服の裾を引っ張ってくる。
この人はさっき紹介されていた、医療部隊副隊長の多田香奈枝さんだったはず。
「ちょっといいかな」
「や、やめなよ。香奈枝」
多田さんはキラキラした瞳で座っている俺を見上げていた。そして多田さんの左隣に座っている女性が、触らぬ神に祟りなしといった具合で多田さんを引き止めている。
「私、多田香奈枝。ってさっき聞いたよねー。じゃあ歳は23歳」
「は、はあ……。辰巳宗一、19歳です」
「やめろっつーの!」
多田さんはぐいぐい引っ張られているのにお構いなしだ。
彼女は見た目、縁を少しだけ大人っぽくさせた感じで、まさに普通の女性だ。ボブっぽい髪型で、その童顔がさらに際立っていてとても年上には見えない。俺を見てくる瞳はウサギの様に好奇心丸出しである。
「で、この子はね。西川美佐、私と同い歳。医療部隊の子よ」
西川さんとやらはもう諦めたようにそっぽを向いている。
彼女は年相応の女性と言っていいだろう。ショートヘアーを少しだけ長くした髪型で、かわいいより美人に属する容姿をしている。今は不機嫌なようで目が鋭くなっているが、笑顔はどんなのだろうと想像が掻き立てられる。
「ど、ども」
「はあ? 話しかけんな気持ち悪い。ころ……せないから、できるだけ早く死ね。この汚物が」
「……」
うわー、ひでぇ。本物だこの人は。男嫌い所じゃない。男殺し隊だ。大体、話しかけられたのは俺なんだけど。
この人に比べたら有原のなんと寛容な事か。いや、有原も初見はこんな感じだったな。
「な、なによ?」
ちらっと右隣の有原を見ると、思いっきり目が合った。
その目には男に対する嫌悪感はほとんどないように見える。こいつも成長したなと、頭を撫でる事にした。
「な、何なのよ急に! そのいい人の顔やめろ!」
いきなりお父さんの顔でよしよしされた有原は戸惑いながら叫ぶ。でも何故か手は払われないので続行を決意する。その騒動に、意外にも立川はそっぽを向いて我関せずをキープ。この前の事で懲りたんだろうか?
「でね、でね」
「あっ、は、はい」
多田さんに腕を引っ張られて有原を置いてきぼりにしてしまう。顔に似合わず強引な人だ。
「辰巳君って何で軍部に入ったの? ってか何者なの? フェイズ2で戦場なんて怖くない? レイストローム基地長とはどんな関係なの? あっ、その隣の子は恋人なの? そんな事より何で男なの? 幽霊って信じる? へぇ~そうなんだ~」
「うおお……」
返信してないのに完結してしまった。もう俺にできる事は頭を抱えるしかない。ツッコミとか野暮だ。
そしてその怒涛の質問攻勢に、車内の女性達の耳がダンボさんになっていた。恐らく悪い意味で。
「あ、あの……多田さん、落ち着いてくださいお願いします。土下座してもいいです」
「それはいいな。踏んでやろう。……いや、靴が汚れるな」
「あなたにはしません」
「ちっ」
速やかに西川さんをログアウトさせる。
「えい」
「っ」
多田さんが俺の頬を指で柔らかく摘んできた。そして近い。抱き付いて来そうな勢いだ。
「キャー、触っちゃったよー。私、お父さん以外の男に触ったの初めてー。凄いでしょー、美佐」
「……よかったな」
どうしよう? どうしたらいいんだろう? 俺のツッコミ力では処理しきれない。
戦闘前の緊迫感が一瞬にして吹っ飛んでしまった。そしてその空気は車内全体に蔓延していった。
同じ医療部隊の女性達は、多田さんに子供を見るような目を向けている。この人の人柄はどうやら周知の事らしい。
「辰巳君ってフェイズ2なのに強いの~?」
「え、えっと。正直わかりません。あまり比較した事ないので……あ、あの、手を」
「え~? どうしたの~?」
「い、いえ……」
今度は手を握ってスリスリしてきた。
三十人ほどの視線も相乗効果されてクソ恥ずかしい。
「イデッ!」
「きゃっ」
後頭部に何か硬い物が当たった。
転がって行った物に目を向けると、恐らく投擲されたであろう……マジック?
「そこ! うるさいわよ!」
振り返るとアリサさんがプンスカしていた。
隣の有原と立川がうんうんと頷いて納得顔。いや、お前らは関係ないと思う。
「す、すみません」
「フン!」
リラックスしろと言っていた本人の意味不明にも思える攻撃だったが、この人は研究の事も含め、俺自身の事を心配してくれている。その本人がはしゃいでいたら(9割くらい多田さんだが)腹が立つのも当たり前だ。そのイメージを直接伝えられた俺は、素直に謝る事にした。
「あちゃー。基地長拗ねちゃったねー。妬いたのかな?」
「……あの、もう喋らない方がいいかと。いろいろと発言が際どいので」
「じゃあ最後にひとつ。……コホン」
「?」
多田さんはおちゃらけた雰囲気を一変させ、背筋をピンと伸ばし右手を差し出してくる。
「自分を守り仲間を守るあなたを、私達も全力で守りましょう。ようこそ、北日本防衛軍へ」
仲間を迎え入れる暖かなその手を、誠意を込めて握り返す事で答えた。
◇◇◇◇◇◇
「なん、だ……これ?」
輸送車が無事、目的地である岩手県一関市に到着した。
有原に急かされながら暗幕を潜り、下車した瞬間、自分の目を疑った。
「くっ!」
しばし呆然とした後、頭を一度振って駆け出す。
「えっ? そ、宗一!?」
「宗一さんどこに行くんですか!?」
「ちょ、ちょっと追いかけてー!」
後ろで何かを叫んでいるのが聞こえる。でも何を言っているのか、今の俺には右から左だった。
向かった先はパッと見て、一番高いビル。その中に入り、階段を三段飛ばしで上って行く。目指す先は屋上。
「ハッ、ハッ、ハッ……っ……ハァ」
階段を蹴り、一歩一歩屋上に近付く度、頭の中で激しく警鐘が鳴り響く。
俺はこの世界を認めるんだろうか? 自分の世界を捨ててまで、認める必要はあるんだろうか? それでこの世界の何かが変わるのか? 今からでも遅くない。基地に帰って訓練でもしていればいい。何も考えずに、基地で与えられるがまま暮らす。そのほうが幸せなんじゃないのか?
そうしていれば、いつか北海道に帰れる日が来るだろう。俺の望む、西暦2012年の北海道に。
そう、いつか――。
「はぁ、はぁ」
屋上へのドアノブに手を掛ける。もう錆びきったそれは回す事ができずビクともしなかった。
フェイズを行使して鉄製のドアノブを捻じ切る。数十キロはあるだろうドアを軽く押して倒すと、西暦2064年の星空が俺を出迎えてくれていた。
俯いて目を瞑る。そして一歩一歩、慎重に歩いていく。
暗闇の中、手すりに辿り着いた感触が手に伝わってくる。そのままフェイズ2の強化能力を使い、遠視と暗視を閉じている目に行使する。
覚悟と決心を胸に抱き、目を開ける刹那の淡い期待。
――いつか、きっと。
その言葉を振り切り、目を開け放つ。
「いつかなんて! 来ねぇよ!」
初めて目にした、基地以外の西暦2064年。
脳が認識し得るその光景の全ては――廃墟と、死体だった。
◇◇◇◇◇◇
「落ち着いた?」
「……はい」
到着した途端、冷静さを失ってしまった。
この世界を受け入れる覚悟はしていた。しかしそんなもの全て吹っ飛んだ。覚悟なんて言葉を軽々しく使う物ではないと思い知らされた。……くそ、情けない。
「もう大丈夫です、アリサさん。手伝いますよ」
「んーじゃあ、テントの設営よろしくね」
頭を振って気を取り直す。いつまでも沈んでいる場合ではない。
医療部隊の拠点は、遮蔽物の少ない開けた場所が選ばれた。元は公園だろうか? 最初に到着した場所は、前戦闘の影響で腐敗した死体が多く、衛生面での環境が悪かった為、少し移動する事になった。
現在は薬の散布中。その後テント設営という流れである。出撃前の注射は、伝染病などの予防だった訳だ。
「あっ、辰巳君。手伝ってくれるの?」
「寄るな! このバイ菌が!」
「うおおおおおお!?」
多田さんに指示を仰ごうと近付いた瞬間、隣に居た西川さんに薬シャワーで除菌された。
「混ぜるな危険!」
「はぁ?」
「いえ、言ってみたかっただけです」
「あはははは、何それおもしろ~い」
この二人はなんで仲が良いんだ? しっぽ&こけしコンビとはまたちょっと違う。
多田さんも実は男嫌いなんだろうか?
「辰巳宗一」
「え? はい」
呼ばれた方に目をやると、護衛隊の隊長さんが立っていた。
高瀬由梨さん。いかにも軍人といった空気を身に纏っている。年は三十前後だろうか? 邪魔にならないショートカットと凛とした姿勢。さぞ教官というあだ名が似合うことだろう。
「手伝いが終わったら私の所まで来い」
「? ……わかりました」
その後、テント設営後に医療機器の設置という段取りまで来ると、知識ゼロの俺はすぐさま暇になった。その隙を突かれて西川さんやその他に追い出される始末。……俺が何したっての?
「高瀬さん」
「ああ、来たね」
護衛部隊のテントに入ると、もう何人かは監視に行ったようで、十数名を残すのみになっていた。有原と立川の姿も見当たらない。
「辰巳は医療部隊の手伝いという事になってるけど、一応確認しておく。戦場は初めてなんだね?」
「はい」
「フェイズは2-Aということだけど計測したのか? お前の資料が無くてね」
「え? いえ。そういうのはしてませんが、計測なんてするんですか?」
そう言うと、高瀬さんの眉が微妙に傾いた。
「変な奴だね……。計測は一応あるけど正確じゃない、数値はおよそだから」
変な奴というのに少し引っ掛かったが、高瀬さんの説明をおとなしく聞く事にした。
フェイズの制覇度であるS~Cのランクはハッキリ言って曖昧らしい。例えばフェイズ2を使いこなすと一口に言っても様々で、同じフェイズ2-Sだとして、同じ筋力の強化が得意とする能力者でも、発揮できるパワーに違いが出るらしい。
それぞれの得意分野を計測して、平均値、中央値とを照らし合わせ、S~Cをランク付けするという事だ。
「紗枝さんには2-Aくらいだろうと言われました」
「紗枝さ……ま、まぁ国枝基地長がそう言うなら間違いないと思うけど。それで、それは何の分野での話だ? それと領域の使い方は習っているか?」
「すみません。領域ってなんすか?」
「…………」
すっごい嫌な顔される。そしてその顔のまま説明を受ける事になった。
フェイズ領域。範囲と表現する人もいるらしいが、領域と呼ばれるのが一般的らしい。
例えばフェイズ2ならその領域が広ければ広い程、強化の威力が増していく。ひとつの部屋で言うと広さという表現になる。その部屋がどのくらいの広さかは、本人の資質により決定する。
半分しかその領域を制覇していない人でも、全制覇した人に同じ得意分野で勝るケースもあるらしい。つまり前者の人は資質が高いという事になる。
最大値の上限や、どのくらいの制覇状況なのかは本人にも分からないらしく、S~Cのランク付けが曖昧になる原因のひとつになっている。
しかしある程度の水準でないとS、つまり使いこなせたとは認めていないのも事実。能力自体が希少で比較できないフェイズ5には、そもそもランク付けがないということだ。
「なるほど……」
「はぁ……。それで、領域の使い方は?」
「す、すみません」
何かだんだん悪い事してるような気がしてきた。
「まぁこれは簡単で、要するにどこに力を割り振るかの話だ。筋力のみに領域を費やせば、他の能力はフェイズ1程度になる。逆に全身体機能に使えば満遍なく強化できるけど、その分力は分散してしまう」
「ああ、それは訓練で習ってます。集中と分散ってことですよね」
「…………」
だ、だからその顔やめて……。
「まぁいいけど。では戦闘の大原則を教えておこう」
「大原則?」
「意識を失わない事。何故か分かる?」
「……フェイズが切れるから、ですか?」
少し嫌な事を思い出してしまった。
意識を失った立川の首を握った時に感じたあの柔らかさ。あれは完全に常人のそれだった。
フェイズを強制的に切る為に、紗枝さんや縁に意識を狩られた事も何度かあった。
「その通り。戦場で意識を失えば即、死へ直結するという意味もあるけど、重傷などを負った時もフェイズが切れると生命維持に支障が出る。フェイズの回復力促進も切れてしまうからね」
この人の説明は紗枝さんより分かり易くていいな。
「……静かに」
「?」
高瀬さんが目を向けた方向に、俺も釣られて目を向ける。
隣の机に配置されている黒い箱のようなもの。……あれは、通信機だろうか? 無線が繋がったような独特の効果音の後、ハキハキとした女性の声がテント内を切り裂いた。
『第一防衛線にて接敵。戦闘が開始されました。衝突地点は予定通り旧岩手県盛岡市。現時刻は23:27』
遂に始まった。
縁、紗枝さん。……どうか無事で。