第11話 フェイズ講座
「宗一君てバカなの? ううん、バカでしょ。バカ確定。もうホントバカ」
「ああ、バカだな」
「……」
もう何回言われたんだろう? 数えておけば良かったと後悔している。
「ちょっと聞いてんの、このバカは? フェイズ1になったばかりで2にするとかバカなの? 死ぬの?」
現在、病室(俺の部屋)。例の件で、アリサさんと紗枝さんに叱られ中。
でも紗枝さんはともかく、アリサさんがここまで怒るとは予想外だった。言葉の刃が痛い……。
「そりゃね、フェイズ1から2への道をすっ飛ばすー、なんて今までありえなかったし、研究材料としては貴重だけど、ああああ! もおおお! ホントこのバカは!!」
「す、すみません……」
アリサさんは苛立ちを振り切るかのように頭を振っている。なんの引っ掛かりもない金髪がサラサラと左右になびく。怒りが知識欲を上回る程ご立腹のようだった。
俺はひたすら平身低頭に終始するしかない。でももう二時間だし、そろそろ開放してくれませんかねー。
「あのねぇ宗一君。あなたがここに運ばれて来た時、精神が崩壊しかけてた上に、脳波も停止してたのよ? もう少しで水と光合成が主食になってたのよ?」
「ひいぃ!?」
俺は頭をバンバン叩いて中身を確認した。
「宗一、アリサに感謝しろよ。ここ十日間、お前に付きっきりでほとんど寝てないんだぞ」
「へぇ~、どうりでお肌のつやが……い、いえ! 冗談です! 素敵です! まるで雪のよう! 天使! 女神! 感謝してます! それはもう! 結婚したい程、狂おしく!!」
「……」
や、やばかった……。人は眼力で人を殺せる。
紗枝さんに言われなくても、感謝しっぱなしである。俺はこの人にも今後、頭が上がりそうにない。
「お前はまだフェイズ1も使いこなせてないんだぞ? それがフェイズ2に行くなんて……自転車に乗れた次の日に、モトクロスで高難度トリック決めに行くようなもんだ」
「な、なかなか渋い例えで来ますね。……紗枝さん」
分かる人は少なそうだ。
「まぁアリサもその辺にしてやれ。宗一はストッパーないから、一概に本人だけの責任とも言いづらい」
「そうだよね~。宗一君のロックは一つだったもんね~。仕方ないよね~」
まったく納得してないアリサさん。超皮肉を込めた嫌味を突き刺してくる。
通常、各フェイズに辿り着いても、ロックを外さない限り――つまり遺伝子操作をしない限り、本人の意思だけでフェイズをあげるなんて出来ないらしい。
そのロックとやらが俺には最初から無かった訳で……。でもフェイズを上げる時はしっかり俺の意思だったので、やっぱり俺のせいである。
「お前のフェイズ踏破速度は速すぎる。フェイズ2までの平均到達期間は約二年だ。掌握じゃないぞ? 到達だ。それをお前は二ヶ月弱だ。バカか? バカなのか? 死ぬのか?」
「ぐっ」
そんなにバカバカ言わなくても……。
しかしここまで二年も掛かるのか? 体や精神への負担を危惧していた紗枝さんは正解ってことか。
「そういえば、縁はどうなんですか? フェイズ4って聞きましたけど」
「縁はフェイズ4まで七年だ。それでもかなり早いほうだ」
「七年!?」
ってことは、縁は十歳から遺伝子操作をしていたのか。
「それと、その骨折している右手。これからはできるだけフェイズを行使状態にしておけ。フェイズは人間の回復力向上も含まれる」
「へぇ~、便利ですね。……ところで、あの、紗枝さん」
「なんだ?」
「フェイズ2にした時の破壊衝動。……尋常じゃなかったんですが」
思い出しただけで、俺の体は恐怖に震えた。
有原に向かって右拳を突き出した時、立川の首に手を添えた時、迷いが生まれるとかではない。俺はあの時、本当に殺したかったんだ。
あの衝動は俺の隠れた願望でもあるんだろうか? そう思いたくなかった。
「当たり前だ。フェイズ移行時の破壊衝動は人間の本能とも言えるものだ。例えば、お前が剣を拾ったとしたら、どういう欲求が生まれると思う?」
「……何か切ってみたくなりますね」
「そうだ、それが普通だ。人間は何かの力を得るとその力を試したくなる。しかし剣とは外的な力であり、人間そのものではない。だがフェイズは人間そのものの能力向上だ。その欲求は理性的な感情を吹き飛ばす程強力なもの。ましてお前のように、身に余る力を得てしまったら尚更だ」
紗枝さんの話は納得できるものではあるが、俺は少しだけ腑に落ちない。
本能的な行動なら、感覚的にはこれ以上なく自我を捉えるだろう。しかしあの時の俺は、自分ですらなかったような……上手くいえないが、そんな感じだった。
「まぁそんな状態にも関わらず、立川を殺さなかった事は褒めてやる。もし、お前に殺人の経験があれば絶対止まっていなかったろう。……恐らく、私なら殺していた」
「っ!」
「だから訓練に励め。自分を御す為に」
「わかり、ました」
私なら殺していた――。
そう言い放つ紗枝さんの表情は、殺人に抵抗はないと言うまでもなく語っていた。しかし同時に、悲しさや憂いといった類の感情も僅かばかり読み取れた。
彼女は俺の想像も及ばないほどの罪を背負い、そしてこれからも積み重ねていくのだろう。
俺は殺人という究極のエゴを犯し、彼女のように在れるんだろうか。
◇◇◇◇◇◇
「で、では始めます。何か不備があったらすみません」
凸凹コンビと揉めてから三週間。
俺の体も完全に回復し(骨折が十日で完治したのには驚いた)、訓練にも復帰した。
訓練メニューは基地20週マラソン。フェイズのイメージトレーニング。フェイズを使いこなす為の訓練(五感や身体能力の酷使)。縁との基本的な組み手(これが全然、全く敵わない)といういつも通りの流れだ。
今日はマラソンの後、いつもと趣向を変えてフェイズの勉強会が開かれた。
学校でもフェイズの講義はあるが、俺の進歩が予想以上だったので講義のほうが遅れてしまっている。
場所は教室ではなく、いつも訓練している屋内演習場で行なわれた。
縁はマジックを持って、ホワイトボードの前に少し恥ずかし気に立っている。そんな縁は教育実習のお姉さんみたいに初々しい。
講師、井上縁先生。生徒、辰巳宗一君。
「縁ちゃん、頑張ってー」
「縁さんなら大丈夫ですよー」
「……」
野次馬、有原涼子、立川都。というラインナップだった。
「なんでお前らがいるんだよ!? 帰れ!」
「えー、いいじゃん別に。私達、訓練終わったし暇なんだもん」
知らんがなの一言である。
「トイレでも傍にいるのが恋人と言うものですよ?」
「恋人じゃねぇ!? それとその恋愛感は狂っている!」
この二人はあれ以来、縁がいない時の護衛。
訓練には手伝いという名目でしょっちゅう顔を出してくる。
「え? 宗一君、都ちゃんと付き合ってるんですか?」
「い、いや、違うぞ縁! 俺はお前一筋だ!」
「ひぅ!」
口から出まかせを言ったが、これは立川を追い払ういい口実になるかもしれない。
今の時代は一夫多妻制とはいえ、女性が容認していないのは有原で証明済みだ。
「実はそうなんだ、立川。お前の気持ちは嬉しいが、俺には縁が……」
「縁さんなら大歓迎です。一夫多妻制バンザイですね」
容認していた。むしろ歓迎していた。
「や、やめときなよ。都」
「えっ、どうして? 涼子ちゃん」
何故か有原の援護を受ける。ナイスだ有原、もっと言ってやってくれ。
「宗一って縁ちゃんは嫁だし、レイストローム基地長は恋人だし、国枝基地長は愛人なんだよ?」
「あら、そうなんですか。でも、そのお三方なら問題ありません」
こいつまだ信じていたのか!? しかも、なんか色々捻じ曲がっている。特に後半部分。
そんな有原の爆弾発言も、立川にはノーダメージだ。そしてこの後の展開が読めすぎて困る。
「……宗一君。誰が誰の嫁、ですか?」
「で、ですよねー。そんな訳ないですよねー」
「ふんっ、別にいいです。いつもの性質の悪い冗談でしょうから」
「おお! やっぱり縁はやさしいなー。さすが俺の嫁!」
「……基地長二人に言いつけます」
「鬼いいいいいいいいいいいいいいいい!!」
死んだ。俺は死んだ。死因は眼鏡の人による撲殺で決まりだ。
「な、なんだ。嘘だったのね……」
「……」
「そっか。……ふぅん…………ふぐっ!」
なにやら納得顔の主犯、有原涼子にムカついたので、ポニーテールを後ろから引っ張ってやった。
「なにすんのよ!? 痛いわね!」
「しっぽがムカついただけだ。気にするな」
「な、なんなのこの男ーーー!! 死ね! 今すぐ! それと触んな! 髪が腐敗して落ちる!」
「ちょっとそれひどすぎない!?」
しかし、この三人知り合いだったのか。年も近いし仲も良さそうだ。ま、関係ないけどね。縁以外。
とまぁ、ひとしきりグダってからフェイズ勉強会は始まった。前振りなげーよ。
話はフェイズ2と3を中心で行なわれた。縁の説明を聞いた印象では、この二つのフェイズは表裏一体であると言える。
まずフェイズ1。人間の持つ基本性能の向上。
五感、身体能力、脳機能(知能は除く)などが主だ。細かいところまで言うと、回復力の促進、反射神経、運動神経、体組織の正常化など。記憶力も僅かばかりだが伸びるらしい。
つまり健康優良児になるということだが、これはまだ人間レベルと言える。医療にも使われるという側面も持つらしいが、末期患者にはフェイズ1に辿り着く作業に耐え切れない場合がほとんどで、実用は軽度の患者に限られるらしい。
次にフェイズ2。自己の強化能力。内向きの力。
フェイズ1で向上した能力を、部分的に意図してさらに増大させる事ができる。
例えば視力。フェイズ1では単純に視力が良くなるだけだったが、フェイズ2を使う事によって、さらに長距離の遠視、暗視までも可能になるという。
そしてこのフェイズ2から、各個人の個性が顕著に現れてくる。人間のどの機能を強化しやすいかは遺伝子の資質により決定し、得意不得意が分かれてくる。使えないわけではないが、やはり差は大きいらしい。
「ということは……。全員が全員、戦力になるわけではないのか?」
「そうです。戦闘に適さない人も当然出てきます。でもそういう方の能力も戦場では重宝されます」
五感能力を強化できるということは、当然、察知能力や監視能力に長けてくる。戦場で必要なスキルと言える……が、逆に言えば接敵すると危険だということだ。
俺の隣で体育座りしている有原が、得意顔で横から解説を入れてくる。
「これでわかったでしょ。なんであんたの右手が壊れたのか」
「……耐久力の強化、か?」
「そうよ。相手に打撃する場合の破壊力を決定するものは、パワー、スピード、そしてそのインパクトに耐え得る耐久力。フェイズ1ではこの部分は向上してるとはいえ、まだ普通の人間レベル。あんたは生身で岩を殴ったようなもんよ」
有原は俺の攻撃に対し、部分的に耐久力を強化したのだ。強化していないこちらの拳が砕けるのも頷ける。
そしてフェイズ3。外部への干渉能力。フェイズ2と対照的で外向きの力。
強化の力を自分以外の物質に行使する事ができる。つまり、武器や物質の持つ役割を強化することができる。単純な物なら、その物質の全容を解析する能力者もいるらしい。
只ここには近代兵器の類は含まれない。知能が向上しないフェイズにおいて、コンピューターなどの演算速度には到底追いつくべくも無く、強化の対象に成りえない。
爆弾の爆発という副次的な現象についても、強化対象から除外される。爆弾を堅くするならできるらしいが、迎撃されにくくなるものの、爆発力が落ちてしまい本来の役割を逸することになる。
フェイズ3で最も異質な点は、物質だけではなく生物への干渉も可能だということ。フェイズ2と違い、強化という側面から一歩前進する。
そしてフェイズ3においても、何に干渉しやすいかは本人の資質により、適している能力が決定する。
「じゃあ立川が持っていた刀は?」
「はい、干渉して使っています。でも刀は使いづらいので、正直、私は切るものならなんでもいいんです」
「刀以外も使えるのか?」
「そうです。私はフェイズ3において『切断』という能力に特化しています。でも日本刀なんかの折れやすいものだと、武器の耐久力の強化にも力を割かなければいけません。乱戦である戦場で刀一本などはありえません。どちらかと言えば刀はカモフラージュで、忍ばせている数本の小太刀、短刀、ナイフ、その他が本命ですね」
「えっと……それって今も持ってるの?」
「ええ、でも今日は四つくらいですね。平和ですから」
「……立川さんも紙でメスとか切れるんでしょうか?」
「メスくらいでいいんですか?」
「…………その辺で、勘弁してください」
まるで準備運動のような言い草だった。
どういった武器でどういう行為が得意かというのも個性が出るらしい。
切断、刺突、打撃、射撃、投擲、絞めるなど。武器によって多種多様な性能をフェイズ3で強化する。そして『切断』という一点において、フェイズが下であるはずの立川は、紗枝さんや縁をも上回るらしい。
そして各フェイズの制覇度を表した、S~Cのランクがある事も知った。
つまりフェイズ2を使いこなせていたら『フェイズ2-S』。到達した間際が『フェイズ2-C』と言った具合だ。これは戦闘の際、どのレベルまでの出撃かを区別する為に持ちいられる事が多いらしい。ただし戦闘タイプでない人はこの限りではない。
ちなみに俺は、ついこの間まで『フェイズ1-A』という評価だったらしいが、今は色々すっ飛ばして『フェイズ2-C』という事らしい。
詳しく解説を求めたが、「宗一君の場合よくわかりません」と縁先生に見捨てられた。
ここまで説明されて、講義は一旦中断した。
「あれ? 縁先生。4と5は?」
フェイズ3までしか説明されてないぞ?
「うーん、今日はこのくらいにしましょう。一度に言っても覚えられませんから。それにその領域の講義は、選ばれたもののみになってます。まず資質がないと、遺伝子配列のロックすら外せませんし、宗一君がフェイズ4に適格していたら改めてやりましょう」
「私はもうすぐだからね」
「私もです」
有原と立川が声を揃える。どうやら結構、負けず嫌いのようだ。
「でも少しだけ。4からはさらに資質、つまり個性が強くなります。5に到っては現在、世界で確認されているだけでも、100人未満と希少な存在です」
「……なにか嫌な予感がするが、聞いておこう。まさか、紗枝さんは……」
「はい。5です」
やっぱりいいいいいい! こえええええええ!
「あ、でも。フェイズ5だからと言って、必ずしもそれ以下のフェイズより、戦闘能力に長けているとは限りません」
「え? そ、そうなの?」
「でも国枝基地長の強さは鬼神のようです」
「なんでフォローしたのおおおお!?」
もう冗談なんて言えねぇ。恐ろし過ぎる。俺はボケに命を張る芸人魂は持っていない。
「実例があるからです」
「へ? 何が? ……フェイズ5でも強くないって人?」
「はい、宗一君も知ってますよ」
「そ、そうなの?」
いたっけ? そもそもこの基地で知り合いが少ないんだけど。
頭を悩ましていると一人浮上してきたが、いくらなんでもと思い沈下させた。それは俺の願いでもあった。あの人は普通な筈だ。普通で居て欲しい。そうじゃないと、あの天使の微笑みが小悪魔に見えてしまいそうで……。
そろそろ耳を塞ごうかなと決心した時、縁は無情なる現実を俺に叩きつけた。
「アリサ・レイストローム基地長です」