第10話 対話
「……ん? ……あ、アリサさん? ……ひいぃ!」
目が覚めると、天使と鬼が居た。
その鬼から逃げようと、反射的にベッドの逆側に避難しようとする俺。しかし強烈な眩暈に襲われ、ベッドから転げ落ちそうになる。
「っと」
それを受け止めてくれたのは縁だった。
起き抜けのせいか、気分が最悪だ。縁に抱きつくような体勢のまま動けなくなってしまう。ぼんやりした視界で右手を見ると、包帯でこれでもかとグルグル巻きにされていた。
「大丈夫ですか?」
俺の肩に顔を埋めている縁から、少しの震えが伝わってくる。
「宗一、人の顔を見て逃げるとは……どういう事だ?」
「いえ、その……。寝起きにはちょっと刺激的だったので」
縁に抱きついたまま癒しパワーを充填することにする。
後ろの鬼は今の俺にはきつい。
「あ、あの。……宗一君?」
縁が胸元でモゾモゾしだす。
そろそろ離してくれというサインなんだろうが、こんなチャンスは滅多にない。気分の悪い振りをしてもう少し堪能しよう。ついでにギュッとして首筋に顔を埋めてみる。
「ひっ、ひゃ、ひゃああああああああああ!?」
「……おい、宗一」
「ち、ちょっと宗一君!」
やばい、やりすぎた。縁さん大テンパイ。そして後ろが怖い。振り返ったら死ぬる。
思い残す事がないようそのまま縁を愛でていたら、後ろ頭をガシッと鷲づかみにされた。
「宗一、死にたいようだな」
振り返らなくても死ぬる。
俺は恐怖しながらも、三人に心配を掛けた謝罪と、お世話になった礼を伝える事にした。
◇◇◇◇◇◇
「で、なんでお前らここにいんの?」
「……」
俺の問い掛けに、正面の椅子に座っている有原と立川は、黙ってこちらを見るばかりだ。
俺が目覚めたのは、あの事件から十日後のことだった。おっちゃんは病院で治療を受けて、既に退院したようだ。
意識を失った俺と立川、そしておっちゃんを、有原が抱えて病院まで運んだらしく、そこをアリサさんに目撃され、自動的に紗枝さんまで情報が伝わった、という経緯なわけだが……。
今、俺の病室には紗枝さん、有原、立川の三人。
どういうわけか、二人が俺の見舞いに来たのだ。そしてそれに立ち会う紗枝さんという図になっている。
「事情はわかっている。お前ら、謝罪しろ。宗一もだ」
「はぁ! 何言ってんの紗枝さん!?」
「何か不服か?」
「当たり前じゃん! なんでこいつらに謝るんだよ!」
「命令だ」
「……そんなもん、聞けねーな」
「ほう、いい度胸だな。今度は私と戦りたいのか?」
「さ、紗枝さんが、……ひ、ひ、退かない……なら……」
やべぇ、俺死んだかもしれん。しかし、ここは退けない。
有原と立川はビクビクしながら肩を寄せ合い、合掌モードに移行している。どうやら見捨てられたようだ。
「……ふっ、わかったよ。お前達で話し合え」
「い、いや、別にいいっすよ。話す事なんかないし」
むしろ話したくもない。
「あのな、宗一。相手に非があるとはいえ、お前は立川を殺す所だったんだぞ? 私はその事を謝れと言ったんだ」
「う……」
途切れ途切れになっているものの、ほんの少しだけ記憶の残留がある。
フェイズ2に侵食されてしまったとはいえ、はっきり言ってやりすぎだ。あの時の衝動は抵抗できるような生易しいものではなかった。もう少しで殺人を犯していたかもしれない自分に恐怖を覚える。
その一点に関しては謝ってもいい……いや、謝らなければいけない。
「立川、その……悪かったな。怪我、大丈夫か?」
「いいえ。私、辰巳さんに謝ってもらう事などひとつもありません。あの時、辰巳さんのお気持ちを察する事のできなかった私が悪いんです。怪我は少し傷みますが問題ありません。お気になさらぬよう」
「いや、本当に悪かった。俺はもう少しでお前を………」
「方法はわかりませんが、フェイズ1になったばかりでフェイズ2にしたら、誰でもああなります。その原因を作ったのは私達ですし。それに辰巳さんは、最後は自分の意思で殺意を治めたと聞きました。尊敬に値します」
「……とにかく、すまん」
立川は意外にも、俺に恨みなど持っていないような真摯な目で語る。紗枝さんがいるから猫を被っているのかと勘ぐったが、演技をしているようには見えない。
俺のぶっきらぼうな謝罪が終わると、立川は隣に座っている不機嫌そうな有原を促した。
二人は椅子から立ち上がり、少し前に進み出る。謝罪の言葉を述べるつもりなのだろう。
「いらない」
「え?」
「お前らの謝罪なんていらない。俺はやりすぎたと思ったから謝った。だがお前らは微塵も悪いと思っていないはずだ。紗枝さんに言わされてるだけの言葉なんていらない。それに、謝る相手が違う」
「あ、あの方にはもう謝罪しました! そ、それに、辰巳さんにはちゃんと悪いと思ってます!」
「おっちゃんには悪いと思ってないの?」
「うっ……そ、それは……」
いつも動じる事がない立川が困っている。そんな必死な表情を見るのは初めてだった。
「で、では、どうすれば……許してもらえるのでしょう?」
「え? いや、許すとか許さないじゃなく、俺とお前らは……なんて言うか、多分一生分かり合えないと思うよ。だから俺の前に二度と現れないでくれたらそれでいいよ」
「……うぅ」
そう。こいつらと分かり合うなんて無理だ。
俺はあんな表情で無抵抗な人の腕を折ったりできない。思い出しただけで吐き気がする。
「た、辰巳。……その」
有原が言い辛そうに口を開く。
「あの時、なんで……その……泣いてたの?」
「……お前に言っても、わかんねーよ」
そう。絶対わからない。というか実際、自分でもよくわかってなかった。言葉にするのが難しい。でも断言できるのは、この二人には絶対わからないということだ。
「宗一……向こうが歩み寄ってるんだから、少しは受け止めろ」
「いや、でも……無理ですって」
「いいから話だけでもしろ。対話を切るという事は人との繋がりも切る事になる」
「わ、わかりましたよ」
紗枝さんって結構お節介なんだろうか? 実に説教じみた言葉がスラスラ出てくる。
しかし、その通り……だな。意思の疎通を放棄したらそこで終わり。こいつらとは一週間ばかりだが、普通に接していたんだ。分かり合えるなんて到底思えないが、少しだけこの対話を続けてもいいかもしれない。
「じゃあ、聞くけど。……立川」
「はい」
「正直に答えてくれると嬉しいが、お前は男性なら迫害しても良いと考えてるんだよな?」
「……いいえ、女性でもです」
「え?」
「私は自分の知人以外、つまり他人に苦痛を与える事をなんとも思わないんです。そこに性差はありません」
「つまり、お気に入りの人以外どうでもいいと?」
「はい。辰巳さんは入っていますのでご安心を」
「……嬉しくねぇ」
何かこう、ある感情が欠落してるように思えるが、どうなんだろう?
俺もニュースで聞く他人の死なんかに心は痛めないし、自分では直接殺せないかもしれない牛の肉とか食ってる。それを自分でやっても心が痛まないのが立川という女なんだ。極端だが、言ってる事はまさに人間だ。
「じゃあ、有原は? 完全に男嫌いだよな?」
「そ、そうよ。小さい頃からそう思ってきたから今更変えられないし、変える事もできそうにない。だから、殴ってもなんとも思わない、けど……」
憮然と言う様が、言葉を続けるにつれて勢いを失くしていく。
「あんたが泣いた時、あんたに都が殺されかけた時、自分の涙や、叫びが……空しく、なった。その……よく、わかんない、けど……っぅ……」
状況を思い出しているのか、泣きそうになる有原。立川がよしよしと頭を撫でている。
有原は喜怒哀楽の激しい純粋な子だ。それゆえ、幼い頃から男性嫌悪の影響を受け続けてしまったんだろう。それが当たり前、普通、常識。そういう感覚なんだ。
今回の事で、有原自身が俺と重なってしまい、混乱しているんだろう。それを感じてくれるだけ、まだ救いがあると言えるが……。
「う~ん……」
紗枝さんの言うとおり、話をしたらちょっと歩み寄ってしまった。流石、年の功。
しかし同時に落とし所も見失ってしまった。お前らとなんか二度と会いたくない、と面と向かって言うのもどうかと思う。でも、これからは仲良くしようなんてのも無理っぽい。
「あの」
「……なんだ立川」
「先日も言いましたが、本当に私と付き合って貰えませんでしょうか?」
「はぁ!?」
今度は紗枝さんまで被ってきた。
「……お断りします」
「何故ですか? 私、こんなに愛くるしいのに」
「だからうぜぇ!?」
「今回は引きませんよ。この前は冗談10%でしたが、今度は混じりっ気なしの本気です!」
「この前もほとんど本気じゃん!? てか、殺されかけた奴と交際とか何考えてんだよ!?」
「ですから、もう私の命は辰巳さんの物。それに私、あの一発で目覚めました」
「それってM的な何かじゃないの?」
「……えい」
「!?」
立川がベッドで座っている俺の傍に来たかと思うと、俺の腕を取ってその微妙な大きさの胸を当ててきた。
うおおおお! 胸、びみょー、ガックリ。
微妙な大きさの胸なんかより、その……立川のサラサラの黒髪がまずい。信じれない程のいい匂い、きめ細かさ、滑らかさ。それが俺の頬にダイレクトに当たって……。色々とまずくなって……あっ、スリスリやめて。
「ふふふ、私の胸攻撃が効いてますね?」
「いや、それは違う」
「急に冷静!?」
「小さくはないんだが、立川にその技は無理だ。2レベル不足している」
「うぅ……。そ、宗一さん、ひどいですー……そんな真面目な顔で……」
「つーか離れろ! そんなんでごまかされるか! それと勝手に名前で呼ぶな!」
「効いてたように見えたけど?」
「気のせいだ。有原さん」
なかなか目敏い有原。そう、効いた。いい匂いすぎた。
怖い顔で静観していた紗枝さんが、やれやれ顔で割って入ってくる。
「有原と立川に言っておく。今回の件は軍の規律に抵触している行為であり、後にある程度の懲罰を言い渡す事になるだろう。それと今後、辰巳宗一に危害を加えた場合においては、規律に関係なく個人的にお前達を許さない。分かったか?」
「き、肝に銘じます」
「り、了解しました。国枝基地長」
ちょ、おいぃ。あんたは俺の家族とか恋人なのかよ。個人的に許さないって、またあらぬ誤解を生むだろうが。ほら、二人の「どんな関係よ?」的な目がめちゃ痛い。
それからしばしの沈黙が降りたが、それを切り裂いたのはまたしても立川だった。何かを発案したように、紗枝さんに話を切り出す。
「……そうだ。国枝基地長」
「なんだ。立川」
「不肖、この立川都。辰巳宗一さんの護衛就任希望の意を表します!」
「ええ!?」
このこけし頭だけは読めない。まだそれ以前の話が終わっていない。仲直りの前に同棲しようとしてやがる。
何故そんなに俺との関係を繋ぎとめようとするのか。その動機は一体何なんだ。
「国枝基地長! わ、私もやります!」
「あ、有原まで。あのな……」
「……いや、いいかも知れんな」
「ええ!? ついさっき警告した相手に護衛を任すなんて、紗枝さん本当にボケてませんかがぶぅ」
「縁がいない時もあるし。探してたんだが中々いなくてな」
「い、いやあああああああああああ! 考え直してえええええええええええええええええ!!」
「き、きもいぞ……。宗一」
理不尽な暴力にもめげず、紗枝さんに泣きながら懇願したが、キモがられただけだった。
俺は諦めきれず、紗枝さんに顔を寄せてヒソヒソ話しだす。
「お、俺が研究対象って機密なんでしょ?」
「ああ、それはもう言ってあるぞ」
「なにそれ!? なんたるアバウトな機密!」
「触りだけだ。少し特殊な遺伝子の持ち主だとな。過去だの樺太だのは話してない」
「そ、そうですか……」
い、いや。納得してどうする。こいつらと一緒にいるのなんてごめんだ。
「と言う事で、宗一さん。これからもよろしくお願い致します」
「よろしくね。……そ、宗一」
「……」
あれ? もう確定してしまっているっぽいぞ。話の展開の速さについて行けない。
しかしここは断固拒否せねばなるまい。この二人といるとかどんな拷問だよ。
「そ、宗一」
「え?」
頭の中で否定文を十数通りまで用意していたが、有原の襲来により言語化が困難になってしまう。
「じゃあ、その、行こう?」
俺の手を取って促してくる。しかしその行動とは裏腹に、有原は嫌悪を必死で隠そうとしているような、何とも微妙な表情を浮かべている。
そういえば、有原が能動的に触れてくるなんて初めての事だ。そんなに嫌なら無理するなよ。
「行くってどこへ?」
「あのおじさんの所。……その、約束だから。私が負けた時謝るって。あんたがいないと意味が無いし」
「いや、あれはお前が負けたとか、そういう話じゃないだろ?」
そう言うと、有原は俯いてふるふると首を振る。
何が言いたいんだろうな、こいつは。
「悪いと思ってないんだろ?」
形だけの謝罪に何の意味が……。
「そうだね。……うん、今は。でも、あんたといると何か思うのかもしれない。感じるかもしれない。……違う、かな?」
「…………知らん」
「まぁなんでもいいじゃん、私がそうしたいんだから。ほら、早く!」
俺の手を掴んで引っ張ってくる有原。満足そうな笑みを浮かべてその光景を見ている立川。
色々納得できない事はあるが、これだけは言わせてもらおう。
「……勝手に、名前で呼ぶな」




