第1話 目覚め
緩慢に浮上していく意識。
それに従いゆっくりと目を開けると、視界に映し出されたのは無機質な白だった。
「あっ!」
すぐ真横、いや、真上から女性の高い声が響く。目だけを動かしてそちらを見ると、見覚えのない女の子が驚いた様子でこちらを見下ろしていた。
その子から視線を外し、起き抜けの頭のまま周囲を見渡す。
白で統一された部屋、腕に延びる点滴の管、ベッドに横たわっている自分――それら様々な判断材料は全て、ここが病院であることを明確に示していた。
「あ、ダメですよ」
体を起こそうとするとその女の子が立ち上がり、病人を気遣うように声をかけてくる。
「少し待っててくださいね。今、担当の者を呼びますから」
意味がわからないまま、再度ベッドに押し戻される。彼女はそのまま、すぐ頭の上にある電話で誰かを呼んでいるようだった。
看護士さんなんだろうかと推測したが、彼女はいわゆるナース服ではない。その衣服を的確に表現するなら、軍服のような学生服といったところだろうか。
「あの」
「はい、何ですか?」
「……いえ」
電話を終えて椅子に座った彼女は、俺を見てニコニコとするばかりである。
それが何を意味しているのか、この子は誰なのか、ここはどこなのか、そんな疑問が次々に沸いてきていたのだが、彼女が誰かを待っている様子が伺えたので、今は質問を控えておいた。
しばらくすると、というか三分も経たない内に二人の女性が病室に入ってくる。
一人は眼鏡を掛けているスレンダーな女性で、もう一人は白衣を身に纏っている金髪碧眼の外国人女性だった。
その二人は共に少し焦ったような様子で、ベッドに寝そべっている俺に目を向けた。
「えっと……。どうかな、喋れる?」
「あ、はい」
白衣の外国人女性がすぐ傍まで来て、俺の額に手を当てながら顔を覗き込んでくる。熱でも測ってくれているんだろうか。
俺自身も確かめるように体を起こして彼女に返答すると、いつの間にか隣に立っていた眼鏡の女性が問いかけてきた。
「お前、あそこで何をしていた?」
「……何を、って?」
質問の意味が分からないのもあったが、それよりもその女性の目を見た瞬間、俺は言葉を詰まらせてしまった。眼鏡の向こう側にある鋭い目つきは、生来よりの天然であると伺えるが、俺が感じたのは先天的なそれとはまるで別種のものだった。
侮蔑、嘲笑、軽蔑、罵倒、蔑視、憎悪――。
一口で表現するのが困難な、そんなありとあらゆる負の感情を孕んでいるような眼差しで、彼女は俺という人間を俯瞰していた。
「どうした?」
ハッとして頭を振り、意識をハッキリと覚醒させる。そして再度、彼女を見やると、先と変わらず鋭い目つきではあるが、内包していたと思われる感情は嘘のように消え去っている。……俺の見間違いだったんだろうか?
「いえ、何でもありません」
疑問の追及はせずに、健常であることを伝える。
「そうか。では訊くが、お前の名前は?」
「辰巳宗一です」
「……ふむ」
眼鏡の女性は、隣にいる外国人女性にアイコンタクトのようなものを一度送った。
「受け答えはちゃんと出来るようだな。少し驚いたよ」
なんだろうか、その微妙な評価は……?
「幾つか質問をしたいのだがその前に、簡単でいいから自己紹介をしてくれないか?」
「あ、はい、分かりました。名前は辰巳宗一。出身は北海道で、十九歳大学生。趣味はギターで、好きな食べ物はカレー、嫌いな……」
「待て。今なんと言った?」
「え? ……カレー?」
「いや違う。どこ出身だって?」
「北海道」
俺が澱みなくそう答えると、話している眼鏡の女性だけでなく、他の二人もぽかんと呆気にとられた様な表情に変容した。そしてその六つの瞳が、徐々に可哀想な子を見るかのような色を帯びていく。
「え? な、なに?」
俺、なんか変なこと言った? 言ってないよな? その目、凄く不安になるんだけど。
「もう一度聞くが、どこだって?」
「北海道札幌市」
「……」
「……」
「…………今は何月か判るか?」
何故か正気を疑われているような気がした。
「し、四月です」
「ふむ、当たりだ。では何日だ?」
「四日です」
「違う。十五日だ」
「えっ! 俺ってそんなに寝てたんですか? というかどうして病院なんかに?」
「落ち着け。今は私の質問に答えていればそれでいい」
ちょ、さっきから思っていたが、なんて偉そうなんだこの女は。
俺の容態を気にしてくれてるのか知らんけど、もう少し柔らかい口調にしてくれやがりませんかね? という意思を込めて睨んでやったが、全く動じず質問を飛ばしてくる。
「今は四季で言うと?」
「……春です」
「信号は何色で渡る?」
「青です」
「日本の首都は?」
「東京です」
「女性初のアメリカ大統領に就任した人の名は?」
「……は?」
舐めてんの? と思っていた常識クイズだったが、いきなりボケが来た。何かの引っ掛けなんだろうか?
「は、ははっ、いやだなぁ。黒人さんはこの前出ましたけど、女性はまだじゃないですか」
そんな怖い顔でボケられても分かり辛いですよー、とばかりに軽い調子で突っ込むも、
「……あ、れ?」
また何かをやらかしてしまったような不穏な空気になる。だからその「若いのにお気の毒さま……」みたいなニュアンスの目をやめろ。
「ちなみに現在は何年だ?」
「えっと、平成……」
「待った。西暦で言え」
「2012年です」
「……アリサ、検査の項目に精神鑑定を加えといてくれ」
眼鏡さんは白衣の外国人女性にそう告げ、踵を返して病室のドアに歩いていく。
「ちょ、ちょっと待って!」
精神鑑定とかいう不吉なワードを残したまま病室を出て行こうとする眼鏡さんは、俺の呼びかけに反応して足を止めた。その後、冗談を言っているなど到底思えない大真面目な顔で、俺に一言だけ残して病室から出て行った。
「今は西暦2064年だ」