おい学院一の問題児よ、小動物系女子の私に、距離感ゼロで話すのはやめてくれ!
授業、サボってしまった。
やってしまった。こんなに悪いことしたの、生まれて初めてだ。心臓がバクバクしてる。走る足がガクガクしてる。ころばないように注意して走った。
今頃名前呼ばれてるかな。私のこと探してるかな。
しかもレヴィア先生の授業だ。世界屈指の魔法使いレヴィア先生の授業をサボるなんて、何て罰当たりな私。学費を出してくれてる、お父さん、お母さん、ごめんなさい。
心の中で謝りながらも、次第に駆け足になった。
後ろめたい気持ちでいっぱいになって、庭園の中、大きな木の影に隠れた。
幹にもたれ、ずるずる腰を落とす。
魔法、使えないんだもん。呪文を覚えたって、イメージが膨らまない。教科書的に発した呪文は、空気にたやすく飲み込まれてしまう。本質を理解していないと呪文は意味をなさない。魔法は発動しない。
どうしよ。
全身の力が抜けた。
せっかくアルテナ学院に入学できたのに。思ってた以上に、周りのレベルが高い。ついていけない。焦るとなおさら、おいていかれる。
一度サボると後戻りはできない。みんなとの距離は一層広がっていく。
木を見上げた。私を光から覆い隠してくれる、大きな木だ。
いいね、君は。
私も木になって、ここで暮らしたい。魔法のことなんて、何も考えずに自然と一体化して、風に身を任せて、ゆらゆら枝を揺らしたい。
想像していると、風に身を委ねて浮かんでいるような気分になった。
木の葉がひらり、と舞い落ちて私の頬に触れた。
「慰めてくれるの?」
木の葉を摘まんで、問いかけると、何かに顔を潰された。
「ぶ!」
後頭部を根っこにぶつけた。突然視界が暗くなり、手足をばたつかせる。鼻と口が塞がれて息ができない。
何、この柔らかいもの?
柔らかい何かが私の気道を塞いでいる!
「あ、すまん」
じたばたしてると、誰かの声がして、ようやく息ができるようになった。
「昼寝してたら、落ちちゃったよ。オレの尻、受け止めてくれたのか、助かったよ」
お尻!?
私の顔にこいつのお尻が落ちてきたの?
穢れを知らない乙女の私に、そんな汚物を押し付けるんじゃねえ!
と、言いたかったが、私にそんなことを言える勇気などない。
落ちてきた人物の顔を見て、私は反射的に姿勢を正した。
黒髪に黒い瞳、長い前髪。そして、何より、その女癖の悪そうなツラ!
そ……っと、右脚を遠ざけて、左脚を引き寄せる。
すり足で彼から距離を置く。
「うん、大丈夫だよ」
こいつ、フリョーだ!
同じクラスのイズルだよ。一年生にして、学院始まって以来の問題児イズルだ!
授業の時も、休憩時間の時も、登校時も下校時も、できるだけ関わらないようにしてたのに、こんなところで関わってしまうなんて、人生最大の不覚。
私はこんな不良なんかとは、お知り合いになりたくないんだよ。
やっぱり授業サボるんじゃなかった。
「それじゃ、私急いでるから」
刺激しないように愛想笑いをして、来た道を戻る!
私は小動物系女子。男子と話すのは、最低限の会話のみ。
か弱い小鳥の私が、こんな肉食獣の前にいてはダメだ。
「待て!」
鋭い声に背筋が凍る。私は動けなくなった。
怖いよお。
「な、何でしょう?」
背を向けたまま答える。首すら動かない。
「落としたぞ」
イズルの手にあったのは、お母さんが入学祝いに買ってくれた髪飾りだった。
私がアルテナ学院に合格したのを喜んで、買ってくれたんだっけ。
ちり、と心が疼いた。
なのに、私は魔法から逃げ出してる。
「ほれ」
イズルは私の髪を軽く押さえ、手早く髪飾りをつける。
って、勝手に髪に触るんじゃねえよ!
とは、言えない。
「あ、ありがと」
下手に刺激して逆切れされても困る。
そういえば、教室でもローザに「女性との距離を考えろ」って怒られてたな。
こいつはきっとこういうヤツなんだろう。
だから、さようなら!
二度と私に話しかけないで。
「今さら教室に戻るのか?」
その言葉に足を止めた。現実に引き戻される。私は魔法から逃げて、ここで隠れてたんだった。
「お前、同じクラスのミアだろ?」
お前って言うんじゃねえ!
初めて話して、「お前」はないだろうがよ!
「あ、覚えててくれたんだ」
知らなくていいけどな。
私は、少しずつ話して距離を詰めてきいきたいタイプなの。そんなふうに、ぐいっ!て入ってこないでよ。私はパーソナルスペース広めの繊細な女の子なんだから。
「オレは女の子の名前を覚えるのは得意だからな」
ハア?
何だこいつ。
イケメンだからって何言っても許されると思ってんじゃねえぞ。
「私も知ってるよ、イズルくん、でしょ」
イズルよ、あんたは悪い意味で有名だからな。
一歩、下がる。
私は、こんなヤツの毒牙にはかからない。颯爽と華麗にフェードアウトしよう。
「どうせ、今さら帰ったって、後日レヴィア……先生の補習が待ってるだけだぞ」
「え? そうなの?」
「何度も補習をさせられてるオレが言うんだから、間違いない」
胸張って言うんじゃねえよ。この不良が!
「しかし、お前もよりによって、レヴィア先生の授業をサボるなんて相当の不良だな」
「ふ、ふりょう?」
この真面目を絵に描いたような私が、不良だと?
歴代最低の不良に不良って認定された!
「レヴィアは世界屈指の魔法使いだぞ。その授業をサボるなんて、オレか」
イズルは自分を指で示し、続けて私に指を突き付ける。
「お前くらいだからな」
人を指で指すな、人をよ。
て言うか、あんたと私を同列に語るんじゃない。私は真面目で、あんたは不良の中の不良!
だんだん腹が立ってきた。こんな大人しい私を怒らせるなんて、イズルってのは評判通りのとんでもないヤツだ。
発する言葉と本心の境界が曖昧になってきた。
「イズルくんの方が不良だよね」
口調が強くなった。少し本音が出た。
少しとはいえ、怒りを表に出すなんて、私としては珍しい。
こいつに不良と認定されるのは、それだけ私にとって屈辱なんだ。
「不良は不良だ、差なんてあるかよ」
「ぐ……」
言葉が出ない。何だ、この敗北感は。妙に正論ぽいこと言いやがって、イズルのくせに。
「何でサボったんだ?」
馴れ馴れしく聞くな。悩みを打ち明けるほど、私とあんたは親しくないんだよ。
あんたはいいよね。魔法使えなくたって、剣が無茶苦茶強いからさ。それだけで将来安泰だろうさ。
とはいえ、質問されて黙ってるのも癪だ。こんなヤツ適当に返事しとけばいいか。
「気が乗らなかっただけ」
「お、一緒だな。オレも気が乗らなくて昼寝してたんだよ」
ほら、とイズルが頭上を示す。木の枝が折れていた。
あ~、あそこで寝てて枝が折れたから、私の顔にお尻が落ちてきたわけね。そういえば、折れた枝も落ちてる。
お尻!?
また、お尻の感触を思い出した。こいつ、私の顔にお尻を押し付けたんだ。何て無神経なヤツだ。そんなお前と私が、同じなわけあるか!
「違うってば! 私は授業についていけないからっ……!」
そこまで言って、慌てて言葉を飲み込んだ。
「授業?」
しっかり聞かれてる。
しまった。
本音が出ちゃった。誰にも話していない、私の心の奥にしまっていたものなのに。
「そうか、お前、魔法苦手なのか!」
ズケズケ言うな!
そこはデリケートな話題だろうがよ!
もっと違う言い方があるだろうが。聞こえなかったフリしてもいいんだぞ。
「そっちなんて……」
イズルが魔法を使えないのは、学院内では有名な話だ。剣が強いからこそ、弱点は広まる。
「そっちなんて魔法全然使えないよね!」
言っちゃった。
怒りに任せて、人を悪しざまに言うなんて、私って何てダメなヤツ。お父さんとお母さんには、そんなこと言ったらダメって育てられてきたのに。
しかも相手は悪名高きイズル!
実戦訓練は無敗。街でも暴れまわってると聞く。校則違反の冒険者ギルドにも出入りしてるとか。怒らせたら絶対まずいヤツだ。
何をされるんだろう、と恐々覗いてみる。イズルは目を丸くして、瞬きを繰り返していた。
「そうそう。オレなんて全然使えないんだから、使えるだけでも大したもんだぞ」
イズルは笑いながら、私の背中を叩く。
ちょっとだけ、痛いんですケド。
でも、とりあえず、怒ってないみたいで、一安心。
「いやいや。今ちょっとオレのこと、バカにしただろ」
ひいいい。やっぱ怖い人だ。
「ま、別にいいけど」
いいんかい!
だったら、紛らわしいこと言うなや。安心したり、怖がったり疲れるんだよ。
「魔法なんてイメージだ、イメージ。イメージさえ膨らめば、バーンと使えるんだよ」
使えないくせに何言ってんだ。
「まずは呪文だよね。呪文がないと、イメージ膨らまないよね」
ちょっと逆らってみた。どうせ適当に言ってるんだろう。
「呪文に気を取られすぎると、イメージが壊れるぞ。構造を理解したら、呪文なんて適当でいいんだよ」
ほら、やっぱ適当だ。適当な呪文で魔法が使えたら苦労はしない。
「私は呪文かな。魔法の基礎だし」
「お前は、そんなことに拘ってるから、魔法が苦手なんだよ。どうせ、一言一句暗記してるタイプだろ」
一言一句の何が悪いんだ!
しかも、ずっとお前、お前って。
「もう、お前って言わないでよ」
あ、と思ったときにはもう遅かった。図星を突かれて本心を言ってしまった。
本音と建前を使い分けるのが私の特技なのに。
「ミアだ!」
突然、イズルが大声を出す。
「そうだ、ミアだ。よし、これからは、ちゃんとミアと呼ぶぞ」
しまった。名前で呼ばれるなんて、ちょっと距離が縮まった感がある。
しかも呼び捨て。さん付けくらいしろや。
これはまずい。やっぱり、「お前」で良かったかな。
「ミア、何のためにこの瞑想広場があると思う?」
イズルは宙を仰ぎ、周囲を見渡した。
木々に覆われ、枝が風にそよぎ、小川のせせらぎが聞こえる。
それより、名前の呼び捨てを連発して、距離が近くなった感を出すのはやめてくれ。私とお前はそんなに親しくないからな。
大事なところだぞ。距離感を考えろよ。
「瞑想広場はイメージを養う力を鍛えるためにあるんだよね」
「瞑想広場は自然の流れを感じるためにある。言葉なんていらない。肌で感じろ」
「はいはい、感じた感じた。さあ、呪文の暗記でもしようっと」
「態度が段々、雑になってきたな」
「雑な人には、雑な態度で十分でしょ」
「そりゃそうだ」
何が受けたのかイズルは楽しそうに笑った。
ああ、また言ってしもた。
本音と建前のバランスが崩れてる。私は人に気を使いながら話す人間なのに。ペースを乱しやがって。こいつは一体何者なんだ。
「よし、ミアにはもっといいところへ案内してやる」
笑い終わったイズルが私の手を取って引っ張る。
何だ、こいつ!
何で、いきなり手を握るんだよ!
離せや!
私は男の子と手をつないだことなんてないんだぞ。手をつなぐのは、王子様との特別な場面だって昔から決めてるんだよ。
お前は私の王子様じゃない!
「ちょっと離して。どうして手を握るの」
もういいや。足踏んじゃえ。蹴りつけるが、イズルは離さない。
おい、シバキ倒すぞ。
とは、さすがに言えない。
走り出した瞳が、あまりにも無邪気だったから。
「あそこなら、オレの言いたいことが伝わるはずだ」
別に知りたくね~
誰が頼んだよ。
「悩んでるんだろ? いつもと同じことしてると、解決しないぞ」
ちょっと待て。何で私がお前に相談してるみたいになってるんだ。
友達にだって相談できない恥ずかしい劣等感なのに。
初めて話したお前が、勝手に解決しようとするんじゃねえよ。
確かにこの悩みを解決したいけど、こいつに解決されると確実に距離が縮まってしまう。
って、前で先生が歩いてる。
坂道を走る私たちと先生がすれ違う。後方から引き留める声がする。わっ、追いかけてきた。
「わわ、逃げられないよ、止まって謝ろう」
「めんどくせえな」
イズルは舌打ちをして、何かを投げた。
木の枝だ。いつの間に持ってたんだ、こいつ。
くるくる回った枝が、先生の足元に絡みつく。先生は盛大に一回転した。
終わった。
私の学院生活が終わった。私の評判は地に落ちるどころか、地下まで潜り込んでしまった。
歴代最低の不良生徒イズルと同格として私も扱われる。お父さんとお母さん、泣くだろうな。
やっぱりイズルなんかと会話するんじゃなかった。
「怒られたらオレのせいにしとけ。無理やりオレに連れまわされたってな」
いや、そもそもお前のせいだろ。
ミアの罪をオレが被ってやる的な態度で、カッコよく見せようとするのはやめろ。
そういうところが、小動物系女子の私をドン引きさせるんだよ。蛇に睨まれた蛙状態にはなりたくないぞ。
事実として、私はお前に連れ回されてる!
そうか、全部イズルのせいにすればいいんだ。嘘ついてないし。
心が軽くなった。
もういいや。全部イズルのせいにしちゃえ。
この瞬間だけ、今だけ、翼が生えた。
風を感じる。この風は、朧気だけど、私に同化するような錯覚を与えた。
「よ~し、全部お前のせいだぞ、イズル!」
「お前って言うな」
「お前は、お前だ、イズル」
言いながら私は笑った。
違う。さっきまでの私とは違う。
解放された私は無敵だ。
かけっこが苦手なのに、足が軽い。口も軽くなる。
イズルがスピードを上げた。今なら追いつけそう。
手を握ったままイズルはさらに加速する。
「追いつけね~よ」
調子に乗るんじゃねえ。物事には限界があるんだよ。体力差を考えろ。
速すぎるイズルに追いつけず、私は息を切らして足を止めた。
「速すぎるよ。ちょっとは気を利かせてよね」
「下、見てみろ」
手が離れる。私は後ろを振り返った。
あれだけ広い学院が、手に収まりそうなくらい小さく見えた。
イズルは道を外れて丘を登り始めた。奥へ奥へ進んでいく。
私は後を付いていく。足元が悪い。
「こっち」
イズルが手を伸ばす。
私は手を握ろうとしてやめた。代わりにその手首を掴んだ。
こけたくなかっただけだよ。バランスを取らないと危ないからだ。
「ほら」
振り返ったイズルの前髪が、風で揺れた。
「今日は真っ青な空だ」
「うん……」
初めて、イズルの言葉を素直に受け入れた。
反論する余地はないほど、完璧に、雲一つない青空だった。
周りには何もない。涼しい風が頬に触れる。走ってきた私には、ちょうどいい心地よさだった。
全てを飲み込むほどの大空が、私とイズルを覆いつくしていた。こんなに空は青かったんだな、と思ったとき強い風が吹き抜けた。
この空を飛んでみたい。そんな欲求が自然と湧き起こった。翼を生やして、空を駆けまわれたら、どんなに気持ちいいだろう。
「おっ」
イズルが声を上げた。私の足元を指している。
草が、揺れていた。私の足の下で草が揺れている。影が遠ざかる。
体が揺れる。
「浮い、てる?」
私の体が浮いてる。ほんの少しだけ、地面から足が離れている。
拳一つ分だけ浮いてる!
魔法? どうして? 呪文なんて使ってないのに。
無詠唱での魔法なんて、超高等技術だ。私にできるわけがない。
「イメージが大事なんだ。ゆっくりイメージを膨らませろ」
こいつ、知ったふうなことを。
空飛ぶ呪文、空飛ぶ呪文。頭の中の引き出しをひっくり返し、呪文を思い出す。
最初の言葉を発しようとすると、トン、と足が地面に触れた。
イメージが途切れた。
「あれ?」
足を上げ、地面に下ろす。着地してる。両足は地面をしっかり捉えていた。
飛び上がる。宙に浮き、落ちる。
飛べない。どうして、さっきは浮いたのに。そうだ。呪文を思い出さないと。
「言葉に頼るな。まずは意味を理解しろ」
「呪文の、意味ってこと?」
字面を追うのではなく、呪文が紡ぎ出すイメージを大切にしろって、そういうことなのかな。
「魔法を使えないオレが言っても説得力ないだろうけどな。レヴィア先生が言ってた……とでも思っとけ」
こいつ。
爽やかに笑うんじゃないよ。
問題児……って思えなくなっちゃう。
「この場所、誰にも言うなよ。ミアはかわいいから特別に教えたんだぞ」
は?
また歯が浮きそうなセリフを言いやがった。
ごく自然に言うんじゃねえよ。絶対普段から言い慣れてるだろ、お前。
やっぱりこいつは、危険人物だ。今後もなるべく近づかないでおこう。
遠くから、風に乗ってチャイムの音が聞こえてきた。
「授業が終わった。行くか」
イズルは急な斜面を下り始めた。
追いかけようとして足が竦んだ。
上りよりも怖いかも。
手が、差し出された。
変なところに気が回るんだよなあ、こいつ。
それとも、怖がってるとこ、態度に出てたかなあ?
「どうした?」
手を揺らして、イズルが促す。
私がそんな簡単に、手を握るとでも思ってるのか。
でも。
斜面を見下ろした。はっきり言って私は運動神経が悪い。転げ落ちる自信しかない!
ただ、怖かっただけだからな!
恥ずかしい気持ちを我慢して、そっと手を取った。
勘違いするなよ。
少しだけ。少しだけだぞ。
それくらいなら、距離が縮まってもいいか……