第7話
◇ ◇ ◇
ネオンがギラギラと煌めく繁華街。
昼間の仕事の憂さを晴らすため、多くのサラリーマンがネクタイを緩め、酔っぱらって道を行き交う。
同僚と千鳥足で歩いていた男がふと路地に目をやると、不思議な光景が目に入った。
「おい、さっきなんか白いのがすごい速さで走ってったような。ユーレイかな」
「ネズミかなんかだろ。酔ってるなあお前」
「お前もだろ」
アハハ、と笑いあう男たち。
その裏の路地では、彼らが想像しえない激しい剣戟が繰り広げられていた。
「ちぃッ」
この時代で星が相手にしているのは、まさかの人型のバクだった。
時代によってバクの形状は違う。大抵は獣類、時に蜘蛛などの虫類だったが、人型はこれが初めてだ。しかし相手が人型を取っていたとしても、それで星が怯むわけもない。彼女が焦燥しているのには別の理由がある。
今までのバクに比べて的が小さく、そして素早い。加えてこの狭い路地。
動きを捉えきれないのだ。
「ほんとすばしっこくて腹が立ちますわ! ニノマエ、あなた火炎放射器とかマシンガンとかになれませんの⁉」
「なれねえことはないが、絶対自滅するからやめとけ」
ニノマエは千変万化の武器ではあるが、あくまで効果は使用者の技量による。
星は刀の扱いしか鍛錬していないので、他の武器を無理やり扱ったとしても本来の性能より格段に劣る。
「じゃあゲームのラスボスみたいに刀がたくさん一気に放出されるとかできないんですの⁉」
「そういうのは天才的な演算能力があればできるけどな」
「誰が脳筋ですの」
冗談はさておき、武器の交換は諦めて、星は10メートル先のバクを見据える。
バクの両手は刃物のように鋭くなっており、遠目から見るとまるでカマキリのようだった。手数の分、間合いに入るとこちらのほうがやや不利だ。
「……仕方ないですわね」
星の呟きに、ニノマエは嫌な予感しかしなかった。
星は浅く深呼吸してから、駆け出す。一気にバクとの距離を詰めた。
「おま、」
星とてニノマエが言いたいことは理解しているが、どちらにせよ間合いに入らなければ相手を斬れない。
両手で刃物を構えるバクは、星の突進を持して待つ。
間合いに入った途端、一閃目が星の顔のすぐ脇をかすめる。
次だ。
相手を怯ませた後に致命傷を狙ってくる二手目。
脇腹めがけて突き出されたその刃を、星はあえて受けた。
「……ッ」
刺される寸前、かろうじて身体を捻り、左わき腹と左腕で相手の刃を挟む。
当然、肉は裂けたが致命傷ではない。
期待していた手ごたえを感じられなかったバクはもう一方の手を突き出すが、そこは星の一閃のほうが早かった。
バクの片腕が飛ぶ。バクはもう一方の腕を動かして星の身体を斬ろうとしたが
『……⁉』
ぴくりとも腕が、刃が動かない。単純な腕力で完全に固められて、腕を振り上げられないのだ。
「筋力を鍛えるのは、淑女の嗜みでして、よ!」
星の刀がバクを貫く。
動かない相手を仕留めるのは簡単だった。
「これで、四十八。過去にいるバクは、あと一体、ですわね」
星は油臭い壁にもたれながら、負傷した脇腹と腕をガーゼと包帯で手際よく止血する。ついでに鎮痛剤も追加で飲み込んだ。
衣服はすでに泥と血まみれ、どうにか怪我の応急処置はできているが、誰がどう見ても満身創痍である。
「おい、無理すんな」
「四十八も倒したんですもの。あと一体くらい、気力でなんとかなりますわ」
星はまるでフルマラソンの残り一キロみたいな例えをしたが、ニノマエはそんな風に楽観はできなかった。
星はバクをひとつずつ倒していくのに必死過ぎて、どうやら気づいていないようだが、ニノマエは残数とその所在を正確に把握している。
残る一体がいる時代は――
「おいアカリ。大丈夫か」
「……大丈夫じゃないですわ」
時は大正、あるいは昭和。
緑は深く生い茂り、揺れる木陰からは、現代よりも穏やかな日差しが降り注いでいた。
晩夏の蝉が鳴く墓標の前で、満身創痍の星は膝を抱えてうずくまっていた。
「どうして。どうして最後がここなんですの」
「最後だからだろうが」
「善良の女神様も案外意地が悪いんですのね」
「だからそれも最初に言っただろうがよ」
クマの形に戻っているニノマエは、はあと溜め息をついた。
「さっきまでの威勢はどうした、ここまで来て何べそかいてんだよ。お前はよくやったよ、四十八体もバクを倒したんだぞ」
これまでずっとブレーキ役を担ってきた自分が、ここにきて激励に回ることになるとは思いもよらず、ニノマエは大きな矛盾を感じながらも星を励ます。
「あと一回だ、この時代のバクを倒せばお前の役目は終わって、ムラサキは死の輪廻から解放されるんだ。それともやっぱりお前は、『この時代のムラサキ』がよかったのか?」
ニノマエの問いに星は答えられない。
そんなの、当然だ。
だって星の、アカリの『お姉さま』は、目前の墓標で眠っているその人しかいない。
アカリは何度この墓標の前で泣いたのだろう。
何歳になっても涙は枯れることはなかった。
アカリの時間は、あの時から止まったままだ。