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第2話

 翌朝。いつもより一時間はやく登校した紫は、生徒会室で昨日の作業の続きをしながら昨夜の出来事を心の中で反芻していた。

「草津さん、体調不良で学校来れないって顧問に連絡あったみたい。先生が話してるの聞こえちゃったんだけど、昨日の晩家の前で倒れたらしいよ?」

「それって会長が無茶な仕事押し付けて先に帰ったからじゃん、やば~」

「今職員室に呼ばれてこってり絞られてるっぽい」

 向かいの生徒会役員がそんな話をしているのが小耳に入る。

(……草津君、はやく復調すればいいけど)


 昨夜はあれから、星と名乗る少女とふたりで意識のない凪を彼女の家まで運んだ。ニノマエというぬいぐるみはどんな形にもなれるらしく、凪を運ぶ担架になってくれた。意識が戻らない凪が気になったが、星曰く『嫉妬心を付け込まれてバクに少しだけ身体を乗っ取られていたみたいですけど、一日も寝ていれば回復しますわ』とのことだった。

「バクというのはですね、あの白い化け物のことです」

「……バクってあの、夢を食べる?」

「そうそう、その伝承から名前がついたようですね。あれは人間の夢を食べて力を得る悪い怪物なんですわ。さっきの生徒さんもそうですけど、なにせお姉さまの夢も四十九回食べられているんですのよ」

 そう言われても、紫にはぴんと来なかった。

「夢って、どういうもの?」

「バクが食らうのは、端的に言うと人間の欲望、希望、そういった類のものです……が、」

 ちらりと、少しだけ遠慮がちに星は紫を見つめる。

「今のお姉さまに夢はおありですか?」

 星の問いに、紫は少しだけ考えて

「特にこれ、といったものは」

 すぐにそう答えた。

「欲しいものとかやりたいこと、些細なことでも良いんですのよ?」

「……あまりそういうのがなくて」

 紫の単調な答えに、ニノマエが声を上げた。

「やっべえなこれ。今回のこいつが殺されたらムラサキの魂もいよいよ輪廻から消えるかもな」

「ニノマエ!」

 星はぬいぐるみを叱咤した。

「大丈夫ですわお姉さま、私が来たからにはそんなこと絶対にさせませんから!」

 ニノマエの顔を両手で引っ張りながら星が言うと、紫は少しだけ微笑んだ。

「君には夢があるんだね」

「え?」

「きらきらしてるから」

 紫の突然の言葉に、ぼぼっと音が立ちそうなくらいに、星の頬は赤く染まる。同時に星は、手に持っていたニノマエをもじもじといじり始めた。

「お、お姉さまったら、突然そんな、私がきらきらしていて美しいだなんてそんな」

「そこまでは言ってないぞアカリ」

「ええ、私には勿論夢がありますわ。夢とは人間の生きる力、輝きの具現ですもの」

「聞けって」

「私の夢、それは……それは……お姉さまには恥ずかしくて言えませんの!」

「しかもUZEE! わかったからおれをいじるのをやめろ!」

 中綿がへしゃげて細長くなりつつあるニノマエが、星の指をガブリと噛んだ。

 (ぬいぐるみに歯があったのだろうか)噛まれて赤く腫れた親指を振りながら、星はコホンと軽く咳払いをする。

「お姉さま、今日はもう遅いので、詳しいことはまた明日にでもお話させてくださいな」

 星は紫を家の前まで送ってくれて、最後には握手をするように両手でぎゅっと紫の手を包んだ。ずっとテンションの高かった彼女―ともすればやや空回り気味のように見えた彼女が、少しだけ照れ臭そうにはにかんだのを覚えている。

「せ、先刻はニノマエのせいで色々あれな感じになりましたけど。再びお会いできて光栄ですわお姉さま。星は、とても幸せ者です」


 彼女の掌がとても温かかったのを思い出して、紫はふとその熱を懐かしむ。

 昨日の出来事は一体なんだったのだろう。

 また明日、と彼女は言っていたが、彼女は今日も現れるのだろうか。


「探しましたわお姉さま!」

 想像以上にはやく唐突に、彼女は現れた。

 生徒会室での資料の差し替え作業を終えたあと、部屋を出た途端に星が立っていたのだ。

『だれあれ? 他校の生徒?』『おねえさまって?』

『えーっあれどこの制服? めちゃかわいいんだけど』

 という他のメンバーの好奇の視線をまったく気にせず、彼女は紫の手をとって廊下を歩き出した。

「もう、こんなに朝早くから登校されているなんて存じ上げませんでしたから、お姉さまの家の前で不審者になってしまいましたわ!」

 そう言う彼女の手は、昨日に比べると随分冷え切っていた。

「ごめん。もしかしてかなりの時間、外で待ってた?」

 紫が申し訳なさそうに言うと、彼女は慌ててもう片方の手を振った。

「いいえほんの五分ちょっとですわ!」

「正確に言うと五十分な」

 告げ口をしたニノマエを星は殴った。

「と、とにかく昨日のバクを仕留め損ねていますから、お姉さまにはもっと気をつけていただかないと! また狙って来るやもしれません、いえ、必ずまた奴は来ますわ!」


 星が紫の手を引いてやって来たのは、校舎の片隅にある自販機コーナーだった。始業までにまだ時間があるせいか人は誰もおらず、ベンチを独占できた。

 紫はスカートのポケットからコインケースを取り出す。

「温かい飲み物、いる?」

「おれブラック」

 ニノマエがすかさず挙手すると「ちょっと!」と星が嗜める。

「遠慮しないで。暁君は?」

「あっ、星と呼んでくださいお姉さま。……それと私ココアが大好きで……」

「肥えるぞアカリ」

「お姉さまに頂いたココアは後生大事に神棚に飾るんですぅー!」

「……飲んでね?」

 紫はふたりに缶を手渡した。

「ありがとうございますお姉さま! ……って昨日からナチュラルかつイケメンに状況に順応してくれちゃっていますけど大丈夫ですか⁉ 私のこと少しぐらい頭おかしいとか怪しいと思ってくれてもよろしいのですわよ⁉」

「口調がうさんくさいとは思っているよ」

「そこですの⁉」

「だって昨日ボケナスって」

「そそそそれは前世の(スケバンだった頃の)記憶がちょっと影響してるんですわあ! 今世の私はこれでも日本屈指の資産家の父をもつ名門女子高の」

「死に晒せやって」

「いやああんもう今世の紫お姉さまったら意地悪なんですの⁉」

 紫は自身もココアを手に取り、星の隣に座った。

「……オホン。戯れはさておき、時間もあまりないので説明をさせていただきますわねお姉さま。昨日の白い怪物バクは、単刀直入に言うとお姉さまの命を狙っています」

「なぜ?」

 そう尋ねておいて、紫はなんとなく、自身が過去、『あれ』に何度も殺されたことを理解していた。

「あれは『悪逆の女神』の心臓の血から生まれたものなのです。遥か昔、正義感の強いお姉さまは『悪逆の女神』を人間ながらに討ったのです。『バク』は、そのときの女神の呪いなのですわ」

 なるほど、と紫は納得した。

 ブホっとせき込み、口周りをコーヒーで茶色くしたニノマエがすかさず突っ込む。

「アカリ、こいつほんとにわかってるのか! 実は頭空っぽのアホなんじゃないのか!」

「失礼ですわよニノマエ! でもお姉さま、確かに納得が早すぎませんこと⁉ お姉さまは転生するたび何度もあれに殺されたのですよ⁉」

「なんとなくそれは覚えているよ」

「え⁉」

 星はぎょ、と目を剥き、頬を染め手に持っていたココアの缶をもじもじさせはじめた。

「えと、じゃ、じゃあ、お姉さま、私のことも、もしかして覚えて……」

「いや、全然」

 ぎゃはは、と笑ったニノマエの脳天を星は肘で殴打した。

 星は大きな瞳でじっと紫を見つめる。

「今世のお姉さまは以前よりも随分あっさりされている印象ですわね」

 確かに、紫は幼い頃から何事にも動じない性格だった。大らかといえば聞こえはいいが、中学時代の担任からは『人やものごとに対して温度が低いというか……』と指摘されたこともある。

「今世、と君は言うけれど、私の前世やその前の世を君は知っているということ?」

「あ、いえ、私もすべては存じ上げないのです。ただ、……そうですね、私、紫お姉さまとは、五回前の世でとても親しくさせていただきました。その縁で、今回このようにお姉さまと再びお会いする機会を得たのです」

 星は大事な思い出を語るように、胸に手を当て柔和に微笑んだ。昨日の彼女の笑顔といい、きっと彼女にとって、「五回前の紫」は特別な存在だったのだろう。

「……五回前……」

 それは一体どれくらい前の話なのだろう。その時の「紫」はどんな人物だったのだろう。彼女がこんな風に優しい笑みを浮かべて思い出す「紫」とは、一体どんな。

「ごめんね思い出せなくて」

 紫が眉尻を下げると、彼女は再びあたふたと手を振った。

「思い出せなくて当然ですわ! 私はバクを討つべく特別に記憶を保持させていただいていますの、お姉さまにはそれがないんですもの」

「でもどうして君が?」

 当然の問いだった。これが女神と紫の因縁なら、第三者である彼女が介入するのにはそれなりの大きな理由があるはずだ。しかし星は口ごもる。

「えっ、えっと、それは、その……」

 再びココアの缶をいじりだした彼女の次の言葉を紫が待っていると、生徒会役員のひとりが走ってきて顔を覗かせた。

「月夜さんいた! 先生が生徒会室に集まれってさ! 文化発表会の最終打ち合わせだってー!」

「行かないと。君も学校、遅れないようにね」

 紫はそう言って席を立ち、呼びに来た生徒と来た道を戻っていった。

 ベンチに残された星はまだ温かいココアを手で包んだまま、紫の去った通路を眺める。

「アカリ、あんな抜け殻では到底駄目だ。夢の力を取り戻したところで、悪逆の女神を倒せるかどうか」

 ニノマエが飲み干したコーヒーの空き缶をゴミ箱に放り投げる。

「いいえ。お姉さまは優しいお姉さまのままですわ。四十九度夢を奪われてもなお正しい人間として在られるのはそれだけですごいことだと思いません? 夢は人間の輝きの源。バクに大きな夢を奪われた人間はそれだけで廃人になってしまいますもの」

 ニノマエはふん、と鼻を鳴らす。

「お前のことを覚えていないと言ったのに?」

 星はベンチから立ち上がる。

「私のことなど覚えていなくてよいのです。さあ、基点は作れましたわ。今世に再びバクが現れる前に、行きましょうニノマエ」

「正気か? おれが言うのもなんだが、これは女神サマの無茶ぶりなんだぞ。それに夢を取り戻しても記憶までは、」

 ニノマエが言いきる前に、星はニノマエを刀に変えた。

「私はこの輪廻からお姉さまを助けたいのです。それ以上は望みません」

 星が刀を振るうと、白い壁にぱっくりと、黒い裂け目が出来た。まるでブラックホールのように、虚ろに渦巻いている。

「いざ」

 星は臆することなく、それに飛び込んだ。

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