後日譚5 発熱したお姉さまのお見舞いに行く話1
「大変。大変ですわ……」
放課後。星は生徒があまり立ち入らない、校舎の屋上に続く階段の踊り場で、こっそりスマホを確認して震えていた。
今朝紫に送ったLINEに既読が付かないのである。
「どうしましょう! お姉さまの一大事ですわ! 今までこんなこと絶対なかったのに」
星があまりに切羽詰まった顔をするので、ニノマエは落ち着くよう促した。
「病院行くって言ってたんなら、スマホ見れてないだけかもしれんだろ」
「でも朝から行くって仰ってましたし! もう夕方ですわよ、これは行くしかありませんわ!」
「行くって……もしかして紫の家にか? 今から?」
「もちろん! こういうときのための帰宅部ですわ!」
星はスマホを通学鞄に押し込んで、階段を数段飛ばしに駆け降りた。
それは星が初めて紫の自宅を訪れた翌週の、木曜日のことだった。
毎晩22時の定時通話。この日もいつも通り、紫から星のスマホに連絡があったのだが、いつもと少し様子が違う紫の声色に、星はすぐに気が付いた。
「お姉さま、もしかしてどこか具合が悪いのでは?」
スピーカー越しに小さく、『え』と紫が驚きの声を漏らした。
「なんだか少しお疲れのような気がして。……大丈夫ですか?」
「すごいね星は。実は今日仕事が終わってから熱っぽくて。今少し上がってきてるし、感染症だといけないから、明日は朝から有給をとって病院で検査してもらうつもり」
紫の言葉を聞いて、星は少々声を荒げてしまった。
「熱があるなら無理にお電話くださらなくてよかったのに! 早くお休みになってくださいお姉さま」
「星の声を聴いたら元気になれるかなって思って……」
んぐ、と星は言葉に詰まる。熱があっても相変わらずナチュラルにこういうことが言えてしまうのが月夜紫という人だ。
「でも、そうだね。ごめん、今日はもう休むよ」
その言葉にほっとしながら、星はいつもの挨拶をする。
「おやすみなさいお姉さま。無理はなさらないでくださいね」
「うん。ありがとう星。愛してるよ」
そこで、通話は途切れた。
……。…………。
「〇$△×%%%$$$#×~~~⁉ わたくしも愛してますわアアアア⁉」
「なんだぁ⁉」
星の奇声に、ベッドの上で半分寝こけていたニノマエがびくりと飛び起きた。
星はスマホを両手で持ったまま、立って固まっていた。
「……お姉さまが、『愛してるよ』って。いつもは『おやすみ』なのに」
「すげえな。よかったじゃねえか」
「そうなんですけども! 熱が相当あるんじゃないかと心配してしまうんですが⁉」
「お前熱あんのか?」
「私じゃなくてお姉さまですってば!!」
そういうわけで、星は翌朝紫に『具合はどうですか?』など複数のメッセージを送ったのだが、夕方になってもひとつも返事が返ってこなかったのだ。
星は勢いに任せて電車に乗り、駅近くのドラッグストアで経口補水液などいろいろと買い込んだあと、猛ダッシュで紫のマンションを訪れる。
しかし、エントランスのインターフォンの前で流石に停止した。オートロックのマンションなので、来客として部屋まで上がるには、中から鍵を開けてもらわなければならないのだ。
「……どうした。部屋番号忘れたのか?」
「忘れるわけありませんわ! ただ、インターフォンを押してもお姉さまが応答されなかった場合、どうやってお部屋に入ろうと考えていたところですわ」
「いやそれは諦めろよ、捕まるぞ」
「~~~~祈るしかないですわ~~~~」
えいや、と星は紫の部屋番号を押した。
しかし、少し待っても、2回鳴らしても、やはりなかなか応答がない。
「……どうしましょうニノマエ。お姉さまがお部屋で倒れられていたら」
「倒れてるっていうか、寝てるんじゃね。そう考えるほうが普通……って」
鞄にぶら下がっているニノマエが、星のほうを見上げてぎょっとする。
いつの間にか、星が顔を真っ赤にしてぼろぼろと泣き始めていたのだ。
「わたくし、お姉さまにお会いしたいっ、せめてご無事かどうかだけでも確認したいですわ……っ」
「わかったから泣くなよ! ……ああもう仕方ねえなぁ!」
ニノマエが、マンションの鍵に変身する。
「……ニノマエ……!」
「今回だけだからな! こんなことしてたら流石のおれも女神サマに怒られちまう」
星は「ありがとう」と鍵になったニノマエを握り、エントランスを突破した。
そうしてたどり着いた、紫の部屋の前。流石にそのまま鍵を開けて入るのは気が引けたので、星は念のためもう一度ドア横のインターフォンを鳴らす。すると。
『…………星?』
インターフォン越しに、紫の声が小さく聞こえた。
「お姉さま! ご無事だったんですね!」
星の表情がぱっと明るくなるのを見て、ニノマエはやれやれとぬいぐるみに戻った。
『……あ、うん、えっと、来てくれると思ってなくて、あれ、もしかしてドアの前にいる? ちょっと、待ってね、』
しばらくしてドアが開く。
リカバリーウェア風のスウェットを纏った紫が、やや疲労感が窺える表情ながらも眉尻を下げて星を出迎えた。
「お、お姉さまーーーー!」
星は思わず彼女に抱きつきそうになったが、両手いっぱいに持っていた荷物がそれを阻んだ。