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第1話

「んじゃ、これ、あとよろ~!」

 窓の外は真っ暗。午後も七時を回った頃、軽率にも程がある声のトーンとフレーズで、生徒会長の西崎にしざきあらたは席を立った。

「え! 会長もう帰るんですか⁉ まだこんなに残ってるのに⁉」

 新はマフラーをさっと首に巻いて、悪びれる風もなくさわやかに笑う。

「悪いね、今日は彼女とデートなんだ」

 何がデートだテニス部の彼女と一緒に帰りたいだけだろうが! という罵倒を飲み込んで、副会長の草津くさつなぎは彼を引き止めようと立ち上がる。

 そもそも19時になるまで暖房器具のない生徒会室に居残って明日の文化発表会の資料の差し替えをしているのは、当の会長が担当していた記事に重大なミスがあったためなのだ。しかし

「ふたりもいればそんなに時間、かからないだろう? じゃ!」

 凪が声を上げる暇もなく、逃げるように彼は扉を開けて出ていった。

 凪はしばし唖然とし、しばらくして「もう!」と声を荒げ、少し大袈裟に地団太を踏んだ。

「どーいう神経してるのあの人! もう日も暮れてるのに女の子二人残して帰って悪いとか思わないの⁉ ねえ月夜つきよさん⁉」

 凪は居残っているもう一人に向かって同意を求めた。しかし

「さっき、『悪いね』とは言っていたね」

 肩のあたりで綺麗に切り揃えられた黒髪のその少女は、淡々とホッチキスを外しながら、涼しい顔と穏やかな声でそう答えたのみだった。

 派手さこそないが、鼻筋の通った、非常に端正な顔立ちの少女である。そんな綺麗な顔で言われると、どんな言葉も説得力を持ちがちだ。

 凪は我に返って首を振り、そのクールビューティーに吠えた。

「あんなの謝ったうちに入りませんー! 月夜さんももっと怒っていいと思うんですけど⁉」

「どうして?」

 しかし彼女は、透き通った無垢な瞳で凪を見た。

 凪は返す言葉を思いつけずに言い淀む。この月夜つきよむらさきという少女は、ミステリアスな雰囲気、端麗な顔立ち、スレンダーで高身長と、全体的にとても大人びている少女だが、瞳だけはどこか空虚に抜けていて、まるで幼い子供のようなあどけなさを感じる。

 学業の成績が良いため顧問が直々に生徒会に引き抜いたという噂だが、自己主張し過ぎず、寡黙で純朴な印象。他の生徒会のメンバーの誰かが皮肉って言うには、「まるで日本人形のよう」だとか。

 それはそれですごく魅力的で、神秘的だと凪は常々思っているのだが、もう少し感情を表に出してくれれば、もっと彼女には友達が出来るだろうに、という老婆心がつい働いてしまう。

 実際、彼女と親しくしたいと思っている級友、後輩が実は多いことを凪は知っている。しかし、彼女が持つ独特の空気感からか近寄り難いと思われているのだ。

「月夜さんて普段怒ることあるの?」

「あまり。それに怒るとお腹が減ってしまうよ」

 その折、丁度タイミングよく、凪のお腹の虫が鳴いた。

「……」

 凪は顔を赤らめて、大人しく着座した。


 一時間後。

 凪は空腹で気を失いそうになっていた。比喩ではなく、育ち盛りの高校二年生はお腹が減るのだ。

(だめ、頭がぐらんぐらんしてきた。まだ全然作業終わりそうにないのにー……)

 そもそも今日だって他の生徒会メンバーも手伝ってくれればここまで遅くはならなかったのだ。皆塾へ行くのだとか何かしら理由をつけて残ってくれなかった。日直の仕事で遅れて来た紫だけが辛うじて手伝ってくれているが、他のメンバーにもなんとなく一目置かれている彼女が『手伝う』とあの場で言ってくれていれば、もう何人か残ってくれていたかもしれない。

(私ってほんと、人望ないなあ……)

 凪が半泣きになりながらホッチキス止めをしていると

「草津君。顔色が悪い。君は先に帰るといい」

 この一時間、涼しい顔で一言も喋らなかった紫が妙に真剣な顔で、そんな言葉を発した。

「え? いや、そんなわけには! 流石の私も月夜さんだけを置いて帰るなんて」

 凪はわらわらと両手を振る。寡黙な彼女に急にそんな男前な提案をされては、思わずクラっときてしまう。勿論トキメキのベクトルに。

「なら今日はここで一旦置こう。明日の朝、一時間はやく学校に来るよう他のメンバーにメールを流せばいい。発表会は午後だからぎりぎり間に合う」

「め、名案! 月夜さん名案だわ! そうしましょ!」

 凪は諸手を叩き嬉々として立ち上がる。机の横に掛けていた学校鞄から二つ折りの携帯電話を取り出して、早速メールを打った。生徒会のメンバーの中で携帯電話を持っていないのは紫だけなので、今メールを送ってしまえば皆に連絡がつくはずだ。

「送信っと。これで帰れる~~! 月夜さんて紳士なのね!」

「? 私は女だよ」

「も~喩えだってば!」


◇◇ ◇


 雑木林を傍目に、街灯と街路樹が規則的に並ぶ緩やかな下り坂を、ふたりは足早に下っていく。

「冬の夜って嫌になっちゃう、寒いし暗いし。ね?」

 凪のお喋りに、そうだね、と相槌を打ちながら、紫はあたりに視線を配った。

 遅い時間なので帰宅する生徒が見当たらないのは当然として、駅からそう離れていないこの道路には、もう少し人通りがあってしかるべきだった。

 妙な閑散さが紫の心の深部にある警戒心を煽る。

 ふたりで下校しているのだから、ひとりで下校するよりも安全なはず、なのに。

 そこまで考えて、一体自分は何に警戒をしているのかと紫はふと考える。

「月夜さん? どうしたの、さっきからちょっと怖い顔になってるわ」

「ごめん、寒いのが苦手で」

 とっさに吐いた嘘に、凪は「そうなの? 生徒会室も寒かったのに気づかなくてごめんね」と苦笑した。

「私ったらほんと気が利かなくて。親からもよく言われるの。生徒会に入って色んな仕事をこなしたら、少しは気配りの出来る人間になれるかなって思ってたんだけど。今思えば今回の会長のミスも、印刷前に目を通したときに私が気付けばよかったのに、どんくさくて……」

「それは草津君だけの責任じゃないよ」

 紫の言葉に、凪はふふ、と微笑んだ。

「ほんとに、月夜さんて優しいのね。今日だけで貴女の印象、随分変わっちゃった」

 その言葉の意図がよく分からず紫が小首を傾げると、凪は照れ臭そうにはにかんだ。

「私ね、生徒会に入ってから色んな人に貴女のこと聞かれたのよ。『月夜さんてどんな人?』って。皆貴女に興味があるみたい」

「そんなこと」

「そんなことあるんだってば! でも私も月夜さんのこと、あんまりよく知らなかったから答えられなくて。けど明日からはちゃんと言えるわ。月夜さんて、すっごく、紳士なん……」

 不自然に、凪の言葉が途切れた。

『——羨マシイ』

同時に、凪の手が紫の首に伸びる。

「!」

『私モ、貴女ミタイニナリタカッタ。デモ、ナレナイ』

 凪の様相が一変する。軽やかな笑顔が似合う少女の顔は、嫉妬に染まる女の顔に変貌していた。

 紫は反射的に凪の身体を突き飛ばす。凪の身体はそのまま人形のように倒れ、代わりに白い靄のようなものが身体から立ちのぼった。

『嗚呼憎らしい、恨めしい。四十九回殺してもまだお前には塵のような輝きが残っている』

 白い靄は徐々に形を成していき、やがて大きな怪物となった。

 キツネかオオカミのような形の白い体躯に、禍々しい赤い眼光。

 それを前にして、しかし紫はほとんど驚かなかった。奇怪で恐ろしい出来事のはずなのに、足すらひとつも震えない。

 そんな彼女の様子を見て、怪物は口元を歪ませて嗤った。

『―—ハハハっ、死に過ぎて恐怖を感じなくなっちゃった? 可哀想なムラサキ』

 その姿からは不釣り合いな、軽々しい女の声。

 しかし女の声音には、十分過ぎるほどの狂気が滲む。

『じゃあ今回も、その憎らしいほど綺麗な首から食べてあげる。お前の光、夢、この輪廻から燃え尽きるまで、骨ごとバキバキと、ねェ!』

 怪物の牙が、理不尽で明確な死が、紫に迫る。

 しかしそれには既視感があった。

 ——だから今回も、「またか」と。

 目と鼻の先を掠めた死の匂いを感じた時、紫は自然と、冷たい指の感触を思い出して目を伏せた。

 けれど。

「させるかあああああ!」

 降って来たのは雷鳴のような少女の怒号。

 同時に紫は熱い掌に弾き飛ばされる。

 その勢いで地面に転がり、身体を強打しても痛みはほとんど感じなかった。

未知の展開に、気が動転していたのかもしれない。

『お前……!』

 白い化け物の前に立ちはだかったのは、長い髪を揺らし、一振りの刀を携えた少女。転んだ衝撃のせいなのか、紫の眼は星が飛ぶようにチカチカして、その少女がきらきらと輝いて見えた。後ろ姿だけだが、恐らく年の頃は紫とそう変わらない華奢な子だ。

『私の邪魔を、するなァ!』

「邪魔はそっちじゃこのボケナスがぁ!」

 怪物相手にボケナスと言い放った彼女は、果敢にその巨体に向かっていった。対する怪物も少女に向かって大きな口を開ける。

『死ネェ!』

「てめえが死に晒せやッ!」

 容姿に似合わずドスの効いた物騒な言葉を吐きながら、少女は怪物の牙をしなやかな跳躍でかわし、容赦なくその大きな赤い目玉に一閃を浴びせた。

『……ッ! 小癪、』

 悔しげに喉を鳴らし少女を睨んだ後、怪物は一瞬で姿を消した。

 怪物を逃がしたことへの苛立ちか、少女は軽く舌打ちをし、刀を鞘に納める。するとどういう仕組みか刀だったものはぬいぐるみのマスコット、それこそ同年代の女子が通学鞄によくぶらさげているようなクマに変化した。

 紫に背を向けたまま、彼女はぱっぱと乱れた髪を直す素振りをする。そして

「紫お姉さまッ!」

 比喩ではなく、確かに涙で潤んだ瞳で、その少女は紫の元へと駆け寄り両膝を地につけた。

 大きな瞳の、可愛らしい女の子だ。亜麻色の髪は染めているのかそうでないのかは不明にしろ、彼女のはっきりとした目鼻立ちにとても良く似合っていた。その顔立ちとは対照的に、きっちりとボタンが留められた紺色のピーコートからは、おそらく私立の制服であろう珍しい色のブレザーが覗いている。

 少女は子犬のように眉を下げ、顔を覗き込んでくる。

「さっきはごめんなさい、乱暴に突き飛ばしてしまって。お姉さま、お怪我は?」

「……いや、」

 『お姉さま』と呼ばれることを不思議に思いつつ、少し擦りむいただけ、と紫は尻餅をついたまま膝を見せた。刹那

「嗚呼!」

 少女は悲鳴にも似た声を上げて両手で顔を覆う。紫が首を傾げると、いつの間にか少女の肩によじ登っていた先ほどのマスコット——柔軟剤のCMに出てきそうなクマ——が口を開いた。

「こいつお前のパンツ見て喜んでるだけだからはやくしまったほうがいいよ」

「ちがーーーーー⁉ お姉さまの前で何言ってくれてるんですかあなたは⁉」

 亜麻色の髪の少女はハスキーボイスのクマの顔を鷲掴んだ。

「はしたないものを見せてごめんね」

 紫はなんとなく、立てていた膝を伸ばす。

「ちっ違うんですわお姉さま、お姉さまの美しい御膝に傷を負わせた挙句神聖な下着まで拝謁してしまってわたくし今にも昇天……じゃないんですわあああああ! 口が勝手に本音をおおおおお!」

「落ち着けアカリ! 会っただけでそれじゃあ身が持たねえぞ!」

 今度はクマのほうが少女の頬をぶん殴った。

「……お見苦しいところをお見せしましたわ」

 左頬を腫らした少女と、顔(の中のワタ)が歪んだぬいぐるみが、改めて紫に向き直る。

「君たちは誰?」

 紫の問いに、少女はひどく優しい―—それこそ旧知との再会、万感の思いを込めるような笑みを湛え、答えた。

「私はあかつきあかり、これは相棒のニノマエ。僭越ながら、幾度いくたびの輪廻を超えて紫お姉さまを助けにまいりました!」

女領主とその女中シリーズが完結して以降数年ぶりになろうに投稿しました(笑)。


もともとこの作品、数年前にバトル百合アンソロに寄稿したものをカクヨムのコンテストに出せるように最近加筆して現在後日譚をちまちま楽しく執筆しているのですが、いかんせんカクヨムのPV数が笑えるほど少ないので(読んでくださってる〇名の方本当にありがとうございます)、供養じゃないけどこっちにも投げます。


このお話は私が書いたものの中では直近の作品になりますが、昔から大好きで書いていた現代バトルファンタジーの血をそのまま百合に落とし込んだものなので、現代ものなのになんか古典的というかひと昔前っぽいな~という感じのものになっていると思います。お口に合えば幸いです。

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