後日譚3 ついていない金曜日にばったり恋人に遭遇する話
私には、歳の離れた恋人がいます。
私にとっては前々世の頃から運命の赤い糸で結ばれている大切な人。
紫お姉さまは私が通う学校から快速電車で2駅ほどのところにある大企業にお勤めなのですが、4月~6月はとってもお仕事が忙しいらしいのです。
なので、せっかく! せっっかく15年ぶりに紫お姉さまと再会できたというのに、実はあまり頻繁には会えていません。
でもお姉さまは優しいので、どんなに忙しくても毎晩22時には電話をくださるのが日課になっていました。
だというのに!
「お姉さまったら酔いつぶれた同期の方の介抱をされるのは大変お優しくてよろしいのですけど、私とお姉さまの連続通話記録が他の女に邪魔されたという事実はとてもとても受け入れられないのですわ!」
「Duolingoみたいに言うなよアカリ」
鞄にぶら下がっているニノマエが言う。
「あと怒りで連日眠れなくてついに授業中居眠りして補習受ける羽目になったこともちゃんとムラサキに報告しろよ」
「絶ッ対いやですわ!」
そう、今日はそんな不名誉な補習で、金曜日だというのに居残りをさせられていました。数学の小テストで毎回赤点の鹿角さんにすら笑われましたし、本当に最悪な1日でしたわ。
――せめて甘いものでも食べて帰らないと。
そんなわけで、帰宅前に少し足を延ばしてお気に入りの喫茶店にやってきたのですが。
「「……!」」
なんと、お店の前でばったりと、紫お姉さまに出会ってしまったのです!
「いや、本当にびっくりした。こんなことあるんだね」
冷房のよく効いたアンティーク調の店内。
もともと隠れ家的な喫茶店ですけど、19時という絶妙な時間のせいか、お客様は私たち以外にはほとんどいません。
向かいに座るお姉さまは、今日も麗しい紺のスーツ姿。
相変わらず隙のない美しさですが、気温が少し高かったせいか、白いブラウスから覗く首元が、少しだけ汗ばまれているのが私にはなによりのご褒……じゃなくて目の毒です。
なんでも今日は商談帰りで、いつもよりはやく直帰されるところだったと。
「星は? 学校帰りにしてはちょっと遅いね」
私が帰宅部なのはお姉さまも勿論ご存じなのです。お姉さまの問いにニノマエが忍び笑いをこぼしたものだから、私は思わずニノマエの口をふさいでしまいました。
「ちょっと、いろいろございまして……」
いけない。少々つっけんどんな言い方になってしまいましたわ。
案の定、紫お姉さまは眉を少し下げて尋ねてこられました。
「もしかして、やっぱりまだ怒ってる? 一昨日電話できなかったこと」
決して私はお姉さまに怒ってなどいません! ただ
「……私もはやくお姉さまとお酒が飲みたいなと思っただけですわ」
私がそう呟くと、お姉さまは困ったように笑いました。
「あと5年なんてあっという間だよ」
お姉さまはそう言った後、少し暗い顔になってしまわれました。
「どうかなさいました?」
「いや。5年後って、私ももっと歳とってるな、って思って……」
地雷でしたわ。
お姉さまは、通話中でもふと年齢の話になるとかなり凹んでしまわれます。
私は全然この歳の差なんて気にしていませんのに。
むしろお待たせしてしまって本当に申し訳ないのは、私のほうです。
「お姉さま! お夕食、せっかくだからここでいただきませんか?」
私はお姉さまが気持ちを切り替えられるよう、そう提案しました。
お姉さまとお夕食を一緒にできる機会なんてそうありません。
休日デートも計3.5日と3時間いたしましたけど、いつも健全なお昼間デートですしね。
「私はかまわないけど、星はいいの? お家のほうは」
「お母様にLINEするので大丈夫ですわ」
お姉さまのことは、お父様にはまだ内緒なのですが、実はお母様には早々にバレてお話しているのです。お母様は母親のカン……とかなんとかおっしゃっていましたけど、理解があるのは本当に助かりますわ。しかもLINEの返事も滅茶苦茶早いんです。今日もちいかわのうさぎのスタンプ1個で即レスですわ。
「全然かまわないと母も申しております」
私がそう言うと、お姉さまはほっとした顔をされました。
お姉さまったら、そんな私の家のことまで気になさらなくていいのに。
「星はなに食べる? やっぱりナポリタンかな。メニューにもおススメって書いてある」
そう、このお店の名物は、あっつあつの鉄板に乗ってやってくるナポリタンスパゲティ。少し太めの麺に、絶妙な酸味のケチャップソースと半熟の目玉焼きの卵黄がよく絡んでとっても美味しいのです。
けどナポリタンスパゲティって、いくら上品に食べてもどうしても口の周りにケチャップがつきません? お姉さまの前で食べるのはかなりハードルが高いというかできれば避けたいですわね。
「私、今日はハンバーグにいたします!」
「じゃあ私はナポリタンで」
注文してしばらくすると、お料理が提供されました。
ハンバーグも勿論美味しそうなんですが、やっぱりお店のおすすめなだけあってナポリタンのほうが盛り付けから気合が入っている気がします。
お姉さまは早速、ナポリタンと一緒に提供された小瓶を手にとりました。
あ、やっぱりお姉さまっておうどんに限らずパスタにも辛いのをおかけになるんですね~~……
「っていやいやいやお姉さま、それタバスコじゃなくてハバネロですけど⁉」
瓶を振る感じではなく傾斜を固定してドバドバと赤い液体を掛けていくので、思わず突っ込んでしまいましたわ。
「タバスコよりハバネロのほうが甘辛くて美味しいよね」
無邪気な笑顔も素敵♡……なんですけども! あんまり辛い物ばかり摂られるのは、お身体を壊されないか心配なんです。
嗚呼、はやくお姉さまのお食事を三食おやつ付きで提供できる身分になりたい。
住まいはラグジュアリーに都内のタワマンもいいですけど、あえて郊外の静かな場所、それこそポツンと1軒家ぐらい世間から離れてもいいかもしれませんわね。多少不便でも、そこにあるのは私とお姉さまだけの世界……であればむしろ海外に出てまったく見知らぬ土地というのもありですわね⁉
四十九のバク殺しは本当にキツかったですけど、未来には楽しみしかないですわ~~~~。
「いただきます」
私が将来をあれこれ思い描いているうちに、お姉さまは真っ赤なパスタにフォークを入れられました。スプーンを使うでもなく、お姉さまはフォークのみで鉄板の端に寄せたパスタを小さくクルっと巻き、口に運ばれます。
少し咀嚼したのち、お姉さまは満足げに顔をほころばせました。
「ん。美味しい」
女神かな?
「いえ。待って。私が苦渋の決断をして選ばなかったナポリタンスパゲティをそんなに綺麗に食べられる人がこの世に存在するなんてありえんティですわ」
思わず本音が口をついて出てしまいましたわ。
ありえんティってたまに鹿角さんが言うからついうつってしまったじゃないですか、もう。
「星もナポリタン食べたかったの? 少しあげようか」
そう言ってお姉さまは別のフォークを籠から取り出しますが
「い、いえ! 大丈夫ですわ。お姉さまがお食べになってくださいな」
お姉さまのように綺麗に食べられないので遠慮したのですが、ここまで気を利かせて一言も発さなかったニノマエがついに口を開いてしまいました。
「そもそも滅茶苦茶辛そうだしな」
「私はどんなに辛くてもお姉さまがくださったものなら絶対いただきますわよ⁉」
誤解があってはいけないのでそう言うと
「じゃあやっぱり食べる?」
お姉さまは再度フォークに手を伸ばします。
これはもう白状するしかないですわね。
私はナポリタンスパゲティを選ばなかった理由を正直に白状しました。
「そんなの気にしなくていいのに」
理由を知ったお姉さまは、ちょっと寂しそうな顔をしていました。でも
「いえ、気にするんですわ。気にさせてください」
私、恋する乙女ですもの。好きな人の前でみっともない姿は見せたくないのです。
「でも星、この間一緒に出掛けた時も、もしかして同じようなこと気にしてなかった?」
お姉さまの言葉に、私はすぐに思い当たりました。
あれは3回目のデートのとき。
ちょうどその日は日曜日、かつ9がつく日で、クレープ屋さんの前には行列ができていました。
お姉さまは私の視線を察して「クレープ、食べる?」と訊いてくださったんですが、私はそのときも遠慮しました。
だって、クレープって、食べ物としての可愛さに反して滅茶苦茶食べにくいスイーツじゃありません⁉ まずどこから口に入れるかを考えないといけないですし、口を小さくしてちまちま食べたところで生地しか口に入ってこないですし、中に包まれた果物、クリーム、アイスをまとめて美味しくいただこうと思ったら、やっぱり大きな口を開けて食べるしかないじゃないですか~~~~!
「そんな恥ずかしい姿お姉さまにはお見せできませんわっ!」
すると。
「鹿角さんとなら食べられるけど、私とは食べられない?」
お姉さまの口からそんな言葉が飛び出したので、私は驚いて、思わず息を吞んでしまいました。
だって、ここでお姉さまから鹿角さんの名前が出てくるなんて思わないじゃないですか。
「あ、いや。ごめん。良い言い方じゃなかったね。ごめんね」
お姉さまは少しばつが悪そうにこめかみを指先で押さえました。
そんなお姉さまの右手の薬指には、私とお揃いの指輪が光っています。
私は校則もあるので普段指輪は服の下に隠れるように首からさげていますけど、お姉さまはちゃんと、お仕事をされている間もずっと、指にはめてくださっているのです。
それだけでも、私は嬉しいのに。
「……もしかして、妬いてくださってます?」
ッなんて調子に乗って厚かましいことを訊いてしまいましたけど! 私のような浅ましい女ならともかくお姉さまに限ってそんな
「……そうかも」
お姉さまは照れ臭そうに苦笑し、それからその透き通った瞳で私の目を見つめました。
「妬いてるよ」
ぅ、うワアアアアアアアアアアアアアアアア!
「お友達となら気兼ねないのに、私と一緒だといろいろ遠慮されるの、少し寂しいんだ」
確かに思い返せば日々の通話の中で、今日は鹿角さんとクレープを食べた、という話もしましたわ。そんな他愛もないこと、お姉さまったら覚えてくださってるんですね。
というか、さっきから胸が早鐘を打ち過ぎて無理。
死んでしまいそうですわ。
いえ、まだ死にたくないですわ。
「……わ、私、今度からお姉さまの前で遠慮するのはやめますね」
「うん。そうしてくれると嬉しいな」
話してたらハンバーグ冷めちゃうね、とお姉さまは気を使ってくださいましたけど、むしろ私の胸の中があっつあつになってしまったので全然問題なしですわ。今日ほど鹿角さんに感謝したことはないかもしれません。今度クレープをおごってさしあげましょう。
食事を終えたあと、お姉さまが言いました。
「そうだ。昨日も電話で伝えたんだけど、仕事もひと段落したから、よかったらまたどこかに出掛けよう。明後日の日曜日とか、どうかな」
「はい! 喜んで!」
やった~~! お姉さまからのデートのお誘いですわ!
「どこか行きたいところある?」
ふふ、いつもお伝えしていますけど、私はお姉さまと一緒ならどこだって……あ、でも。
「もし、もし可能でしたら、お姉さまのお家に行きたいです」
「え? 家?」
私の希望が少し意外だったようで、お姉さまは目を丸くされました。
「……駄目でしょうか?」
「ううん、星がそれで良いなら私は構わないけど。うち、本当に何もないけど大丈夫かな」
私はこくこくと精一杯うなずきました。
これまでのデートは、お姉さまからの提案で少し遠出をしてきました。
きっと、知り合いに遭遇するのを避けておられるのです。
勿論、足を延ばしてのデートも楽しいのですけど、移動時間もあってお姉さまとゆっくりできないのが難点でした。
お家デートなら、お姉さまも周りを気を使わないですみますし、きっとゆっくりできますわ!
「わかった。じゃあ家においで」
わーい! やりましたわ~~~~! お姉さまのお家、楽しみですわ!
「それじゃあ、気を付けてね」
「はい。お姉さまもお気をつけて。お電話、今夜も楽しみにしていますわ」
私の家の最寄り駅でお姉さまと分かれたあと、私はベンチで迎えの車を待つ間、今日の幸運を噛みしめながら思わず鞄ごとニノマエを抱きしめました。
「……ご機嫌なのはわかった、わかったから首を締めるな」
あらごめんなさいと私はニノマエを解放します。
「しっかしお前、ムラサキの家に上がり込むなんてなかなか大胆なことするじゃねえか」
「え?」
「ああ、いや、お前の頭の中もさすがに令和アップデートされてるか。昔ならつゆ知れず、今時はあんまり珍しくねえのかもな」
そこまで言われて、ニノマエの言いたいことがなんとなくわかりました。
……そうですわ、そう言われればそうですわね。恋人のお家に上がるなんて、ひと昔前でしたらそういうことですものね⁉
「いやですわニノマエ、私は単純にお姉さまのお家で人目を憚らずゆっくりしたいと思っただけですわよ」
「わかってるよ。おれから見ててもあいつ結構、周りの視線気にしてるもんな」
そうなんです。まあ、街中を歩いていて周囲の視線を引いてしまうのは、お姉さまがスーパーウルトラハイパーミラクル麗しいからなんですけどね?
「なんだったら、おれは今度留守番でかまわないぞ。今日のお前らの会話もなかなかむずがゆかったしな」
「えっ⁉ いや、せめて初回は付いてきてほしいんですけど⁉」
「お前が暴走しないようにか。なるほどな」
暴走ってなんですの!
でも、お家デートなら手をつなぐことぐらい許されるかしら。
ああ~~明後日が楽しみですわ!
次回、お家デート編ですわ。




