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後日譚2 同期の話

 私には、ひときわ優れた同期がいる。名を、月夜紫という。

 名前からして高貴だが、本人曰く普通の家庭の生まれだそうだ。

 うちの会社はそこそこ大手の広告代理店。

 給与は良いが、その分仕事もわりとハード。入社してからはや丸9年、気が付けば同性の同期はその子だけになっていた。


「あーーッ、やーっと繁忙期の終わりが見えてきたねーーーーッ! ビールうまッ」

 周りの目を気にしないですむ、行きつけの個室居酒屋。キンキンに冷えた生ビールが五臓六腑にしみわたる。

 この日は私が担当していた大口の案件が終わって、どうしても飲みたい気分だったので紫ちゃんを飲みに誘った。週の中日にかかわらず、彼女は二つ返事でOKしてくれた。彼女を高根の花と崇めている他の社員からすれば羨ましい限りだろう。これが同期の絆ってもんよ、フフ。

「お疲れさま。こっちのチームの仕事も今週でほぼ片付くから、少し早い打ち上げだね」

 対する彼女も、ビールを掲げて微笑んだ。気温もそこそこ高い日だっていうのに、まったく化粧崩れしていない。上品な女はビールの中ジョッキを持っていても上品だ。これで結構飲める口なのだから、酒飲みの私としては本当に得難い友人だ。


「そうそう、もうすぐ夏休み取れるじゃん? うちのチームの若い子なんか我先にって休みの予定入れまくってくれるからさぁ、ちったぁ私に遠慮しろよって感じ」

「遠慮せず入れたらいいのに。予定」

「カーーゥ! 予定があったらもう入れてるってえの! ないんだよ予定!」

 こちとら仕事が忙しすぎて長らく恋人なんていないんだわ! と、調子に乗って飲んでいたらあっという間にジョッキが空になってしまった。

 それを見た紫ちゃんが、備え付けのタブレットでお代わりを注文してくれる。ほんと良い子。あとで一緒に日本酒飲んでほしいな。

「ところでさ、紫ちゃん」

「なに?」

 今日彼女を飲みに誘ったのは、打ち上げもあるが別の理由ももちろんある。

「ほんとは春からずーっと訊きたかったんだけどさ。

 恋人できた?」

 ジョッキを口にしていた紫ちゃんの上品な唇から、ビールがずばば、と滝のようにこぼれる。

「えっまって、だいじょぶ?」

 思わずこみ上げた笑いをこらえて、私は慌てておしぼりを手渡した。

「ごめん、ありがとう」

 失態を晒したのが恥ずかしかったのか、紫ちゃんは少しだけ頬を染めておしぼりで口元を拭った。

 彼女との付き合いは入社してからの9年しかないが、こんな表情は初めて見たかもしれない。だってわが社が誇る、「いつでも冷静沈着、完全無欠の出世株」月夜紫だぞ?

 やばい。テンション上がってきた。

「どうしてそう思ったの?」

「いや、指輪、指輪、右手の指輪」

 私は思わず圧強めに彼女の右手を指さした。

 もちろん他からの要素もあるのだが、繁忙期真っただ中の4月、彼女が珍しく半休を取った日以降、彼女の右手の薬指に光る指輪に気づかなかった者はいない。

 そしてその所以を社内の誰もが恐れ多くて本人に訊けなかったのだ。

 今日までは、な。

「ねえ、聞きたい! 聞きたい! 誰にも言わないから教えてー!」

 お酒も少し回ってきたせいか、年甲斐もなくはしゃいでしまったが、こう見えて私は口は堅い。でないとこの歳までこの会社で働いていない。

 しかし紫ちゃんは、言いたげな、でも言いたくないような、そんな絶妙な表情で口をつぐんでいる。

「なんかワケあり、とか?」

 不倫とか。いやそれは絶対なさそう。あったら相手を私がしばくわ。

「うーん、そういうわけでは……」

 こんな煮え切らない様子の彼女を見るのは本当に初めてだった。

 職場ではいつも、すがすがしいほど決断が速い女なのだ、彼女は。

 私はもう少しだけ紫ちゃんを飲ませることにした。


「………………歳の差が、結構あって……」

 ビール、焼酎、ワイン。最後の日本酒のターンになって、彼女はようやくそう自白した。

「としのさぁ~? いくらあんのさ。おねえさんに、いうてみ~?」

 思ったより酔ってしまった私は、口元こそおぼつかないが、紫ちゃんの様子はしっかり見守っている。彼女も今日はまあまあ飲んだので、少しだけ頬が赤くなっていた。

「本当に、誰にも言わないでね」

 普段から性善説の塊みたいな彼女にしては珍しい。めっちゃ念押ししてくる。

 私はアルコールでぐらぐらする頭で何度もうなずいた。

「………………十七」

 んん? 声が小さすぎて聞こえなかったぞ。なんて?

「下手をすると犯罪だから、今すごく気を使ってて」

 紫ちゃんは真っ赤な顔を隠すように、テーブルに両肘をついて額を押さえた。

「……せやね」

 なんか、無理やり聞いてごめんてなった。


 店を出る前、紫ちゃんは私のためにタクシーを呼んでくれていた。

「もうすぐ来ると思うよ」

「ありはと~。なにからなにまで……電車の時間だいじょぶ? 駄目だったら先行ってよ?」

「大丈夫だよ。猪口いのぐち君をタクシーに乗せてから私も帰るから」

 流石はわが社の王子様(一部女子社員が言っている)。


 く~~こんな良い女射止めたのはどこの誰だよ~~。

 前世でどんな徳を積んだんだ~。


 でも。

「むらさきちゃん」

「なに?」

「指輪もそうなんだけどさ、なんかそれつけ始めたころから、むらさきちゃん嬉しそうっていうかさ。前よりたのしそう、だったの。幸せオーラ、ってやつかぁ~?」

 しらふでは絶対にしないけど、酔っている私は遠慮なしに紫ちゃんの頭をわしわしと撫でた。私、身長だけは紫ちゃんより高いんだよね。ヒールの分もあるけど。

「だからさ、あんま気にしなくていいじゃんて、わたしは思うかな。だいすき、なんでしょ?」

 私の問いに、紫ちゃんは照れ臭そうにはにかんだ。

「……うん」

 私が髪を撫でまわしたせいで、紫ちゃんの前髪が下りたせいか、その笑顔はいつもの彼女より随分幼く見えた。

 くそ、私だってチャンスがあれば、こんな可愛い子と付き合いたいぞ~~。


 さて。

 実はこのあと店の軒下でリバースしてしまった私はもれなく紫ちゃんに介抱され、噂の年下の恋人との定時通話の邪魔をしてしまい、実はその子から敵視されていましたというのは、また別の機会に。

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