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第10話

◇◇ ◇


 遠い遠い昔。世界に祝福された人間の子がいた。

 その子は人の世のすべてを愛し、すべてを憎まなかった。

 その心はまるで凪。常に穏やかな広い海原。

 彼女の在り方は、大部分の人間にとって尊いものとして崇められたが、一部においては嫉妬や憎悪の対象になった。

 『誰もがそんな綺麗な心を持てるわけではない』。

 そんなことは当然なのに、彼女という聖人が存在することで、人は自らの醜さを知ってしまう。際立ってしまう。


 悪逆の女神の存在と悪意は、そんな彼らの心を具現化したようなものだ。

 一方で、聖人とされていた彼女自身も、その悪意には気づいていた。しかしそれすらも彼女は憎むことはなかった。

 だから当然彼女には、悪逆の女神に対しての私怨はこれっぽっちも無かった。女神を射るための矢を番えたのは、彼女の意思というよりも、周囲の人々の望みと他の神々の期待によるものだった。

 ―—ただ在ったのは、ひとつだけ。

 悪逆の女神の心臓を射抜き、女神の呪いで命を奪われる間際。

 彼女の凪のような心に、ひとつ白波が立ったのは、紛れもない事実だった。


◇◇ ◇


 自らの命がそう長くないことを、その時代のムラサキはなんとなしに分かっていた。

 断片的に残留する四十四の死の記憶。

 だから人生に冷めていた、というわけでもない。

 それこそ最初から、彼女はそういう性分だった。


 なんでもよくできる彼女を、周りはとても重宝した。

 彼女に縋る彼らは、自らの願いを彼女に託すことが多かった。

 利用されることには慣れていた。

 そんな人間がまともな感情しんけいなど持てるはずもなく。

 ムラサキはどこか、『自身の人生』を諦観していた。


 そんな四十五回目の彼女が唯一好んでいたのは、宵の空を眺めること。

 ―—夜空に輝く星は、実はもう燃え尽きていて、今見えているあの星々は本当はもう存在しないのだ。

 誰かからそう教えてもらった時から、その輝きにひと際感動を覚えるようになった。

 命絶えて尚、輝けるものがあるのかと。そんな風に命を燃やし、誰かの目に輝きを残せるのなら、どれだけ幸せなことだろうと。

 自分には燃やせるものが何もない。自分が何かをやり遂げたいという強い願望も、誰かに託してでも叶えたいという鋼の意志も。


 その話を誰かに何気なくすると、周りは決まって「そんなことない」と薄く笑って否定するばかりだった。その都度ムラサキの胸は苦しくなった。

 彼らはムラサキの、精巧につくられただけの張りぼてに騙されているだけだ。

 心はこんなにも空っぽで、今にも霧散してしまいそうなのに。


「だいじょうぶ。お姉さまは、からっぽなんかじゃないですよ」

 ある日、星を見上げながら幼馴染が言った。

「そんなふうに泣きそうなのは、くやしいと思っているから。命を燃やす人を羨ましいと思っているからでしょう? だから、からっぽなんかじゃないです。お姉さまはきっと、だれよりも強く、輝きたいと思っているんですわ」

 その言葉に、ムラサキは安堵して泣いた。

 これまでの、四十四回の人生分泣いた。

「アカリは、そんなお姉さまが大好きですよ」


 その日から、その子はムラサキにとって特別な人になった。

 数年後、思春期を迎えた彼女に再び大泣きさせられることになるとは思ってもいなかったが。


「……私の一番は、ずっと前からアカリだけだよ?」


 その言葉に決して偽りはなく。ムラサキは彼女を愛していた。

 彼女もその想いに応えてくれた。

 彼女と過ごす時間は、あまりに幸せだった。

 一方で、年齢を重ねるたびに、仄暗い不安が彼女の後ろを追いかけてきた。

 いつかあの白い化け物は現れる。ムラサキは長生きできない。それは運命として決まっている。


 ――けれど。いつか、呪い殺される日が来ても、私は。


 それは四十四回無言で命を落としたムラサキが、四十五回目で唯一抱いた最初で最後の願いだった。


◇◇ ◇


 身体はもう溶けてしまったのだろうか。ただひどく、暗く冷たい。

 一寸の光もなく、何の音も聞こえない場所に、星の意識はぼんやりとあった。

 いよいよ死に瀕しているのか、悔しいとかむなしいという感情すらも湧き上がってこない。

 脳裏をよぎるのは走馬灯のような記憶の数々。

 繰り返された前世の夢、女神やニノマエと会った日のこと、ひたすらに鍛錬を積んだ日々、そして満を持して過去に跳んだ日。

 確かにニノマエの言う通り、たったひとりで四十九のバクを倒せというのは、善良の女神の無茶振りではあったのだ。

 星は女神の力で大正の生以降の記憶こそ保持させてもらったものの、ニノマエ以外の特別な力を預かってはいない。刀の扱いの技術も今世、裕福な家庭に生まれたのをいいことに、著名な剣士を大金で雇い、稽古をつけてもらって得たものだ。身体も勿論鍛えはしたが、現代の女子高生が身体を痛めつけるにも限界はある。

 だから、もしかしたら。ただの人間である星があの恐ろしい怪物たちに怯まず挑めたのはきっと。

(……お姉さまが……守ってくださっているのかしらって、私、思っていたんですよ)

 記憶の中の彼女に微笑むように、星は薄く笑った。すると。

「……?」

 ボウ、と、胸のあたりが熱くなる。その熱は視認できる光となって、星の前に現れた。

「……これは」

 その光が言葉を発さずとも分かる。

 純白でまばゆい、しかし温かくて優しい光。

 誰よりも気高く、優しく、泣き虫だったあの人のぬくもりだ。


 ムラサキの最期の言葉を星はよく覚えている。

 血濡れの唇で、虫の息で。それでも彼女はアカリに言ってくれたのだ。


『生まれ変わっても、君に会いたい』と。


「……ああ。……ああ、やっぱり」

 星の目に熱いものがこみ上げてくる。

「お姉さまは、私のそばにいてくださったのですね……」

 四十九に散った紫の夢の力。

 最後のひとつ、あの時代のムラサキの願望ゆめは、バクに奪われることなく星とともにずっと在った。だから女神は星を選んだのだ。

 星はぎゅっと、その光を抱きしめる。

「行きましょう、お姉さま。今世こそ、夢を叶えるときですわ……!」

 その思いに応えるように、星の目の前に彼女の唯一の武器が現れた。

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