凛
歴史に名を遺す者はほんのわずか。後世に語り継がれる者たちを支えていた者たちの名前は知られることが無かった。日の当たらない人たちばかりだ…。
ある村に凛という娘がいた。強い意思を持った立派な娘だ。彼女がかの有名な織田信長の一番の家臣であったということを誰も知らない。何故なら彼女は日の当たらない人だから…。
「与作!また信長様が偉業を成し遂げたぞ!」
「偉業なものか!延暦寺焼き討ちだぞ!?普通の人間のすることじゃない!」
「信長様がは普通の人間じゃないからな。天下を取るお方だ!延暦寺の坊主どもは信者から金を貪る輩だ。そんな奴らがいる寺など焼き討ちして当然だろ!」
「そうかもしれないが…いくら何でもやりすぎだ!」
「天下をとる男はひと味違うのさ!」
凛は出会ったことの無い信長の考えが手に取るように分かった。信長への憧れは人一倍大きかった。
そんな信長と出会う機会が凛に訪れた。与作の両親に楽市楽座に連れて行って貰えることに。楽市楽座が開かれる度に信長が訪れるとは限らないが、凛たちが訪れた楽市楽座に信長が来ていた。運命の悪戯とはこのことなのだろうか。凛は信長の姿を見た瞬間一目で心を奪われた。凛は信長には他の男とは違う何かを感じ取った。凛はこのお方こそ天下を取る男…そう確信した。
凛は後先考えず信長の前に跪き、
「信長様!私を信長様の家来にして下さい!信長様の為ならこの命など惜しくはありません!信長様こそ天下を取るお方!」
信長は凛の強い目を見た。
「娘よ。名は何と申す」
「凛と申します!」
「凛か…良い名だ。久々に良い目をする若者に会えた。凛よ!わしについてくるがよい!」
「はい!有り難き幸せ!」
この時から凛は普通の生活とは縁を切ることになった。
凛は信長の屋敷に連れて来られた。
「凛よ。そなたは誰よりも美しい女になれ。そして男よりも強くなれ」
「はい!」
今の段階では信長の考えは凛には分からなかった。しかし凛は信長の言うことが絶対だと信じて疑わなかった。それからの凛の生活は朝は剣術の稽古。昼は茶道や生け花など教養の稽古。夜は舞の稽古。休む時間は無かった。それでも凛は信長の為に必死で頑張った。脳内にあるのは、信長への思いだけだった。
毎日必死で頑張ったかいがあって、凛は誰より美しく、誰よりも強い女になった。
「凛よ。よく頑張った。褒めてつかわそう。凛よ。貴様にしか出来ない事がある。やってくれるな?」
「はい!凛は信長様の為なら何でもします!」
「旅芸者の凛と申します。以後お見知りおきを」
「おぉ!美しいおなごじゃ!」
凛は信長の敵の主将の邸宅に旅芸者として潜入していた。信長が凛に命じた事は隠密だった。凛は信長の為に主将からありとあらゆることを聞き出した。どれくらいの人数で今度の戦に挑むのか、どんな戦法で挑むのか…。凛が信長にもたらす情報によって、信長は勝利を納めることが出来た。
敵の邸宅にいるため、時には危険な目に合うことも。それでも凛は信長から教わった剣術で、自分の身を守ることが出来た。
情報を得るため時には好きでもない男の腕の中で眠ることも。それでも凛は信長の為ならと、この身を差し出した。凛は誰の腕の中にいようと、心の中にいるのはただ一人信長だけだった。
「信長様…」
「なぁ凛よ。信長様をどう思う?」
「光秀様。信長様は天下を取るお方です」
「天下を取るか…果たしてそれはどうかな?信長様は少し気が短い。あのようなお方な天下を取るとはとても思えない」
「何をおしゃるんですか!?いくら光秀様でも信長様の事を悪く言うのは許しません!」
「ふっ…そうか…」
不穏な空気が流れた。凛は何だか胸騒ぎを覚えるのであった。
「信長様…光秀様のことどう思われますか?」
「どうとは、どういうことだ?」
「なんとなく聞いてみただけです。お気になさらず」
「光秀は…良い家臣じゃ」
凛は胸の痛みを覚えるのであった。
凛は信長の言葉を信じ、光秀を疑うことを止めた。しかしそんな中起きたのが、本能寺の変だった。
「凛!大変だ!信長様が本能寺で焼かれている!」
「何ですって!?」
凛は本能寺に向かった。本能寺に着くとほくそ笑んだ光秀の姿があった。
「光秀様…嘘ですよね?」
「凛…天下を取るのは私だ!凛よ…私の家臣にならんか?凛の実力は誰よりも分かっているぞ!」
「黙れ!この裏切り者め!私の主は信長様ただお1人だ!」
凛はその瞬間、信長に貰った刀で光秀を切った。光秀の体には凛に切られた時の傷が残っており、三日間の間、傷が疼いてしょうがなかったのであった。
凛は燃える本能寺に飛び込んで行った。
「信長様!」
「凛よ…何をしている!早く逃げるんだ!今まですまなかったな…。辛い思いをさせたな。そなたはまだ若くて美しい。これからは普通のおなごとして生きてくれ…」
「嫌でございます!凛の命は信長様の物!死ぬ時は一緒です…」
「凛…」
燃え盛る炎…燃え尽きることなど知らず…燃え続ける炎…その炎はどこか悲しさを帯びていた…。
死んでようやく結ばれる2人であった…。