078 貝塚政子【挿絵有】
銚子外港第五港区を埋め尽くす思いの外の大船団に軽く引いた。
「これ全部?この船だけじゃなくて?」
総武本線が死んでいる今、旧成田線のエヌアール成田銚子ラインを使っての移動となった。
港まで空輸でも良かったのだが、銚子の空港が秒単位にカツカツで、俺が狙われた時に輸送へのダメージがデカすぎるので、鉄道での隠密輸送という方法を取った。
東京湾は、二度目の崩壊で東京湾岸が壊滅してから、ファージの霧に沈んでいる。
都市圏議会は、湾内においてはナチュラリストの支配地域と同じく、最低限の観測のみで不可侵が無難だという見解だ。
湾一杯に停滞している霧は東京湾から溢れず、毎年何回かそこに吸い込まれてゆく肉雲の嵐もまた霧から出てくることはない。中で何が起きているのか、気にはなりつつも外部からでは調べる手立てが限られている。
基本的な地形や地質はほぼ同じらしいのだが、陸が出来たり空中都市ができたり、意味不明な観測結果がゴロゴロ出てきて研究者たちを悩ませている。
スミレさんからは。
「貝塚が誇る空母打撃群ね。自慢したいでしょうから、解説は本人からして頂いたら?」
との事。
探査船一隻とかでフェリーの旅をイメージしてたのだが、通常の探査船では俺の本業のサルベージ作業に電力が足りないらしい。
炉の増設したり蓄電設備積むより、空母使う方が早いという話だが、自慢したかっただけじゃないのかなとか思ったりもする。
俺の時代でも、諸雑費含め、空母の維持には一隻当たり年間五千億円以上かかっていると聞いたことがある。
三百年近く経てば、省エネ、省人数化はそれなりに進んでいるだろうけど、
軽空母を中心に、護衛艦三隻、ミサイル護衛艦一隻、システム護衛艦一隻、駆逐艦一隻に補給艦一隻、潜水艦一隻と、最低限の仕事を幅広くこなせる編成になっている。
俺の青森観光の為に少なく見積もっても三千人以上が動いている計算だ。
スミレさん自身が言っていたが、逆に考えれば、儲かるかどうか分からない二京円程度の金の為に空母まで使って観光する意味が貝塚に有る事になる。
入院者のリストに俺が興味を示さなかった為に譲歩したと表向きは捉えるが、二ノ宮が俺にかけている金額と桁が一つ違っている。
二ノ宮べったりの俺に選択肢を示して、亀裂を作りたいのか?
だとしたら思い違いだが、俺はスミレさんとつつみちゃんが気に入ってるから一緒にいるだけであって、それ以外に大きい理由は無い。
空母に乗艦して直ぐに艦長室に呼ばれた。
スミレさんもサワグチも今回一緒に来ないので電子戦が少々不安だ。
つつみちゃんも乗艦してはいるが、期間中平日は、今回同乗しているサルベージの予約をしていた顧客、そのサポートメインでの立ち回りになっているので、一緒にいられるのは仕事中と食事中くらいだろう。
今は傭兵のおっちゃん二人が護衛に付いているのだが、やる気なさげで不穏な空気を醸し出していて、俺への当てつけで遊んでいるだけなのか、金で裏切る予定なのか今一判別が付かない。
先導する制服はこの空母の甲板長で山鳴と名乗った。
グループでは課長職だそうだ。
俺が不安そうにしていたのを察したのか、少し遠回りだが広めで人通りの多い通路を通っている気がする。配慮してくれる程度には気を使っているのかな。
案内された部屋は、階段三段くらい使った二つのフロアに分かれていて、船の中とは思えないくらい広々としている。手前のどデカいソファーセットとは別にしっかりめのバーカウンターも有り、後ろの防水扉以外に普通のドアが二つ、奥に防水扉一つ。
正面に大きな窓があるのかと思ったら、はめ込みの映像だった。
角度によって見え方が違う。リアルのライブ映像だ。地味に拘ってるな。
どう見ても自然光だし。あの二ノ宮本社地下の空の映像と同じ技術だろうか。
「ようこそ。海風はお気に召さなかったかね?」
部屋の中には俺だけしか入れないらしい。
傭兵二人は難色を示したが、武装解除すれば入って良いと言われて、全力でお断りしてた。お前らなぁ、せめて肉壁くらい、なってくれよ。
出迎えたそのすらっとした大柄の生き物は異様な風体で性別も定かではない、顔は強いて言えばカンガルー、いや、アリクイに似ていた。大柄で、上背は二メートルは超えるだろう。鳩胸で脂肪なのか筋肉なのか分からない。体型に合うぴっちりとしたグレーのスーツを着ている。
ああ、女性なのか?胸と腰のボリュームがある。
声帯を使わずに合成音声で話している。
「艦隊長の貝塚だ。よろしく」
「横山だ。よろしく」
こいつが貝塚政子なのか?
打ち合わせは現地で、と言われてるから事前情報少な過ぎなんだよなぁ。
本物か?あのスミレさんといた時の映像とは全く違うんだけど。
決定権はこいつにはあるのだろうか?
色々話したいのだが、ボロが出たり情報が余分に飛散したりするのは困る。
草食獣モデルだからなのか、少し顔を斜に構えている。動物らしからぬその理知的な目は、俺のさり気ない仕草からも大量の情報を盗み取っている筈だ。
「良いパネルだな」
カンガルーは微笑んだように見えた。
「分かるかね?双眼鏡を使えば、水平線の小舟も綺麗に見えるよ」
それは凄い。
二ノ宮の会議室にあったプロジェクターが同じ機能で確か五億円とかしてた、四倍以上の大きさだし、この映像設備だけでも二十億はしそうだ。
視力バフして細かく見たかったが、流石に止めておく。
「忙しいんじゃないのか?」
この間の時は、多重通信をやっていた。あれは、ネット上での厩戸皇子状態だ。別アバターを分離させて同時に使うと分裂病の原因になると言われていて、アバターを多重合成してコミュニケーションするのが現代のスタンダードになっている。レイヤーは普通分けて表示させるので、俺が見た以前の画像とかは、貝塚がワザと表示させただけだ。
コピー体で平然と二体同時にコントロールして生きてるサワグチとかは例外。
普通の人はあんな事したら気が狂う。
多重通信自体、慣れてないと頭の中がぐちゃぐちゃになる。
以前、スミレさんが文字チャット窓三個開いて進行しながら音声通話四つ繋ぎつつ五人の秘書とコンタクトしていたのを見たが、合成音声八個同時起動は見てて寒気がした。
たぶん、こいつの頭の中は同等のスペックだ。
仲良く、敵対せず、体よく使われて気持ちよく開放してもらうつもりだ。
哀れなピエロのスリーパーでいる必要がある。
「複製に任せているよ。部下も優秀だ。念願のスリーパーへの挨拶なのに通信しながらは失礼だろう」
「身の程は弁えている」
何も言わずに飲み物の用意を始めた。
ピアノが上手そうなすらっとした指だ。
どういう身体の構造なのだろう。
有袋類なのか?やっぱ袋はあるのか?
「掛け給え」
勧められたソファに座ると、なんとサーモ付きだった。
差尺が高めで珍しいなと思っていたのだが、俺の身長を検知してその分脚が沈んだ。ふかっと柔らかいのに芯がしっかり有り、皮なのにこれ多分蒸れない。欲しい。
後で買おう。売ってるのか?
「私はワインだが、ぼうやは何を飲む?」
「ミルクで」
貝塚はケラケラと笑った。
「言い直そう。よこやま君は何にするかね?」
「ロゼのシャンパンあるかな?」
酒でも飲みたい気分だ。
貝塚がアルコールなら俺もアルコールで良いだろ。
乾杯にジンジャエールじゃ締まらないからな。
「君は未成年だろう。早いうちからアルコール摂取すると脳への悪影響は甚大だ。ジンジャエールにしておきたまえ」
決まってんなら薦めるなよ。
「有るならトマトジュースにしてくれ。リコピンが摂取したい」
「なら、ソーダ割りにしよう。砂糖は入れるかい?」
皮肉は通じなかったか?
「塩があったら一つまみ入れてくれ」
「くっくっくっ」
楽しそうだ。
「この出逢いに」
こういう乾杯は映画の中だけだと思ってた。
これが映画でしたと言われても俺は納得してしまうだろう。
掲げたグラスは異様にキレイなカッティングがされていた。
「毒など入ってないよ」
いや。
「綺麗なグラスだ。切子じゃないな」
昔お土産で貰った事があり、それから食器関係は少しハマった。切子グラスはもっと模様がごちゃごちゃしているものが多い。
これは、幾何学的だけど、無駄が無い、見てて飽きないカッティングだ。
「おや?詳しいのかい?」
「人並み程度だ。綺麗なモノは好きだ」
貝塚が小さな口でワインを器用に飲むと、トクンと喉が鳴った。
「そのグラスは江戸切子グラスだ。百二十年程前の作品だね。マンデルブロ集合でミクロ単位まで出来た模様が気に入ってて、同じ工房のものを集めているんだ」
これは切子グラスなのか?
時代は変わったな。
それに百二十年前じゃ、立派なアンティークだ。
俺より未来に作られたグラスがアンティークとして有るのは不思議な気分だ。
「プレゼントしたい処だが、残念ながら、工房はもう存在してなくてね」
欲しがりさんだと思われたのか?そんなつもりは無い。
「このプレゼントの意味の方が気になるんだが」
いきなり過ぎたかな?
でも、一番気になっていた。
「理由は沢山ある」
貝塚は考えるフリすらしなかった。
俺は、気を落ち着ける為、一口飲んでグラスを置く。
トマトソーダは美味かった。青臭く無いし、トマトが濃縮還元されてるのに口当たりがもったりしていない。塩加減もトマトの爽やかな甘味とマッチしている。
「全てを口にしたところで、よこやま君は納得してはくれないだろう」
その顔で悲しい表情は卑怯だ。
昏い、暗い声が余計に悲しみを誘う。
一旦落ち着こう。
こいつは俺みたいな宝くじ当選者とは違う。
金も力も持っている本物だ。
穏便にリップサービスして帰りたいところだが、絶対に無理難題を吹っ掛けて毟り取ってくるはずだ。
ギリギリまで妥協して仕方なく素寒貧にされたアホを装いつつ、なるべく痛みは避けたい。
調子に乗ってるアホを上手く手玉に取ってくれよ。
「材料にはなる。今のこの状態は、誰でも不審がる」
何の材料なのかはご想像に任せる。
俺が取るに足らない小虫扱いなのかもこれで分かる。
実際、小虫だからな。
「理由は三つある」
三つ教えてくれる程度には評価されてるって事かな。
「まず一つ、二ノ宮に偏った利益享受は市場の不安定化を加速させているので何とかしたい」
その件は既に改善されているのだが、俺が二ノ宮に籍を置いているのが面白くないという企業があまりにも多くて、貝塚が代表として”モノ申す”なのだろう。
俺も保身が大事なので、信用置けない組織に身を任せたくはない。
サワグチの二の舞には絶対になりたくない。
それに、つつみちゃんみたいに待っていた訳でもないのに、後から出てきて盗人猛々しいとは思わないのか?
「二つ目は?」
俺は何もコメントせずに続きを促す。
「二つ目は、よこやま君との協力関係の構築が出来るタイミングは今しかないと判断した」
確かに、今の状態で放って置けば、俺はいずれ近いうちに自力で好き勝手出来るようになってしまうだろう。
二ノ宮と仲たがいさせた後、どん底まで追い落とすとかしない限り。時が経てば経つほど、財力的にもスキル的にもコントロールは格段にし難くなってくる。欲しい人材を社会不勉強な若い内に囲って奴隷色に染めてしまうのは日本企業の古き良き常套手段だ。
「三つ、個人的に興味があるので、親交を持ちたかった」
真顔でそういう事言う奴なのか?
言い切って満足したのか、したフリなのか。
振りだろうが、この三つの材料で交渉していくつもりなのかな。
俺の命と人権がかかっている大切な所だ。丁寧に答えていこう。
一つ深呼吸。
外にバレないように肺の中で計測した。ファージが若干多いな。
「まず一つ目、信用は金で買えるが、信頼は時間でしか買えない」
表面だけか、本心か、貝塚は初めて面白そうに微笑んだ。
「出遅れたのは不本意だが、その賭けに負けたのは事実だ。だが、より良い条件を提示出来ると自信をもって言える立場にわたしは有る」
分かりにくいな。まぁ続けよう。
「二つ目、これについては疑問視してしまうな。俺は常にどこで何をしていても綱渡り状態だ。これは一生変わらないと思っている」
一応、否定しておく。
ついでに、暗に全く信用してませんよと匂わせる。
もし、あなたの傘下に入ったところで、どうせ安全なんてたかが知れてると。
普通ならぶちキレて怒り出すだろう。
俺の遊覧に、貝塚の財布で結構な人と金が動いてるからな。
これだって勝手にやっているんでしょ?とかなり失礼な物言いだ。
試して済まないが、この俺の失礼っぷりも織り込み済みだとは思うので言ってみた。
生意気な年齢不詳のクソガキに試されてどう出るだろう。
言い過ぎたかな。普通は嫌われる。
寝首を掻かれるだろうか?
背中に嫌な汗が伝う。
アトムスーツを着てて良かった。若干ではあるがバレにくい筈だ。
多分、このソファーとか、あとカメラでもモニタリングされている。
俺がどういう気分なのかはリアルタイムで素っ裸にされていると思う。
部屋の中が少しオレンジがかってきて、チラッと画面を見たら、日が沈みかけていた。
綺麗だな。
因みに、今は午後二時だ。
リアルタイム映像じゃなかったのか?
俺が目を向けた途端、早回しで日は沈み、夕闇に照らされた貝塚は立ち上がると俺の隣に座った。
獣臭いのかと思ったが、ノリユキとは全く違う良い匂いに驚いた。
陶器詰めのジャスミンに苔が混ざった感じの冷たく湿った香りだ。
香水なのか?
気になっていた脚を見てしまったのだが、骨格はやはり少しカンガルーに似ていて、むっちりとした太腿の下、すらっとした足には三十センチ以上のハイヒールを履いている。
シックなパンツにハイヒールのサンダルなのだが、脚のラインがヤケにくっきりと出ていて、美容に金と時間をかけているのが窺える。
俺がチラ見したのに気付いたのか、足を組み、俺の耳に口を寄せる。
「渡れる綱が見えるのかね?」
何重もの合成音声は色々な感情を内包していて、無気味だった。
声色から何を考えているのか、想像は出来るが、どれが正しいのか分からない。
落ち着け。
サーチの初動すらそぶりを見せてはいけない。
焦ってファージコントロールでもしたら、敵対行動だと取られる。
外の傭兵たちはまだ生きているのか?
この部屋のファージは一見、外と繋がっているように見えるが、隔離されてオフラインになっている。
周囲にも厳重な警戒網が張られていて、ここが艦長室なのは本当だろう。
でも、こいつは偽物の当て馬で俺を試してるだけという事は十分に考えられる。
貝塚について調べるなというスミレさんの意図は何だったのだろう。
あえて、俺の第一印象に任せていいという暗黙の指示だったのか?
こいつはどう見ても偽物の貝塚政子には見えない。
底知れぬ恐怖を感じる。
でも、なんか、こう。サワグチコピーと同じなんだ。
本人だけど、本体ではない。気がする。
ここでこいつを人質に取って、やっぱ帰る。と言っても、痛くも痒くも無いだろう。嬉々として制圧し、脳缶コースになりそうだ。
詰将棋で勝てる気がしないし。こっちには人質が沢山。
どうすっかな。
「命綱が視えた事は一度も無い」
「うん」
「常に自分で綯ってきたから見る必要は無い」
八人別々の笑いが木霊する。
こいつ、実は八人いるのか?
上を向いて喉を震わせているカンガルーが八岐の蛇に見えた。
シミ一つない艶やかな肌は、鉄壁の龍の鱗より厳重にガードされている筈だ。
笑い切って息をつくと、貝塚はワインを一口含み、グラスを掲げた。
一応、合わせて乾杯し、全部飲み切る。
しかし美味いな。これ。
「無鉄砲なのか大胆なのか。判断に困るね。わたしの喉はそんなに綺麗かい?」
わざとらしく値踏みする仕草で流し目を向けるカンガルーを、ちょっと可愛く思ってしまったのは内緒だ。
「どんな味がするのか気にはなるな」
大真面目に頷いておこう。
その答えに気を良くしたのか、席を立った貝塚はお代わりを作ってくれた。
自分用には別に、俺が知らない謎のカクテルを作り、また俺の横に座った。
ドキドキするんで向こうに座ってくれないかな。
「良いかな?」
テーブルに置いてあった木箱はヒュミドールだった。カッティング済みの高そうな葉巻が数種類入っている。
「どうぞ」
暗くなってきた中、貝塚はどこからかマッチを取り出し、硫黄が無くなった後に吸わずにゆっくり着火させていった。
徐々に赤くなっていく葉巻の先端を二人で黙ってみている。
一吸いの後、長く吐き出した吐息は赤く染まり、少し甘い焚火の香りがした。