075 幸食の時間
はっきりしておこう。
おっさんは”ふむ”とか言わない。
言ってはいけない。
「ふむふむ」
つつみちゃんは可愛いから許されているだけだ。
例えばだ、俺が前にあるソフィアのプリっと品質の良いケツをガン見して。
ふむ。
とか心の中で思ったとしよう。
犯罪だ。
思考が解析されたらその時点で人権は剝奪され、ありとあらゆる罵詈雑言を甘んじて受ける権利のみが与えられる。
キモい以外の感情は持たれない。
自己満足はするだろう。
だが、それだけだ。
「ちょっと、つーちゃん、もうちょいどいてよ、見えない」
おしくらまんじゅうしているつつみちゃんも、素敵なケツの持ち主だ。
ソフィアほど大腿筋が発達していないが、かといって鍛えられていない訳ではなく、女性ならではの程よい肉付きは甲乙つけ難い。
「わたしも、片目でしか見えてないし。ああ、よこやまクン。視覚共有していいからね」
つつみちゃんと視覚共有?!
「ちょっと!そういう事軽々しく言うのどうかと思うわ!」
「だって、ここから以外だと見つかっちゃうし、仕方ないじゃない」
「このエロガキとなんて!」
「またそういう事言う。よこやまクンはフィフィみたいにいつもそんな事考えたりしてませんー」
そうだそうだ!時々しか考えてないぞ!
「ちょっ!?待っ!あたしをこんなヘンタイと一緒にしないでよ!」
「静かにしろ。気付かれるぞ」
ソフィアは後ろを振り返り、蹴りたそうな目でこちらを見ている。
俺はやれやれだぜと煽りながらカメラを差し出した。
「あるなら始めから出しなさいよ!」
カメラをひったくったソフィアは、塀の隙間にカメラを捻じ込む。
「フィフィ。しーっ!」
「くっ」
やーい。
そんな訳で、結局蹴る殴る抓るの暴行を加えられた俺は、二人と一緒に茂みに隠れた塀の隙間から、仕掛けたトラップの観察を再開する。トラップと言っても、只の袋なのだが・・・。
因みに、ここは風下なので、絶対にバレる心配は無い。
「ターゲットが来たわ」
真っ直ぐにトラップへと向かっている。
この時間にここを通ることは既にリサーチ済みだ。
「気付いたな」
小走りでトラップに近寄っていく駄犬。
手に取った金属袋を片手に、周囲を見回すと、中の匂いを嗅いだ。
「ああ。やっぱり」
「イエス!あたしの勝ちね」
「まだ分からないよ」
そのまま持ち去るかと思われたが、誰かと通話を開始した。
会話自体は短く、二、三の応酬だけだった。
その後、またキョロキョロした犬はこちらに一直線に向かってくる。
「逃げるぞ」
戸惑う二人の手を引っ張ったが、塀から離れる暇もなく、その上にノリユキが跳びのって俺たちに気付き、呆れた顔をしている。
この塀、高さ三メートルはあるんだが、ひとっ跳びか。バランス感覚も脚力も流石獣人だな。高跳びなんて、俺だったらアシストスーツ無しでは、五十センチが精々だ。
「なにやってんだいキミたち」
「よし、賭けは俺の勝ちだ」
俺以外の全員が面白くない顔をしている。
「つまらない男ね」
ソフィアは話を逸らそうとしている。
「誤魔化しても駄目だ。今日の夕飯はノワール・ド・プルミュエールでソフィアの奢りだ」
「なっ。つつみもでしょ!」
「ドヤ顔で俺に負けを宣告した罪は重い」
あそこはディナータイムだと基本料金が十倍以上トぶので、こんな時でもないとなかなか行けない。
「被害者として、ノリユキも行くか?」
「え?何々?ご馳走?」
「ち!ちょっと!何よそれ!」
ノリユキに連絡が入った。
「ヤッポンも来たいって」
盗聴かよ。サイテー。
俺の懐は痛まないので、食いしん坊が増える分には一向に構わないが。
「まぁまぁ、フィフィ。デザート代だけ持ってくれれば良いから」
「それが高いんでしょうがっ!」
音楽とスイーツの街、大宮の有名店のディナーは青天井だ。
でも、その価格に見合った味をしっかり楽しめる。
「僕で何の賭けしてたの?」
純粋に疑問だったみたいだが、俺はちょっと言い淀む。
「あんたの鼻と頭どっちが良いのかなって」
ソフィアは容赦がない。
大宮は、銀座と並び関東圏でスイーツのメッカとなっているのだが、その歴史は全く異なる。
銀座は、都内において二度の大規模破壊から免れた数少ない街で、昔ながらの街並みを多く残している。ここには、俺が知っている名店もその名残を残し、いつかは行ってみたい街ランキング一位だ。
対して大宮は、文明崩壊時に二回とも、そして、大陸弾道弾の爆心地として一回、更地になった。
三度の災害にもめげず、地元の有志により再興された大宮は、造り替えられる度に近代化していき、何度も白紙になった都市計画は崩壊の度に当時最高の技術で刷新され、今では都市設計の最先端をいっている。
人類が発展していく上で、都市の設計と管理は最も重要な要因だ。
当然ながら、街づくりは、凄い施設と必要な施設を詰め込めばそれで完了とはならない。
物流、災害対策、区画ごとの役割、利便性や発展性を考えた施設の建造を考え、何年後、何十年後の状態を予測し移動や移設も、建造と解体もセットで考えられる。
当然、恒久的な利用を視野に入れて改築前提で建造される百年建築も存在し、この大宮駅は常にどこかで増改築が行われている日本が誇るウィンチェスターハウスだ。
乗降客の多いビッグライン沿線の駅は公定賃料とは別にみかじめ料を取るケースが多いが、この大宮駅は逆に、スイーツ奨励金という補助金が出る事で有名だ。補助金の条件も独特で、大宮商工会議所の甘味工房署というスイーツ大好き軍団が採点をして、高得点をキープした店や企業に対してのみ補助継続が行われる。
現状、大宮駅で店を維持し続けるということは、名実ともにステータスとなっている。
俺たちが今日夕食で行った店は、昼のランチはリーズナブルだが、ディナーのクオリティとお値段は目ん玉が飛び出るレベルだ。
料理だけでなく、配膳から環境から、全てが素晴らしかった。
スイーツの美味しい店は大体コーヒーが不味いのだが、コーヒーも素晴らしかった。スイーツを引き立てる為に入れられた至高の一杯だったな。
「美味かった。ソフィア。ご馳走様。俺は人生で初めて、食で心から満足感したよ」
「三ヶ月」
ブスッとしたソフィアは虚ろな三白眼で中空を睨んでいる。
「うん?」
「五人分であたしの給料三ヶ月分飛んだわ!!オカシくない!?」
ソフィア結構稼いでるからなぁ、それの三ヶ月分か。
嗜好品のインフレ率が昔より跳ね上がってるとはいえ、恐ろしい。
くわばらくわばら。
「値段の分しっかり楽しめた。ソフィアは胸を張るべき」
喰い物は、高級な食材なら美味い。という訳ではない。
美味の追求には終わりが無い。
大宮には、高級食材を使って見た目だけの不味い品を出す店も少なからずあるが、あの再現率の高さは神がかってたな。
そういや、アメリカ人て宵越しの銭持たないらしいが、大丈夫か?
後で、困っていないか、さりげなく確認しておこう。
「何でヤッポンもいるのよっ!!しかも、一番食べたでしょ!!」
「心無い悪戯に乙女のハートはザックザクに傷付いた」
よよよ。と金属袋が泣き崩れ、ノリユキに寄りかかるが噓くさいので説得力が無い。ノリユキもよしよしと肩を叩いて慰めているが、お前も騙されてないよな?
「くっ!」
ソフィアには効いているみたいだ。
皆、心身ともにほっこりしていて、喚き散らすソフィアも菩薩の心で許せる。
うんうん。そうだね。