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172 荒井

 朝日は、平等に降り注ぐ。


 最後の尾根を越えて、目的の塹壕が見えてきた辺りで、ファージ濃霧の隙間を縫って天使の梯子が降りている。

 シンと肌を刺す冷たい空気の中には、血と硝煙の臭いはもう無く、湿った土と濃い緑の新鮮な香りが充満している。

 辺りの山肌一帯から唸りを上げている大量の掘削機によって急ピッチで作られる塹壕たちは、上杉への防衛線として今後機能していくだろう。


「炭田まで三十分だ。アオヤギに乗る場所教えてもらえ」


 付近の奴らに忙しく指示だししていた金持が、眠気と怠さでボーッと隅っこで案山子になってる俺に声をかけてきた。

 三男が頭に登って遊んでいて、バイザーが血と臓物で酷い事になっているが、振り払う気力もない。なので俺の頭は血塗れの三男になっている。

 目の前には、本当に、乗って移動するだけのトロッコが洞穴内に数珠つなぎになっていた。穴の奥からは生温かい風がビュービュー吹き出している。マスクを取って良いと言われたので、これは管理された空気だろう。


「メット取るぞ。背中に戻れ」


 大きく吸い込む。

 石炭臭いが、何故か少し安心する。

 うお!?このタコ臭せぇな!!


 このトロッコたちに載せて斜面用掩体掘削機を大量輸送したのだろう。

 奴らが体勢を整えて攻勢に入る前に、辺り一帯に塹壕を完成させられれば前線を一気に押し上げられるが、塹壕と炭田の間には労働キャンプがいくつか手つかずで残っている。

 炭田側も一応色々考えてはいるのだろうが、スフィアネットワーク管理も浜尻に全部引き継いで俺の仕事は一旦これで終りだ。


 いやもうホント疲れた。

 全身冷え切っているのに汗でベタベタだ。

 先頭から二番目のトロッコの上、青柳に顎で指示されてそこに三男を降ろすと、触腕の塊はペロリと剥がれて隅で丸くなった。


「瘤ができ始めるまでにまたタンク確保しないとな」


 青柳は丸くなった触腕の塊に毛布をかけてその上から組織補修材をジャバジャバ振りかけている。


「切除しても新しく放射能の瘤が出来るのか?」


「だな。でも、こいつが生きてればとりあえず票は確保できる」


 華族の力関係は良く分からないが、青柳がそう言うのならそうなのだろう。

 タンクに収まっていた時から比べて体積は四分の一以下になってしまっているが、内臓もモリモリ持ってがれて、これで平然と生きてて人間だってのが意味不明だ。

 エピキュリアンに比べたらまだ人間辞めてない方なのかな。


 この赤鬼も大概、ニンゲン辞めてるレベルだよなあ。

 タンクトップ一枚でタコと俺を見ながらビーフジャーキー齧っている。

 泥まみれではあるけど。三男救出後は全身ボロボロだったのにもう肌も艶々だ。あ、透けチク。

 こいつは上乳も横乳も下乳も乳首もエロ過ぎだ。


「火傷はもう大丈夫なのか?」


 ぶっ倒れそうなのに何故か元気になり始めたのを無我の境地になって抑える。


「ああ。うん?」


 俺の視線を見て顎を擦った赤鬼は少し肩を回してから欠伸した。


「んーっ!ちょいピリピリすんな。一晩寝りゃ治るだろ」


 都市圏では俺の回復力はトップクラスだったが、こっちの奴らからしたら頼りなさすぎだろう。




 熱い風が吹きつけ、身体の芯から少しづつ温まっていく。

 レールを走るトロッコはかなりの轟音だが、メットを外してても気にならない。この音はずっと聞いていたくなる。

 人を殺しまくった後は特に。


”何だ?”


 青柳が俺の向かいで真似して胡坐をかいてずっと見ている。


 面白くない。

 こっちがしているのは座禅だ。お前のその煩悩塗れの胡坐とは違う。

 俺は久々の過酷な労働を癒す為、回復の為に無になるんだ。


 俺の顔を見てにっかり笑っている。

 また碌でもない事考えているのだろう。


 今の俺は全身が石だ。

 何も考えず、力を抜き、固まり、身体を休める。

 喰った栄養を行き渡らせ、筋肉に溜まった老廃物と疲れの元を濾過し、細胞の一つ一つを丁寧に再生させる。

 この尻からくる容赦ないレールの振動も、循環の良いアクセントだ。


 手を握られた。


”お前割と頭良いな!”


 ご丁寧に専用回線を開いた後、接触通信にしてから骨伝導で話しかけてきた。こいつ出力マイク無しで腹話術か、器用だな。


”バカにしてんのか”


 ここんとこそんなんばっかな気がする。


”ヒッヒッヒ。あの三十人抜きで絶対殺されると思ったわ”


”あれな”


 不利な状況で撃ち殺し合わなければならないというのがそもそも嫌だ。

 俺は勝ち戦しかしたくない。

 ドヤってガンファイトしていいのはゲームの中だけだ。


”タイマン強え奴はよ。大抵何か下らない考えで自分を縛ってて、下らないポカで死んでくんだ”


 少し耳が痛い気がするが、気のせいだろう。


”トンネル入り口でお前とヤりあった時よ。こいつ長くねえなって思った。あん時も、これ俺がヘルプ入らないと死ぬなって。・・・感じた”


 何でそうなるんだ?意味不明だ。


”アレは手加減してたんだぞ?言わせんなよ”


”ちげーよバカ”


”頭良いのか悪いのかどっちなんだ”


”俺の腹殴ってる時、泣きそうな顔してたろ”


 ん?


”まぁ、いい加減ぶっ倒れろよとは思っていたな”


”それだよ。なんだっけ。爺がいつも言ってるけど。情けはお前の死だ。って”


 なんとなく言いたい事は分かった。


”何が悲しくてお前と殴り合わなきゃいけないんだよ”


「バッカ!おまえなーっ!こういうトコでそういうの言うなよな!」


 手を払って、急に早口になってしかもうるせー。


「俺は座禅組んでるんだ。話しかけるな」


「あぁん?!」


 聞こえてねーな。


 無視だ。無視。


 それから炭田に着くまで、挙動不審で俺の手を触るのか触らないのかモゾモゾしている胸が柔らかそうなゴブリンは無視して、ひたすら回復に専念した。

 トロッコの振動で揺れるんだよ。




 俺から隠れたいのか、背を丸めコソコソと臨時ターミナルから工業区へ去って行く青柳を見て、後ろの車両にいた荒井が声をかけてきた。


「ヤマダ。どうした?あのバカなんかキモかった」


「さぁ?トイレじゃね?我慢の限界だったんだろ?」


「ああ。寒い寒いって作戦中飲みながら撃ってたから」


 荒井も納得顔だ。


 酒持つスペースあるなら弾持てよ。あのバカゴブリン。

 奪った銃のがあっただろうに。

 そういや、上はタンクトップ一枚で暴れまわってたな。

 やっぱ透けチクは寒かったんか。


「課長が、ヤマダは帰って休んで良いって。ここどこだか分かる?」


「どこって。駅だろ?」


 ホントにやっつけで作った洞穴の駅だ。搬入の為か、それなりにスペースは有るが、標識も地図も無いし、区画の地図も貰ってないし、空気にファージ混ざってないし。上にあるスフィアの電波も届かないので、炭田のどこなのか全くわからん。


「ーっと。アオヤギに案内頼んだのに、忘れてるのかあのバカ。まだ地図配布されてないから道分かるところまで送っていく」


「助かる」


 荒井が脇道の一本に入ったのでついていく。人一人がやっと通れる暗がりに暗めのライトが定間隔でついている。ライトがある場所は吊り橋がかかってて、もれなく下は激流だ。

 吊り橋と言っていいものか。

 橋代わりの梯子とワイヤーの手すりだけなので踏み外したり手が滑ったりしたらドボンで全身圧搾されながら流されて帰ってこれないだろう。


 この道は空気が澱んでいて、橋の近くはもれなく水煙が巻いて息苦しい。

 足元の真っ暗な闇に、無理矢理通した水路を見てると、吸い込まれそうになる。


「落ちたらどうなるんだ?」


 今、前を歩く荒井は何も背負ってないので身軽そうだが、俺はバッテリーとエアー切れのアシストスーツ着てるので凄く危険だ。


 振りむいた荒井は少し考えて。


「百年後くらいに谷川岳の湧き水にエッセンスが出るかも?」


 絶対に落ちないようにしよう。


 水路と水路の間。


 照明と照明の間。


 一番暗い所に差し掛かった時、荒井が足を止め振り返った。


「今、ファージコントロールは出来るの?」


「出来ないな」


 出来るけど。


「ふうん」


 横に並びジロジロ見てきた。

 荒井はいつも一歩引いて接してきていたが、いつになく距離を詰めてきたな。


「残弾はあと何発?」


「三発だ」


 十二発ある。

 銃には四発入れてある。

 今、寄合衆にでも襲われたらと考えると、持ち弾の虚偽報告は致命的だ。


 何でこんなつまらないウソを言うのかって。

 荒井の目が獲物を狙う時の無機質な目をしているからだ。


 殺す気を放っている相手は、ぶっちゃけ怖くない。

 何をしてくるか想定できるからだ。

 それに、今の俺には怖がる気力も無い。

 さっきトロッコの上で少し休めたけど、未だヘトヘトでぶっ倒れそうだからだ。


 ここで荒井とガチる?

 只ひたすら煩わしい。


 こいつは遠近両方めっちゃ得意だ。

 スナイプすれば必ず撃ち抜くし、強襲すれば無傷で生還する。

 まだ若いのに、どこでも安心して背中を任せられる奴だ。


「動きにくそうだけど。残量無いの?」


 隠さなくなってきたな。


「そうだな。バッテリーとエアーはゼロだ」


 適度に本当の事も言おう。


「じゃあ。今閉じ込められたら死ぬね」


「だな」


 この居住区とトロッコターミナルを繋ぐ穴はそんな長くないし、やっつけなので空調が無い。

 工業区から回り込んで居住区に入るとめっちゃ遠回りだからと、突貫で掘ったらしく、水回りと山撥ねの処理しかしてない。

 空気は吹き抜けているだけなので、埋められたら死ぬ。

 まぁ、一本道ではないので前後を埋められなければなんとかなる。

 っと、前から何人か走ってくる。


 軽く挨拶をしてすり抜けていくが、内一人が俺に気付いて肩を叩いて行った。


 荒井の目が普通に戻った。


「ボクを送っていくと言ったのはあたしの独断だ」


 後ろを振り返り、さっきの奴らを確認している。


「うん?」


「カモチは今、熱に浮かされている」


「そうなのか?」


 常に冷徹に物事を進めてるタイプに見えるけどな。

 俺の、あのくらいの年の頃とは比べ物にならないくらい聡明だ。

 ぶっちゃけ、会ったばかりの時は俺より年齢上かと思った。


「ボクが来たことで全てが急速に回りだし、全能感に酔っている」


 年下にボク扱いされるスリーパーは俺が人類初なんじゃないだろうか?


 俺の相槌が無いのに気付き、話を続ける。


「送電網の破壊も、こんなに急いでやる予定は無かった。議決前の工作として残しておくカードだった。一般人への被害も人死にも多い、原理主義者たちは硬くなる」


 そこは分かるぞ。


「”人を喰いません”て言わない限り、全員殺すつもりなんだろ?塹壕掘った時点で今更だ」


 荒井はワザとらしく溜息を吐いた。


「ジジイは害悪でしかない」


 ジジイ?俺じゃないよね?


「どの爺だ?」


「あのカウボーイだ。金持の育ての親だ」


 そういう関係だったのか。


「あと貴様もだ」


 ボクじゃなくなったな。


 瞬速で目を狙ってきた手を払い、お返しに喉を狙おうとした俺の手が荒井の喉狙いの拳とバッティングして弾かれた。

 強い衝撃にびっくりして一歩離れてしまった。


 両手を前に構えると右手の指が二本無かった。


 荒井の握られた手の中に真っ黒なカランビットが見えた。

 切られた部分が熱くなり、血がボタボタ出る。

 急いでファージ誘導で切り口の血管を収縮させつつも、荒井から目は離さないで動く。ファージ薄くてグリッド表示出来ないんだよなあ。

 何故俺はスフィアを持ち込まなかった?!

 こんな時の為に常に何個か持っとくべきだ。

 さっきノリで全部出したのが悔やまれる。


 空気自体のファージ濃度は操作できるほど濃くないが、俺の血の濃度は特濃だ。

 地面に落ちた血と泥で糸状にしたファージの鞭を造り、それで牽制をかけつつ斜めに半歩踏み込むと、フェイントで手をグルグルくねらせながら荒井も半歩踏み込んできた。

 くっそ、折角見えにくいのに、ピュンピュン音がするな。だめだこりゃ。

 腕の外側はアシストスーツの人工筋肉が装甲代わりになっている、でも内側とグローブ部分はナイフに無力だ。アトムスーツの生地は防刃だが、生地が切れなくとも中の肉が切れてしまう。

 外側にブッ刺させて筋肉で刃を止められればナイフは無力化出来るが、荒井もそのへんは分かっているのか、刺しやすく隙を作っても刺してこない。

 泥の鞭を上手く使えれば良いのだが、所詮泥。繊維質を含んで無いから強度が足りない。嫌がらせに顔を狙うのが精々だ。

 まぁ、荒井は帽子とマフラーで目すら狙えないんだけどな。

 なんとか掴もうとする俺と、それを防ぎつつ指を落とそうとする荒井で何手か応酬する。

 間合いを取られたクサイのでいったん離れた。

 荒井も追撃はせず、仕切り直すみたいだ。ナイフをスイッチして順手に構えた。暗い上に全身真っ黒なので、陰と相対してる気分だ。


 大丈夫。動きは見えている。

 泥糸の鞭も使って、居住地から流れてくる少ないファージを自身の周りに溜め込み始めている。

 じきにこの空間の空気自体を制御できる量になる。

 当然、荒井もそれに気付いているだろう。


 めっちゃ近い距離でのにらみ合いだが、これがあと二歩離れたら、互いに背中の銃で撃ち合いになる。

 んで、遅い方が死ぬ。


 指二本分俺が不利だな。

 戦闘プログラムをインスコしてたら余裕で支配出来たんだが、金持と荒井と青柳は入れてない。

 こいつサイボーグ化もしてないから電磁波通信から干渉も出来ないし、どうすっかな。


 話は聞くかな?


「お前を殺したくない」


「笑わせる」


 息を漏らした。ホントに笑ってる。

 あ。袖から忌避剤撒き始めやがった!


「なら、死ね」


 踏み込みからのフェイントの応酬。

 アシストスーツのフレームでナイフが弾けて火花が散る。

 ああ。くそっ!溜め込んでたファージが流れていく。

 血泥鞭も維持出来ず、ぶっ壊されてしまった。

 しゃーない。内緒だったアシストスーツのファージ誘導全て解禁。

 対応されきる前に片をつけてやる。


「ッ?!」


 いきなり倍以上に上がったスピードについてこれず、防戦一方にさせた。

 目のバフは描画速度加速も可視光域拡大も起動してあるが、バイザー下ろしてないし、フラッシュ使われると終る。

 ファージ空間が維持出来ないと、俺ホント弱いな。

 最近、グリッド表示出来ない環境で戦闘する経験がほとんど無かったからやりにくくてしょうがない。

 あと数センチの距離間がミスったりしてる。

 無理に速く動かしてるから、指先も充血してきて、アシストスーツのポンプ圧縮が間に合っていない。手が爆発しそうだ。

 ちょん切れた指からも止めきれずに血が飛び散っている。


「あぁああああああっ!!」


 荒井もこの速さに精一杯なのだろう。

 いつもの冷静さからは思いもよらない苛立ちの声を上げ、諸手応酬の隙間を縫って膝狙いの足が伸びてきた。俺が避けられないと思っているのか、キャンセルがかかっていない。


 うん。

 確かに、これは避けられない。アシストスーツとヤるならそれは合ってる。

 でも、駄目だよ俺にそれは。


 グリッド表示無くともこれくらいならできる。

 少し腰に負担が来たが、喰らうフリして素早く足をスイッチさせ、荒井の脚が蹴り終わって伸びきった瞬間の足に俺の脛を併せる。


 自重も載っていたのか、荒井はダイレクトに衝撃を喰らい半回転しながら地べたにつっ伏した。


「ッ!?あぁああああっ!!」


 急いで俺に向き直ろうとして蹴り足だった足首が一本下駄の靴ごとねじ曲がっているのき気付き、膝を抑えて悲痛な叫びを上げた。

 無理をしたので俺の膝も外れかけて悲鳴を上げそうだ。

 しっかり喰らったな。


 脚でシャコパンチした。


 股関節は大丈夫だったが、膝が抜けそうになった。

 プラスαでアシストスーツの出力目一杯乗っけてやったので、自力出力の何倍もの速さになってしまった。

 膝から下が麻痺してるが、気付かれないようにオートバランサーで立っている。


 俺を睨みつけ背中の銃を前に回そうとしたその手を無事な方の脚で蹴る。

 いやな音が伝わった。


 ハンチング帽子が一緒に飛ばされ、風に流れて俺の後ろへ吹かれていく。

 

 暗くても今ある光で分かった。

 目の一部と額以外、顔の皮が無かった。


 片腕片足で戦意を失った荒井の胸を足で押し、踏みつけると、力なく横たわる。

 諦めの目で無感情に俺を見る荒井の眉間に、俺も無感情で背中の銃を前に回し、向けた。


「動くな!」


 後ろから声がした。


 止めるの遅せーよ。


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