1話 目の前の女の子は女神さまですか?
「ああ、そろそろかの」
外は望月に照らされ、普段より少しばかり幻想的な風景が広がっている。旅立つには申し分ないよき夜だ。
硬いベッドと薄いシーツ、いい加減この変わらない病室にも飽きてきたことだ。儂を慕い今でも見舞いに来てくれる人は多いが、この人生ではもうやりたいこともなくなった。ゆっくりと目を閉じ、最後の灯が掻き消えるのを待つ。
「心残りはないですか?」
この人生に後悔などない、といったら若干嘘になってしまうが。
もっともだらだらと生き延びたところで希望もないので、実際のところ心残りなど皆無であった。
一つ、先に逝った婆さんの顔を思い浮かべる。あの人はこんな儂のことを深く愛してくれていたし当然儂も彼女のことを愛していた。
それから子を、孫を、近所の悪童をそれぞれ思い出す。「カミナリじいさん」などと呼びながらよく慕ってくれていた。
「あのぅ、聞いてます?」
とっくに消灯時間は過ぎている。
人の声などするはずもないので、とうとう幻聴まで聞こえ始めたか、あるいはやっと来たお迎えか。
「起きてくださいよぅ」
度重なる呼びかけに重くなった瞼を開けると白い少女がちょこんと儂の前に座っていた。
「お前さんは?」
肌は白く、その端正な顔立ちから見るに日本人ではないようで、背中に純白の羽をつけた奇抜な装いをしている。
「わたしはスエデ。神々しく、時に厳しくも慈愛に満ちた女神............なのです」
「女神さまか、なるほどお迎えかね」
目の前に座る少女が女神だというなら、なるほど背中に生えた羽は本物で消灯時間を過ぎて現れたのもそこまで不思議ではない。
ただ強いて言うなら、儂は無宗教なのでカタカナの名前の女神さまが来るとは思っていなかった。
死ぬときのことは詳しくないが、漠然と日本人には日本の神様が対応するものだと思っていたのでそこは少し驚いた。
「その、あなたが思っているようなお迎えとはちょっとだけ齟齬があるんですけど......早い話がスカウト、です」
こちとら完全に今から死ぬ気でおったのだが、女神さまはそうではないという。しかし死にゆく身でなせることなどないのも事実。
「悪いが、この体ではな......あの世へ渡ることしか」
「その、えっと、転生してもらえませんか」
歯切れの悪い言葉で会話をつないだかと思えば、この女神さまは突然転生しろと言った。
「急に?」
「えっ、あっ! はい、えっと、転生した後は魔王討伐を目指して......」
「ちょっと待ってくれんか、女神さまは儂にもう一度新たな人生を歩めと?」
微妙に会話がかみ合っていない女神さまを制止して、どうにか理解を追いつけようとする。
「人生でなくても、オーク生だったり、なんなら! いまならユニコーン生なんてものも!」
「違う、そこじゃない。それと、訪問販売のように空想の生物を押し売るんじゃない」
あっさりと女神さまだと信じ込んでいたが、ここにきて急に胡散臭くなってきた。
よくよく考えてみたら、死にかけの老人の前に姿を現していきなり女神だと名乗る輩はかなり怪しい部類なのでは?
「そもそも転生だの第二の人生だのというけれど、そういう手の詐欺じゃあなかろうな?」
「ど、どうしてそうなるんですかぁ......信じてくださいよぅ」
目の前の自称女神さまはすでに泣き目である。うさん臭さがさらに増してきた。
「そうは言われてもな、信じられるような証拠もないしのう」
「え? 私がいなかったらとっくに死んでるんですよぅ?」
とっくに死んでいるなど、間違っても死にかけの老人の前で言ってはいけない。
「それはどういう冗談で?」
「......えいっ」
その言葉の真意を問いただそうとしたが、答えることはなく一瞬難しそうな顔をした後、説明するのが面倒だと言わんばかりに、自称女神さまが指を振った。
「あ゛っ......」
次の瞬間、儂の視界は白く飛ぶ。
有り体に言うなれば魂が抜ける、というような感覚に襲われるも、体感時間にして一秒ほどですぐに両の目が視力を取り戻す。
「はぁ、はぁぁ......い、今のは」
「一瞬死んでました......ご、ごめんなさい、口で言うより、こっちのほうが手っ取り早いかと思いまして......」
手っ取り早いくらいの理由で人を殺すような輩が、女神になんてなれてもいいのか。
しかし、久しぶりに乱れた呼吸を落ち着かせることに必死で、そんな文句を言う余裕はなかった。
「信じてもらえました?」
「わ、わかった、信じる」
こちらを上目遣いで見つめる女神さまはよく見ると顔が良く、なかなか様になっている。
可愛らしいことは事実であるが、それだけで信じると言ってしまう自分が情けなくもある。
「じゃあ転生も......」
「貴女が不思議な力で儂を転生させることができるということは信じよう」
先ほど一度殺されてしまったばかりだ。この少女が本当に女神さまだとしても、自称だとしても何らかの不思議な力を持っているというのは信じてよいだろう。
ただ、それだけで転生すると言ってしまえるほど、儂は夢見がちではない。
「しかしだ、どうして儂なんかを選ぶ?」
いくらか良い応えを期待して質問をする。
女神さまが口走った通り本当に魔王を倒さねばならないというなら、宮本武蔵だとか腕が立つ人間がいくらでもいただろうに。
ということはつまり、儂も期待しちゃって良いのではなかろうか?
「えーと、そのー、そっそうです。お爺さんに才能があるからです」
しかし、予想に反して女神さまは明らかに目を泳がせていた。
「才能? どのような?」
「それは......えーっと、そう! ここで言ってしまっては面白みがないのでっ!」
この明らかな動揺っぷりに詐欺ではないかという疑惑が再浮上する。
「話は変わりますが、もし若いころに戻れるなら、とか考えたり......」
疑いの目を向けると即座に話題を変えられてしまった。加えて今までは真摯にこちらの目を見つめていたが、いまでは完全に窓の外を眺めている。
怪しいことこの上ないのだが、儂は『もし過去に戻れるなら』や『もし未来の自分にあえるなら』といった種の話題には弱く、どうしても興味をそそられてしまう。
「いや、特にこれといってやりたいこともない」
そのため、この台詞は当然嘘である。なんかクールで格好良い男を演じてしまった。
本当のことを打ち明けるのなら......可愛い女の子にもてはやされたい。格好つけてちやほやされたい。かつての自分はそうだった。
妻と出会ってからこそ一途だったが、それまでは今風に言ってモテモテだった。
「だがしかし、女神さまがどうしてもというなら」
本当に若かりし頃に戻ることができるのなら、かつてのように可愛い女の子たちを沢山侍らせて、毎日楽しく過ごしたいものだ。
「どうしてもなんです!」
これで、女神さまにどうしてもと言わせることができた。上手くいったと内心だけでほくそ笑む。
「そうか......どうしてもと言うのなら仕方がない」
「ほんとですか!? それじゃあ早速......」
「え、もう? すぐにできるんかの?」
思ったよりも準備が良い......じゃと......ッ!?
「肉体は不要なので置いていきますね」
「儂、死ぬの? 心のじゅん」
「えいっ」
「あ゛あ゛っ!」
こうして儂は一度目の人生に幕を閉じた。
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