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第一章 第一節

第一節 




「眠い。飽いた。お開きじゃ。」




ぬし様のこの台詞を合図に何百年と続いた宴は終わり、「西の指」の御殿は短い休息の時を迎える。

ぬし様は眠りに就かれ、御殿で働く舞手楽師や下男下女達は或る者は里へ、或る者は眠りに、或る者は旅に、或る者は祝言にといったように自分の時間を持ち自由気ままに過ごすのだ。



「…あたし達は、違うけど…。」



隣で楽器の手入れをしていた「崩山(ほうざん)」が、その手を止めてこちらを見た。


「そっかぁ。くるりぬし様の命で「茶屋」まで働きに出なきゃなんないんだったっけ…。かわいそうに…。」


「…崩山。」

「何?」

「…顔、笑ってるよ…。」



「…そりゃあ目の前に休みがあるんだものォ。あんたの身の上なんてあたしにゃ関係ないし~。

嬉しそうにするなってのが無理なものよォ。」



楽器の手入れをしている「崩山」の手がせわしなく動く。

「崩山」にとって今回の休みは初めての休みで、そのわずかな時間(といってもゆうに三

百年はあるが…)をいかに過ごすか考えるだけでも天にも昇る気分だったのだ…。




くるりは軽く溜息をつき、膝に乗せた腕にあごを乗せて御簾の隙間から見える庭に目を向けた。



蛾禍蜍がかじょの花の恐ろしく甘く悲しい香りに誘われた蟲けら共が、宴で散った酒粒に魅せられてあちらこちらで狂ったように舞っている…。

いや、きっと本当に狂ってしまっているに違いないのだが…。



「よしっ。手入れも済んだしとりあえず少し寝るかね…。

もうずっと弾いて踊ってばっかりだったから疲れちゃって疲れちゃって…。」



「崩山」は手早く愛器のタルカ(琵琶に似た弦楽器)を壁に立て掛けるとおもむろに床の間に進んでいった。

結い上げていた髪を無造作に解き、上着を己の体にかけ横になる。




「じゃあ、頑張ってね。また次の宴に会いましょ。」



「崩山」は軽く手を振り、あくびを一つして目を瞑った。



「…そのまま寝るの?」

くるりは膝を抱えたままの姿勢で尋ねた。

「…そうだけど?ここの御殿はいつもあったかいし…。

…あっ!もしかして宴が終わると急に冷え込むとか?」

「崩山」はおもわずわずかに顔を起した。

「…ううん、寒くはならないよ。

でも今日は湯が使えるから使ってから寝ればいいのになって…。」

「崩山」は半身を起こした。


「何?それ…。」

「あのね…。宴の後の一日だけぬし様の湯殿が使えるの。

ぬし様からのご褒美。

…一日でここにいる皆が皆一斉に入ろうとするからすごく混むんだけど…。」

「崩山」は床の間に立ち上がった。

「ぬし様の湯殿…皆一斉って事は、まさか………混浴っ?」



「うん…混浴。」



「崩山」はもう部屋にはいなかった。


「何でもっと早く言ってくんないのよォ~。お背中お流しいたしますぅ~~。「露歩き」様ァ~。」



庭を舞う蟲けら共の羽音よりも小さくなっていく「崩山」の叫び声に耳を傾けながら、くるりはまた一つ溜息をついた。




     二




「…くるりか、どうした?湯殿に行かないのか?」

「「露歩つゆあるき」こそ…。」


くるりは「崩山」の部屋を離れると、悲愴殿ひそうでんの東屋にいる「露歩き」の元を訪れていた。

くるりが訪れた時「露歩き」は庭先で己の得物の手入れをしていた。

その傍らには「ゆめ」がまさに夢の中にいるようだった。


貪主様どんすさまの末の湯は体の芯を抜く…。

旅に出るというこの時に私は入る事は出来ない。」


「そっか…。」


くるりは「露歩き」の隣のゆめを見た。

「ゆめ」の眼尻に光るものがある。よく見ると少し目もとがはれているようにも見える。


「ゆめ…泣いたの?」

 

「露歩き」は何も言わない。ただ黙々と己の得物と向き合っている。

くるりは横たわる「ゆめ」の後ろに自分も寝転がり後ろから「ゆめ」を抱きしめた。

柔らかくて温かい「ゆめ」。背に耳を当てると内から生きる音が聞こえてくる…。


今はもういない「とばねき」のように―――



「ゆめ…死ぬの?」

「…いずれ。」


「「露歩き」も?」

「…いつかは。」


くるりは顔を上に向け「露歩き」の顔を眺めた。

柳のように形の整ったりりしい眉の下にある深い海のように底の見えない蒼眼。

その瞳を縁取る長い睫毛は、夕日を浴びて波間に映る照り返しのように金色に輝いている。


くるりにはとても信じられない事だった。

この綺麗な瞳がいつかは醜く腐り果て、眼窩の奥に朽ちて消えてしまうという事が…。


「「露歩き」…。」

「何だ?」

「…あたしは…どうなるのかな?」


「露歩き」は得物から目を離し、くるりにその顔を向けた。

「…わからないな…だがお前達には「えにし」がある…。

 生人いきびとである「ゆめなか」、死人しびとである「先逝さきゆき」、そして在人ありひとであるお前…。

お前達は三人で一つの理を紡いでいる。

「儚ノ中」が死ねば、お前達を結び付けていた「縁」は途切れる…。

そうしたらお前達は離れていく…きっと己の意思にかかわらず…。

私にはそんな気がする…。」

瞳に何の色も映さず「露歩き」は淡々と語った。


…何か感じていた予感…。

胸の中に疼くほころび…。


もしかしたら…ゆめの感じているものと

あたしの感じているものは…。


「「露歩き」…。」

「何だ?」

「あたしの事…忘れないで…。」


…そう、あたし…この言葉を伝えたかったんだ…。


思わずほうっと息をついていた。

「露歩き」の瞳の色は変わらない。

けれど、「露歩き」のその長く綺麗な指が伸び、あたしの髪を撫でた。


あたしが寂しい時、あたしが泣いている時、いつもそうしてくれたように…。


何度も、何度も、やさしく、やさしく…。


嬉しいけれど、とても悲しかった…。



だって、きっと「露歩き」とこうした時を過ごせるもの…あと少しだけだから…。




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