第三章 第三節
第三節
一
茶屋を旅立つ日があと数日に近づいた。
時巻物も時士もいないここでは時間というものが正確にどの位経過しているのかがわからない。
それをきちんと把握できているのは「閼伽注」と、おそらく「丸嬰」の二人だけ。
「閼伽注」がそろそろですと言いだしてしばらくすると、次に茶屋で奉公する者が訪れてその一行と二、三日共にすると旅立ちという事になっていた。
くるりが訪れた時も同様に何処からかの奉公の一行に出くわしている事になっているのだが、到着時に起きていた事のないくるりはその一行の顔を知らない。
くるりが知っているのは自分達が旅立つ時に出くわす方の者達だけだった。
そして今回もその一行は訪れる。
訪れは黄昏時。皆が囲炉裏をすでに囲む時。
引き戸が静かに開かれ三つの影が流れ込む。
シシ児の兄妹とその下男が一人。
「皆様おひさしぶりですのォ。」
と、のんびりした声を発したのは妹の「滅歌」。
豪華な着物と装身具を身に付けているにも関わらず、何故かその中に浅黒く垢にまみれた老体を納めている醜女であった。
「………。」
隣で言葉が無いのがこちらこそ弟、いやむしろ孫娘なのではないかと疑いたくなる女装の兄「滅宵」。
天女のごとき美貌と風貌であるが、その生白い自分の腕に思い切り牙を立てて血を滴らせている様は鬼女にしか見えない。
「………。」
同じくその隣で言葉もなく、木の実のように膨らんだ体をわずかにふるふると震わせているのが下男の「愚鼠」。
この下男は一切の言葉を知らないので喋らない。
つまりこの一行でもっぱらくるり達と話をするのは妹の「滅歌」だけだった。
「あれまぁ見ない方がお一人。それに見えない方がお一人。」
早速「滅歌」が会話を始める。
「そうじゃったかぁ…「儚ノ中」ちゃんはお亡くなりに…。」
「滅歌」が目じりを手巾で押さえながら呟く。
「あの……」
自己紹介をすでに済ませた「堯湖」がそんな「滅歌」に質問する。
「はい?何でしょ?」
「えっと……兄上様は大丈夫なんですか?」
皆が部屋の隅に蹲る「滅宵」に目を向けた。
自分の腕を何度も何度も噛み直し、真っ赤な衣を着るかのようにぐっしょりと衣を濡らしている。
けれどその顔には全く苦痛の歪みが無く、その瞳は炯々(けいけい)と薄闇の中でもぎらついていた。
「それに心なしかその……もしかしたらただの自意識過剰なのかもしれませんが、僕の事すごく見ているような気が…。」
「堯湖」が恐る恐る呟きその体を左右に動かしてみる。
するとその動きに合わせて「滅宵」の瞳が左右へと揺れた。
「いやはや、やはりお気づきになりましたか。」
「滅歌」がわずかに恥ずかしげに微笑む。
「儂もじゃが、兄者殿も「生人」の人食種でしての。
しかも兄者殿は儂と違って喰い気を抑えるのがとても苦手じゃ、じゃからああやって自分の腕をかんで堪えとるんじゃ。あんたはとっても美味そうじゃからのお。」
「堯湖」がぴしりと石のように固まる。
そんな「堯湖」を無視して「滅歌」が一つ溜息をつく。
「しかし、本当に残念じゃったわ。」
「「儚ノ中」ちゃんもとっても美味そうじゃったのに…。」
その夜「堯湖」が「露歩き」に添い寝を懇願しているのをくるりは見た。
二
明日は旅立ち。だから今日が最後の日。
お別れを告げる最後の日。
「行くのか?」
「さき」だった。
いつもと変わらず縁台に腰掛ける「さき」。
その後ろの方で「愚鼠」が箒をもって掃除をしていた。
「丸嬰」と「滅歌」は何処かへ出かけていた。
その後を追うように「露歩き」と「堯湖」も「厭山」へと出かけていた。
「滅宵」は「滅歌」がいなくなると抑制が効かなくなるからだ。
その事実を知った「堯湖」は半狂乱を起こしながら逃げるように出かけて行った。
その「滅宵」はというと―――
「あれ。狂も奉公ありました。」
何の抑揚も露ほどの感情もない深みのある男声。
くるりが振り返ると、そこには焦点の定まらぬぼんやりとした顔の「滅宵」が立っていた。
天女の様な衣の袖を襷掛けして腕も露わに盆を片手に持っている。
「生人」のいない環境での「滅宵」は大人しい人型だった。
くるりはこくりと頷く。
「うん……今回から。それで今からお別れに行くの。」
「ふうん。」
「滅宵」が興味なさそうにとりあえず一応相槌を口にする。
「じゃあおげんきで。」
「滅宵」はそう言って茶屋の方へと向かった。
くるりがあわててその背に言葉を投げかける。
「違うよ「滅宵」。向こうの人にお別れを言いに行くの。
あたしは戻ってくるよ。」
その言葉に「滅宵」が振り返る。
「どうして。」
能面の顔に能面の声。
言の葉がすぐに意味をなして聞こえない。
くるりがわずかに首を傾げる。
「キヒッ。」
「滅宵」が口元だけで気味悪く嗤った。
「はいはいはい「ほろよい」さん変なこと言わない。
くるりさんもさあいってらっしゃいさようなら。」
いつの間にか「滅宵」の後ろに、いや確実に突然出現したと思われる「閼伽注」が「滅宵」を茶屋の中へと押していった。
「尻さわるな。すけべい。」
「すけべいってあなた殿がたでしょう?
それにおしりの一つやふたつさわったところで減りもしない減りもしない。」
「てなでなで触ってたらやっぱりすけべいだ。ふざけるな。」
「まあまあまあまあいいからいいから。」
「何がだ。」
「滅宵」が全く抵抗感の無い声で反論しながら「閼伽注」と共に茶屋の中へと消えた。
穏やかな静寂が訪れる。
「気にするな。」
「さき」が静かに呟く。
「「滅宵」の言った事もあたしの事も、もう何も気にするな。」
「さき」がゆっくりと立ち上がる。
「くるりの好きにしろ。」
同じ目線の「さき」。真っ向から瞳の遺志がくるりに伝わる。
くるりはわずかに頷き一言告げた。
「わかった。」
三
何かが動いている。
いや、蠢いている。
生きている感じじゃない。
死に近い負の力。
白と黒の絶対世界。
その隙間を縫う淡い揺らぎ。
あれは紅。
あれは何?
くるりがいつものように無き原の道を進んでいると、それは地を震わせてくるりを警告した。
まるで来るなというように……。
まるで早く来いというように……。
しばらく進むと地の振動は無き原の白砂をさざ波のごとく波立たせていた。
音のないはずのその世界を啜り泣くような白砂の波が波紋を広げていく。
くるりはその波の中を往く。
その砂はくるりの足を取る事無く、むしろ後押しするかのように流れていく。
くるりは川の流れの上を歩くかのように山を目指した。
そして辿りつく黒い山、そこに匂い立つ淡い紅。
――――――あれは、何?
白と黒しかない世界。
けれどここであの色を見た事がある。
あれはそう、奈落の底。
あれはそう、奈落の煙。
「来るなッ!」
悲痛な叫び。血を吐くような拒絶。
くるりは楼の階段の半ばで躊躇した。
しばらく待った。返事はない。
くるりはまた一段、一つ上の台へと足を移していた。
「お願いだ…。来ないでくれ…。」
くるりはぴたりと立ち止った。
上の様子を窺うが、奈落の煙が楼の中にも立ち込めている事しかくるりにはわからなかった。
「お別れだ……。」
絞り出すような「屍」の声。その声音には全く再会がある事を告げてはいなかった。
その言葉と声音がくるりの心に突き刺さる。
―――それはあたしの言葉だよ……。
どうして「屍」がそれを言うの?
「どうして…。」
くるりは呟いた。
「どうしてッ!」
くるりは叫んでいだ。
しばらく「屍」からの返事はなかった。
その静寂の合間を「屍」の嗚咽が苦しげに満たす。
「俺はもう……奈落に堕ちるんだ。」
くるりの体をひやりとしたものが通り過ぎた。
――――奈落。
――――溜息をつくような冷たい風と、心を欲しがる赤黒い煙が蠢くあの中に…。
あの中に…あの底に…「屍」が――――
――――堕ちる…?
「どうして?」
くるりは呟いた。。
「どうしてッ!」
くるりは叫んでいた。
「くるりが…恋しいから…。」
くるりは身体全体で震えを感じた。
くるりの前から全てが消える。音も色も世界も全て。
あるのはただ「屍」の声。
あるのはただ「屍」の心。
「「縁」が切れたと戻っていったくるりを想った…そしたら……」
くるりは飛ぶように駆けあがっていた。
もうその音も、その衝撃も、何も感じない、ただ心のままに……。
「……どうしようもなく……」
上に昇るにつれて深みを増す紅の闇。
息もつげない、熱くて止まない紅の闇。
けれどくるりはそれを何も感じなかった。
くるりの前の全ては消えていて。
楼の中へと駆け上がる。
「「屍」ッ!」
立ち込める闇の幽か向こうの舞台の上に立つ影法師。
背後の数珠簾がばらばらと引き千切られるように飛び散り消える。
着物をはためかせた「屍」が驚きとも哀しみともつかない表情を浮かべていた。
「くるり…。」
見開かれた漆黒の瞳から一筋涙が流れていく。
くるりが「屍」に向かって真っすぐに駆け出す。
「屍」は泣きながら、しかし穏やかにくるりに向けて微笑んでいた。
「有難う…。少し辛かったけれど……それでも人を好きになれてよかった…。」
「屍」の頭の上を影を伴う煙が襲う。
くるりが舞台に踏み込んだのと、その煙が「屍」に巻きつくのとほぼ同時だった。
あと一歩という所で「屍」の体が宙を舞う。
「来るなッ!くるり!」
―――――拒絶の言葉。でもためらわない。もうあたしは―――
―――――くるりの好きにしろ。
「あたしの好きにするっ!」
くるりの体も宙を舞った。
わずか下には「屍」がいる。
くるりが手を伸ばす。
もっともっと伸ばす。
「屍」がわずかに腕を上げる。
くるりがその腕を掴む。
そして互いに引き寄せ引き合い一つになった。
「一緒に行くよ…「屍」。」
「……。」
「ずっと一緒だから。」
「……うん。」
安らかな顔をして堕ちていく二人を獰猛な紅の闇が幾重にも覆いかぶさる。
幾重にも、幾重にも、幾重にも……。
やがてそれは奈落の闇へと消えて静寂がまた世界を包み込んだ。
それから少し後、静寂を破りこの奈落から一つの御魂が天界へ昇った事はまた別のお話。
また別の、記録にも残らない冥獄の小さな散話の一つのお話。
終心表明
う~わァ~~、どぉもです。銃です。はずいです。
何がかと言いますと、この作品がです。
あれです。今年の夏のパソコントラブルの最中に本当(?)の終心表明を完全に抹消してしまい、新たにここにしたためようと勇み足をしたのはよいのですが、読めば読むほど恥ずかしくなり途中で投げ出したという次第です。
……お話書くのって難しいですねぇ…。どぉにも客観視出来ないので独りよがりかつ誤字文法はてなな現象が多発しており恐縮の限りです。しかも中置も途中から書いてませんしねぇ…。何とも中途半端な酷い作品。(最後まで付き合って下さった方感謝です。)
しかしこれ……自分どんな気持ちで書いていたんでしょうねぇ…。
今から2年前位でしたかねぇ……?書いたのは…。
何やら変な話ですねぇ……。(あとちょっとクサい。故にはずい。)
まずいです……作者なのにこの作品の事を何もわかっておりません。
故に何も解釈できません(死)すみません。
皆さん適当に解釈してください。
さてさて三部作とか銘打っちゃているこのお話ですが、果たして続くものやら謎でございます。ぶっちゃけ最近多忙と他趣味に走りまくり創作活動皆無です。
予定では次は「ゆめ」のお話です。
「ゆめ」が堕烏苑に遊び死に至るまでのお話です。(極彩且つ暗いです。例えるなら熟れすぎた果実です。)
最終部は「さき」のお話です。
「さき」の前世と冥獄での生活を交錯させながら、「縁」を失った「さき」の顛末を描くお話です。(終始暗い予定です。例えるなら廃墟に飛び散る褐血です。)
はい、実はこの第一部が一番はっぴぃえんどだったりします。(←これではっぴぃです。自分の幸せレベル超低いです。)
まぁそんな感じでいつ世に出るものやらでございますが、もしご興味ある方ございましたら半年周期位で(←酷い)投稿しているか確認下されば有り難やです。
ではではまた…。
2009年11月22日
銃.
というのが前回の後書きでした。
という訳で今回の後書きです。
どぉもです、銃です。
現在としましては、まぁ前回よりは第二作「冥獄抄散話―儚ノ中」も進みました。
が、まだ半分超えた位です。
時系列で見てもまだ「くるり」が初めて「屍」の手を見た所まで行ってません。
「とばねき」すら死んでません。
ものっそいトロイです。
あれですねぇ…ちょっと今就活頑張ってる感じでして、頭が創作に中々回らないんですよねぇ…。はい、不況です。見通し悪しです。
まぁぼんやりシナリオは頭の中に出来ているので、いずれは世に出ていけるのではないかと思います。(ただトロイ)
という訳で「冥獄抄散話―狂」でした。
といういう訳で「冥獄抄散話―儚ノ中」、紹介も兼ねて「序」だけ数日内にまたうpしたちと思います。
あとかなり昔に書いたつじつまはてなな「堯湖」のくっらい少年時代の番外編も近日中にうpしたいと思います。
そんな感じです。
ではではまた…。
2010年3月12日
銃.




