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第三章 第二節

 第二節




                一


「うんだからね明日にはどこかにもってって?」


閼伽注(あかつぐ)」がにこにこと発言する。



「ここに埋めちゃ駄目?」


と聞いたのはくるり。

その隣で「さき」も「閼伽注」をじっと見つめる。


「はいだめですここは何もおかれないから。

 まして不浄なんてもってのほかです。

 だからほらあのしびとさんも運びだしてお清めもしっかりしたでしょう?

 ですからだめなものはだめです。」


「閼伽注」はきっぱりはっきりと言った。


「じゃあ……あの「死人」同様に「厭山(ようざん)」に埋葬ですか?」


まだ顔に赤みを残すものの泣きやんだ「堯湖(たかこ)」が窺うように尋ねる。

その面には不快と嫌悪が浮かんでいた。

くるりは「厭山」を訪れた事がない。けれど話には聞いていた。


常に鉛色の暗雲と霧がたちこめ、鈎爪(かぎづめ)のように鋭く不吉な枝を広げる黒木(こくぼく)がばらばらと突き出たごつごつとした岩山。


いくらここに埋められないからといってそんな寂しい所が「ゆめ」の終の地となる事には耐え難いものがあった。


「その辺は大丈夫だよ。

 「ゆめ」にぴったりの良い所なら、あたしが目星つけてるからさ。」


暗く沈みかけていた皆に向かって「丸嬰(まるえい)」が朗らかに宣言する。

「本当に?」

「あぁもちろん。

 とっても静かで落ち着く所だよ。

 「露歩(つゆある)き」もさっき一緒に見たから間違いない。だろ?」

「何……?」

「露歩き」が「丸嬰」の呼びかけに一瞬怪訝な顔をしたが、すぐにその意味を察したらしく寂しげに頷いた。


「あぁ…そうだな。

 「ゆめ」の終の住処はあそこだろう……。」


納得、というよりやや諦めの雰囲気を漂わせる「露歩き」に引っかかるものを感じたが、「ゆめ」の育ての親である「露歩き」の了解にそれ以上追及する者の声はなかった。


沈黙が訪れる。


「んじゃあ明日はあたしと「露歩き」でそこに弔いに行ってくるからさ。

 そういう事で今日は解散!」


「あたしも行きたい!

 私        」

「僕も行きたいです!」


皆が一斉に「丸嬰」に詰め寄る。

「丸嬰」は一瞬身をすくめたが、すぐにため息を一つつきやれやれといった調子で皆に答えた。

「連れて行ってあげたいけどさぁ、それは無理なんだよね。

 あんた達には辿りつけない道だからさ。」

「そんな……君はまぁ僕らに行けない所でも行けそうですが……「露歩き」様が行ける所にどうして僕らも行けないんですか?」

「堯湖」が「丸嬰」を追及する。

確かに「堯湖」の質問は最もだった。

「在人」のくるり、「死人」の「さき」、「生人」の「堯湖」。

その誰もが行けない処へどうして「生人」の「露歩き」だけが行けるのか?

「丸嬰」はちらりと「露歩き」を見る。「露歩き」は何も言わない。

それを了承と判断したのか、「丸嬰」が語り出した。

貪主(どんす)と「露歩き」の契約だから、あたしから詳しく言えないけどさぁ。

「露歩き」は冥獄の中なら何処にでも行けるんだよね。ここだけじゃなくて「隣」の中でもさ。」


「堯湖」が目を見開いて絶句する。

「さき」はすでに知っていたのか、その表情に変化はない。

くるりにはその凄さがわからず、その表情に変化はなかった。


くるりのいる冥獄は「西の指」などのように方角と体の部位とで地域分けがされている。

極楽貪主(ごくらくどんす)の住まう御殿は正式にいうと「黒ノ赤子の西の指」。

「丸嬰」の言った「隣」とは「白ノ赤子」の事を指す。

同じ赤子の中でも行き来が困難であるのに、全く別世界の赤子の中すら何処へでも行けるという事はかなり珍しい、というより無名の人間には到底あり得ない事だった。



「さっ……さすがです!「露歩き」様!すごいです!」

「堯湖」が忠犬の様に瞳を爛爛とさせて「露歩き」を絶賛した。

「ですが―――」

「堯湖」の顔がふと曇りを帯びる。

「それだけの契約の代償に一体何を―――?」


「露歩き」は何も言わない。

囲炉裏にくべた薪が大きくはぜる音を一つ鳴らした。



「だぁかぁらぁ~無神経メガネ!個人の事情を詳しく聞こうとするんじゃないよ!

 とにかく「露歩き」は行けるったら行けるの!

わかった?」

と「丸嬰」が面倒臭そうに「堯湖」を諭す。

そんな「丸嬰」に対して「堯湖」がはぁ?無神経はどっちですか?とぎゃあぎゃあわめきそれを皆が明るく笑った。


ただ一人、「さき」を除いて………。

「さき」はその様子を冷たく見据えていた。

            





 二



朝を迎える。

いつもと変わりのない長閑な朝を。


くるりは「さき」と共に「ゆめ」の両脇に添い寝をして一夜を明かした。

間に横たわる「ゆめ」は本当にただ寝ているだけのようで、昨日迎えた朝と何ら変わりのないように思われた。

くるりはそっと柔らかい光に満たされた温かそうな「ゆめ」の頬に手を乗せた。


夜の陶器のように静かな冷たさ。


見える平和の光景と触れる不幸の事実のあまりの落差に、くるりは恐怖を覚えさっと手を引っ込めた。

その向こうに横たわる「さき」と瞳が合う。

同様に夜気の静寂を身からしんしんと立ち上らせる死人の「さき」に……。


「どうして…「さき」みたいにならなかったんだろ?」

くるりがぼそりと呟いた。

「さき」は何も言わない。くるりに先を促すように静かにじっと見つめている。

「「さき」と同じ「死人」になったんだよね?

 ならどうして「さき」みたいに動かないんだろう?」

「同じじゃないからだろう…。」

くるりが不安げに「さき」を見つめる。

「私と「ゆめ」は違う。

 目の前にある「ゆめ」は脱け殻だ。動く為の魂が無い。

 私は脱け殻を置いてきた魂だ。ぬし様と「縁」によって形を保てるだけの殻を纏わされただけのな。」


――――ぬし様と「縁」……。

    「縁」は切れた。「さき」を繋いでいるはずのものが一つ切れた。

    じゃあ「さき」は?「さき」は「さき」は―――


「……「ゆめ」の魂、何処に逝ったのかな?」

「さぁ……。」

くるりは自分の中にふつふつと溢れ出した不安を無理矢理抑え込むように「さき」に質問を投げかけていた。


決して答えが返ってこない事がわかっている、あての無い質問を……。




「あたしからのはなむけさ!」

そう言って「丸嬰」がひらりと敷き布のように広げたそれはいつだかに見た純白の着物だった。

触れるとわずかな起伏を感じる。純白の生地の上には同様に純白な刺繍糸でとても繊細で綺麗な草花とそれを愛でて舞う蝶や小鳥が描かれていた。

日の光を受けた衣はその文様を黄金色(こがねいろ)に神々しく輝かせている。


「綺麗だね。」

「「ゆめ」が喜びそうだな…。」


くるりと「さき」のささやくような感想の合間をぬってずずっと鼻をすする音が響いた。

「堯湖」である。

またすでに泣いていた。

それを見た「丸嬰」がまたわずらわしそうな一瞥をくれる。

昨日にもましてかなり不愉快そうである。

一方「閼伽注」はというとにこにこと問答無用でその様をなめまわすように眺めている。

と、「堯湖」がうるさいとばかりに顔の前で手を振ってその視線から逃れようと奮闘していた。

一見いつもの光景のように見えるそのやりとり。でもくるりには少しそれが不思議に見えた。


「「さき」…。」

「何だ?」

「「丸嬰」って男の子が泣くの嫌いなのかな?」

他の者に聞こえないようそっと囁いたくるりの素朴な、けれど恐ろしく鋭い指摘に「さき」は大きく目を見開いた。

口元から細く息が漏れる。

「「さき」?」

「…成る程、そうか。うん、中々面白い事を言う。」

「?」

「ほら!奥でさっさと着付けてきな。」

ほくそ笑む「さき」にくるりが首をかしげていると、二人のやり取りが聞こえてか「丸嬰」がさっさと追い立てた。

いや、そのいらいらした様子を見るとおそらく二人のやりとりを悟っての事だろう。

図星なのかもしれない。


「私も行こう。死んだ人間を動かすのは力を使う。」


「露歩き」が腰を上げる。

着物を抱えるくるりと「さき」の後ろに付き従う「露歩き」、その後ろ姿を残された者は皆黙って見送った。



            三



―――――これは、誰?



くるりの抱いた疑問は自分でも可笑しいと思うものだった。

物心付く前から死を迎えるその日まで共に暮らした者から発せられるにはあまりにおかしな疑問。

いや、だからこその疑問といえるかもしれない。

共に過ごし「縁」で結ばれていた者だからこそ決定的に気付く違和感。


奥の間に入るとまず「露歩き」がその背を支えながら徐々に「ゆめ」の着物を解いていった。

今や完全に外の光を満たした部屋の中で「ゆめ」の肌が露わになる。

「ゆめ」の体は全くの無垢だった。

痣や傷など、その命を絶った不吉な影はその肌の上の何処にも見当たらない。

しかしくるりにはそうした疑問よりもまず先に浮かぶ疑問があった。


――――これが「ゆめ」?


胸の膨らみはすでに少女とは言い難く、そのしなやかに伸びる肢体も柔らかに描かれる腰の稜線もくるりのものとは明らかに違っていた。

これまで何もかも共に成長してきた、それなのに――――



――――――「……「ゆめ」、少し背が高くなった?」


気付いていた違和感。それに怯える「ゆめ」の顔。


「知ってたのに…。」

くるりがぼそりと呟く。

「「ゆめ」が怯えてたの知ってたのに…あたし何もしてあげられなかった。」


ひやりと冷たい指先がくるりの手の上に乗る。「さき」だった。

「……。」

「さき」は何も言わない。

けれどくるりは何かがとても救われた気がした。



「露歩き」が背を支えその腕に袖を通していく。

人形のようにだらりと力無く「露歩き」のなすがままに着付けされていく「ゆめ」をくるりと「さき」は無言で見つめていた。

「露歩き」が最後の帯締めに手を進めた時ぴたりとその動きを止める。

「「さき」…。」

「露歩き」の呼びかけにくるりの隣に控えていた「さき」がつと立ち上がる。

無言で「露歩き」の傍に近づくと「露歩き」のその手に握られていた帯を手ずから受け取り器用に手早く帯を結んだ。

「さき」の結んだ帯の形はくるりがこれまで見た事がないような形だった。

けれど蝶のように花開くその形はお洒落好きの「ゆめ」がとても喜びそうに思えた。

「すごいね「さき」。「ゆめ」もきっと喜ぶよ。」

「…全くだ。女ものの帯の結びは不得手だから助かった。」

「…得意だったらぞっとする。」

人から褒められる事を嫌う「さき」が軽く皮肉を口にすると、また音も無く立ち上がり部屋の隅に置かれている葛籠に手をかけた。

それはくるりらの数少ない荷物を入れているもので、「さき」はその中から淡い桃色に鞠の刺繍の描かれた巾着を取り出した。

それは「ゆめ」の化粧道具を入れた巾着だった。


「露歩き」がそっと「ゆめ」を布団の上に寝かせる。

「さき」はその傍らにかがみこむとその巾着の中から化粧道具を取り出し、またまた慣れた手つきで「ゆめ」の顔に死化粧を施していった。

むらなく丁寧に白粉をはたき、頬紅を己の手の甲で確かめながら「ゆめ」の亡顔に仄かな命を灯す。眼尻と眉の墨を一筆で描き、艶やかな朱で目元と唇を彩る。

「露歩き」にまたその背を支えてもらうと、今度は髪油をその手になじませ「ゆめ」の髪を丹念に梳き、また見た事のない、けれどとても愛らしい結い上げをこしらえた。



「「ゆめ」より上手いね、「さき」。」

「ただのたしなみだ。化粧は女の武器だからな。」

「化粧って人を傷つけるの?」


くるりの不安げな問いに「さき」と「露歩き」が幽かに笑う。


「「さき」?」

「いや、何でもない。あながちそうでないとも言い切れないが化粧が武器というのはいわゆるものの例えだ。気にするな。」

「さき」が巾着の紐をきゅっと縛る。

そしてそれを「ゆめ」の手首に結び付けた。


「私からのたむけだ。「ゆめ」。」


「さき」が「ゆめ」の両手を胸の前にそれを握らせるように置く。

「ゆめ」を見つめる「さき」の横顔は、いつもの不機嫌なものだったがくるりにはそれがとても優しいものに見えた。


茶屋の引き戸が開けられる。

それを開けた「丸嬰」が先頭をきってまるで行楽に行くかのような気軽な足取りで表へ出てきた。

その後をゆっくりと「ゆめ」の亡骸を抱えた「露歩き」が続く。

長閑な光景の中、純白の着物に化粧を綺麗に施した「ゆめ」はまるでこれから祝言を挙げに行く花嫁のごときに見えた。

けれどもちろんそんな事はなく、「ゆめ」のわずかに曇る顔が残酷にも幽かにその死を匂わせていた。


優しい草の匂いを含んだ温かい風が通り過ぎる。


「行ってくる。」

「露歩き」が振り返り茶屋の前に立つ面々に旅立ちを告げた。

「堯湖」がわっと泣き出すのと、くるりと「さき」がそっと「露歩き」の傍に近づくのはほぼ同時だった。


「「ゆめ」……。」

「「ゆめ」……。」


その顔にその名を、「ゆめ」を呟く。


「さようなら…。「ゆめ」。」


くるりと「さき」が囁くように同時に別れを告げた。

「露歩き」がゆっくりと背を向け茶屋から伸びる一筋の道を目指す。

「ゆめ」の純白の裾がひらりと舞い、「露歩き」が歩くごとにその衣が手を振るようにひらひらと揺れていた。

くるりと「さき」は肩を付けて互いに支え合うように立ちながらその後ろ姿を見送った。

山の端に消えるまで、何処までも、何処までも、何処までも…………。


「忘れないよ……「ゆめ」。」

くるりは呟いていた。隣でそれを聞いていた「さき」も呟く。

「私も忘れない…「ゆめ」も―――」


「勿論くるりの事もだ……。」


二人は肩を強く押しあてた。

          



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