第三章 第一節
第三章
第一節
一
「はやいですねくるりさん。もしかして虫がしらせました?」
茶屋の入口には「閼伽注」が立っていた。
その隣には「堯湖」が腕で顔を隠すようにしゃがみこんでいる。
鼻をすする音がわずかに聞こえる。泣いているようだ。
「どうぞ?中です。」
「閼伽注」が恭しく扉を引き開ける。
くるりは早足で中へと入った。
茶屋の中は外から差し込む暖気で淡い光に満ちていた。
茶釜がこぽこぽと音を立てその下で揺らめく炎がわずかに爆ぜる。
とても静かで長閑だった。
くるりは下駄を脱いで上がると奥の間へとまっすぐ向かった。
がらりと引き戸を開ける。
そこには「ゆめ」がいた。
そこには「さき」がいた。
奥の間も外の光が柔らかく満ちとても穏やかだった。
とても、とてもそこに――――
「「ゆめ」が死んだ。」
「さき」がぼそりと告げた。
まなじりがわずかに赤みを帯びている。
――――「さき」も泣いたんだ…。
くるりがそっと「さき」の隣に膝をつく。
どちらからともなく二人は互いに手を差し伸べお互いを抱きしめていた。
一言も言葉を漏らす事無く長い時間、二人はそのままでいた。
布団に横たわる「ゆめ」を目の前に……。
「ゆめ」の死に顔は眠るように穏やかとは言い難かった。
悪夢にうなされるのを、それが通り過ぎるのを堪えるような顔…。
死の恐怖や苦痛に酷く歪むというものではなく、不快感をわずかに示すような顔だった。
くるりと「さき」が体を離す。
お互いの手を強く握り締めたままその「ゆめ」の死に顔に見入っていた。
「どうして…死んだの?」
「自殺。」
「えッ……?」
くるりが「さき」の意外な言葉に驚きその顔を見つめた。
「「丸嬰」が人目見て言った。自殺だとな…。
とてもそうとは見えないが…。」
「さき」は「ゆめ」の死に顔を見つめたまま話を続ける。
くるりもわずかに「ゆめ」の顔に目を移し、はっと思い出したように「さき」に尋ねた。
「「丸嬰」は?「露歩き」もどこ?」
「「丸嬰」と「露歩き」は「ゆめ」を運んできてくれた人を送りに行った。
たぶんあれが「ゆめ」の言ってた「堕烏苑」の下男だと思う。」
――――「ゆめ」の言ってた?
くるりが不思議そうな顔をして「さき」を見る。すると「さき」がくるりに寂しげに微笑みを投げかけた。
「……着物と亜装の妙な風体の男だった。何となく艶のある「ゆめ」の好みそうな優男だったよ。」
――――いやらしくて何だか素敵なのぉ~。
「あ……。」
くるりは以前「ゆめ」が口にした言葉を思い出した。
「さき」の瞳と目が合う。わずかに含みを秘めた暗黒の瞳。
「あたしも見たかったな。「ゆめ」の好きそうな人。」
くるりは小さく笑った。「さき」も幽かに笑った。
本当は寂しいのに、本当は悲しいのに、本当は笑う所ではないのに…。
頬を赤くして夫人の自慢話をしていたころころ変わる「ゆめ」の顔を思い出したら何だか可笑しくて笑わずにはいられなかった。
二
「あ~、やっぱりすぐ帰ってきたみたいだね、くるり。大丈夫かい?」
「露歩き」と共に帰ってきた「丸嬰」はくるりに気付くとぱたぱたとくるりに近づいてきてなれなれしく肩をぽんぽんと叩いた。何とも軽い飄々とした様は、普段通りのものだった。
わずかに遅れてくるりの前に辿りついた「露歩き」はというと、明るく透き通った蒼眼に常ならぬ影を落とし、珍しくそれとわかる疲れをその体から漂わせていた。
「大丈夫か?くるり。」
それでもまずくるりの身を案じる「露歩き」。
くるりはそっと「露歩き」に近づきその体に顔をうずめた。
無言で「露歩き」はくるりのその頭をなでる。
今だ奥の間で「ゆめ」の傍についている「さき」以外がその光景を静かに見つめていた。
「うぅッ。」
その光景に堪え切れず「堯湖」がまた涙をこぼして腕の中に顔をうずめる。
それに気づいた「丸嬰」がやれやれといった様子で「堯湖」に近づきその頭をぽんぽんと叩く。
「全く…いつまで泣いてんのさ。あんた一応男だろ?」
「男だって泣きますよッ!それがいけないっていうんですか?」
「堯湖」はわずかに声を裏返らせながらきっと「丸嬰」も睨んで言った。
頬は拭った涙の塩でべとべとに汚れ、眼の淵と鼻の頭は真っ赤になってむくんでいる。
責めるような瞳からはぽろぽろと涙をこぼし、ひっくひっくと喉をわずかに揺らしていた。
「いやそうだろうけどさぁ…良い若者が……それはちょっと本格的に泣き過ぎだろう?
せめて後でこっそり泣くとかさぁ。」
「泣き過ぎ?故人を悼む事が過ぎる事はないでしょう?
君こそ何でそんな飄々としてるんですか?悲しくないんですか?」
「全く悲しくないね。」
「なっ……。」
「堯湖」が「丸嬰」の言葉に驚きその顔を見つめる。そして戦慄した。
不敵に笑んだその顔は何処か不吉で、その瞳には獰猛な修羅を宿していた。
慈悲や理性の欠片も無い、己の本能にだけ忠実な邪な瞳。
「君は……本当に何なんだ?」
「さぁ何だろうね。
ほらほら皆!とりあえず中に入んな!いつまでも突っ立ってたって何も意味無いんだし、無いなら無いで座って茶でもしばいてた方が心も体もましってもんだろ。」
一人明るい声を元気に張り上げ皆を促す「丸嬰」にくるりと「露歩き」は大人しく従い中に入った。その後を「閼伽注」が続く。それを「丸嬰」が不思議そうに見つめた。
「ていうか「閼伽注」、あんた何してたのさ。
茶屋の前でぼうっと突っ立ってたなんてさぁ。」
「……気を使ってくださったんですよ。中の「さき」に。
全くそんな事もわからないんですか?君は…。」
傍でしゃがむ「堯湖」が「丸嬰」に毒づく。
「本当に?らしくないねぇ~…。」
「うんそうらしくないでしょ?だからそれは建前でうそですから。」
「嘘…?」
「堯湖」が目を見開いて「閼伽注」を凝視する。
そんな「堯湖」を「閼伽注」はいつもの微笑むような顔で見つめ返した。
「そう嘘ですよ?たかこさんの為のうそ。
だってあたし全然悲しくないんですから。それに外にいる方が断然たのしい。
だからあなたにそう言ったの。」
「楽しい……?」
「堯湖」が顔を歪める。
その様を見た「丸嬰」と「閼伽注」はくすくすと笑いだした。
「そうそうさきゆきさんより断然たのしいです。
あなたが小さくうずくまってしゃくりあげてるのなんかを聞いているのはね。」
ひゃはははは、とは「丸嬰」。
ひ~~~ひゅひゅひゅ、とは「閼伽注」。
二人はあざけるように笑いながら茶屋の中へと入っていきその引き戸を閉めた。
「堯湖」はしばらく呆然としていたが、拳を握るとだんっと後ろの壁を叩きつけていた。
「化け物共め……。」
唸るように呟くと「堯湖」はまた腕に額を載せてうずくまった。