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第二章 第五節

はい…明らかに展開早いです……。

すみません。


第五節



          一



「ふうん……。」


それが「(かばね)」の感想だった。

その後の言葉をくるりは待ったが「屍」はそれ以上何か言葉を発しそうにない。

よく分からないといった不可解な表情。

何となくくるりは良い気持がしなかった。


「それだけ?」

思わず訊いていた。

「それだけ?」

「屍」が不思議そうに尋ねる。


「あたしは、すごく心が苦しかった…。

 茶屋の「死人」の(ただ)れた手を見るのも、泥で汚れた足と埃で出来た涙の跡を見るのも、

とても苦しかった。」

くるりは自分の胸元に両の手を当てる。


「とても……苦しかった。」


「屍」がその手を見つめる。

見つめながら言葉を発した。


「俺は…何も感じなかった。」


くるりが「屍」の方へ顔を向ける。


「「死人」が誰かを想って死ぬのは俺にとっていつもの事だから…。

 俺にとって「死人」の葬送はここでの義務で、その気持ちはただの紙切れに過ぎないからな…。」

 


くるりは「屍」の後ろに散らばる紙の山に目を移した。

それは全て「屍」の手によるものにもかかわらず全て筆跡の違う文字が紙の上で踊っていた。

くるりの心を打った言葉の羅列、人の想い…。

それが紙屑のように乱雑に積み重ねられている。


恋しさを葬送出来ず吹き飛ばした事があると言った「屍」。

勘で文字を破りその事で手が汚れたと愚痴をこぼした「屍」。


何だか苦しくなった。


「人を想って死ぬ?そんな事に何の意味がある?何故自分の為に生きない?

そんなの弱いからだ。馬鹿馬鹿しい。」

そういうと「屍」はおもむろに恋文の山をその白い指先で乱暴に崩した。

ばさりと音を立てて床の上をすべる。

その様を見た「屍」の横顔には冷ややかな笑みが浮かんでいた。

初めて見た、「屍」の笑顔…。


――――……胸が……痛い。


悲しいとは違う。悲しい時は寒くなるから。

この気持ちは、熱い。温かいとは違う。

もっと激しいもので……。


あたし……少し怒ってる……。


「「屍」……。」

「何だ?」


「屍」がまだその顔に冷ややかな笑みを薄く浮かべたままくるりの方に目を移す。

くるりは全く笑っていない。じっと責めるような視線で「屍」を捉えていた。

そのいつになく冷ややかな表情を示すくるりに「屍」がわずか驚いた。


「どうした?くるり。

 そんな怖い顔し―――」

「「屍」は間違ってる。」

くるりの強い口調の言葉に遮られ「屍」は次の言葉を失った。

くるりは続ける。

例えその後の行動に「屍」が怒ったとしても、それで「屍」に嫌われたとしてもそれはわからないと駄目だと感じたから…。


―――そう…「屍」はもうわかる…。


くるりはゆっくりと両の手を「屍」に向かって差し伸べる。

その動きに「屍」は驚きわずかに身を引いた。

それでもくるりの動きは止まらない。


「くるり…やめろ…。」

「やめない…。やめろって言われてもやめない。

 人を想う事が弱いとか馬鹿だとかいう「屍」の言う事なんか聞かない。」

「なッ……。」


「屍」はくるりが本気で自分で触れようとしているのを察すると急いで後ろに飛び退こうとした。

その動きを予測したくるりの両手が「屍」の首に巻きつく。

ちょうど抱きつくような形になってくるりは「屍」に触れた。


「…止めろッ!触るなッ!離れろッ!」

「止めないッ!触るッ!離れないッ!」


「屍」が必死でくるりを引きはがそうとする。

けれどくるりはそれよりなお必死に「屍」にしがみついた。

そして「屍」のその耳に、その心に、自分の言葉が届く事を祈って声を張り上げた。



「「屍」は人に触るのが嫌いなんじゃないッ!」

「……ッ!何言ってるんだッ!嫌だって言ってるだろッ?」

「屍」がくるりを引きはがし床に投げつける。

すぐさまくるりは起き上がり「屍」をきっと見つめた。


「じゃあ何で嫌なのか言って!」


そういうやまた「屍」に飛びついた。

「何でなのか…言って!」

くるりは必死でしがみつく。

「屍」も必死に引き離そうとするが中々引き離せない。

「そんなのっ……よくわからねぇよッ!

 だけど…嫌なんだよッ!俺の魂が嫌だって言ってんだよッ!

 俺をだますッ!俺を笑うッ!俺を殺すッ!って……俺の魂が言ってんだよッ!」


そういうと「屍」はくるりをまた引きはがし今度は思い切り床に叩きつけた。

受け身の取れなかったくるりはわずかにうめいて床の上で蠢く。

そのままの体勢で「屍」を見つめる。

「屍」は青ざめた唇をわずかに震わせ、肩で荒く息をしていた。

刹那その双眸から大粒の涙がこぼれ落ちる。

「屍」はそれがわからないといった表情で何度も拭う。

何度も何度も…それでもその瞳からこぼれる涙は止まらなかった。


――――「屍」にはわかってないんだ。「屍」の魂の持つ人への怨みの記憶が…。

     だけどそれに縛られてるんだ。…わかってないのに…。


くるりはゆっくりと這いながら「屍」に近づく。

「屍」はゆっくりと後ずさった。


「あたしは「屍」を騙さない。あたしは「屍」を笑わない。あたしは「屍」を殺さない。

 あたしはそういうことしない。

「屍」もそれはわかってるはずだよ……あたしをそんな風に思ってたんだとしたら「屍」はあたしに無意識でも絶対触れたりなんかしなかった…。」


くるりはわずかに起き上がり四つん這いになって「屍」に近づく。

「屍」は小さく首を横に振りながら後ろへ下がる。その体が楼の背にぶつかった。


「「屍」はもうそういう事であたしに触れるのが怖いんじゃない。

 「屍」が怖いのは――――」


「ここで全くの一人だと知る事………人の温もりが離れた後の寂しさだよ……。」


――――骨の雪山に一人。それをここで知ってしまう事はあまりに辛すぎる……

    きっと凍え死ぬ程に…。


くるりは「屍」にまた飛びついた。「屍」がその腕の中で必死にもがく。

くるりは「屍」の耳に囁くように告げていた。



「だからあたしが「屍」の「縁」になる。」



「屍」の抵抗がぴたりと止まる。

くるりの腕の中で「屍」はおそるおそるくるりの顔を窺った。

その顔には二つの色があった。

一つはくるりに対する拒絶と戸惑い、それが顔全体を覆いつくすように張り付いていた。けれど今一つは切望、その漆黒の瞳だけは強くそれを宿していた。

瞬きしたら、瞳を逸らしたらそれが嘘になるのではないかと恐れるかのようにわずかに揺れ惑う瞳をしっかりくるりの瞳に映して……。


心の奥に必死で手を伸ばすかのように……。


――――あたしもだよ……「屍」。


くるりはそっと「屍」の首に回していたその手で「屍」の頭を抱きそのまま自分の胸元へと引き寄せた。

「屍」は何も言わずなすがままにくるりの胸の上に頭を預ける。


「あたしの胸は「露歩き」や「ゆめ」のように安心する音がしないけど…。

 それでも……。」


くるりはそっと片方の手を「屍」の背に流しゆっくりとその背を撫でた。

次第に「屍」の肩の硬い感じがほぐれていくのをくるりは腕の中で感じた。


「見えないけど、わからないけど、あたしの心はたぶんここにある…。

 だから「屍」にもそれを聞いてほしい…。あたしの心に触れてほしい。」



「あたしは「屍」が好き。」



「屍」がわずかに嗚咽をもらす。

そしてその両の腕がくるりの背を掴みくるりの胸に強く頭を押し付けていた。

くるりはそれ以上何も言わず何度も何度もその背を撫で続けた。

何度も何度も何度も…。


「屍」はくるりの腕の中で眠りに落ち、「屍」を抱きしめるくるりもいつの間にやら「屍」の頭を枕にして眠りに落ちてしまっていた。




              二



百年と少しの歳月が過ぎた。


真っ白な大地の中に突如魔物のように現れる巨大な岩山。

その中に埋め込まれるように造られた朽ちた楼閣。

白と黒、決して交わる事のない対の世界が完全な虚無によって一つとなる死の境地。

希望も命も時すらも拒むその寒々しい世界の中で、くるりと「屍」は楼の中で温かい空気を感じていた。


あの日を境に二人の関係が大きく変わったという事はなかった。

くるりが訪れ、「屍」が迎え、語らい、そしてくるりが去り、「屍」が見送る。

それ以上のものはない。二人の逢瀬は静かに打ち寄せる波の如く穏やかで優しいものだった。

けれどあの日を境に確かに変わったものはあった。

ぎこちなさが無くなった。互いに抱いていた恐れが消えた。

目に見えないけれどそれは二人とも肌で感じていた。

絶望的な世界は変わらない。変わらない世界だからこそ自分達の中の変化が手に取るようにわかった。

互いの心が繋がり、互いの温かい気持ちが自分達を温かくしている事、それがはっきりと感じ取れていた。


「「屍」は初めの頃と随分変わったね。」

「うん…そうだな…。俺もそう思う。」


「屍」の隣で落書きをしていたくるりがぽつりと呟く。

二人の後ろにある書机の上はきちんと整頓され、その横に積み上げられた半紙や巻物も整然としていた。

はっきり名のつく強い感情を「屍」はまだ理解出来ていなかったが、人の心の在処を知った「屍」は恋文をおろそかにするような事はなくなった。

恋情の書き取りやその葬送の折にも死人の想いに心が共鳴し涙を流すようにもなっていた。


「よく……わからないんだ……けど………苦しい。」


そう言って嗚咽し眠りに落ちる「屍」をくるりは優しく抱きしめた。

「屍」はくるりの腕の中で穏やかな顔をして眠る。

くるりはその寝顔を眺めているのがとても幸せだった。



「くるりは変わらないな。」

「……うん。」

「初めにあった時のままだ。心が透っていて心地良い。」


「屍」が自然な動作でくるりに頬に手を当てる。

くるりがその手の上に自分の手を重ねて「屍」を見つめた。

「安心する…。」


そう言った「屍」の瞳も始めの頃の様な険は無く、その瞳の奥がそのまま心に繋がっているかのようなまっすぐな眼差しでくるりを見つめていた。


「あたしは変わらないよ。「在人」だから。」

「そうだったな。」


「屍」がわずかに微笑みを浮かべる。

「屍」の触れるその手は相変わらず冷たかった。けれどその笑顔はとても温かいものだった。


――――嬉しい……。


くるりも「屍」に向かって微笑みを返していた。

優しい気持ちに優しい気持ちを返す。

内から溢れる温かさと外から注がれる温かさ。

想い想われる、それがどんなに幸せな事か……。



―――ずっと…こうして……。


くるりの表情がわずかに曇る。

「屍」の手に載せていた手がぱたりと己の膝の上へと落ちる。

心を通わせていた「屍」がそれに気づかない訳がない。

同じようにわずかに顔を雲らぜくるりに尋ねていた。


「どうした?くるり。」

「……うん。」


くるりが瞳を逸らして俯きながら答える。

「屍」はそれを心配そうに見つめる。

「屍」を不安にしている自分が嫌だった。

でも告げたくなかった。けれど告げなければならなかった。

くるりが両の手をぎゅっと握る。



「……逢えなくなるのか?」


「屍」の呟くような、けれど涼やかに心に響くその声にくるりははっと顔を上げていた。

目の前の「屍」の表情はひどく不安げな顔をしていた。

その瞳がくるりの瞳にぶつかると、自分の言葉が真実である事を悟り「屍」は深く沈んだ。


「うん……もうすぐ三百年経つから…。

 そしたらぬし様の御殿に戻らなくちゃいけない。」

「そうか……。」


くるりの頬に触れていた「屍」の指先がゆっくりと離れそのままくるりの膝の上で固く握られている手を包み込む。その手はわずかに震えていた。


「また……逢えるよな?」

「うん……。」

「いつになる?」

「……それはわからない。

 ぬし様が休みに入るのは気紛れだから。

 何十年後かもしれないし、何百年後かもしれないし―――。」

「何千年後かもしれない。」

「……うん。」


二人の間に冷たいものが流れた。

ちょうど始めの頃のような、とてもぎこちない心が通わない時の空気。

心が……わずかにずれていくような―――


――――嫌だ。


くるりは自分の手に重なる「屍」の手に自分の手を重ねしっかりと握った。

顔を上げて「屍」の顔を見つめる。

「屍」の瞳は不安とわずかな寂しさとで揺らいでいた。

それがとても苦しかった。


「あたしは変わらない!何千年経っても「屍」が好き。

 絶対逢いに来る!だから―――」

言いたかった。その後の台詞を…。

けどそれはあまりに身勝手で残酷だった。

だから言えなかった。

くるりが口をわずかに開いたまま固まる。


「屍」は何も言わずにそんなくるりを見つめる。

くるりの言わんとしている事、そしてその残酷さ。そしてその戸惑い。

静かな夜の闇のような瞳はすでにそれを理解していた。


「……待ってる。」


「屍」がくるりをそっと抱き寄せる。

くるりは「屍」の胸の中に顔をうずめた。

「屍」の胸の内はくるり同様何の音もしなかった。

くるりを包むその腕も人形のように固く冷たい。

けれどその心の温かさをくるりは確かに感じていた。


―――目に見えない…でもわかる。「縁」のような心の繋がり……。



―――とても強い繋がり……。



それはあまりに突然だった。




        三




自分の体の一部がふぅっと抜けていくような喪失感。

あまりにあっけなく、けれどその空しさはあまりに果てしなく。

体の芯を抜かれてばらばらにされたかのような混乱。


――――心が……割れる…。



「ああああああああッ!」

「屍」の腕の中でくるりが絶叫した。

「くるりッ!」

突然の事に「屍」は一瞬狼狽したが、すぐくるりの身を案じた。

両の腕を掴みくるりの顔を覗き込む。


「ああああああッ!」



くるりは泣いていた。とめどなくぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。

目の前にある「屍」の顔を突き抜けて何かに驚愕している。

意味をなさない叫びを上げて体を小刻みに震わせている。

一つの感情がくるりの心も体も完全に支配していた。


「くるりっ!どうした!くるりっ!」


「屍」がその肩をゆさぶりくるりの瞳を覗き込む。

くるりの空を捕える瞳に「屍」の心配する顔が映る。

次第にくるりは「屍」のその顔と自分を呼ぶ声に己を取り戻していた。


「「屍」……。」


くるりが滝のように涙を流しながら弱弱しく「屍」を呼ぶ。

そんなくるりを「屍」はしっかりと抱きしめた。

くるりも同様に「屍」にしっかりとしがみつく。



「落ちつけくるり。落ちつけ。」


「屍」が小さな子供をあやすかのようにくるりに呟く。

くるりはというとずっと「屍」の名を弱弱しく呼び続けた。

次第に静かになるくるり。

くるりが「屍」の体をそっと押し離した。


「くるり……。」

「あたし……帰らなくちゃ。」


ひどく憔悴しきったような顔をしたくるりはゆっくりと立ち上がると、よろよろと階段へと向かって歩き出した。

「屍」がぎょっとしてその後を追う。


「…ッ…そんなよろよろで…。

 いきなりどうしたっていうんだ?くるり。」

「帰らなくちゃ……早く……帰らなくちゃ……。」


くるりが熱に浮かされたかのようにそればかり呟く。

よろよろとした足取りは何もない床で挫きばたりと転んだ。


「くるりッ!」

「屍」がその肩に手を掛けてゆっくりと引き起こす。

「……帰らなくちゃ…。」


くるりはそれだけ呟いてまたよろよろと歩き出す。

「屍」はその手を掴みくるりを引きとめた。


「無理だ。そんな調子で……。

 もっと落ち着いてから帰った方がいい。」

「けど…あたしは……。」

「どうして急ぐ必要があるんだ?

 いきなり泣いて……どうしたっていうんだ?くるり。」


くるりが唇とぎゅっとかみしめる。

「屍」は掴んだその手からくるりの体が固くなるのを感じた。



「………「縁」が切れた。」


「え……・・。」


「どうしてかわからない。「ゆめ」と「さき」がどうしてるのかわからない。

 二人の事が何もわからない。何も伝わらない。不安でたまらない。」

くるりがふるふると首を振る。

「二人を見ないと安心出来ない。心が割れそうなの。

 だから行かせて「屍」。」

くるりは必死な顔をして「屍」を見つめる。

「屍」はゆっくりと手をくるりから離していた。

「屍」は何も言わずくるりを見つめる。

くるりはよろよろと階段を下りていった。



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