第二章 第三節
どぉもです。
この辺から異様に展開が早くなってきているやもやも……。
まァ雰囲気(?)で読んでいただければ幸いです。
銃.
第三節
一
あたしを引っ張るその手は…。
あたしを立たせるその手は…。
あたしに手渡すその手は…。
どれも、とても冷たくて……。
でもその手はどれも…。
あたしを「死人」から隠そうと…。
あたしの体を気遣おうと…。
あたしの大切な壜を守ろうと…。
どれも、とても優しい手だった。
―――……本当に…人に触れるのは嫌なんだ…。
あたしは、触れたい。「屍」に触れたい。
だって「屍」は……。
骨の雪山の中にただ一人………。
それはとても寂しそうに見えるから……。
気付くと肌に感じる気候はとても温かいものになっていた。
いつの間にやら目の前には道が出来、それが果てしなく続き黄土色の草原は空の朱に染められて炎のように、けれど優しく揺らめいていた。
道はぐねぐねと幾つもの小山の上を走り、くるりが何度目かの上り下りを繰り返した時、遠くの同じような小山にそこだけ違う茅葺屋根の小屋が見えた。
くるりの帰るべき、仮の住処。
くるりを温かく迎え入れてくれる人々の待つ処……。
茶屋の前の縁台には、三人の人影が見える。
一人は「さき」、そして「堯湖」、最後にあの飲めない「死人」だ。
「さき」はいつもの縁台にいつものように腰をかけ何事かを呟いている。
一方「堯湖」は、「さき」の座る縁台の茶屋を挟んで隣に位置する縁台に腰を掛け「さき」の方に体を傾けて何事か話している。
そして、最後の「死人」はというといつものように………。
――――虚ろな瞳。
くるりに印象的に映ったのはそれだけだった。
普段置物のように動かないその「死人」が、湯のみを投げ出し突然自分に向かって突進してきた事も、その勢いで押し倒され馬乗りにされた事も、くるりにはあまりに唐突な事ですぐには理解出来なかった。
それがくるりにも理解出来たのは、「さき」の鋭く静かに重い一言がその「死人」の頭上を貫いて上から降ってきた時だった。
「そこまでだ。」
決して声を荒げていないけれど決して抗えない、人の腹に何か重いものを落とすような「さき」の声。
「死人」の動きはまだくるりに向かって手を動かしている。けれどその手がくるりに届く事はなかった。
「死人」の首には、鞘に入ったままの二刀の刀が交差して食い込んでいた。
その後ろには「さき」がまさに鬼の様な形相で、交差した両手にしっかり刀を握りしめ不動の如く立っている。
さらにその後ろから「堯湖」が慌てて駆けつけてきた。
「だ、大丈夫ですか!くるり!「さき」!」
「堯湖」の慌てふためく声に「さき」がこめかみに青筋を立てながら振り返る。
「私が、怪我をしたように見えるか?」
くるりにはすぐわかった。
「さき」が今本当に不機嫌に「堯湖」の問いに応えている事を。
「いや……えと…。」
「堯湖」もその不機嫌がわかってかわからずか、とにかく何事かを呟こうとしどろもどろとしている。が、その言葉が意味を成す前に「さき」が眉根を寄せて先に言葉を吐き捨てていた。
「護兵が聞いて呆れる。
いざ一人の娘を守る事も、己の得物を守る事も出来ないとはな。」
そう、見ると「死人」の首に食い込んでいるのは「堯湖」の二刀の愛刀だった。
「堯湖」が恥じたように唇を噛んでわずかに俯く。
「わかったか?己の甘さが。普段から中途半端な考えでいるからこうなるんだ。」
本当に何があったのだろう。
「さき」はひどく怒っていた。
「………縛るものを持ってこい。私がこのまま押さえている。」
「さき」がそう静かに呟くと「堯湖」は黙って茶屋の中へと駆けていった。
「さき」の顔が正面に向き直る。
瞳の鬼火は煮えたぎり肩から煙が燻ぶるのが見えそうな程、「さき」の気配と表情は険しかった。
しかしそれでもなお「さき」の顔は恐ろしく美貌であった。
「あいつを見ていると…本当にいらいらする。」
くるりは寝転がった体勢のまま、「さき」の唸るような呟きを耳にした。
二
「……たぶん、その嫉炎だね。」
夜の団欒の席で、「死人」の捕り物劇が話題にのぼると「丸嬰」がちろりと一舐めくるりを見やるとあっさりそう言ってその指先を示した。
「嫉炎……。」
くるりがそのわずかに火傷を負った指先をもう一方の手でそっと触れる。
その指先に皆の瞳が集中した。
「嫉炎って?」
くるりが尋ねる。「丸嬰」が腕を組み直しながら面倒臭そうにその問いに答える。
「嫉炎ってのは、元天人、「潤愕卵」の嫉妬の炎の事さ。
そいつは自分が恋人に捨てられた腹いせに相思相愛の男女の魂なんかを見つけるとその縁を切り離すっていう迷惑な奴でね。
くるりの手の火傷はその嫉炎の痕だ。
おそらくそうした、そうだね…心中かなんかした魂に触ろうとしたんじゃないのかい?」
――――心中した魂…。
小さな体、ずぶ濡れの、その腕にはきつく結びつけた腰紐が垂れさがる………。
「……うん、たぶん……。」
くるりはゆっくりと頷いた。
「何ですか?……つまりその火傷が、くるりがあの「死人」に襲われた原因だというのなら、まさかあの「死人」はその……。」
「堯湖」が茶屋の外の大木に縛り付けられている「死人」を思って外を見やる。
皆もその方向へ耳を澄ました。
耳を澄ますとわずかにざりざりと地面を足で擦る音が聞こえる。
縛り付けられてもなおその「死人」はくるりを求めて動きを止めなかった。
「さぁね。
もしかしたらくるりに火傷を負わせた「死人」と心中した相手が、あの外の奴なのかもしれないし。
はたまた「潤愕卵」に縁を断ち切られた事のある別の「死人」なのかもしれないし。
まぁあたしにはどうでもいい事だ。」
「どうでもってッ…。」
「どうでもいいに決まってるじゃないか?別にあたしらの人生に何の関係もないんだから。
あんたもちょっとはその何でも自分のメガネに収めようとする癖を何とかしな。」
「っ……。」
「堯湖」が珍しく「丸嬰」の物言いに何の反論もせずに黙りこんだ。
くるりは何となく「さき」の方を見る。「さき」はむっつりと不機嫌な顔をして何も聞こえていないかのように囲炉裏の火を見つめていた。
「…とにかくだ。くるり!」
「丸嬰」の呼びかけにくるりははっと顔を向ける。
「その傷が治るまで無き原に行くのはやめときな。
その傷はいわば呪いみたいなもんだからね。
表の「死人」みたいに縁を断ち切られた奴等にいつどこで集られるかわかったもんじゃないんだからさ。」
「…………うん。」
本当は「屍」の所に行きたかった。
人に触れるのは嫌だと悲しげに呟く「屍」、その姿はあまりに孤独で出来るだけ傍に付いていてあげたかった。
けれど大人しく置物のようだった表の「死人」の豹変と、「露歩き」を始めとする茶屋の面々の心配そうな顔を見ているとくるりは納得せざるを得なかった。
わずかにただれた指先の紫痕に瞳を落とす。
「どの位で治るかな?」
「そうだねぇ……普通の傷と違って呪いだからねぇ。
呪いってのは達が悪いと一生取れなかったりとかするからねぇ。」
その言葉にはっとするくるりに「丸嬰」が意地悪い笑みを浮かべて諭す。
「まっ……そういう意味じゃあここが仮の住処だったって事は、かなり幸運だったって事だよ。
ねぇ?「閼伽注」。」
「全くまるえいさんのそのとおり。茶屋のゆはのろい取りにもかなり効くの。」
そう言って「閼伽注」は茶釜から湯を掬い茶碗にたっぷりと注いだ。
「さっくるりさん。ゆび入れてみて。」
「閼伽注」がにこにこと湯の入った茶碗をくるりに勧める。
そっと茶碗の中にただれた指先を沈める。
その瞬間、そのただれた部分の皮膚が強い力で引き千切られるような感覚に襲われた。
くるりは思わず小さく悲鳴を上げて湯から手を引き抜いていた。
「「閼伽注」……これすごく痛い。」
「それはあたり前。しょうがないの。
だって呪いをとろうとしているんですから。痛いのはとうぜん。」
「閼伽注」がにこやかにくるりに答える。
「で・も。」
「閼伽注」がその顔をくるりに寄せる。
「早くなおしたいならどんなに痛くてもがまんしてください?」
――――早く治したいなら……。
くるりの顔に触れるか触れないかまで顔をつき寄せた「閼伽注」の言葉にくるりはしっかりと頷いてその指先を茶碗の中に沈めた。
唇を噛みしめその激痛に耐えるくるり。
皆がそのくるりの様子をその指先を見つめていた。
三
幾つかの夜が過ぎ幾つかの朝が訪れた。
茶屋の窓や屋根の隙間から極楽蝶の燐粉を思わせる光の粉がその穏やかな微風と共に注ぎ込まれる。
くるりが目を覚ました時、その指先は目の前の床の上に転がっていた。
呪いを受けたその指先の紫痕は幾分薄くなったように感じられたが、その紫痕を縁取るかのような蚯蚓腫れは次第に膨れ上がり却って痛々しかった。
指先を親指の腹でそっと撫でる。痛みと共に絡みつくような弱々しい熱を感じた。
地面をざりざりと擦る音が外から聞こえる。
――――今日も……駄目。
くるりが体を動かしその顔を天井に向ける。肩口で柔らかな衣がさらりと音を立てた。
くるりはそっとその衣に触れる。
くるりの体の上には「露歩き」の衣が掛けられていた。
くるりは毎日茶碗の中に指を浸してはその激痛に耐えていた。
そしてその痛みに疲労しそのまま眠りに落ちる生活を送っていた。
始めの内は、「露歩き」がくるりを奥の間の蒲団の上まで運ぼうとしていた。
けれどくるりはそうすると必ず目を覚ましてしまい、また茶碗に向かってしまっていた。
次に「露歩き」はくるりが眠りに落ちるとその上に布団をかけるようにしていた。
けれどくるりはそうすると日が昇り茶屋の中が温かい空気に満たされるとすぐ目をさましてしまい、また茶碗に向かってしまっていた。
そうして「露歩き」はくるりに自分の衣を掛けるようになっていた。
くるりが一番安心出来る「生人」の衣は、くるりをぐっすりと眠らせた。
「まだ寝ていなさい。」
くるりの耳に静かで優しい声が響く。
ゆっくりそちらへ顔を傾けると囲炉裏の向こうに衣を一枚脱いだ「露歩き」が胡坐をかいて座っていた。
「……ごめんなさい「露歩き」。あたしまたそのまま寝ちゃって。」
「気にするな。」
「露歩き」は古びた書物に目を落としたままくるりに答えた。
それは少し前に「丸嬰」がまた何処からか大量に持ってきた書物の一つだった。
垢と大量の血で所々汚れたそれらの書物は、最近「露歩き」と「さき」に好んで読まれていた。
そうこの二人だけ、「堯湖」は読まなかった。くるりはその事が不思議でならなかった。
「堯湖」は始め本を見るなり散々「丸嬰」にまた窃盗ですかと問い詰めていたがやはり古い本に興味があるのか、「丸嬰」と「閼伽注」の目の無い時を狙ってこっそりその本を手に取っていたのをくるりはまどろみの中見た記憶がある。
けれどそれ以来「堯湖」がその書物群の山に触れようとした事はなかった。
顔面蒼白で口元を押さえて表へ出ていった「堯湖」。
「堯湖」が何故そのような表情を示したのか、古く難しい文字の読めないくるりにはわからなかった。
「少し休みなさい。」
くるりの一番心地よい声が一番心地よい言葉をささやく。
「「在人」は死なない。けれど死なない事が消えない事とは限らない。」
くるりは「露歩き」を見つめた。その白髪は差し込む日の光を浴びて金色に輝いている。
「あたしは……消えてなくなるの?」
くるりの瞳が「露歩き」の海の様な瞳に沈む。
「わからない。
けれど「生人」にとって体の不調は命に関わる兆しだ。
それを感じるくるりの一つの可能性としてそれもあるという話をしただけだ。」
「露歩き」がおもむろに立ち上がる。
ゆっくりとくるりに近づきその目の前に腰を下ろすと、くるりの額を温かなその手の平で優しく撫でた。
「何がどのように影響するのかわからない。だからもっと自分を大切にしなさい。」
くるりは瞳を閉じ、額に触れる「露歩き」の手の感触に心を澄ませていた。
目に見えていなくてもそこに自分を労わる「露歩き」の姿を感じる。
その指先から心を感じる。
とても温かな優しい心。それはとても心地よくて嬉しくて……。
世界と自分の境が消えて、世界が自分になっていく感じがして…。
――――あ………だから「屍」は…。
そこから先の思考を待たずして狂はまたまどろみの中へ落ちていった。
四
また少し、幾つかの夜が過ぎ幾つかの朝が訪れた。
そしてそれは、あまりにあっけなく突然だった。
いつものように湯の中に指を浸して耐えていると、徐々にその痛みが和らぎ最後にしゅるりと細い紫の煙を湯の中から昇らせるとくるりの指先には蚯蚓腫れの痛みしか残っていなかった。
それと同時に「堯湖」が眠れないとぼやいていたあの「死人」の足音もぱたりと止み、長閑な風の木の葉の囁きだけの世界が訪れた。
「とれたのくるりさん。」
少しすると茶を出しに表に出ていた「閼伽注」が茶屋の中へと引き返してきた。
板の間に上がり盆を脇に置くとくるりの方へとにじり寄る。
「死人のひといきなり大人しくなったの。
だからもしかしてと思って。すこし見せてください。」
そういうと「閼伽注」は茶碗に沈めてあるくるりの指先をちょいとつまむと自分の目の先へと持っていった。
「うんうんもう何のかげもない安全なゆびです。
この蚯蚓ばれはただの傷だからだいじょうぶ。そのうち治ります。
いまきず薬ぬってあげますからちょっと待ってください?」
それだけ言うと「閼伽注」は部屋の隅にある古びた茶箪笥に向かい、持前の鍵でその一つを開けた。
一しきり中を確かめるとそこから小さな丸箱を取り出してくるりの元へと戻ってきた。
「閼伽注」がそっと丸箱の中のものをその細い指先にすくい取る。
虹色に淡く色づく不思議なその塗り薬がくるりの指に刷り込まれていった。
これまでと異なるじんわりと温かい感覚がくるりの指先を包んでいった。
「解けたのか?」
表に出るとそこに「さき」が座っていた。
顔だけをくるりの方に向けて短く尋ねる。
「うん…。「閼伽注」がもう大丈夫だって。」
「さき」の言葉に応えるとくるりは「死人」の縛られている茶屋の脇の大木に目を移した。
虚ろな瞳を無表情の面で覆った「死人」は大木に縛られたままぼんやりと立っている。
その足元は何度も足で擦った為か、そこだけ土の色が湿り気を帯びた黒いものに変わっていた。
その足はすっかり泥で汚れていた。血の流れる事のない「死人」からその傷の深さははっきりと読み取れない。だがおそらく見えないその足の裏はすっかり皮膚が剥がれおちている事だろう。
それを容易に想像させる程にその「死人」の立てる足音は大きく、そしてその削り取られた土の量は深かった。
だがその「死人」は何事もなかったかのように今ではもう微動だにしない。
「近づいても大丈夫かな?」
「さぁ。ふりをしてるとは思えないが…。
拘束を解かなければ別にいいと思う。」
「さき」はぼそりと呟くとまた正面を向いてしまった。
おそらく武道の手錬の「さき」がそのような態度を示しそのように答えるのだから大丈夫なのだろう、くるりはそっと「死人」の縛られている大木へと近づいた。
日の陰っているそこは、少しひんやりとした空気に包まれていた。
自然とくるりの気持ちも引き締まる。
「死人」の正面にくるりが立ってもその「死人」は何の表情も示さなかった。
大木に茂る葉の濃淡だけが血の気の無いその顔の上で動きを見せている。本当に人形のようだった。
――――でも……。
一目見てくるりはそれに気づき思わず手を伸ばしかけていた。
けれどその手はつい先ほどまでその「死人」を突き動かしていた衝動を宿していた事を思い出しゆっくりと腕を下ろしていた。
「死人」の両の目から顎にかけてくっきりと砂埃で道筋が出来ていた。
「なわをとりたい?」
くるりは囲炉裏の火の具合を見ていた「閼伽注」に尋ねていた。
「ん~まるえいさんにかくにんしてからにしましょ?
とりあえず中で待ってて。」
「閼伽注」の言にくるりは頷き大人しく茶屋の中で座って待っていた。
しばらくすると「丸嬰」が何処からかふらりと戻ってきた。
その手にはこれまたどこかでくすねてきたのか、純白の高価そうな着物を担いでいる。
「それ、「丸嬰」が着るの?」
「まさかぁ。純白なんてあたしの柄じゃないしねぇ。
丈だって全然違うだろ?」
確かにそれは「丸嬰」の背格好には不釣り合いな大きさだった。
どちらかというとそれは……。
「あたしの……?」
「へぇ……くるりでいいのかい?」
「丸嬰」が意地悪く瞳をぎらつかせてくるりを見る。こういう瞳をする時の「丸嬰」は何か悪い事をたくらんでいる事が多かった。
すでに家の中に戻っていたさきがちらりと「丸嬰」に刺すような視線を向けた。
「ううん、いらない。」
「そう、よかった。もう一着持ってくるようかと思ったよ。
ところでくるり、指はいいのかい?」
「えっと……。」
くるりは自分の呪いが解けた事、そして「死人」の縄を解きたい事を「丸嬰」に告げた。
「あ~、いんじゃない?」
「丸嬰」はくるりの指先を見ると、外の「死人」をちらとも見ずにさらりとそれだけ答えた。
その答えを聞くとくるりはまたすぐさま表の「死人」の所へと向っていた。
外はすでに夕焼けに染まっていた。
茶屋の脇の大木には変わらず「死人」が縛られたまま立っている。
くるりは大木の後ろに回ると早速その縄を解こうとした。
しかしその縄は複雑にきつく縛られていた為中々解く事が出来なかった。
手元の明かりも次第に心もとなく弱弱しくなっていく。
夜の藍が夕焼けの朱に勝り始めてきた頃、「露歩き」と「堯湖」が「厭山」から薪を手や背に背負い戻ってきた。
「死人」の縄を解こうとするくるり。
呪いが解けた事を知らない二人は薪を投げ出し駆けつけた。
「なっ……何してるんですかッ!」
「くるりッ!」
駆けつけた「露歩き」がその腕を掴む。
あまりの強さにくるりは息を詰めた。
「露歩き」がその指先をじっと見つめる。
すうっと息を吐くとゆっくりとくるりを掴む手の力を緩めて言った。
「呪いが解けたのか。」
「うん。それで「丸嬰」にこの縄取っていいって言われたから。」
二人のやり取りを「露歩き」の後ろで聞いていた「堯湖」の表情がふっと穏やかになった。
「な……なんだぁ。びっくりしたじゃないですかぁ……。
僕はてっきり……。」
それだけ言うと「堯湖」はやれやれと何やら照れ笑いをして必死だった自分をごまかそうとした。
「露歩き」の手がくるりの腕から離れる。
くるりの腕の握られた部分が赤くなっていた。
「すまない…力が入った。」
「ううん、「露歩き」はあたしを心配してくれただけだから。」
くるりがそっとその赤くなった部分を手の平で包みこむ。
その赤さと痛みがくるりには自分に対する「露歩き」の愛情の深さのように感じられた。
「堯湖」が「死人」の傍に寄る。「死人」の縄は「堯湖」によって斬り解かれた。
ばらりと輪を描いて「死人」の足もとに縄が落ちる。
それでもその「死人」はその場に変わらず立ちすくんでいた。全く動く気配を見せない。
誰もそこを動かない。
始めに動いたのはくるりだった。
くるりはなんの躊躇も無くその「死人」の手をしっかりと掴み取った。
そのくるりの行動に「露歩き」と「堯湖」は一瞬緊迫した空気を放ったが、「死人」が何の反応も示さないのを確認するとくるりの行動を黙って見守っていた。
くるりはその「死人」をいつもの茶屋の縁台の前まで歩かせた。
「死人」は全く抵抗しなかった。
くるりがその手を引いて歩き出すと大人しくその後に続いて己の足を動かしていた。
いつも座っていた縁台の前まで来ると、そこがここでの自分の場所だという事を思い出したのか、くるりが促さなくてもそのままゆっくりと腰を落としていた。
「これでいつものとおりですね。」
くるりが振り向くとそこにはまた音も無く「閼伽注」が立っていた。
その手の盆の上にはもうその「死人」の専用のようになってしまった湯呑が載っている。
するりとくるりの脇を通り過ぎると「閼伽注」は「死人」の胸の前に盆を突き出した。
「まだ頑張ります?」
「死人」は何も答えない。けれどしばらくすると、その火傷で爛れて茶色くなった両の手の平を、ゆっくりと盆の湯呑に伸ばしそれを受け取ると自分の手元に引き寄せていた。
じゅっと鈍く肉の焦げる音がする。
「死人」は何の表情も示さない。ただまっすぐ顔を前に向けていた。
心無い瞳をただひたすらに正すその姿
くるりはとても苦しいものを感じた。