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第二章 第一節 三~四

何やらぼろぼろですみません。

          銃.

            三



「それはさぞ……苦しかっただろうな…。」


(かばね)」が溜息をつくようにそれだけ言った。

そこは、心すら凍てつかせる哀しい風の吹く楼の中。

くるりはそこでくゆる香に身を染めながら「屍」に「堯湖(たかこ)」の大惨事のあらましから恐ろしい事の顛末までを話して聞かせていた。

二人の間には書き散らした半紙が散らばっていた。

そこにはくるりが書き散らした「堯湖」や「さき」等の茶屋の皆の名前が散らばり、これぞ本人とは言い難い「堯湖」の拙い似顔絵が今まさに描かれていた。


「……「屍」も…蹴り上げられた事があるの?」

「そんな事ある訳ないだろッ!」

「……無いのに、どれだけ苦しいのかわかるの?」

「……それはッ…当り前―――」

そこまで言って「屍」は肩を落として溜息をついた。そんな「屍」をくるりが不思議そうに見つめる。

「「屍」?」

「……そうだな…それがわかってる女子がまだ知りあって日の浅い男子にこんな話題をまず振る訳がない…。」

「屍」がまた一つ溜息をつく。

「…あたしの話…嫌だった?」

「いや……あ、いや…そういう意味じゃなくて。……それなりに面白かった。

くるりがどういう人達に囲まれてどういう暮らしをしているのか、今の話で少しだけわかったような気がしたから…。」

「本当に…?よかった…。」

くるりは前のめりになっていた体を元に戻してほっと溜息をついた。


「そんなにびくびくするな…。別にいきなり怒ったりなんかしない…。」

「本当に……?」

「本当にってお前…。本当にそれでびくびくしてたのか…?」

その「屍」の問いにくるりはこっくりと頭を前に一度倒した。

それを見た「屍」もくるり同様、けれどがっくりと頭を前に一度倒して固まった。


「……お前……・・。」

「「屍」?」

くるりがまた心配そうに「屍」の方に体を傾ける。とほぼ同時に「屍」が顔をあげくるりの顔を見つめて言った。

「初め随分怒鳴ったからな…。

俺がこんな事言うのはまだ信じられないかもしれないが…もう一度きちんと言っておく…。

俺はもういきなり怒らない。だからそんなにびくびくするな、くるり。

もちろんくるりがいきなり変な事をしなければだけどな……。」

くるりは目の前で己を貫く漆黒の瞳に見入った。

ややつり上がり鋭い印象を与える瞳の奥には、それとは対照的に温かく優しい光がほんのりと宿っている…。

「………うん。」

くるりは「屍」の言葉を信じて優しく頷いた。




「あたしも……「屍」の事、知りたい…。」

「ん……。」

「訊いても……いい?」

「……俺にわかる事なら、なるべく答える…。何だ?」

「……えっと…。」

くるりはそこで酒壺をもって暴れる「丸嬰(まるえい)」の姿絵を描いていた筆の動きを止めて、まず何から「屍」に訊こうか考えた。紙の上で動きを止めた筆先からは闇が広がり描き途中だった「丸嬰」の酒壺は完全にその闇の中へと飲み込まれていく。

くるりはぴくりと体を震わすと紙の上から筆を上げて「屍」に質問を投げかけた。

「「屍」の家族はどこにいるの?」

「いないな。」

「屍」はくるりの最初の質問に短い一言を即答で答えていた。

くるりは考え、少ししてからまた「屍」に質問を投げかけた。

「死んじゃったの?」

「いや。初めからいない。」

「屍」はくるりの二度目の質問に先程よりは少し長めの二言をやはり即答で答えていた。


「………。」

「………。」


くるりと「屍」のしばしの沈黙…。

始めにその沈黙を破ったのは「屍」だった。


「「昔」の俺にはいたのかもしれないが……「今」の俺にはまだ誰も家族はいない。

 「今」の俺はまだ生まれていない存在だから…。」

「「屍」……死んでるの?」

「その全く逆だ…。俺は今生身の体を持つ前の魂だけの存在なんだ。

 だから俺には生身の体を通じた家族というつながりを今はまだ持っていない…。」


「うん…。」


くるりがゆっくりとその話に頷く。


「だがそうするときっとくるりは………疑問に思う(かどうか微妙)だろう…。

 生まれる前の魂の俺が何故言葉を話しものを知るのかと…。

 …それは俺が初めての魂ではないからなんだ…。」

そこで「屍」は手にしていた細い筆を慣れた手つきで滑らかに紙の上へと滑らせた。


「普通一度終わった魂はその因縁を全て解かれ個としての形を失い、ある一つの大きな流れの中に取り込まれそこからまた全く別の新たな魂となって生まれ変わる。

けれどその因縁が他から受けた怨恨や己の私怨で解かれない魂がままある…。」

「屍」は己の話した事の様を紙の上に記した。

「それが……「屍」なの?」

その文様を見ながらくるりが尋ねる。

「あぁ……だがこうした事はさして珍しい事じゃないそうだ…。

けれど俺のような魂は稀だという…。」

「どうして…?」

「普通、そうした魂の因縁は次の転生でほとんど解かれてしまうからだ。

けれど俺はこれまで三回生死を迎え、三度の転生を経てもなお魂の因縁が解けた事がない。」

「解けないと…駄目なの?」

「……後々よくないと聞いた。

 次の転生で因縁が解けないと「肆廻鬼しかいき」という闘神すら恐れる鬼の一種になってしまうらしい。しかもそれはこの冥獄だけでなく人の世にすら仇なす獰猛な悪鬼だそうだ。

だから俺は魂が転生しないようここに閉じ込められている。」

「誰に……?」

「……俺も、よくわからない。

 その人の言っていた事は思い出せるんだがその声の響きとか面ざしとかそういったものは一切記憶にないんだ。」

舞台からそよぐ細い風が「屍」の顔にかかるほつれた細い黒髪を躍らせた。

「屍」はそっと白く長い指先で己の瞳の前でゆらぐその髪を顔の脇へと流す。


「どうして……解けないの?」


くるりの問いと同時にくるりの胸元で鈴が幽かに震えその時を告げた。

くるりがその報せにわずかに視線を下げた時「屍」がその問いに静かに答えていた。


「……誰も、愛した事がないから。」


そう答えた「屍」の顔には何の表情も浮かんではいなかった。




                   四



――――「屍」は少し……「さき」と似ている気がする…。


「屍」の元を訪れて数日後の昼下がり、くるりは茶屋の縁台で湯を啜りながら隣に座る「さき」に瞳を移した。

「さき」は相変わらずつまらなそうな、そして怒ったような険しい顔をして遠く続く田園風景に目を投じていた。

その手にはくるり同様湯呑が握られ膝の上に置かれている。

くるりはその様をぼんやりと見つめた。

そんなくるりの視線に気づいた「さき」がくるりに顔を向ける。

怒ったような険しい面ざし。

くるりはあわててその顔から視線を外し己の湯のみに顔を映した。

少しすると「さき」は何も言わずまた睨むように己の前方に視線を移した。


くるりはそのまま「さき」とは反対側の方向に瞳を移す。

そこには湯の飲めない「死人」が相変わらず置物のように腰掛けていた。

その虚ろな表情に変化はない。けれど湯呑を握る隙間から覗くその手の平は生々しく爛れていた。    


茶屋の湯の感じ方は人それぞれ違う。

くるりにとって無温に感じられるそれも、「ゆめ」にとってはひんやりと冷たく、逆に「さき」にとっては少し火傷する程に熱く感じられるものだそうだ。

おそらくそれは己の存在の在り方に深く関係して変わるものらしい。

「死人」の「さき」にとって非常に熱く感じるそれは、飲む事の出来ない同じ「死人」のその青年にとって熱湯以外の何物でもないのかもしれない。

それはその手の平の様子からおそらくその予想が間違っていないだろう事がわかる。


――――冥獄に堕ちてくる「死人」はここまで堕ちてくる間にほとんど業が解かれてこの人のようになってしまうって昔ぬし様が言っていた……でも……。


そこでくるりはまた「さき」に視線を戻した。

その耳に「極楽貪主(ごくらくどんす)」の声が蘇る。


――――罪が赦される罰を受けてもなお、強く悪しき想いに絡めとられた魂は決して解かれる事はない、それが「さき」じゃ…。

「さき」は多くの怨みを買って死んだ。そして「さき」も多くを憎んでしまっている。内と外からかかるその呪縛が「さき」を解放しないのじゃ。

           

くるりの視線に気づき「さき」がまたくるりの顔に視線を向ける。


―――――一度死んでまだ魂が解けない「さき」…。

     普通はその次の転生で解けると言った「屍」はそれを三回も繰り返してる…。

     

「さき」が眉根を寄せてその顔をきつく睨む。それでもくるりは心ここにあらずでその顔をぼうっと見つめたまま物思いにふけっていた。



――――「屍」は誰も愛した事が無いからって言ってたけど……。

    「さき」は―――…。



「さっきから何?くるり。」

「え………。」

くるりが我に返るとあからさまに不快な顔をした「さき」の顔が目の前にあった。

その瞳にはぞくりとするような鈍い鬼火がくすぶっている。

「私に何か聞きたいのか?

 そうならはっきり言え。」

「さき」が問い詰めるようにくるりに、いや実際問い詰めて話しかけた。


「……似てたの…。」

くるりはぼそりと呟いた。

「何が何に?」

「さき」が尋く。

「「さき」が「屍」に……。

 「屍」は三回生きて死んでるんだって。だけどまだ魂が解けないんだって…。」

「………そう…うらやましい。」

「え?」

くるりが「さき」の呟いた予想外の言葉に思わずその顔をまじまじと見つめた。

「さき」は瞳を逸らさない。くるりを見据えて静かに答えた。

「……私は、この怨みを忘れて次を生きるなんて嫌だ。何度生まれ変わろうともこの怨みを忘れたくはない。」

「………どうして?」

「そうでなければ救われない者がいる…。」


そう呟く「さき」の顔はひどく寂しげなものだった。

深く傷つき悔いるような眼差し。

それを見て「さき」は確信した。そして思わず自分の確信を口にしていた。


「「さき」は……忘れるよ。」


「さき」が何も言わずくるりを見つめた。そこに先程までの責めるような色はなかった。

ただ呟くくるりを無心で見つめていた。


「生まれ変わっても魂が恨みに縛られるのは誰も愛した事が無い魂なんだって。

 でも、「さき」はきっと違うから…生まれ変わったらきっと忘れる。」


「さき」の瞳がただただくるりを映し、一つ瞬きをするとくるりから顔をそむけ遠くを見つめながらぼそりと呟いた。


「………知っている。」


そう呟く「さき」の声音にはいつもの冷たさが一切無く、常ならぬ「さき」の落ち着いた声の響きにくるりは少しどきりとした。


「だから私は……忘れない為にここまで堕ちてきた。」


―――――何だろう…………何か…苦しい。


くるりが思わずそっと「さき」の手を握ろうとしたその時、遠く続く畦道を茶屋に向かって駆けてくる人影に気づいた。


「あ……。」

「「ゆめ」……。」


それは「ゆめ」の姿だった。

でも、何かおかしい。

堕烏苑(だなんえん)」に向けて朝方出かけた「ゆめ」がまだ昼下がりのこの時刻に戻るのも勿論の事だが、駆けてくるその姿があまりに必死過ぎる。

まるで何かから逃れようとしているかのように……。



「どうしたんだろう……。」

「さあ…。」


思わず眠くなる程長閑な茶屋の光景には似つかわしくない「ゆめ」の動きに二人が目を奪われているとみるみる「ゆめ」の姿は大きくなった。

あっという間に二人の前に辿りつくとそのまま倒れ込むように膝をつく。


「「ゆめ」?」

「どうした?「ゆめ」。

何があった?」


「…っ……は。」


「ゆめ」は息も絶え絶えに肩を大きく上下させながら二人の前にしゃがみこんでいる。

その表情は俯いている為よくわからない。


――――でも……こっちに向かってくる時「ゆめ」が浮かべていた顔は……。


くるりの目の裏に先程の「ゆめ」の顔がよみがえる。

蒼白で何かに脅え、何かの救いを求める顔。


――――そう…あれは。


――――命乞いをする顔た……。


「……水……。」

「ゆめ」の顔の先にある地面に大粒の汗の玉がぱたりと落ちた。

「水……ちょうだい……。」

「ゆめ」が消え入りそうな声で呟いた。

それを聞いたくるりと「さき」がすぐさま後ろを振り向くと、そこにはすでに音も無く「閼伽注(あかつぐ)」が湯呑を盆に載せて立っていた。

くるりと「さき」がその突然の出現に驚いている間に、「閼伽注」はするりと「ゆめ」の前に腰を下ろし「ゆめ」に盆の湯呑を無言で勧めていた。

それに気づいた「ゆめ」はすぐさま湯呑をつかむと、勢いよく湯をすすった。


「ヴっ―――!」

そう言うやいなや「ゆめ」が思いきりむせた。

それでも苦しそうにとりあえず湯呑をすする。

そんな「ゆめ」の必死な姿はくるりの心を何だか落ち着かない気持ちにさせた。


――――そう……これはとてもよくない気持ち。

    とても……不吉な気持ちだ…。


湯呑をすする「ゆめ」の背を「閼伽注」がさする。

しばらくすると「ゆめ」がそのまま眠るように崩れ落ち、空になった湯呑がころころと地面を転がり孤を描いた。

そして、その日「ゆめ」は一度も目覚めるなく昏々と眠りについた。




その一夜、くるりは中々眠りに就く事が出来なかった。

「ゆめ」を見て感じた不吉な予感がじわじわと胸にくすぶり、それが消える事がなかったからだ。

それは「さき」も同じようであった。

「死人」の「さき」が眠らない事は普段通りであったが、人嫌いの「さき」が眠るゆめの傍を決して離れようとしないのは稀な事だった。


―――そう……こんなに近くにいるのに、強いつながりが感じられない……。


―――これは…・・・・。


「ゆめ」に添い寝しながらくるりは闇の中で、自分を見つめるその瞳を捉えた。

それは反対側で添い寝をしている「さき」だった。

その瞳の語るものはくるりの心の内にあるものと同じだった。

その事がくるりを確信させた。


―――「縁」が薄れてる……。


ひやりとした夜気がくるりの心を深々と満たしていった。




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