四十三日目 変わりゆく姿
確かに手応えはあったが、周辺で凍り付いている肉塊の抵抗が止まらない。その時点で仕留め損なったことを理解した天魔はすぐにその場から転移すると、間もなく肉塊たちは天魔の魔法を打ち破って再び本体へと戻っていった。
そして再度塊に戻ると思いきや、百足のような形に再構築され、前方の頭部部分から見覚えのある顔が浮かび上がる。
それは無邪気な子どものような大人の顔。見るだけで嫌悪感を抱くそれは―"赤の天使"の顔だった。
「…………」
天魔は特に何もコメントせず、迷いなくその腕を振り、空間を捻じ曲げてその首を切り落として爆散させた。しかし肉塊はいつも通り勝手に繋がり、ケタケタと笑い出す。尤も、天魔の耳には一切届いていないが。しかし、嘲笑するような仕草には苛立ちを覚え、再度襲いかかる。
背丈の数倍はある大斧でその長い胴体を切り落とそうとしたが、数多の脚が蠢いてそれをかわし、赤の天使の顔の下にある大口が開いて捕食しようとする。しかし、斬り裂いた空間が発火し、爆発を引き起こしてその追撃を許さない。そもそも、時間を加速させていた天魔はその場におらず、悪夢が認識するより早く、その胴体を両断した。
音速すら超えた一閃は結果を置き去りにし、天魔が着地したと同時に時間が流れ出すように前後の"頭"を切り離した。
―そう、頭は前後にある。切り落とした首が落ちる中、地面に這いつくばっていたもう一つの頭が鎌首をもたげる。しかし、天魔の目も一つだけではなく、天井付近に展開していた"千里眼"にて、二つ目の頭を視認している。間髪入れずに襲いかかってきた後ろの頭の進路の空間を遮断し、それは見えない障壁にぶち当たって怯んだ。
その隙に地面から突き上げられた幾つもの大槍が、後半の肉体を突き刺して拘束する。その間に半分となった肢体を動かし、地を這うように迫る前部に目を向ける。
天魔は舌打ちをして時間を加速、させるのではなく相手の時間を"遅延"。緩慢になった所、大斧を再度構え、今度は縦に両断した。更に傷口に魔力を塗りたくり、そこから発火させるオマケも付けて、上半身は無残に燃え始める。
「…はぁ、疲れる…」
珍しく疲れた様子で深く息を吐くが、敵の再生能力は天魔の攻撃を上回る。四つに切り分け、焼き払ってもなお上半身は動き続け、下半身も自身の腕を伸ばして自身の身体を抉る土の槍を引き抜いていく。
「……」
戦闘開始時から思っていた、出力不足。確かに、この悪夢の攻撃は天魔にとっては児戯に等しいが、相手にとっても、決定打に欠ける攻撃のようだ。しかし、天魔としても攻めきれない理由がある。
(次の形態に移るにしても、流石にこの体に慣らしてからでないと意識を持っていかれるのがな…)
確かに天魔にも対抗手段はあるものの、この姿でしばらく慣らしてから変身しないと、力に、魔物の本能に呑まれかねない。
時間はある程度余裕を持って戦っていたが、今まで力を制御し続けていただけあって、今の姿でもまだ違和感が残っている状態。
そもそも、この姿でも戦い方次第では殺せると考えていただけに、敵の再生能力が予想を大きく上回っていたのも、誤算であった。
(出し惜しみをしている訳では無いが…まだ方法次第では殺せると思うんだがな…)
天魔は再度融合し直した百足を眺めながら悠長なことを考えている間に、百足は動き出す。
天魔は特に構えず、相手の出方を伺っていると、長い体が縮んだと思ったら、胴体から生えている、ヒトの形をした手足に数多の得物が握られる。
「なるほど」
先ほどの肉団子の時でさえ、天魔が嫌って逃げ出したのを覚えていたのか、物量で押し切ることが出来るのでは、と考えたのだろう。
実際の所、対応は難しいが出来ないわけではない。しかし、あの密度を相手にするのはリスクが大きく、天魔は時間を加速させて隙を伺おうとしたが、術式が起動しない。
「……ちっ」
空間転移も思ったように起動せずに、この周辺の空間を"時空支配"のような力で干渉していることを理解した。仕方なく身体強化ですぐに逃げ出すが、そこは閉じられた空間。かなり広いとは言え、数十mもある巨体相手に逃げられる範囲は限られている。
長い後部によって上手く誘導され、簡単に袋小路に追い詰められた。気が付けば、両断して焼いた筈の赤の天使の顔が勝ち誇ったようにこちらを見下ろしている。
その絶望的な状況でも、天魔は余裕を崩さない。焦りが一切見られない姿に苛立ちを覚えた百足が、顔の下にある大きな口を開いて呑み込もうとした瞬間、全力で身体強化を施した天魔の蹴りが気味の悪い顔を文字通り消し飛ばし、その断面を掴んだまま、空中で縦に一回転。その巨体を軽々と振り回し、地面に叩きつける。
予想していなかった反撃に赤の天使は絶叫するが、元よりそんな声は物理的に耳に届いていない。
その隙に仰向けに倒れ込んだ百足の腹に飛び乗り、周囲をよく観察する。そして蠢く甲殻の中で、一つだけ微かな違和感を感じた部分に向かって飛びつきつつ、その奥に"衝撃"を叩き込んだ。
今までの悲鳴とは全く異なる、苦しそうな声が響き、天魔は"当たり"を見付けたと判断し、馬乗りになり、幾度となく掌底で魔力を叩き込む。止まらない攻撃に対し、百足も動き出し、数多の手足で彼の体を掴もうとするが、逃亡の最中、各所に仕込んでおいた電磁砲が姿を現し、一斉放射でそれらを薙ぎ払う。
しかし、その一瞬だけ集中が逸れたことで、本体が移動したことを察知する。長居は危険と判断し、腹を蹴り飛ばしつつ逃げるが、その足を一本の腕が掴む。
「―!!」
すぐさま自身の足を切り落とし、追撃を避けようとするが、一瞬だけ動きが止まったことでその他の無数の腕が彼の動きを止める。ご丁寧に、最初掴んで来た時のように、簡単に引き千切れないように強化された腕が使われている。
空間転移も封じられ、電磁砲による射撃もリロードが間に合っていない。ただ、リロードが済んでいたとしても、先ほど姿を現した時点で全て破壊されていたのだが。
「―時間稼ぎもここまでか」
万事休す。諦めたように呟き、彼は大口を開ける口に呑ま込まれる。
一面の闇の中、他者が入り込んでくるような、気味の悪い感触が全身から伝わってくる。
恐らく、外側から侵食し、"融合"しようとしている。天魔の鎧は魔力で固められたものであり、見た目以上の防御をしている筈だが、攻撃ではなく"同化"という行為であるなら、それを無視できるのだろう。
自身が自身でなくなるような、気が触れそうな感覚の中でも、彼は余裕を崩さず、ため息混じりに呟いた。
「ならば、ここまでだな」
その場で自身の鎧でもある魔力を暴走させ、内側から百足の体を吹き飛ばす。首から下を赤黒い剛毛に包んだ悪魔は、ボタボタと落ちながらも纏わりつく肉片に目も繰れず、手を突き出すと、その手には藍色の拳大の宝石が握られていた。
「パラナ、ジャイロ、見ていろ」
どこかで見ているであろう、主人と国王の名前を呼ぶ。
「これが私の本気だ。
―変身」
天魔は子供じみた掛け声と共に宝石を砕くと、藍色の魔力の殻に包まれる。先ほどとは桁違いの魔力に百足も警戒し、肉片を回収しながら距離を取るが、動きはない。
百足も危険はないと判断して追撃しようとしたその時―膜が収縮していき、人型を創り上げた。
次の瞬間、百足の体は細切れにされて地面に落ちていく。
「…………さて、この姿で戦うのは何時ぶりだろうな」
暴れ出す本能を抑え込むように、片手で頭を押さえながら―鬼を模した兜に、藍色の重鎧を纏った天魔が立っていた。見た目は大きく変わって居ないが、その周囲に漏れ出した魔力は彼の姿を歪めさせ、正確な姿を視認できなくする。
天魔は悪夢を追撃すること無く、再生を待っている間に正気を取り戻し、頭をぶんぶんと振る。
「これなら戦えるな。さぁ、続きといこうか」
手を離し、兜の開口部から牙を剥き出した天魔は、獣のように吠え、戦闘を再開した。




