一日目 vs人食い
熱源と光源になる恒星が大地を照らす。地面は土というには少し固く、コンクリートの上に立っているような錯覚をする。体を動かすには程よい固さだが、激突した際のダメージはその分大きいだろう。
そして周囲に遮蔽物はなく、逃げ隠れることは許されない、直径500mほどの円形状の闘技場。外壁は通路と同じ石の壁に囲まれており、その上に作られた安全な観客席からは、酔いそうなほどの人だかりがマクスウェルを見下ろしていた。それぞれの視線は、人と同じ姿を持つにも関わらず、翼や角を持つ彼への奇異の眼差し、賭け事に対する期待、後に起こりうる暴力への期待―人それぞれで、改めてこれが見世物であると理解した。
周囲の視線は意に介さず、彼は準備運動と言わんばかりに手足の筋肉を伸ばし、ストレッチを開始する。相手が居ない上、呆けて突っ立っていられるほど居心地は良くないことを考えれば当然だろう。
少し時間を潰していると、頭上に大きなモニターのようなものが浮かび上がり、そこに情報が記載されている。
相手は"人食い"と呼ばれ、オッズは二位となっている。そして、彼のオッズは七位。驚くことに、初回の参戦というのに彼の順位は最下位ではない辺り、パラナが彼に期待して賭けたこと以外にも、穴狙いとして賭ける層が一定数居たのだろう。―ただし、彼はこの世界の言語には契約印の影響で対応出来ているものの、文字には全く対応していないため、彼に読むことは出来なかったが。何にせよ、興味のないことである。
静かに準備運動を行っていると、唐突に拡声器による、若い女の声が響き渡った。
『さぁ本日の闘技場の一回戦、二戦目が始まります!
まず、既に見えているのは今回初参戦! パラナ氏からの期待を一身に背負った容姿端麗の彼! 初戦ということで、まだ二つ名ははっきりしていませんが、どんな戦いかたをするのか! 今からワクワクですね!!』
観客に聞こえるよう、拡声器を爆音で鳴らしているため、非常に不快と言わんばかりに彼は顔を歪めて準備体操を止める。―それだけではない。彼の視線の向こうには、いつの間にか闘技場に来るときに通ったポータルと似通った陣が描かれていた。
敵が来る。そう理解し、体操を止めてどうとでも対応できるように脱力したところでまた喧しい拡声器が響いた。
『そして相手は前回、三日前の試合で見事優勝をした、皆さんご存じ、"進化"の派生スキル、"巨人化"を持つ"人食い"です!!』
瞬間、陣が光を放ち、巨大な人影が現れる。
光が収まった先には、マクスウェルの五倍ほど―おおよそ10mに届くかどうかの、巨大な人間が立っていた。
鎧の類いは纏わず、着ているものも普通ではサイズが合わないのか、無地の灰色の布を繋ぎ合わせたような、みすぼらしい格好だった。しかしその服の隙間から見える肉体は鍛え上げられており、並みの人間であれば一瞬で肉塊にすることは容易いだろう。
何より、焦点の合わない狂気染みた赤い目と、大きな口から垂れる涎が非常に印象的であり、"人食い"と呼ばれるのはそれが由来なのだろう、と直感的に理解した。
『"人食い"はその名の通り、打ち負かした対戦相手を捕食することで有名で、瀕死の傷を負わない時以外、多くの相手を再起不能にしてきました! さぁ、正気のない巨人を相手に、彼はどう戦うのでしょうか!? それでは―ゴングです!』
最期の理性のブレーキがゴングなのか、けたたましい鐘の音と共に、巨人が獣染みた咆哮を挙げて襲いかかってきた。
巨人であれば、一対一で行うには広い戦場でも狭く感じるのだろう。あっという間に肉薄し巨人の射程に入る。無造作に放たれた前蹴りはマクスウェルの体を吹き飛ばす―ことはなく、彼は身を屈めて蹴りをかわし、そのまま前進して巨人の背後に回り込む。しかし追撃することはなく、すぐに振り向いた巨人を冷静に見つめ、行動を観察する。
再度豪腕が叩きつけられ、彼は最低限の動きでかわす。地面を掴んだまま振り回される腕を飛んで避け、着地と同時に後ろに飛んで距離を離した。100mほど軽々と距離を離し、観察を続ける。巨人は羽虫のように動き回る相手を前に、苛立だしげな咆哮と共に掴んでいた土を石つぶてとして飛ばす。広範囲に広がる土の粒は流石に避けられず、彼は頭だけは守るように両手で守る。
爆発ような轟音と共に土煙が立ち上ぼり、これは好機と言わんばかりに先ほどマクスウェルがいた場所に巨人が突撃し、腕を叩きつける。しかし、肉が潰れる音ではなく、また土が抉れる音がして、土煙の中から叩きつけをかわしたマクスウェルが飛び出し、がら空きの腹に全力の拳を叩き込む。
間違いなく300kg以上の体重差がある相手にも関わらず、彼は巨人を力で壁まで吹き飛ばした。
歓声が挙がる中、両腕に着いた土を払いながら彼は壁に叩きつけられ、埃を巻き上げた先の巨人を見据える。
先ほどの攻撃でもほとんどダメージを受けていないようで、掠り傷程度しか見受けられない巨人が飛び出し、愚直に突撃し、彼の体を握りつぶそうと腕を伸ばすが軽々と飛んで避けられ、腕に着地した彼は腕を伝って迷わずその頭を蹴り飛ばした。
口の中が切れたのか、血を吐きながら大きく仰け反るが追撃は終わらない。蹴り飛ばした勢いでマクスウェルも空中に投げ出されるが、空中で見えない何かに掴まり、体勢を整えて落下し、倒れ込む巨人の腹に追撃の拳を叩き込んだ。
悲鳴のような咆哮に会場は大いに沸き上がる。絶望的な体格差のある巨人を物理で一方的に叩きのめす様は、下剋上染みているのも相まって、余計に興奮を誘うのだろう。
しかし、マクスウェルはそれ以上の追撃は行わず、倒れた巨人から距離を取ると、間もなくして問題ないと言わんばかりに平然と立ち上がる。
「随分とタフだな」
つい、感想が漏れる。しかし、まともな理性のない相手を御するのは容易い。再び巨人が突っ込んでくるのを確認して迎撃する構えを取るが―巨人は彼を直接ではなく、少し手前に腕を叩きつけると―足元の地面が隆起して吹き飛ばされる。
『出ました! "人食い"の二つ目のスキル、"地質操作"!!』
戦闘に集中して聞こえていなかった司会の拡声器が唐突に耳に届く。そして空中に投げ出されて無防備になったマクスウェルの体に、豪腕が直撃した。
人の身には余る衝撃を受け、闘技場の中心近くにいたマクスウェルの体は木の葉のように反対の壁に叩きつけられる。そして巨人が再度足を叩きつけると、闘技場の壁が隆起して、壁に激突したマクスウェルの体が再度巨人の元に飛ばされ、もう一度拳で吹き飛ばされる。
まるでパンチングボールのように、殴られ、飛ばされ、殴られと繰り返す。しかし、それだけの攻撃を受けても彼の体は人の形を維持していた。
巨人も十分に盛り上げたと言わんばかりに一方的な暴力を止めて、帰ってきた彼の体を掴んだ。そしてそのまま口へと放り込もうと―する前に、鈍い音が響き渡った。
巨人の悲鳴と共に、マクスウェルの体が解放され、軽々と着地した彼は服に着いた埃を払う。
彼を掴んでいた腕は真逆の方向を向いており、何が起きたのかと観客含めた全員が困惑するが、マクスウェルは止まらない。腕を押さえ、苦しむ巨人がこちらを向く前に人間離れした脚力で飛び上がり、その顎を蹴り上げる。
そのまま宙返りして、空中の見えないナニカに着地した後、飛び出して間髪いれずに無防備のこめかみに拳を叩き込む。空中の追撃はそこで止め、着地したマクスウェルは大きな音を立てて倒れた巨人に近付いていき、トドメと言わんばかりに拳を強く握り、その顔面に叩き込んだ。
鈍い音の後、巨人が力尽きたのを全員が理解したところで、戦いの終わりを告げるゴングが鳴った。
『―!! 試合、終了です!! 壮絶な戦いの末、立っているのはパラナ氏の剣闘士となります!』
若干興奮気味な司会の声と共に、怒りや喜びが入り乱れた歓声が会場を覆う。
そして最後に、勝者の特権として与えられた時間が訪れるが―
「……、」
マクスウェルは巨人に無言で近付いていき、戦いの最中、へし折った腕を治して、その場を去っていった。