八話 窮鼠熊を噛む
意識を失った魔族のリンネを守りながら、俺を死の淵へ追い込んだ四ツ目の熊に対峙していた。
あの熊は俺に致命傷を負わせ崖から突き落とした犯人だ。
あいつさえいなければ、今頃俺はチート持ち二人と多少は安全な行動が出来ていただろう。
圧倒的なパワーを得た剛鬼の攻撃が一切通用しなかった正真正銘のフィジカルモンスター。刃物状のシルトでもダメージを与えられるか分かったものじゃない。
それにあいつの四つの目の一つは相手の動きを止める能力がある。多分、あの四つある目はそれぞれ違った能力があるんだろうな。
対して、俺は液状化と固体化をする物質シルトを操る能力しかない。
更にこっちはほぼ致命傷のダメージを負っているし、後ろのリンネを守らないといけない。ほんと、タイミングが悪すぎる。
何とか初手でシルトを使いあいつの飛ぶ斬撃を封じることには成功したが、こっからどうしたものか。
一応、俺が勝てる策はあるにはある。だが、上手くいく保証はどこにもない。それに失敗すれば二人ともあの熊の餌になってしまう。
「こいよ! 熊鍋にしてやるぞ!」
立っているだけでも辛い。
機動性はもう期待できない。たった一つの勝ち筋をなぞるしか生き残る術はない。
俺は天才じゃない。だが、失敗すれば学習するだけの頭は備わっている。
少し様子見をしていた熊が突進してきた。
この動き一つをとってもこいつの警戒心の強さがよく分かる。
俺は負傷した左手を前に出した。シルトで風穴を塞いでいたが、解除した。
手から血が噴き出る。
血の匂いに野生生物が反応しない訳がない。
突進してくる熊の動きに変わりはないが、目の鋭くなった気がする。
そうだ、興奮しろ。無防備な俺を狙え。下手に警戒するな。
「今だ! 大盾!」
熊が俺の手に噛みつく瞬間。シルトを盾のように展開した。
口を大きく開いているのがよく見える。だが、盾は壊れる気配はない。分散した力なら集中的にしていないシルトで防げる。
防いだは良いもののあの熊野郎! 全体重を乗っけてきやがる。腕が持たねえ。
「液状化しろ!」
腕が壊れる前にシルトを液状化させ、大きく口を開けた熊の顔を覆わせた。
これで、あいつは呼吸できないはずだ。
リンネを治療する過程で得た発想が役に立った。
俺は覆わせる過程で熊の首に跨った。これで反撃はできないはずだ。
ただ、想像以上にバランスが取りにくい。こうなるんだったら乗馬でもしとけば良かった。
腕を液状化させたシルトで固定した。
「後は足を固定して……シルト切れか」
俺の出せる限界までシルトを使い切ってしまった。
リンネとの戦闘で何度もシルトの防御を割られた影響がこんな所で出るとは……
だが、そんな安全装置がなくとも腕だけで十分だ。
どんな化け物だろうと空気が無くて動ける時間はそう長くはない。
それまでの間この暴れ馬。いや、暴れ熊から落ちなければいい。
呼吸器を防がれた熊は大暴れを始めた。
大口を開けた所に喉の奥までシルトを詰め込んだ。根本から塞いでるから熊の噛む力を相当制限しているはずだ。
そして、更にダメ押しの一撃を叩き込む
熊の喉奥まで入ったシルトを一斉に針に変形させた。
いくら強かろうと内部までは鍛えられてはいないはずだ。
俺の予想通り、シルトは肉を突き破った感触を俺に伝えて来た。
更に熊が暴れる。だが、その動きは徐々に弱くなっている。
このままだったら勝てる!
そう確信した瞬間。熊も少しだけ冷静になったのか俺の存在に気付いた。
「おいおい。きついなそれは」
熊は近くにあった木をよじ登った。
まさか、ここから……
「チッ!」
俺は手を離し、熊の首から離れた。
熊はプロレス顔負けの背面着地をした。
地面が大きく抉れ、近くにあった木は傾いている。
離れて正解だったか。
だが、熊は俺の方をしっかりと目で捉えていた。
呼吸できずにパニックなはずなのになんであんな冷静なんだ?
フィジカルだけかと思ったが、メンタルまで化け物かよ。
つくづく、異世界初日で出会う相手じゃないな。
だが、あいつももう限界のはずだ。せいぜいあと一回受け切れれば俺の勝ちだ。
「あの時の決着を着けようぜ。恨みっこ無しだ」
ダメージを負った肉体も限界で頼みの綱であるシルトの残量はゼロ。
絶対絶命。……だが、悪い気はしない。
なんでだろうな?
崖から落ちた時はどこで失敗したかを考えていたが今は全然そんなことは考えていない。
時間的にあいつの方が不利なはずなのにこっちを見ながらゆっくりと横に歩みを進めている。
俺も距離を離す為に移動する。様子見をするには遅すぎじゃねえか?
疑問に思いつつも、俺は目を離さなかった。口を開けたまま固まっている四ツ目のマヌケ面を睨み続ける。
あいつは魔眼を使ってくるはずだ。動けなくなった所で俺を仕留めてシルトを解除させようという魂胆だろう。
だが、今のあいつには腕で守れる俺を即死させる力はない。鋭い爪や牙はシルトで鈍化させている。あいつが死ぬ前に俺が死ぬ攻撃はもはや不可能だ。
四ツ目うち一つが発光した。
それと同時に動けなくなる。
来る!
ここが正念場だ。
熊が全速力で突進してきた。
「うぉおおおおおお!」
叫びと同時に動けるようになった。
いきなり、動けるようになった事に少し動揺したがそれ以上に危険な事が分かった。
熊の突進の角度、微妙に俺の方向から逸れている。
初めはあいつの視界がぼやけているのか知らずに気にしては行けなかったが。自分のいる場所に気づいた。
あの熊野郎。誘導していたって訳か。
あいつリンネを狙ってやがる。
焦る感情とは裏腹に景色がゆっくりになる。
ここでリンネを放置すれば、あの熊の窒息死は確実なものとなる。
冷静に考えれば致し方のない犠牲だろう。だって、俺が死ねばシルトが消えて意識の無いリンネ諸共、死ぬ。それに死にたくない。
ここで逃げても赤点じゃない。留年することはない。だって生きてさえいれば人間はいくらでもやり直せるし……
それに俺はあの二人みたいに天才じゃない。無理だ。凡人な俺にはこんなん無理に決まっている。
リンネを庇いに行って、ガードは間に合わない。
内心。そう思っているはずなのに……
「はあ、体は正直ってか」
俺はリンネを庇う体勢になっていた。
シルトはちょっとしか出ない。こんなんじゃあ鈍っているとはいえ、あいつの爪に壊される。
こうなったら大博打だ。
そもそも、賭けになるかも分からないが俺は祈るしかない。
――なんかチート能力来い!!
願いは届くことなく背中を抉られた。
もう痛みを感じるなんて次元は超えている。だが、死ぬ訳にはいかない。俺が死ねばシルトは解除されるかもしれない。そうなれば、あの熊が自由になる。
……一緒に死のうぜ。
本当はこんな序盤に現れた熊なんかじゃなくて、もっとこう最愛の相手とかに言ってみたかった。だが、凡人の人生はそう甘くないな。
体はもう動かないが、ありもしない根性で一秒でも長く意識を留める。あの熊を道連れにしないと俺の覚悟が報われない。
数分後。俺の意識は完全に消えた。