41 停止した無間地獄
「どうして……この部屋が……」
ある種のトラウマを思い出させられ、私は声が震える。
寝かされていたベッドから起き上がり、目をこすってみても、机の上に愛用のノートパソコンが置かれ、床にはテレビと、ゲーム機と好きだったフライトシューティングゲームシリーズのパッケージが置かれ、まだ夜明け前なのか、薄暗い窓の外には都会のビル街と、高速道路がある光景は、まさに前世の人生の大部分を過ごした場所そのもので、自分は今まで長い胡蝶の夢を見ていたのではないかと錯覚した。
だが、目の前に、自身の書いた小説の主人公がいる、という事実に、今がかつての続きではないという事も、理解した。
「創造主様。貴女にはしてもらう事があるわ。その為に、この世界に、かつての貴女が生きた場所を再現したの。私は主人公。その気になれば、何でも出来るわ」
呆然としつつ、窓の外に広がるビル街を眺めていると、マリスちゃんは淡々と告げた。
「してもらう事?」
「はい。簡単に言うと、貴女には、小説を書いてもらいたいの。……貴女がかつて、終わらせる事の出来なかった物語の続きを」
「……もしかして、その話って……」
「もちろん。私達の話。貴女が死んで、完結しなかった、あの話よ」
あの話……間違いなく、魔王と貴族令嬢の、『あの話』だ。
何処から取り出したのか、マリスちゃんは、机の上に、紅茶の入った湯呑を置いた。かつて、私が使っていた物そのもので、紅茶の銘柄も、好みだった銘柄の紙パックのミルクティーの様だった。
「どうぞ。続きは紅茶でも飲みながら」
そうマリスちゃんは言って、私に飲み物を勧めてくる。
お言葉に甘えて、それをいただこうとした私だが、口につける直前で、それを止めた。
「待って。ここ、いわゆる異世界って事よね? ……異世界で、飲み食いしたら現世に戻れなくなる、そう相場が決まっているわ。これは遠慮しておく」
直前で思い出したのは、異世界、というか黄泉の国に行ってしまった時のタブー……黄泉戸喫。……現世に戻りたければ、黄泉の国や異世界の食べ物を口にしてはいけない。もしも、それを破れば、2度と現世には戻れなくなる。という事を思い出し、ミルクティーに口を付けるのは止めた。
それを見たマリスちゃんは、明らかに不機嫌そうな顔になった。
「流石。かつて上手く活かせなかっただけで、知識だけはある。正解よ。この世界のものを食べさせて、もう、あそこには戻さないつもりだったのに……」
「あっぶなー……」
油断も隙も無い。マリスという名は伊達ではないという事か。
「かつて、私が一番愛着のあった主人公である貴女に免じて、私を嵌めようとしたのは許してあげる。どういう事よ。私に、エタった小説の続き書かせて何がしたいの?」
私がそう言うと、あくまで淡々と、マリスちゃんは口を開く。
「貴女が話を書かなくなって……いえ、死んで、この世界は止まってしまった」
「止まった?」
「はい。外を見て」
私は彼女に言われた通り、窓の外を見る。
「あれは……魔王の城……」
まず目についたのは、ビル街の奥にある洋風の、不気味な城だった。さっきは、混乱していたので、目の前のビル街と高速道路にしか注意が向かなかったが、遠くに、城が見える。それは、かつて、私がマリスちゃん達の話を書いていた時に設定した通りの外見の城が鎮座していた。現代的な建物と、中世的な城の組み合わせは、絶妙な違和感を感じさせる。もしも、私が小田原や大阪辺りの城下町生まれだったら違ったのだろうか。
次いで、目に付いたのは、遠くの空にいる黒い鳥の群れだ。多分烏だろうか。
「……?!」
だが、次の瞬間には、私は強烈な違和感を感じた。
「あの鳥……止まっている?!」
「気付いた?鳥だけではない。この世界に生きるもの、全ての時間が止まっているわ」
それから、マリスちゃんは言葉を続ける。
「前世の貴女が死んで、物語が更新されなくなったその瞬間から、この世界の時間は止まってしまった。人も、魔族も、魔王バエル様も何もかも、例外なく。でも、私は主人公だったからか何かのエラーが起きたのか、私だけは時間が止まらなかったの」
「それって……」
「そう。この世界で、永遠に1人ぼっち。時の止まった世界の中で、飢えもせず。眠くもならず。死ねもせず、永遠にさまよう事になってしまった」
彼女の告白に、私は衝撃を受けた。それと同時に、悲しくもなった。私のせいで、彼女は永遠の孤独という無間地獄を味わう羽目になってしまったのだ。罪悪感の様なものがこみ上げる。
「だから、貴女を攫ったの。この世界の時間を動かす為に」
作品完結前に作者が亡くなるのは実際悲しい。マリスはそれ以上に切実な背景がありますが。