女は過去を振り返らない。婚約破棄をして自分可愛さに後悔する身勝手な王太子の物語
「エメリア・コレスレッド公爵令嬢。其方は私の愛しいアリア・カルト男爵令嬢を虐めていただろう。お前のような女は私の婚約者にふさわしくない。よって婚約破棄を命じる。」
言ってやった。ついに言ってやったのだ。
リルド王太子は、愛しい男爵令嬢、アリアの腰を抱き寄せながら、エメリアを睨みつける。
ここは王立学園の卒業パーティ。
最高の舞台ではないか。この悪女を断罪してやるのだ。
「私は愛しのアリアを新たな婚約者にし、このミレーク王国の未来の王妃として、共に歩むつもりだ。」
エメリアは美しきエメラルド色の瞳に涙をためて、こちらを見つめてくる。
ポロリと涙を流すその姿…
卒業生全員があまりの儚き美しさに思わすエメリアに見惚れているのが解る。
思わず胸が痛むが、騙されてはいけない。エメリアは悪女なのだ。
愛しいアリアが言うのだ。この女は性悪女だと。
エメリアに教科書を破られたり、取り巻き令嬢達に悪口を言われたり、挙句の果てに階段から突き落とされたり、噴水へ突き落とされたりとか…アリアが泣きながら訴えたのだ。
エメリアは悪女だ。そんな性悪女が流す涙なんて、芝居に決まっている。
思わずエメリアを睨みつける。
エメリアは涙を流しながら、一言。
「わたくしが、そちらの女性を虐めたと言うのですか?わたくしはリルド王太子殿下を愛しております。確かに最近の殿下はわたくしに冷たく、心傷ついておりました。かといってわたくしがそちらの女性を虐めるはずはないでしょう。わたくしは…ただただ、悲しんでいただけですわ。幼き日から共に歩んできたリルド王太子殿下が、わたくしという婚約者がありながら…他の女性と親しくしている。ただただ心を痛めてわたくしは毎日。涙を流していた…ただそれだけでございます。わたくしは将来、このミレーク王国の王妃となり、貴方様と王国の為に尽くす所存でございました。わたくしは何よりもリルド王太子殿下のお役に立ちたかったのです。ですから、辛い王妃教育も頑張って参りました。貴方様と共にいられたらわたくしは、貴方様のお役に立てたのならわたくしはそれだけで生まれてきてよかったと思っておりました。覚えておいでですか?初めてわたくし達があった日の事。
王宮の庭でリルド王太子殿下はわたくしに向かって微笑みかけて下さいました。緊張して話も出来なかったわたくしを気遣って下さって、お茶の席でわたくしを楽しませて下さいましたわ。その時からわたくしは…リルド王太子殿下の為ならばこの命を投げ出そうと。リルド王太子殿下の為ならば、死んでもかまわないとそう思ったのです。貴方様がわたくしを邪魔だとおっしゃるのなら、わたくしは今、この場で命を絶ちますわ。それともリルド王太子殿下の手でわたくしを、殺して下さいませ。わたくしは喜んでこの命をささげとう存じます。」
エメリアが自分の前に進み出て、その前に跪いて、両手を組み瞼を閉じる。
卒業生達から口々に文句が出てきた。
「リルド王太子殿下っ。エメリア様はリルド王太子殿下の事をこんなにも思っておられるのに。」
「そうですよ。そちらの男爵令嬢をエメリア様がいじめるだなんてありえません。エメリア様は学園でも、常に皆の事を親身に考えて下さった素晴らしい方です。」
「そうですそうです。わたくしなんて困っているときにエメリア様に随分と力になって貰いました。」
「エメリア様は素晴らしい方です。そんなエメリア様がそちらの男爵令嬢を虐めていたなんて信じられません。」
卒業生たちが口々にエメリアを褒めたたえる。
エメリアとは長年共にいた。
エメリアは堅苦しい。エメリアは理想を追い求め過ぎる。
勉学も出来が良く、リルド王太子にとって面白くなかった。
そんな中、自由奔放にふるまうアリアが自分に近づいてきた時に新鮮に感じてしまったのだ。
ちょっといらいらしていた頃に、自分を慕ってなんでも聞いてくれる男爵令嬢アリアがとても可愛らしく愛しく思ってしまって…
エメリアがアリアを虐めたというのなら、許せない。
そう怒りを感じてしまった。
だから婚約破棄をしたのに、なんなんだ?周りの連中は。
皆してエメリアエメリアエメリア。
俺は王太子だ。この王国の国王になるのだ。
それなのにエメリアエメリア…
「ええええいい。煩い。アリアがお前に害を加えられたというのだ。婚約破棄をするのは当然だろう。」
アリアはリルド王太子に縋りついて。
「怖かったですううううっ。私、死にそうになったのですっ。」
エメリアは跪いたまま、リルド王太子を見上げ、
「ですから、どうか、わたくしの命を貴方様の手で終わらせて下さいませ。愛するリルド王太子殿下の手で殺されるのならわたくし、幸せですわ。」
リルド王太子は思った。
いや…アリアに危害を加えたエメリアとはいえ、殺す事はないだろうっ――。
せいぜい、国外追放にしてだな。
「私は鬼ではない。この王国をお前が出て行ってくれればそれでいい。」
エメリアはリルド王太子に向かって、涙を流しながら、
「わたくしは貴方様と離れるくらいなら、死を選びますわ。わたくしは…わたくしは…わたくしの幸せが他国にあるとは思えません。ですから…わたくしはここで貴方様に殺されたいと思います。さぁ、リルド王太子殿下…ああ…愛しのリルド様…わたくしをその手で殺して下さいませ。あれは貴方様が王太子になると、国王陛下に認められた2年前の夏…
太陽が熱く降り注いだあの暑い日に行われた式典で…わたくしは本当に涙致しましたの。正式にリルド様が王太子となることがやっと認められたと…その式典でのリルド王太子殿下の晴れ姿は今でもこの脳裏にくっきりと残っております。わたくしは…婚約者として隣に呼ばれて。なんてなんて幸せな…リルド王太子殿下と過ごした数々の思い出を胸にあの世へ旅立ちたいと思います。わたくしを斬って捨てて下さいませ。」
リルド王太子は首を振って、
「いやいやいや…私はそこまでは望んでいない。アリアに害を及ぼした其方が国外へ追放。
それでよしとしたいのだ。」
「わたくしが貴方様と離れて、幸せになれるとでも?わたくしは遠い地から貴方様の事を思って一生暮らすのは嫌でございます。国外へ行くにあたって、部屋いっぱいに飾っているリルド様の絵姿を10枚、いえ、20枚は持ってでなければなりませんし…リルド様が使用した私物を鞄に詰めて持ってでなければなりませんし…リルド様コレクションを持って出るだけでも…いえ…リルド様コレクションはあくまでも貴方様の分身であって…わたくしが愛しているのはわたくしが傍にいて欲しいのは、リルド王太子殿下、ただ一人…ああ…リルド様…リルド様…」
リルドコレクションって一体全体?
リルド王太子は頭が痛くなってきた。そういえば無くなった私物ってあったなぁ…ハンカチとか…汗を拭いたタオルとか…なんか色々と…
いかに悪女とはいえ、この場でエメリアを切り殺す程、憎い訳ではなく…
アリアに害を加えたのが許せないだけであって…
卒業生からは文句が出る。
「こんなに愛されているのに、婚約者を裏切って浮気ですか?王太子殿下。」
「わーー。最低ーーっ。エメリア様が可哀そう。」
ヤジが飛ぶ。
誰だ?そんなヤジを飛ばしたのは不敬だぞと、見渡しても大勢いる卒業生の中でとんだヤジは誰が放ったのだか解らない。
そして、この場をどうしたらよいか解らなくなったリルド王太子。
「ともかく、婚約破棄だ。エメリア。そしてお前は国外追放だ。これは王太子命令である。いいな。」
アリアを伴ってその場を後にするリルド王太子。
エメリアが優秀なのも気に入らず、そして、愛が重いのも重苦しく、色々と気に入らないリルド王太子なのであるが…
そうは言ったものの、エメリアが泣いている姿を見たら、何だか罪悪感がちらほらと…
国外追放を言い渡しはしたが、エメリアが心配になり、卒業パーティ会場へ戻るリルド王太子。アリアはぷくっと膨れて。
「どうして戻るのよーー。」
リルド王太子はアリアを無視して、床に座り込んでいるエメリアに手を差し伸べ、
「言い過ぎた。」
エメリアはその手を取らず、スッと立ち上がって。
「わたくし、ふっきれましたわ。」
「へ?」
「ふっきれたと言ったのです。貴方様はわたくしに婚約破棄を申し渡しました。ろくに調べもせずに、アリアという女性を虐めたと言ってわたくしに国外追放を言い渡しましたわ。」
「だから、言い過ぎたって。」
「王族たるもの、宣言した言葉は取り消しが効かない。そうでございましょう。」
エメリアは扇を手に、優雅に微笑んで。
「婚約破棄と国外追放、受け入れましたわ。」
「私の事を愛しているのであろう?私と離れるくらいなら、私に殺されたいと…」
「そう思っておりました。わたくしのすべては貴方様の為にありました。でも…貴方様に捨てられて目が覚めましたの。リルド様コレクションは燃やすことに致します。リルド様に関する全てを捨てて、隣国へ行くことに致しますわ。実はわたくし、隣国の皇太子殿下にしつこくお手紙を頂いておりましたの。是非、婚約者になって欲しいと…是非、結婚してほしいと。わたくしが、リルド王太子殿下の婚約者だからとお断りをしても、しつこくてしつこくて…でも、アレックス皇太子殿下の方が、剣技が一流で勉学も出来て、わたくしに沢山のプレゼントを下さいましたわ。わたくし…お受けしようと思いますの。婚約の申し込み…婚約破棄をして頂きありがとうございます。
わたくし、隣国で幸せになりますわ。では、ごきげんよう。」
優雅に見事なカーテシーを決めてエメリア・コレスレッド公爵令嬢はその場を去っていってしまった…
いや…何が何だかわからないんだけど…
エメリアは自分を愛していたから、アリアを虐めていたんじゃなかったのか?
あの手の平を返したような態度の変わりようは一体全体…
それに、隣国のアレックスもアレックスだ。ミレーク王国の王太子の婚約者に手を出してこれって国同士の問題に発展するだろうっーーー。
まぁいい。とりあえずいい。ともかく、アリアを父に紹介しないと。
卒業パーティは終わって、愛しのアリアを父である国王陛下に紹介したら、ものすごく怒られた。
「どういうことだ?我が王家が決めたエメリア・コレスレッド公爵令嬢と勝手に婚約破棄をするとは?」
「ですから…アリアをエメリアが虐めていたから…」
国王陛下はアリアに向かって宣言する。
「エメリアがお前を虐めていたと言う報告は上がってはおらぬ。エメリアは学園の皆の為を思い、人望もある未来の王妃にふさわしい人柄だと、エメリアにつけている影から報告がきておる。どういう事だ?虚偽の報告をするとは、アリアとやら…お前は死罪だ。」
「ええええっーーー。私は虐められていたのーー。」
「だから、エメリアには影がついて監視していたと言っておろう。未来の王妃だ。当然だろうが。」
リルド王太子は慌てて叫ぶ。
「お前は嘘を言っていたのか?アリアっーー。」
「だってぇ…私は王妃様になりたかったのおおおお」
アリアは騎士達に連れていかれた。
そして国王陛下から、こっぴどく叱られるリルド王太子。
「今からでも言って取り消してこいっーーー。エメリアに許してもらえなければお前は廃嫡だ。」
リルド王太子は仕方なく、コレスレッド公爵家に出向いた。
「エメリアに会いたい。」
リルド王太子は屋敷の客間に通されて、コレスレッド公爵が自ら出てきて、リルド王太子に向かって、
「娘は婚約破棄され、国外追放になったので、隣国へ出発しました。」
「ええええ?早くはないか?」
「王太子殿下の命は絶対なので。」
ふと、窓の外を見れば、何やら使用人達が大きな焚火をしている。
燃やしているものを見れば、それは自分の姿が描かれた絵や、無くなったと思われていた私物…それがどんどんと火にくべられて行く。
リルド王太子は思わずそれを見れば、コレスレッド公爵に、
「娘は過去は振り返らない。未来に生きると言っておりました。娘の代わりに過去を無くしているのです。」
燃やされる自分に関するものを見て、リルド王太子は膝から崩れ落ちる。
ああああ…すべては手遅れだったのかと…
うっとうしいと思っていた。
あまりの優秀さに焼きもちも焼いていた。
でも…アリアに出会う前までは常に傍にいて、当然の存在で。
アリアに裏切られた今…
リルド王太子は後悔する。
女は過去を振り返らないと、誰かが言っていたかもしれない…
なすすべもない。リルド王太子は、身を震わせて泣くのであった。
それから、しばらくして、エメリアが隣国の皇太子の婚約者になったという事を聞いた頃にはリルド王太子は、廃嫡されて、辺境警備隊で一生懸命、生きていた。
辺境警備隊の先輩の言葉を聞いていると、いかに自分が自分勝手だったか…未熟だったか、反省する日々である。
もっと…しっかりと真実を調べていれば…
相手が優秀だったら嫉妬をするのではなく、それ以上に努力をして、相手を手の上で転がすような器があれば…
もっともっと、自分は努力が足りなかったのではないのか?
思い出されるのは、エメリアと過ごした遠い日々…
優秀で美しい彼女は隣国の未来の皇妃として光り輝くであろう。
それを思うと後悔で涙を流すリルド元王太子であった。