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おっさんのごった煮短編集

漏電

古典落語の演目をもとに、現代小説にしてみました。




 両親が揃って飛行機事故に巻き込まれて死んだのは、俺が大学生で二十歳、長男でたった一人の兄弟である兄が地元の商社に勤めていた二十七の時だった。



 地方にあっても遣り手だった父は実家の他にもマンションや駐車場などを市の中心街に持つ程には資産家だった。


 兄が成人して、弟の自分も大学生となったことで、父は手掛けていた事業の全てを売却して、早々にセカンドライフを満喫していた。

 そうして、仲のいい両親が海外旅行に出掛けて、そのまま還らぬ人になってしまった。


 幸いだったのは、父が生前の早い段階で子供二人へと遺書を遺していてくれたことだろうか。

 両親ともに親を早くに亡くしていたこともあったため、父が知り合いの弁護士に相談して、保管して貰っていたらしい。


 父の遺産は現金資産のほか、不動産、有価証券、美術品、そしていくつか保有している特許と多岐にわたったが、時価総額を計算した上で兄と自分とで等分されるようにとなっていた。


 弁護士のおじさんを交えての兄弟会議で、兄は実家を含む不動産の殆どと、現金資産を優先して俺に相続させるように弁護士のおじさんに頼んでいた。


 「(とおる)、お前がまだ子供なら、俺が面倒を見てやるべきだと思うが、大学生とはいえ、一応は成人だ。マンションや駐車場は管理を任せてる方と話は済ませてある。相続税とか、親父が死んだ後の段取りとか俺と足立先生に任せておけばいい。お前に渡す現金資産や、不動産から入る不労所得で学費も生活費も問題ないはずだから、あとは一人で頑張ってくれ。もちろん、問題があれば相談に乗るし、税理士の結城先生にも話は通してあるから、これから色々と知らなきゃいけないことも、結城先生から教わりなさい」


 兄からこう言われて、俺はやっぱり兄貴は優しいなと思った。実際、突然の両親の訃報で兄はあちこちに飛び回り、今後のことや直近の問題、葬儀の段取りから喪主としての仕切りなど、全て一人でこなした。

 役立たずだった弟に悪態をつくでもなく、俺に収入が入るように、その上で少し多目に遺産を相続させてくれるように手配して、その後のことまで心配してくれる。此処までされて、面倒まで見てくれは流石に言いづらいし、何より二十歳だった俺は子供扱いされたくなくて、ただ、わかった、大丈夫と繰り返していた。


 その時は兄が少し寂しそうな顔をしていたように思う。


 

 その後、俺に不動産関連を譲ったかわりに得た証券や国債、美術品などを売り払って現金に換えると、勤めていた会社を辞めて上京、兄は自ら起業してしまった。


 当時、俺は兄をバカにしていた。

 折角、手にした資産を売り払って、安定した会社勤めを辞めて、成功するかも不明な実業家になるなんてと。


 だが兄は数年は苦労したものの、事業を軌道に乗せて成功すると、あっという間に父の資産を超えてみせた。


 対して俺は、はっきり言えば浮かれていたのだ。

 ろくに大学にも行かなくなり、学費や生活費を払ったとして、入ってくる家賃収入などや、現金資産を考えれば多少遊んだところで問題ないと遊び歩いた。


 そんな不真面目な生活をして、親の遺産で遊び歩いていることを録に隠しもしなかったんだから、当然に俺の周りには同じく録でもない連中が取り巻くようになり、媚を売っては気を引こうとする女も湧いた。


 そんな連中に嫌悪感を持てるような正常な判断力を当時の俺は持ち合わせて無かった。


 悪い遊びに誘っては金を集る連中も、あからさまな色気を振り撒いて誘ってくる女にも、悪い気がしないどころか、持ち上げられるままに優越感に浸っていた。そんな痴態を演じていれば、金なんて泡のように溶けていった。


 気がつけば現金が底をついて借金が膨らんでいた。大学も単位を落としかけ、だというのに学費どころか生活費もない有り様で、当然に侍っていた連中は蜘蛛の子を散らすように消えていった。


 我にかえって、どうにかしなければと思うも、兄へと相談することが憚られて、弁護士の足立先生に連絡をとり、俺の名義となっていた不動産関連を実家を残して売り払い、借金を返し、何とか学費も払って、教授に頭を下げて補講を受けて卒業単位を取得した。


 そうして、俺に残ったのは僅かばかりの現金と最低限の家具以外売り払ってがらんどうになった家。

 何とか卒業はしたものの、就職活動もしないまま、最後は追われるように過ごした大学生活だった以上、内定の一つもある訳もなく、無職が確定した春先に、今更になってハローワークに通い始めるも、卒業後に就活を始めたような状態では、好条件の求人など望むべくもなかったし、何とかバイトをして食いつなぐのが精一杯になっていた。


 

 


 「久しぶりだな、徹。お前から訪ねて来るなんて、珍しいじゃないか。東京観光にでも来たのか。大学出たあと、就職したって聞いてないが、まぁ、親父の遺産もあるし、2~3年は遊んでも大丈夫か」


 バイトを休んで東京に来た俺は連絡を取って兄の家へと来ていた。


 「観光じゃ、ないんだ。それに、遺産は殆ど残ってなくて」


 言いづらいことだったけれど、本題を切り出さない訳にはいかない。


 「観光じゃない。なら何しに来たんだ。だいたい残ってないって、お前、土地やらの不動産だって売り払ってたろ」


 「何で……知って」


 「何でも何も。お前、マンションにしても駐車場にしても管理会社との取引やら、収入にたいする税の支払いやら、誰がやってたと思ってるんだ」


 そう言われて、俺は気付いた。心底呆れたという顔をしている兄を見ながら思い出す。あの兄弟会議のとき「管理を任せてる方と話は済ませてある」と兄は言っていた。俺は「管理は全部任せて、収入だけは入ってくるんだ」なんて甘い考えだったが、そんな訳はないんだ。

 「問題があれば相談しろ」そう言った兄へと俺は何も相談しなかった。それでも、兄は何もしない俺のかわりをしてくれてたんだろう。


 「……ごめん……俺……お金使いすぎて、本当にもう残ってなくて」


 それでも、俺はそんなことしか言えなかった。


 「…………いいか、金の無心に来たなら帰れ。色々と噂は聞いてたし、何度かお前に電話もラインもしたはずだ。改心したのか大学だけは無事に卒業したし、遺産を売ったのだって、今はお前のもんだ。俺はとやかく言う資格もない。お前が東京観光に来たって見栄の一つもはったなら、そのまま知らん存ぜぬで通すつもりだったんだ」 


 呆れや疲れが見える表情になった兄が、投げ遣りな声で言い放つのを聞いて、俺は食い気味に割り込んだ。


 「違うんだ、兄貴。金の無心じゃない。俺、実家を引き払うつもりなんだ。東京に出てくるから、何とか兄貴のとこで働かせてくれないかっ」


 そう言った瞬間、兄の目が見たことが無いくらいに冷たく、それでいて憎しみに充ちているように燃えているように見えて、俺は怖じけた。

 そんな目も一瞬のことで、まるで嘘だったように、心底どうでもいいと言った風の無気力な顔へと変貌したあと、吐き捨てるようにボソボソと喋りだした。


 「何処まで虫のいい話をするんだ。もう、俺とお前しかいないが、親父とお袋の思い出もある家を引き払うって。……そんで、俺のとこに雇って欲しいだ。大概だな。……それでもな、一度は勤め人だった俺から言わせて貰えばサラリーマンなんてつまらんぞ。どんなに売上を出したとこで、固定給しか貰えん。なぁ、死んだ気になって、お前も起業してみろ、俺の弟なんだ。失敗するかもしれんが、成功すれば、それが全部お前のもんだ」


 そう言ったあと、兄は奥へと引っ込んだ。どうしたものかと思っていると、一枚の封筒を持って兄は戻ってくる。


 「餞別だ」


 それだけ言って渡してくれる。


 「……あ、ありがとう、兄貴っ。大切に使うよ、必ず返すからっ」


 「喜ばれるような額でも、感謝されるような額でもない、返す必要もない、ただの足賃だ」


 まるで石を見るように何の感情も感じられない兄が怖くなり、実の弟へと向けられる「それ」に怒りのようなものも沸いてきたものの、手の中の封筒に「そうは言っても優しくて頼りになる兄貴だ」と結局は弟の俺が大切なんだと、そんな風に言い聞かせて兄の家をあとにした。



 「いくら入ってんだろうーなー」


 しばらく歩いて、俺は封筒の中を確かめることにした。大金持ちになった兄のこと、五万くらいはありそうだ。そしたら、久しぶりに良いもんが食える。いや、少しくらいパチンコかスロットでも行ったっていいだろう。

 もしかすると十万くらいはあるかも、そしたら折角、東京まで来たんだ、歌舞伎町まで行って風俗で一夜を明かしたっていいんじゃないか。


 やっぱり持つべきものは頼れる優しい兄貴とお金ってか。


 「じゃあ、出してみますかーっ」


 期待し過ぎて、思わず声を上げながら封筒から引き出した紙幣は一目で数枚あるとわかったものの、テンションは一気に下がった。


 「……えっ、……千円……札」


 封筒の中を見ても、もう中は空で、取り出した紙幣は五枚しかなかった。


 「たった……五千円……」


 俺はしばらく固まって、思考も覚束なかったが、そのあとに急激に怒りが込み上げてくる。



 「ふざけやがってっ、あのケチ野郎っ! なにが感謝される必要も返す必要もないだっ! そりゃ、金持ちの兄貴にとっちゃ端金なんて、ゴミみたいなもんだよなっ! 散々説教して勿体つけやがってっ! 」


 俺は握りしめた紙幣を地面に叩きつけようとして、握ったまま捨てられなかった五千円をやるせ無く見つめた。


 「捨てたとこで金は金だもんな。五千円もありゃ、旨いもんの一つ食えるよな。…………くそっ」


 心が折られたような気持ちになったものの、何糞っ! という気持ちがムズムズと沸いてきた。





 その後、俺は地元に一度戻り、実家を売り払って東京に戻った。

 兄の言った通りに格安の賃貸アパートで、在宅で出来るバイトをしながら、Web関連の会社を起業した。

 



 あの日から二十五年が過ぎた。

 苦労を重ねて、なんとか都内に事務所兼自宅を構えるくらいまでには、俺は成功することが出来た。

 初めは一人だった会社も、今は十人程度の社員を雇っている。事務を任せた女性と結婚もして、娘も産まれた。


 久しぶりに訪ねた兄の家。

 俺の手には五千円の入ったあの日の封筒がある。





 「ん、来たのか。いきなり連絡が来たときはびっくりしたぞ。まぁ、あがれや」


 すっかりと老けて、頭も薄くなり始めた兄の姿に驚く。記憶の中の若々しかった兄の面影がない。随分と稼いでいるはずなのに、未だに結婚もせずに独り身だと聞いて、悠々自適の生活をしていると思っていた。


 「兄貴、今日はあの時の五千円を返しに来たんだ」


 そういって俺は封筒を差し出した。

 テーブルの上の封筒を静かに見つめていた兄は、やがてポツリポツリと語りだした。



 「今更、こんなもんを持って来なくても良いのになー。随分と全うに頑張ったみたいじゃないか。

 ……一つだけ、あの時、俺がなんで五千円しか渡さなかったのか。話してもいいか」


 兄はこんなに小さかったろうか、そう感じるほどに縮こまった姿に、あぁと気の抜けたような返事が口から漏れた。


 「あの時は随分と冷たいことをした。許してくれとは言わんさ。それでもな、あれは兄心だったんだ。

 あの時、もしお前に大金を渡したら、お前はきっと遊び呆けて、渡した金も身につかなかったろう。

 間違いじゃなきゃ、この中の金、あんときのもんじゃないのか」


 そう言いながら、兄は封筒から、皺まみれで汚れた五枚の千円札を取り出していた。


 「お前にこれしか渡さなかったのは、これで金の大切さ、真面目に頑張る気概を思い出して欲しかったからだ。お前は俺の弟だ。決して愚か者ではないんだから。

 ただ、やりようはあったと後悔ばかりして過ごしてきた。お前が結婚して、娘も出来たらしいと聞いて、やっと安心できた。もう、ここには来んでいいから、幸せに暮らしなさい」


 兄の姿がどんどんと小さくなっていく。


 正直に言えば、何と無く兄の真意のようなものも、苦労していく中で、結婚し、子を育てる中で、気付いていたようにも思う反面、あの日の悔しさに、使わないまま残したこれを、どうだとばかりに突き返して、見返してやろうと、そのために頑張ったんだと、そう思っていた。




 「兄貴……俺はバカだった。兄貴の気持ちなんて、始めっから、わかってたんだ。優しい兄貴が発破かけてくれたなんてこと、それでも、バカでワガママだった俺は兄貴を恨みさえした。

 でもなー、兄貴。俺はその五千円があったから、その皺まみれの五千円があったから、ここまで全うにた立ち直れたんだ。もう来るななんて言わんでくれ。


 申し訳なかった。……ごめんなさい、兄貴」



 兄貴は泣いていた。


 俺も泣いていた。





 その晩は、そのまま兄貴の家で呑んだ。

 夜も更けたころ、今日は妻と娘は、妻の実家へ行っていることを思い出す。

 

 そう言えば妻から、鼠が配線をかじって停電した話をされたなと、ぼんやりと考える。


 噛られた配線がショートして、ブレーカーが上がったようで、業者を呼んですぐに解決したらしいが。


 「鼠駆除の業者は明日来るんだったか」


 ふと、そう思った時に、はて、万が一鼠に配線をまた噛られて火事にでもなったらと、慣れない深酒にそんな不安が持ち上がる。


 上機嫌の兄貴に事情を話して帰ろうとしたが。


 「そんな簡単には火事になんてならんさ。もし、焼けたなら、俺がお前の家族含めて面倒みてやるよ」


 そんな冗談とともに引き留められる。

 まあ、そうだよなと、客間で寝ていたが、どうにも寝付けない。

 それでも、いつの間にか寝ていたのか、起きると兄貴が騒がしい。


 「たいへんだっ! お前の家が燃えたらしいっ」




 そこからは頭が真っ白だった。


 どうやって帰ったかも覚えていないが、全焼した事務所兼自宅を呆然と眺めた。


 幸いに周りには燃え移る前に鎮火出来たようで、火災保険も適用された。


 だが、バックアップとして保管していたデータごと、機材全てが燃え落ちてしまえば、仕事どころではなくなってしまった。

 納期を守れなくなってしまったクライアントからは事が事だからと違約金の請求こそ、されなかったが、失ってしまった信頼に再起するのは困難を極めた。


 心労に妻が倒れ、高校生の娘が、学校を辞めて働くと言い出し親子喧嘩になる。






 俺は兄の元に訪れていた。


 「頼む、会社を再建させるための支援をしてくれ。クライアントとの信頼が回復するまで、今まで以上に努力するから」


 土下座した俺に兄は冷たい目で。


 「失火はお前のミスだろう。支援はせんから、出てけ」


 とだけ言い、追い出された。


 「ふざけるなっ、あの日、引き留めたのはお前じゃないかー」


 玄関先で暴れていると意識が薄れていく。









  「おいっ、徹っ! おいっ、起きろ」



 兄の声に目を覚ます。

 飲み過ぎて、寝過ごしたようだ。ぼんやりとした頭にさっきまでのことが蘇る。


 「随分とうなされていたが悪い夢でもみたか」


 「家が全焼した夢をみてた」



 「心配し過ぎたせいだな。寝言を言っていたから、察しはついたが、心配し過ぎは五臓の病みだ。無理するもんじゃないよ」


 そう優しく笑う兄の目は、



 何処までも暗く、俺の(なか)を見透かしているようだった。





 



 

上方落語の名作「鼠穴」

私は故立川談志師匠の鼠穴が好きなんですが。

鼠穴はとても難しい演目で、演者それぞれの解釈と演じ方の違いを楽しめる作品ですね。



感想お待ちしています。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 兄の心意気で弟が再起しめでたし…では終わらず、 何やら不穏な雰囲気を醸し出すラストでした。 成長はしたもののやはりいざとなれば兄に…という心根を見透かされてしまったという感じでしょうか。 …
[一言] 現代風アレンジ落語面白かったです。 またやって欲しいですね。 シリーズ化してもらえると嬉しい。 多分聞いたことあるんですよねぇ、この落語。 最後の部分でどう解釈するかが人によって変わるらし…
[良い点] こんばんは! いつも、お世話になっております。 本当に、素敵な話でした! いい兄貴ですねぇ・・・。 私も、こんな兄が欲しかったです。 男気があって・・・でも、甘やかさず、かといって…
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