【短編版】断罪された悪役令嬢を助けたら、宰相閣下に求婚されました
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「ケイト嬢! 貴様の悪行の数々、私が知らないと思ったら大間違いだぞ! 貴様のような悪事を働く者を王太子妃にするわけにはいかん! 貴様との婚約は本日をもって破棄する!」
今日は王宮での社交パーティー。
久しぶりに領地から王都に出てきて伯母と共に王家主催のパーティーに出席したら、何と婚約破棄現場に遭遇してしまった。
遭遇したのはとある辺境の領地に住む子爵令嬢のエマ・グランデ、十九歳。
艶のある栗色の髪が、身につけている紫色のイブニングドレスによく映えている。
美味しそうな料理が沢山並んでいて嬉しい、幸せ! と思いながら意気揚々とお皿に料理を盛り付けていたところ、突然エマの背後から男性の大声が響き渡ったのだった。
婚約破棄を告げられてしまった相手は誰なのだろうと思い、おそるおそるすでに人だかりができているその現場の方に視線を移す。
すると、シルバーブロンドに美しい顔立ちで色白の肌の令嬢が、取り乱すことなく綺麗な姿勢で立っていた。
「婚約……破棄……ですか?」
確かこちらの女性は、公爵家の御息女ケイトだったはずである。
ケイトとは親交があるわけではないが、幼い頃に連れて行ってもらった王家主催のパーティーで一度会ったことがあった。
可憐で綺麗で気高くて……、子爵令嬢なので身分の差があるにも関わらず、エマにも優しく接してくれたことを今でもよく憶えている。
(そんな方が、悪事を働いた……? いくらあれから時が経っているとはいえ、俄には信じられないわ)
「何のことでしょう。わたくしには何の身に覚えもないのですが」
「しらを切るでない! お前が男爵令嬢のカミラに嫌がらせをしてきた所業は分かっているのだ!」
王太子シャルルの言い分では、何でも王太子らが通っている貴族学園でケイトが公爵令嬢の権力を笠に着て、これまで自身の取り巻きを使いカミラの教科書を捨てさせたり、衣服を隠したり悪い噂を流し孤立させるように仕組んだりと、それはもう陰湿なことを行ったそうだ。
周囲の人々は王太子の発言を信じて「なんてことを! 許せない! 今すぐ追放しろ!」だなんてことを言っているが、エマは彼女のことは全くの濡れ衣だと思う。
そして、そんな悪態をつかれているのにも関わらず、気高く姿勢を崩さないケイトの様子を見てそれは確信に変わった。
「わたくしは、そのような愚かなことなどしてはおりませんわ。それに、……カミラ嬢でしたでしょうか? 彼女とはほとんど面識がないのですが……」
「酷いですわ、ケイト様! 毎日虐げている相手の名前も知らなかったなんてっ!」
「ケイト! お前がまさかそれほどまで愚かだったとは! 即刻婚約を破棄する!」
一人を大勢で囲んで一方的に捲し立てるのは、全くもってフェアじゃない。
相手の言い分を一対一でキチンと聞くべきだ。
だが、目前のステイフ王国、第一王子であり王太子のシャルルは骨の髄まで愚かなのか、そんな配慮のかけらもなかった。
それどころか、招待客を煽って皆でケイトを嘲笑させるように促す始末だ。
国王陛下と妃殿下はどうしているのだろうか。
そう思ってチラリと玉座の方へ視線を移してみると、国王は表情こそ変えないが今にも立ちあがろうとしている。
王妃が隣で、必死に国王を宥めているのでそれは抑えられているようだが。
この事態は国王、ひいては王家にとってどのようなものと捉えているのだろうか。王太子の独断なのか、もしくは両陛下は承知の上での行動なのか……。
隣の席の第二王子も国王を宥めているが、視線は別の場所に向けていた。
よく見てみると、その先は渦中のケイトだった。彼はこの騒動が気にかかるのか。
第二王子は立ち上がって駆け寄ろうとするのだが、王妃に声を掛けられ止められている様子だった。
王族が無闇に関与するべきではないと判断したのだろうか。
(そうだわ、ケイト様は大丈夫かしら……!)
「分かりました。婚約破棄を受け入れます」
──ドサッ。
ケイトは気丈に言った直後、何かがプツリと切れたのかその場で倒れ込んでしまった。
ピクリとも動かないので気を失っているのだろうか。
「ふん、大袈裟な女だ。自作自演がみえみえだ!」
だが、数秒経っても動く気配がしない。やはりケイトは完全に気を失っているようだ。
(大変! 早く救護室にお連れしなければ!)
だが、部外者であるエマが易々と出しゃばるわけにはいかない。そう思い周囲を見渡すのだが、誰も動こうとはしなかった。
皆、シャルルを考慮して動きたくても動けないのか。国王も第二王子も動こうとはしているのだが、シャルルが咄嗟に配下の者を使って妨害しているようだ。
(いいえ、そんなことを気にかけている場合ではないでしょう! 人命が掛かっているのよ‼︎)
ただ、ケイトを抱えて移動したいのだが、非力なエマでは重量のあるドレスを身につけた彼女を抱えて歩くことは不可能だと思われた。
「すみません、どなたか肩をお貸しいただけませんか⁉︎ ケイト様を救護室へお連れしたいのです‼︎」
エマは何とか渦中の人垣の中に入って、ケイトの近くまで近寄ってから大声をあげた。
もし、これで自分の評判が下がって結婚相手が見つからなくなるようでも構わない。
家の評判が下がるようなら何か手立ては考えなければならないが、それはともかく後で考えればよい。
それよりも、今はケイトを一刻も早く治療しなければ、今にも深刻な状況になっている可能性もあるし手遅れになるかもしれないのだ。
「私がお連れしよう」
そう颯爽と名乗りでてくれたのは、長身で黒髪の翡翠色の瞳が印象的な美男子だった。
今が有事でなければ、確実に見惚れて言葉を紡ぐことなどできなかっただろう。
「よろしくお願いいたします!」
そうして黒髪の男性はゆっくりとケイトを抱き抱えると、会場を退室するべく歩き出した。エマもすぐについていく。
会場内は侮蔑と安堵との両方の色を見せていたが、男性の登場が意外だったのか、彼が抱えるケイトに対して次第に労いや心配するような声が上がり始めたのだった。
◇◇
救護室へと到着すると、男性はベッドの上にケイトをゆっくりと降ろした。
入室して来たエマたちに気がつくと、救護室付きの医者がすぐさま駆けつける。
「如何いたしましたか⁉︎」
「パーティーの最中で動揺することがあったためか、バランド公爵家の御令嬢であられるケイト様が気を失われた。今すぐに診ていただけないだろうか」
「はい、かしこまりました、補佐官殿」
(補佐官殿?)
こちらまでケイトを連れて来てくれた男性はまだ年若いように見えるが、王宮内においてとても地位の高い男性なのだろうか。
それはともかくとして、ケイトは現在ドレスを着ているので、ベッドに横になるにはまず召し物を替えなければならない。
本来なら上位貴族と思しき相手に先に声を掛けることは許されないのだが、今は緊急事態であり咎めなら後ほどに受けると思いながら、エマは手のひらをギュッと強く握り締めた。
「補佐官様、ケイト様をこちらまでお連れしていただき、本当にありがとうございました。これからケイト様のお召し物をお替えいたしますので、一旦ご退室いただけますでしょうか」
「ああ、そうだな。分かった」
顔色一つ変えず快諾して移動するが、彼は出入り口付近でふと立ち止まってからこちらに向き直した。
「君の行動は、大変勇気があり称賛に値するものだった。私もすぐに動くべきだったのに、自分の立場を考えて判断が遅れてしまった。君があの時声を掛けてくれなかったら、一体今頃ケイト嬢はどうなっていたことか」
そして、深くエマに対して頭を下げた。
「心から礼を言う」
「い、いいえ! お顔をお上げくださいませ! こちらこそ、深く感謝をしております。わたくし一人ではケイト様をこちらまでお連れすることは到底叶いませんでしたから」
「いや……。君の名前を教えてもらえないだろうか」
「わたくしはグランデ子爵家の長女、エマと申します。普段は領地に住んでいるのですが、今日は伯母に連れていただきパーティーに参加をしておりました」
「そうか。私は宰相閣下の第一補佐官、ロベール・バルトだ。これから会場へと戻り、閣下とことの収拾へと当たることになるだろう」
「ご紹介をいただきまして、光栄でございます。左様でございましたか。……それでは補佐官様、これで一度失礼いたします」
「ああ、よろしく頼む」
「はい」
扉を閉めると、すぐにケイトの傍に駆け寄った。
そして、ベッドの周囲を仕切りで囲ってから補佐官と入れ違いで合流したケイト付きの侍女と一緒にドレスの紐を解いていき、彼女のドレスを脱がすことができた。
コルセットも外して、擁護室で用意のあった肌着や寝着に手早く着替えさせて改めて侍女と共にベッドに上に寝かせた。
「非常に手際がよろしいのですね」
ケイト付きの侍女マリーは驚いた様子だったが、それは無理もないのかもしれない。
何しろ、通常であれば貴族の令嬢は他人に対してこのような介助はしないものだからだ。
ただ、エマの祖母は高齢で介助が必要だったのだが、祖母は屋敷の使用人ではなく家族に、特にエマに介助してもらいたいと指名し主に彼女が介助を行っていたのだ。
その祖母も半年ほど前に亡くなり、更にある事件が起きたことでエマは伯母と共に領地を離れて王都を訪れたのだった。
「はい。領地に住んでいた時に、よくお祖母様のお世話をさせていただいておりましたから」
「そうでしたか。……エマ様はとてもお心根がお優しい方ですのね」
「いえ、そんな当然のことです」
「いいえ、この度お嬢様におかけいだきましたご恩情は、中々なされるようなことではございません」
そう言って深々と頭を下げてもらったので、申し訳なさが込み上げてきた。
ただ、同時に自分の行動は間違ってはいなかったのだという安心感も込み上げてきたのだった。
◇◇
それから一時間ほどが経った頃、ケイトの意識が戻った。
医者の見立てによるところでは、緊張が極限に達したことで意識を失ったのではないかとのことだった。
侍女によれば持病があるわけではないし、身体に異常も見受けられないので問題はないとの医者の触診による診断に、一堂はホッと胸を撫で下ろす。
ただ、もしあの場所で倒れたまま放置をしていたら意識を取り戻すのに時間が掛かった可能性もあるし、あの段階では病の可能性も考えられたので、エマの判断は賢明だったと医者から感謝の言葉をもらった。
──そもそも、あのまま大衆の中で気を失った姿を晒し続けることは、ケイトの公爵令嬢としての矜持を失うことに繋がりかねなかっただろう。
また、ケイトは目覚めた当初はぼんやりとしていたが、次第に意識がはっきりとしてくると先刻のパーティーのことを思い出したのか、小刻みに震える身体をか細い両腕で抱きしめた。
「なぜ、あのようなことになってしまったのでしょうか……」
先ほどまで気丈に振る舞っていたが、その実、心は酷く傷つけられてしまったのだろう。
「お嬢様は悪くありません!」
「マリー……」
侍女のマリーが傍にいてくれることに安心したのか、ケイトは小さく息を吐いた。
「そうです! ケイト様は全く悪くありません!」
「……あなたは、どちら様でしたでしょうか……?」
疑念を抱いているであろうケイトの様子に、エマはまだ自分が名乗っていなかったことを思い出し辞儀をする。
「ケイト様。わたくしはグランデ子爵家の長女、エマと申します。先ほどのパーティーに居合わせまして、失礼ながらお召し物を替えるお手伝いをさせていただきました」
「まあ……、それは大変お世話をお掛けしたのですね。誠にありがとうございました」
そう言って頭を下げるケイトに対して、慌てて上げるように促した。
「お顔をお上げください、ケイト様」
「いいえ、あなたには何と感謝を申し上げればよろしいのか」
先ほどから初めて会った人々に頭を下げられているので、申し訳なさと同時に心にくすぐったい感覚が過ぎる。
ただ、やはりケイトの表情は沈んでおり気を落としているようだった。
大勢の前であのようなことを言われたのだ。大方の人は傷つくだろう。
「わたくしは何か間違っていたのでしょうか。幼き頃からシャルル様を一助しなさいと両親から強く言い聞かされておりました。これまで公爵家の維持と発展のためにも王宮に赴き必死に妃教育を受けて参りましたが、……それはわたくしには分不相応だったようです」
加えてケイトは、男爵令嬢のカミラに嫌がらせをしたことなど全く身に覚えはないが、彼女がそう言うのなら何か誤解をさせてしまっていたのかもしれないとも言った。
普段弱音を吐くような女性ではないと噂で聞いたことがあるから、今はよほど精神的に堪えているのだろうか。
そしてケイトの言葉を聞くと、エマはこれまでは部外者はしゃしゃりでてはいけないと思い口を挟まないようにしていたが、その考えを改め直したのだった。
「一つよろしいでしょうか」
「ええ、構いません」
「持論と言いますか、私の実体験なのですが」
「はい」
「ケイト様はその件に関しては全く悪くありません! 第一、さっきの言いがかりはおそらくカミラさんの自作自演です!」
ケイトは目を見開き驚いた様子だった。
「その理由を訊いてもよろしいでしょうか?」
「はい。わたくしも同様のことを妹にされたからです」
「まあ、……誠ですか?」
「ええ」
そして、エマはこれまでの経緯を説明していった。
◇◇
エマは幼い頃から、幼馴染である男爵家の次男、カルロと婚約を交わしていた。
グランデ家には姉妹のみで嫡男がいなかったために長女のエマが婿をとり、彼が爵位を継承することで子爵家を維持する予定であった。
補足をすると、この国では女性が爵位の継承をすることができる権利はないのだ。
だが、一年ほど前に妹のマニカが姉に虐められているとカルロに泣きついたことがきっかけで、こともあろうに二人はいつの間にか親密になり、妹のマニカがエマの婚約者カルロの子を宿してしまったのである。
そもそも、エマがマニカを虐めていたなどとは彼女の虚言であり、全くの事実無根であった。
エマの両親はマニカの不貞に青ざめたが、要は爵位の維持にはどちらかの娘がカルロを婿に迎えればよいので、エマには申し訳ないとフォローしつつ、マニカの不祥事は問題ないと判断したのである。
エマは共にグランデ家を継ごうと将来を約束した婚約者に簡単に裏切られ、カルロはマニカとつい先日に結婚式を挙げた。
エマは結婚式に何とか出席はしたが、式中は周囲からの哀れみや侮蔑の視線を感じ、逃げ出したい衝動を常に抱いていたのである。
そして、すでにグランデ家に居場所などはなかったが、つい先日まで肩身の狭い思いをしながら領民の農作業を手伝いをして何とか生活をしていたのだった。
その最中、伯爵夫人である伯母が領地へ訪ね、王都へと連れ出してくれたというわけだ。
「お祖母様のお世話で精一杯で、婚約者のことを気にかけられなかったのは事実です。けれど、私は……」
その後は涙が込み上げてきて言葉にできそうにない。
ケイトがエマの両手をそっと取り、握りしめた。
「あなたは悪くありません! 悪いのは全面的に妹君と唆された婚約者の方です! 全く道徳心に欠けた非常識な方々ですわ!」
「今はその通りだと思っています。……そして先ほどの王太子殿下のなさりようは、まさにその通りだと思うのです」
ケイトは何かに気がついたのか、ハッと動きを止めた。
「……そうですね。きっとシャルル様もカミラさんにうまく唆されたのでしょう」
「はい」
「そうであれば悪いのはわたくしではなく、まんまと唆されたシャルル様と唆したカミラさんですわね」
「そうです、その通りです!」
そう言ったあと、ケイトは心中の黒いものが晴れたかのような晴れ晴れとした表情をした。
「きっとエマさんは、ご自身がお辛い思いをしたからこそ、わたくしを気にかけてくださったのですね。……あなたのお心遣いは決して忘れません」
「そのようなご過分なお言葉を……」
その先は胸に熱いものが込み上げてきて、言葉にならなかった。
「わたくしはきっともう大丈夫です。婚約を破棄されたことで、これから苦難が待ち受けていようとも、……何があっても挫けません!」
その顔は生き生きとして魅力的で、エマは漠然と永らく彼女についていきたいと思った。
「ありがとうございます、エマさん。あなたはわたくしの恩人です」
「いいえ、ケイト様。お礼はここまでお連れいただいた補佐官様に仰ってくださいませ」
「補佐官様ですか?」
疑問符を浮かべるケイトに侍女のマリーが助言をした。
「宰相補佐官様が、こちらまでケイト様をお連れしてくださったのです」
「まあ、宰相補佐官殿が! それは後ほどお礼をお伝えしなければいけませんわ」
その直後、ノックの音が扉に響いた。
マリーが扉を開き戻ってくる。
「ケイト様、宰相補佐官様がお越しです。事情を伺いたいとのことですが、お通ししてもよろしいでしょうか」
ケイトはエマの方に視線を移した。
「よろしければ、ご一緒していただけますか?」
「よろしいのですか?」
「はい、是非に」
ケイトは寝間着を身につけているので、ロベールには仕切り越しに会話をしてもらい、入室してもらった。
ロベールを一人にしていくわけにもいかないと、エマは仕切りを越えて彼の隣につく。
「ケイト嬢。まずは大事がないようで何よりです」
「痛み入ります」
「それでは、詳しい話を聞かせていただきたいのですが」
詳細を話したあと、ロベールは小さく唸ったような声を上げた。
「やはり思った通りですね。ご協力に感謝をいたします」
「いいえ。……それで王太子殿下はどのような処遇となるのでしょうか」
「そうですね。これから調査を行いますが、陛下のご様子からはあまり寛大なご対応はなされないでしょう」
「そうですか……」
詳細は伏せられたが、今回の王太子の行動は完全な彼の独断によるものだったらしい。
その事実のみからでも、おそらく国王は周囲の勢力を考慮して王太子に処分を下すのではないかと思われた。
そして、それを察したのかケイトは静かに目を伏せた。
あのような仕打ちを受けた相手とはいえ、やはりまだ情は残っているのだろうか。
「君が声を上げてくれたことにより、事態が好転するに至った。改めて感謝する」
「いえ、当然のことをしたまでですので」
ロベールは気持ちの良い笑顔を向けたが、おそらくエマに対してではなく、仕切りの向こうのケイトに対してだろう。
(もしかしたら補佐官様は、ケイト様のことを想っていらっしゃるのかもしれないわ)
そう思うと、新しい予感で胸が高鳴ったが、何故か胸がズキリと痛んだ。
(それにしてもまさかあの時助け船を出してくれた方が、宰相閣下の補佐官の方だったとは)
本来雲の上の二人であり、下級貴族のエマは話しかけることさえ叶わないが、予想外なことで知り合いになった。
エマは境遇の似ているケイトを放っておけず、このまま彼女の力になりたいと強く思ったのだった。
◇◇
あれから二年後。
かつて王家主催のパーティーで騒動を起こしたシャルル王太子は、件の婚約破棄事件の責任を取らされ王太子を廃された。
今は追放された辺境の地で隣国の脅威から民を守るべく、一人の騎士として国防を担っているとのことだった。
また、男爵令嬢カミラのマイヤー家は、虚言を弄した罪で爵位を剥奪され平民へと落とされた。
あまり詳しくは分からないが、現在カミラは王都の外れで洗濯婦として働いているらしい。
そして、公爵令嬢のケイトはあれから王太子に即位した第二王子ベルントと婚約を結び直し、一年前に結婚式を挙げたのだ。
補足をすると、これまで国内貴族の派閥バランスの調整により、第二王子の婚約者の選定は保留となっていたのだった。
二人の相性はとてもよく、いつ見ても笑顔が絶えなかった。
今でも新婚のような彼らを見ていると微笑ましく思うが、相手もいないエマは微妙に目のやり場に困った。
エマはというと、あの騒動のあと住居を王都の伯母の家に移し、必死に女官になるための勉強をしたのだった。
それは、王太子と婚約したケイトに仕えられるようにと女官を目指したためである。
伯爵夫人の伯母は、エマのためにその筋の有能な家庭教師を自宅に招いてくれ、おかげで毎日勉強に勤しむことができた。
そして、約一年間わき目もふらずに勉強した成果なのか、非常に倍率の高い王宮女官の試験を一度で突破し、現在ではケイト付の女官として王宮仕えをしているのであった。
「妃殿下、こちらが例の政策に関する資料でございます」
「ありがとう」
王太子妃として穏やかな日々を過ごすケイトの傍で仕えることは、エマにとってこの上ない幸福だった。
だが、エマが下級貴族なのにも関わらず、ケイトが王太子妃に即位してから最初から彼女付きの女官として働いていることに関しては、周囲からのヤッカミもありこれまで決して平坦な日々ではなかった。
だが、そのような周囲の感情はこれまで散々他人の嫉妬に振り回されてきたので、相手にしない等の上手く躱す術も駆使して、難なくやり過ごしている。
「……ところで」
「はい、いかがいたしましたか?」
ケイトは小さくコホンと咳払いした。
「エマは将来を考えているお相手は、いらっしゃるのかしら?」
普段からケイトは、エマに対してあまりそう言ったことを話題にはしないので意外に思いながら、力を込めて首を横に振った。
「お言葉ですが、残念ながらわたくしにはそういった相手はおりません」
気がつけばエマは二十一歳となっていた。
ケイトは十八歳の時に結婚をしているし、幼い頃から婚約者がいる貴族にとってはこの歳で未婚となると、そろそろいき遅れの烙印を押されてしまうのだった。
ちなみに妹のマニカはあれから無事に子供を産み、今では二児の母である。ただ、実家の乳母からの手紙によると、マニカとカルロの夫婦仲は冷めきっているとのことだ。
それは、あのような経緯があって結ばれたことが原因なのかもしれないが、エマはそのことに関しては預かり知らぬことだと思った。
「そうですか。……ですが、意外とそういったお相手は身近にいるのかもしれませんよ?」
「そうでしょうか。……ただ、私には身に余ることだと思っておりますし、精一杯今のお役目を務めていきたいのです」
「それはとても心強いですね。……遅い時間に申し訳がないのですが、こちらの資料を宰相の執務室から借り受けてきてもらえませんか?」
宰相の名前をケイトから聞いた途端、胸が痛んだ。
「はい、かしこまりました」
頷くや否や、ノックの音が響きケイトが通るように促すと王太子ベルントが入室してくる。
「ケイト、今日の執務が終わったので迎えにきたよ。君はとても愛らしい」
「ふふ、殿下もとても素敵でいらっしゃいます」
執務時間外等、節度を持った時間帯でありプライベートな場所ならいつも決まって会った途端から二人は互いに手を取り、甘い空気を醸し出しイチャイチャ……、もとい見つめ合うのであった。
これは邪魔してはいけないと思いササっと退室すると、宰相室へと向かい扉前でピタリと止まる。
(どんな顔をして、お会いすればよいのかしら……)
先ほどのケイトと王太子の睦み合いが脳裏に過るが、必死にかき消し深呼吸してから扉を四回ノックしたのだった。
◇◇
ノックの音が響いた後、僅かの間を置いてから返答があった。
「入室するように」
「失礼いたします」
許可が得られたので音を立てないように入室すると、執務机には宰相であるロベールが政務の手を止めてこちらに視線を向ける。
二年前に宰相の第一補佐官だった彼は、昨年に昇格して宰相となっていた。
「宰相閣下。妃殿下からこちらの資料をお持ちするようにと言い付けられて参りました」
「ああ、分かった。直ちに用意しよう」
エマから詳細が書かれているメモを受け取ると、すぐさま資料を本棚から探して集めてくれた。
いつもなら補佐官が駐在していて、こういったことは彼が行ってくれるはずなのだが、今日はどうしたのだろうか。
ただ、今は二十時を越えているので、すでに退勤している可能性が高いのかもしれない。
だからこそ、先ほどケイトの執務室に王太子が気兼ねなく訪ねて来たのだろう。
執務時間内であれば、流石に睦み合うことも控えているらしいのだが、執務が終わるとどうやら反動が出るようだ。
そうなると、早く執務室へと戻り用事を済ませて、二人には離宮へとお帰りいただかなければ申し訳ないと思い至った。
思考を巡らせていると、資料と思しき数冊の本を入れた手提げ袋と共に、突然真っ赤な薔薇が視界に入る。
(もしかして……、この花束も妃殿下にお渡し願いたいのかしら⁉︎)
やはり二年前に感じたあの視線と思慕のようなものは、王太子妃となったケイトへ向けられたものだったのだ。
また、これまで王宮勤めをしていて、あの時と同様の視線をロベールから感じたことがあったが、そのいずれも今思えば傍にケイトがいたように思う。
だから先ほどエマは、宰相室に入室することを躊躇ったのだ。
王太子妃となったケイトに対して、おそらく心憂いた恋慕の想いを抱いているだろうロベールは、ケイトの専属の女官である自分を見るのも辛いのではないだろうかと思ったからだ。
(流石にそれは少し、自分自身に対して自惚れているかしら……)
そう内心で苦笑しながらも、彼のことを気遣うならば、尚更なるべく早く切り上げた方がよいだろうと思った。
ただ、今回はとうとう気持ちを抑えきれなくなって行動に出たのかもしれない。
だが、ケイトは夫である王太子を心から大切にしているので、残念ながらロベールに対しては恋慕の心を傾けることはないだろう。
(もしかして、この際当たって砕けろ的な発想をして、想いを告白しようとしているのかしら……。絶対にやめておいたほうがよいと思うのだけど……)
お互い立場もあるのだし、そもそもきっと相手にもされないだろう。その際、ロベールに対して変な噂でも立ったら一大事である。
「失礼ですが、やめておいた方がよいと思うのです」
ロベールの顔が少し曇った。
「誰か好いた相手でもいるのだろうか」
(お、おりますよ⁉︎ あなた様の恋慕のお相手、ご結婚されていて王太子殿下と毎日あれほど仲睦まじく過ごされているのに、今まで仲のよろしさに気がつかなかったのかしら……)
心の声をそのまま言ってしまいたい気持ちになったが、何とか抑えた。
「はい、おります」
ロベールの表情は更に曇ったが、真っ直ぐこちらに向ける視線には力強さがあった。
「そうか。……だが、私はそれでも想いを告げたい」
(と、とても強い想いなのね! けれど、やはりその先のことを考えないと大変なことになりかねないわ)
それこそ、下手をすれば婚約破棄騒動以上の騒ぎが起きてしまうかもしれない。
大変な爆弾を投下しないで欲しいと、心の中で叫んだ。
思考が混乱してきたので、ともかく退室してどこかで水をもらおうと思っていると、いつの間にか自分の両腕に薔薇の花束がすっぽりと収まっていた。
「エマ殿、私と結婚して欲しい」
「いえ、妃殿下にはすでに王太子殿下がって…………、もしかして、………………わたくし…………ですか……?」
「ああ、そうだ。君しかいない」
(…………えっ⁉︎ わ、私⁉︎)
全く思ってもみなかった事態に、思考が追いついていかない。
だがいつも無表情であるロベールの表情は柔らかく、眼差しが温かかった。
「君と初めて出会った時、必死に妃殿下の元に向かって介抱した君の行動と勇気に惚れたんだ。あの後、すぐにでも求婚をするつもりだったが、君の伯母上に君がやりたいことをやり遂げるまで待っていて欲しいと言われ、考え直したんだ」
思わず目の奥が熱くなった。
伯母といつの間にかそんなやり取りをしていたのかということもそうだが、二人が他者を、自分を想ってくれる気持ちが純粋に嬉しかった。
「君が王宮で働くようになり、君への想いがより強くなったんだ。いつも真っ直ぐ他者を思いやり誰かの役に立ちたいと率先して動いている、そんな君を心から愛している。私と結婚してくれないだろうか」
途端に涙が溢れて、薔薇の花々に溢れ落ちた。
──こんなにも想ってくれていたなんて……。
「わたくしで……よろしいのですか? 身分も相応しくありませんが……」
「ああ、君がよいんだ。身分に関しては、今の立場が不安なようなら君の伯母上は養子に迎えたいとも言っていた」
「伯母様……」
エマは必死に涙をハンカチで押さえて強く頷いた。
今まで、ロベールはケイトのことを想っていること、身分の差があることもあり諦めていた彼への想いが一気に心の中から解き放たれ、自分の気持ちに正直に向き合えたように思える。
先ほどの想い人の件は、誤解をしていたとも伝えた。
「私も、ロベール様をお慕いしております。初めてお会いした時、私の声に応えてくださって本当にありがとうございます」
あの時、彼が駆けつけて来てくれなかったら今頃一体どうなっていたのだろう。
きっと意識を失ったケイトと共に、ただ周囲の嘲笑の渦に呑まれ、ケイトの悪い噂が瞬く間に広がったのだろう。
そして、ロベールは手を差し出し、エマもその手をしっかりと握りしめた。
二人はしばらくの間微笑み合っていたのだった。
もとより、トラブルがきっかけで出会い惹かれ合った二人だが、きっとこれからの人生において例え何かが起こったとしても動じず、共に支え合って生きていけるだろう。
エマは強くそう思ったのだった。
(了)
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