愛おしいという気持ち
もうあのイチイの巨木に、ソフィアはいないと分かっていた。
だが、今の俺に他に行く当てはない。
幸い天界は寒くもなければ暑くもなく、快適な気温が保たれている。
あの巨木の下で眠ったとしても、問題はないだろう。
癒しの力で軽くなった足のおかげで、坂道をすいすい進むことができた。
「……!」
イチイの巨木の下に、フード付きのマントを被り、手にランタンを持った天使がいる。
顔は見えないが、こんな時間にここにいる天使なんて、ソフィア以外は考えられない。
「ソフィア!」
「マティアス様!」
ソフィアに駆け寄り、その体を抱きしめた。
「お帰りなさいませ、マティアス様。お怪我はありませんか?」
ソフィアはすぐに俺から体を離すと、心配そうに視線を体に走らせる。
「大丈夫だよ。ソフィア。心配をかけてすまなかった」
「いえ、私は慣れっ子です。マティアス様を戦場に送り出すのは、これが初めてというわけではないのですから」
ソフィアは優しく微笑んだ。
「ソフィア……」
愛おしいという気持ちがこみ上げる。
「ただ、今回向かったのは、いつもの戦場とは違います。敵は天使ではなく、悪魔……。マティアス様はお強いので、体の怪我は心配していませんでした。むしろマティアス様の心がお疲れでないか、それだけが心配でした……」
ソフィアは俺の心音を確かめるように、左胸に右手を置いた。
「……今日、俺は沢山の悪魔を手にかけた」
ソフィアが苦しそうな顔で、俺を見上げた。
「俺の容姿は変わってしまった。誰も俺が魔王だとは気づかなかった。だから悪魔は容赦なく俺を攻撃してきた。やらなければやられる。そんな状況だった。もう躊躇している場合ではなかった」
ソフィアはその状況を想像したのだろう。辛そうに顔を歪める。
「不思議だったよ、ソフィア。悪魔を敵と俺の脳が認識するようになった。そして悪魔の気配を感じると鳥肌が立った。それに主に祈りを捧げることで与えられる天使の光。これを使うことができるようになっていた。俺には魔王としての記憶があるのに、体と脳の理解は天使になりつつある」
「マティアス様」
凛とした声でソフィアが口を開く。
「マティアス様が悪魔狩りに向かった後、いろいろ動き回ってみました。そして家を手に入れ、食料など必要なものも得ることができました。フカフカのベッドが待っています。家に帰りましょう。マティアス様と私の家に」
「ソフィア……」
俺と手をつなぐと、ソフィアは強い意志を感じさせる足取りで歩き始めた。
「天界でのルールについても、教えてもらいました。天界では役割を持っていれば、大天使から命令されることがないそうです」
「そうなのか⁉」
「はい。もちろん例外はあるようですが」
「でもガブリエルは、対悪魔への行動は何事よりも優先される、と言っていたが……」
「それは……対悪魔への行動と天秤にかけた時、婚儀は『今じゃなくてもいい』ということだったのだと思います。どうも天界では婚姻が、嗜好品のような扱いなんです」
「嗜好品……?」
「……はい。その、天界にいらっしゃる皆さんは地上での記憶がありません。ですから恋愛感情とか、その、その とかをあまりお持ちではないようなのです」
「え、何? 恋愛感情と?」
「ですから、その、 です」
「すまないソフィア。全然聞こえないのだが」
ソフィアはしばし沈黙した後。
「男女の交わりへの欲求です!」
「……!」
三日月と蛍のような光、そして手元のランタン以外の明かりはないが、もし今が昼間なら……。
雪のようなソフィアの白い肌は、バラ色に染まっているはずだ。
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次回更新タイトルは「何も感じない」です。
明日もまた読みに来ていただけると大変嬉しく思います。
それでは明日も学校、お仕事、頑張りましょう‼




