おわり
地面から離れかけた左足を戻してリラは振り返った。エリは手を固く握りしめ何を決意したらしい表情を浮かべていた。彼女の意志をリラは無言で待った。
「あの部屋で話してくれたことなんだけど……」
なんのことかすぐに思い当たった。
「わたしがああだったから思うだけかもしれないけど、それでもいいと思う。やりたいことができたらやりたいだけやって、途中でやめちゃっても色んなことに挑戦して、それで楽しんでほしい。どうせ長続きしないって何もしないのは、たぶんおもしろくないと思うから」エリは笑った。「でも私は信じてる。リラならいつか自分の夢を見つけて諦めないでやりとげられるって」
この瞬間――エリの言葉と笑顔を受け取ったこの時、リラは不思議と長年の呪縛から解放されたかのように心が軽くなったのを感じた。なにが不思議となのか、それは今の内容自体は―失礼な言い方だが―目から鱗が落ちるようなものでなくありきたりな、それこそゲームやマンガ、小説、映画、テレビといたるところで見聞きするもので、実際リラもどこかしらで聞き覚えがありその時はいいこと言うなぐらいの感想でしかなかったのに、エリの励ましは素直に奥深くに届き子どもながら頭を抱えていた心を解き放った。そしてひたすらうれしかった。エリが話を聞いた時ときから今まで真剣に考えていてくれたことが。感情が抑えきれないほど昂ってリラはふたたび抱きつく。
「エリ!」
飛び込んできた彼女をエリは優しく受け止める。
「エリ! ほんとうにありがとう」
「お礼を言うのはわたしのほう。今日はいっぱいリラに助けてもらったから」
リラは「あたしのほうが」と張り合おうとして、あるアイデアが絶対に成し遂げたい夢が閃き、おもわずエリの肩を掴んで離れ彼女の顔をまじまじと見つめた。突然の行動にエリは戸惑いリラに尋ねる。
「どうしたの?」
しかしリラは何も答えず今度は部屋を見まわし始め、やがてまたエリに視線を合わせると自分でも驚いたようなそれでいてある確信に満ちた力強い目で告げた。
「将来の夢がひとつできた!」
「……え?」
「まだ時間ってある? ちょっとやらないといけないことがあるだけど」
わけがわからず固まるエリの肩を掴んだまま、リラはオバケに質問をぶつける。
「一応まだありますけど……」
「よし! それじゃ聞きたいんだけど、ここにあるものって後で消えちゃうんでしょ?」
「ええ、まあ」
「でも、エリの服はなくならないよね?」
「そうですね。私たちみたいになるまでその格好です」
ただでさえいきなり夢ができたと言われ戸惑っているなか、その夢の内容をおしえてもらえるどころか全く関係のなさげな自分の服に話が飛んで、ついていけないエリはただただ事のなりゆきを見守るほかなかった。
「じゃあさ、エリの服に文字かなんかを書いたとしたらそれってどうなるの?」
「あー……たぶんですけど残り続けると思います」
その答えを聞いてリラの顔が輝いた。
「それじゃ何か書くものある?」
「赤のペンなら」
そういってオバケは例のごとく彼らの収納箱である自分の体から、赤色で先が細いのと太いのがある油性ペンを取り出してリラに渡した。それを受け取ったリラは「なんで黒じゃなくて赤?」と頭をかしげたがすぐに「まあ、書ければなんでもいいや」とその疑問を投げ捨て、
「今から服を汚しちゃうけどいい?」
「うん、それは全然いいけど」
「じゃ服をピンと引っ張って」
言われるがままエリは何かを書くのにピッタリの真っ白な服を掴んで左右に引っ張った。リラは屈み、太いほうのキャップを外してそれを口にくわえ、ピンと張られたエリお手製のキャンバスにペンを走らせた。
「あれ?」
しかし書き慣れていないためミミズの這ったような字になってしまうので一旦やめにし、本棚からマンガを一冊持ってくるとそれを下敷きにふたたび書き始めた。即席の下敷きのかいあって今度はそこそこ綺麗な文字が書けるようになり、まもなく
「オッケー」
と口にキャップを咥えたままリラはフゴフゴ言ってペンを離した。エリは不思議そうに自分の服に書かれた文字を見下ろした。それは十二文字の英数字の羅列だった。
「なにこれ?」何のための文字列なのかわからずエリはリラに聞いた。
「ちょっと待って。……これはあたしのパソコンのパスワード」くわえていたキャップをペンにはめて答えた。
「パスワード?」
「そうそう――あ!」とリラは何かに気がついて大きな声を上げた。「そのまんま書いちゃった! ごめん、エリ読める?」
「だいじょうぶ」
実のところリラが書き始めてまもなく、自分から見たら逆になっていることに気がついていたが読めないことはないので黙っていた。
「ゴメンね。ほんと」ペンを持ったまま手と手を合わせてリラは謝る。
「全然いいけど、なんでパスワード?」
「それは秘密」そう笑ったあと、固い決意に満ちた真剣な表情で言った。「このアイデアが実現するかはわからないしこんな言い方ズルいのはわかってるけど、あたしを信じてほしい。絶対に今度のはやりきるから」
いま言わなければもうエリが自分の夢を知ることがないかもしれないことを、リラはわかっていた。しかし、それでも彼女は選んだ。そうすることによって自身を追い込み、かならず夢を実現させるために。エリはすこしのあいだ黙っていた。だが、やがて口を開いた。
「うん、待ってる」
エリも夢を教えてもらえる最後の機会なのは理解していたが、リラの意志を尊重した。もちろん彼女はリラの夢を知りたかった。自分の言葉を聞いて描き出した光景を見たかった。しかしもう死者である自分のわがままでやりたいことの邪魔をしたくない、今しがた言った通りリラにはやりたいようにやってほしい。それが一番だった。
「ありがと、エリ」
「ううん」
「それと、あともう一つだけ。エリは覚えてる? あたしたちのコードネーム」
「うん。わたしが『ゴースト』でリラが『ガール』でしょ?」
「そうそう! 二人で『ゴーストアンドガール』! これのスペルわかる?」
そう聞かれエリはしばらく考えて、首を振った。
「じゃ、教えるね! ゴーストは『G』『h』『o』『s』『t』で、アンドは『a』『n』『d』で、ガールは『G』『i』『r』『l』。で、気をつけてほしいのはゴーストとガールのGは大文字で、アンドのaは小文字ってこと。どう? 覚えられそう?」
もしダメそうならこっちも服に書いたほうがいいかな、とリラは考えていたがそんな心配は無用なようで、エリは自信たっぷりにうなずいた。
「だいじょうぶそうだね。――――これでもうやり残したことはない! 全部まるまるOK!」
「じゃあもうお休みの時間だね」エリはかわいい子どもを寝かしつける母親のような口調で言った。
「もうお母さんみたいなこと言わないでよ」
そう笑いながらリラはベッドに乗っかり、毛布のなかへもぐりこむ。そしてそばであたたかく優しい眼差しを注ぐエリを見上げ、
「エリ、最後にもう一回だけ。ありがと、楽しかったよ」
「うん、わたしも」
彼女の微笑みを最後にリラの意識はゆっくりと薄らいでいった。




