エピソード9:そう読むのね
「なにこれ?」
そう言いながらリラが本を開くと、なにかがスッと滑り落ちていった。「あっ」とリラが声をあげ、それに気がついたエリがしゃがんで拾い上げる。滑り落ちたのは蛇腹折りにされたものをさらに半分にした紙だった。エリがそれを広げリラが後ろに回り見てみると、真ん中の大部分に名前のつけられた大小、長さが様々な四角が並び、左上に少し離れたところに『丑三水鏡冥冥邸・一階』と書かれていた。
「地図か……あっねえ、ここ」何かに気づいたリラがエリの左腕越しに指差した。
エリが彼女の指の先に顔を向けると、そこには『食堂』の文字があり、その上には『厨房』とあった。そしてそれらを取り囲んでいる廊下を左上のほうへたどっていくと、梯子のような記号があった。
「これ、ここの地図だ」指をしまってリラが言った。「じゃ、ここってそのなんとかってひとの家なんだ」
「そうみたい」
「ねえ、ちょっとひっくり返してみて」
リラに言われエリは地図を裏返した。『丑三水鏡冥冥邸・二階』とあった。
「やったね! 二階も載ってる。いいもん手に入れた」
「そうだね。で、この地図はどうする?」
「とりあえずエリが持ってて。わざわざこれだけここに置いてあったってことは、もしかしたら他にもあるかもしんないからちょっと見てみる」
「わかった」
そう言ってリラが本を読み始めたので、エリも地図を折りたたんで脇に挟み、近くの本棚からおもしろそうなものを探してきてページをめくりだした。
リラが本を開いてまず目にしたのは、著者のカラーの自画像だった。あのしっぽと手だけのような短い腕の生えた白くて丸いからだでブラウンのスーツに袖を通し、自分の目よりもちいさい金縁のモノクルをかけ、黒くてさきっちょがピンとはねた立派な口髭をたくわえている。たしかに研究者か博士としてこんな恰好をしたひとを思い浮かべていたが、まさか観察するがわもオバケだとは思っておらずリラはちょっと驚いた。それで「へぇ~」と心のなかで驚嘆しながら自画像をまじまじと眺めていると、ふとその対称的で美しいゆるやかな曲線を描いた黒い口ひげに目を留め、なにを思ったのか両手をのばし睨みつけた。
「なんか見たことある」
そう心の中でリラはつぶやく。しかし、思い出そうとしても思い出せない。出口らしきものが見えているのに一向に辿り着かない、無限に続く梯子を彼女は上りはじめた。時間が経つにつれ彼女の顔がより険しくなる。が、ふいに頂上に躍り出た。自分がこの口ひげに重ねて見ていたものが何なのかリラは理解し、そしてそのあまりのくだらなさに「あほらし」と自分を呆れ笑った。
自画像と別れをつげ、つぎに彼女が見たのは目次だった。しかし、自画像とは違い適当に目を通すだけで済ませてしまい、すぐに本文のほうへと移った。こんな出だしだった。
私こと丑三水鏡冥冥は――――。
「ええー!」
リラの驚声を聞いてエリはすぐに駆け寄った。
「どうしたの?」
「いや、これこれ!」
リラは片手で本を支え始まりを指さし、エリに見せた。「いったいなにをそんな驚いてるんだろ?」と不思議に思いながらエリは指の先を読んでみた。
「へぇ~こんなふうに読むんだ」
「それだけ!?」
期待していた反応と違って今度はそっちにリラは驚く。
「……リラは何にそんな驚いてるの?」
「いや、驚いてるっていうかなんていうか……やられた! って感じ?」
その答えを聞いて、やや沈黙があったあと、エリはゆっくりと首をかしげた。予想通りの反応にリラは苦笑いをして続けた。
「あーなんて言ったらいいかな。丑三って丑三つ時の『うしみつ』じゃん」
「うん」
「で冥冥は冥界とか冥王星の『めい』でしょ。だから読めなかったふたつともそのまんまだったってことじゃん。なのに読めるというか簡単だと思ってた水鏡だけ『みなが』って変な読み方させてさ、見えるんだよね。製作者の『お前ここ間違っただろ?』ってドヤ顔が」
どうやら話は終わったらしい。それでもエリは黙っていた。やがて
「よくわか……」と口を開いたが、途中で電源が落ちたかのようにプツリと切ってしまった。
「ん?」今度はリラが首をかしげると
「……んない」エリはそう付け加えた。
「……どうしたの? そんな変な言い方して」気になってリラが尋ねると
「あ、いや……」エリは言葉を詰まらせ目を泳がしはじめた、やがて何かを思いついたかのようにハッとすると言った。「その……ぜんぜんとかあまりハッキリ言うとあれかなって」
「ふ~ん……まあ、たしかに、そういうこともあるかもね」その答えにリラは完全にではなく八割がた納得したといった様子で言った。そして続けて「でも、あたしはぜんぜん気にしないから、いいよ別に。むしろハッキリと言ってくれたほうがいいかも。エリがどんなふうに考えてるのか知りたいから」
すると
「そう、わかった」エリはホッと安心し、それでいて嬉しそうに言った。




