エピソード7:図鑑
部屋の中へと駆け込んだふたりは、扉を背中でふさぐようにして息をひそめた。もし今のオバケに見つかっていたら鐘のような音が響き白頭があっちこっちからキノコみたいに生えてくるはずだが……。
十秒、二十秒、三十秒……と時間が流れていく。あたりは眠っているように静かなまま。その気配はない。
「よかった~」リラはホッと胸をなでおろした。
「うん」エリも安心して小さくひと息ついた。
そこでふとリラはエリの手を握ったままなことに気がつき、あわてて離して言った。
「ゴメン! 痛くなかった?」
「全然、幽霊だからね」それにエリは平気な顔をして答えた。
「ほんと? じゃ、よかっ――」
安心して『よかった』と言おうとしたところでリラは急に言葉を切った。
「どうしたの?」エリが不思議がって尋ねると
「あ、いや」気まずそうな顔をして答えた。「よかったって言っていいもんなのかなって」
いったい彼女がなにを危惧しているのかすぐにエリは察して「ん~」と考える素振りを見せたあと言った。
「いいんじゃない? わたしがいいと思ってるんだし」
その答えを聞きリラは少し間をおいて
「なら、いっか!」と笑った。
それにエリも微笑んで「うん」とうなずくと、ふたりはなんだか可笑しくなって――エリは「ふっ」とリラは「ぶふ」っと――噴き出してしまった。マズイと思って抑えようとするが、我慢ができず小さなスキマからあふれてしまう。困った可笑しさに二人はならいいやと開き直り、それでもなんとか声だけは抑えて、満足するまで笑いあった。
しばらくしてわきあがってくるもの、こみあげてくるものを二人は全部出し切り、リラが目尻の涙をふきながら言った。
「あーお腹いたい」
「わたしも」
「声我慢しなきゃなんなかったから、なんかよけい疲れた」
「うん」
そうしてちょっと言葉を交わしたあと、リラはいったん深呼吸をして息を落ち着かせ、それから「よし!」とつぶやき言った。
「じゃ、この部屋も調べますか!」
エリがうなずくと二人は部屋の方へ視線を移した。どこの部屋もこうなっているのだろうか、やはりここも照明に乏しかった。しかし、決して見えないというわけではなく、薄暗い明かりのなかに本棚に収納、それとプレジデントデスクが見えた。どうやらここは書斎らしい。リラはステージ2の時のことを思い出し、ちょっとしかめっ面をしながら近くの本棚を眺めはじめた。意外なことにタイトルのほとんどを読むことができた。しかし、読めるおかげでかえってリラの顔はより難しくなっていく。『前世の記憶とは? つまりバグなのか?』『オバケの行動心理学』『思考の源泉』『彼らの統治者』――タイトルに目を通していくごとにどんどん眉間にしわがよって、口がへの字に曲がっていく。そしてとある本の前でリラは立ち止まり、それを手に取った。『春おばけ』とある。表紙を開きもくじを見てみると、唯一の章らしい『春おばけ』のあとズラッと植物やら食べ物やらの名前が並んでいた。そのなかに『さくら』とあったのでページ数を確かめめくってみた。すると色鉛筆の優しいタッチで描かれた、斜め後ろ向きのオバケが現れた。その横に縦書きで『さくら』とあり、下にはこう書かれている。
さくら――このおばけの最大の特徴は尾っぽにある。個体差はあるが、およそ尾っぽの先から十~十五センチほどがほんのりと薄桃色に染まっていて、一~二センチほどのハサミで切ったかのような切れ込みが入っている。出現場所は満開の桜の木の周辺のみ。五部や散り始めではまったく姿を現さないため、見られる期間は極々わずか。こんもりとふくらんだ桜のなかに頭隠して尻隠さずで花びらのまねごとをしたり、あの感情の読めないあるいはこもらない目で何かを訴えるかのようにジッと見上げていたり、思い思いのやり方で満喫している。こうしたことからその名前をつけた。備考……どうやら特定の種の桜のもとにしか姿を見せないものもいるようだ。観察が不十分なためまだ確かなことは言えないが、これが正しいのならソメイヨシノやら枝垂やら八重やら名前を細分化しなければならない。
――リラは説明を読み終わり、そのまま別のところを適当に選んで開いた。そこにも同じように、名前と絵と生態が書かれていた。
「ねえ、エリ。ちょっとこっちに来て」
リラはすこし離れた場所でおなじように本を読んでいたエリを呼んだ。すると彼女は一度振り返り、本を閉じて戻してからリラのもとにやってきて、たずねた。
「どうしたの?」
「これ読んでみてよ」
差し出された本をエリは受け取り、まず表紙に目を通した。それから特にこだわりもなく本を開き読み始めた。やや沈黙があって、読み終えたらしく彼女は言った。
「へぇ~おもしろいね」
「でしょ。 エリはそういうのがいるって知ってた?」
「ううん」
「じゃ他にもあるからちょっと見てみよ」
エリが本からリラの方へ目を移すと、『冬おばけ』『秋おばけ』『夏おばけ』という文字が彼女の手の上に積まれていた。
「よいしょっと」
それをリラはそう言いながらいったん床に降ろし、上にあるものを取って読み始めた。エリも春から秋へと季節を移した。
「やっぱり! いると思ったんだよね『鏡もち』。ほらほら」と言いながらリラが見せると「『十三夜』『十五夜』『十六夜』だって」とエリも見せ、それに「皮だけ乗せてるのがいるんだ」とか「三姉妹ねー、兄弟じゃないんだ」とか感想を言って、そんなふうに自分たちの置かれている状況も忘れて、二人は長いこと気になったもの面白いものの見せあいっこをして楽しんだ。




