紙一重
クラリスが公務から帰るのは明後日。
それまでジャンヌはシュツルム邸に滞在してもらうことになった。
アイゲンラウホ辺境伯にはランドルフ王子から、王都にジャンヌをしばらく滞在させる旨を記した書簡を出した。速達で送ったので遅くとも明日には報せることができる。飛び出して来たので心配しているだろう。
何か吹っ切れたのか、ジャンヌはとても凛々しいおばあさんになった。
アンネリーゼの母が、そんなジャンヌの格好良さにときめいていた。
そして現在、ジャンヌはアンネリーゼの研究室にいる。
アンネリーゼが魔法で作り出した数々の捜査道具を、珍しいのでまじまじと見ていた。
「あなたは不思議なお嬢さんね」
ジャンヌがつぶやく。言われたアンネリーゼはなぜかどきりと、ときめいてしまいそうになる。
アンネリーゼの異変に気づいたエリヤはぎょっとした。
(とても男前ですわ)
ジャンヌの行動はおそらく無意識だ。
若い頃はさぞ女性たちがたぶらかされたのだろうと想像する。
「こんな魔法、あちこち旅をしたけれど一度も見たことがない」
「私のこの魔法は、私にしか使えないようです」
今日も増やすことのできた指紋や魔法紋のサンプルに、無表情のアンネリーゼは内心ほくほくしていた。魔法を褒められたことも嬉しい。
「ジャンヌさんが印象的だった場所や魔法はどんなですか?」
あちこち旅に出ていたジャンヌだ。何かおもしろい情報はないかと、クリストハルトは目をキラキラさせている。
「南方は海がとてもきれいで、気候も良くて、ぼんやり過ごすには最適でした。そちらで仕事に来ていた主人と出会ったのです」
南方は貴族の別荘がたくさんあるリゾート地だ。観光で栄えている。
とても穏やかな口調のジャンヌの笑顔に、アンネリーゼもわずかに微笑む。憑物が落ちたように見えた。
「海は好きじゃないんだよね」
クリストハルトの物言いにも、ジャンヌは口元をほころばせている。本当に心が晴れやかになったようだ。
西方の屋敷にいたときより、顔色も良く見える。
「海の中には見たことのない生き物がたくさんいましたよ」
「それはちょっとおもしろそうだけど、潮でベタベタになるのが嫌いなんです」
うんうんとアンネリーゼはクリストハルトに同意する。
(お父様の仕事の都合で行かなくなりましたが、家族旅行と言えば南方で、私は苦手でしたわ)
しかしこんなことを思えるのは、アンネリーゼの前世の女の子からすればぜいたくな話だろう。
ジャンヌとこんな他愛のない会話ができるとは思っていなかった。本来の彼女はこんなに良い人なのだ。
(魔が差して踏みとどまれるかどうかは、本当に紙一重ですのね)




